少女よぞら ボクは普通が何かがわからなかった。
だってそんなの誰かが決めたあちらとこちらの境界線だから。
「よぞら、貴女は女の子なんだから自分のことは『私』と言いなさい」
「どうして?なんで『ボク』はダメなの?」
「貴女は普通じゃないからよ。喋り方だけでも普通にならないと……」
『貴女は普通じゃない』、それがボクのお母さんの口癖だった。
でも何がおかしいのかは教えてくれなかった。ただ、何かが不快なものを見るようなそんな顔でお母さんはボクを見ていたと思う。
正直なところ異端であることは幼ながらにもわかっていた。だって、ボクの周りにはデジモンをトモダチって言える人間はパパ以外にいなかったし、訳あって動けないパパの身体を動かすお父さんはカラスのぬいぐるみで、お兄ちゃんはピノッキモンというお人形さんみたいなデジモンだ。
パパの肩にいるカラスのぬいぐるみのお父さんはボクを普通じゃないって素敵だねって言ってくれた。新しいものは大概『普通じゃない』からって。
でも、お母さんはボクの『普通じゃない』を認めてくれなかった。
そんなある時だった、ボクはお母さんと公園に来た時にうっかりデジタルワールドに迷い込んでしまった。
怖くなかったのかって?もちろん怖かったさ。
ただ、幸運にも迷い込んだエリアはとても平和で優しい場所だった。
赤ちゃんのデジモンがいる『始まりの街』。そこを守っている素敵なお花のデジモン、ブロッサモンがいた。
無数の触手で沢山の赤ちゃん達を甲斐甲斐しく少し愚痴をこぼしながらも笑顔でお世話する様子は、ボクの知っている『お母さん』の概念から離れた素敵な母親像だった。
「人間のお嬢ちゃん、どこから来たの〜?」
「近くの公園で遊んでたら迷っちゃったの、ここから元の世界に帰る方法知らない?」
「あらまぁ……最近よく迷い込む人間が多いのよ……大体が私にびっくりして逃げちゃうんだけど、お嬢ちゃんは違うのねぇ」
ボクがブロッサモンを怖がらないことにブロッサモンは驚いていたけど、基本的に彼女は赤ちゃん達だけじゃなくて他人にも優しかった。逃げてしまった人たちを心配してたし、そして何よりボクが帰れるよう出口まで案内してくれたから。
「ここから先があなたのいた場所に繋がっているはずよ、途中まで一緒に行ってあげるわ」
「いいの?人間は臆病な生き物だから、大きな君に攻撃するかもしれないよ?」
「ふふふ、銃弾の一つや二つ痒くもないわぁ〜お嬢ちゃんが心配なだけよ。だって貴方はまだ子供でしょう?」
本当にこのブロッサモンは優しいデジモンだった。ボクのことを子供として扱ってくれるひとなんてカラスのお父さんくらいだったから、尚更そう思った。
森の外に出ると目の前には見覚えのある公園が広がっていた。
ボクは元の世界に帰れたみたいだった。
不意に甲高い悲鳴が聞こえた。化け物が現れたと、公園中が大騒ぎ。
しょうがないと言えばしょうがない、ボクは素敵だとは思うけど、ブロッサモンは見た目ばっかりは普通の人から見たら不気味だしでっかいんだもの。
「ほらね、大騒ぎになっちゃった」
「あらあらまぁまぁ……困ったわねぇ…」
しばらくするとボク達は警察の人達に囲まれていた。まるで外敵を見るようにブロッサモンを警察の人達は睨みつけていた。今にも攻撃しだしそうなそんな状況だった。
「待って待って!ボクを助けてくれた恩人さんなの!撃たないで!このブロッサモンは優しいデジモンだよ!」
いてもたってもいられなくて、ボクはブロッサモンの前に飛び出てしまっていた。
警察の人どころか、野次馬たちもびっくりしててなんか写真まで取られてしまってる。
「そこのお嬢さん!今から君を助けるからその化け物から離れ……」
「化け物じゃなくて、ブロッサモン!ボクの話を聞いてよ!ボクを助けてくれた恩人さんなんだって言ったでしょ!?」
人間の大人たちにはボクの声は届かなくて、警戒をする人たち、好奇の目で見る人たち、それからブロッサモンを怖がる人たち……そんな人ばかりで、ボクは悔しくて悔しくて仕方なかった。
──どうして誰もボクの話を聞いてくれないの?
「よぞら!」
群衆の中から、聞き覚えのある声がした。
「お母さん!」
お母さんが見つけてくれた。ボクのこと嫌いと思ってたけど、そんなことなかった。良かった、そう思った。
「あら、お母さんいたの?良かったわぁ〜これで私も安心して帰れ……」
……そう、思ってた。
──バチンッ
何が起きたのかわからなかった。
とにかくほっぺと口の中がジンジンして、喉の奥から声が漏れそうなほど熱い苦しさが込み上げてきて、だんだんと頭もぼんやりしてたけど、何故か涙は出なかった。
多分、ボクはお母さんに顔を叩かれたのだと思う。
「どうしてアンタは普通にできないのっ!?」
「お嬢ちゃん!あ、あなた、このお嬢ちゃんのお母さんなんでしょ!?どうしてこんなことを……!」
「うるさいバケモノ!この子が……この子がいけないの!
ただでさえ化け物を兄だのトモダチだの言うのにこんな大騒ぎを起こして!アンタなんか……アンタなんか……!!」
「…あなた!これ以上をお嬢ちゃんの前で言ったら…!」
お母さんとブロッサモンが言い争ってる。
ボクが、悪いんだ。
ボクが止めなくちゃ。
回らない頭を必死に巡らせて、ボクはふたりの間に割り込んだ。
「ごめん、なさい……ボクが、わるかったです」
ボクが間に入ると、一触即発だったふたりの空気は静かになった。
「お嬢ちゃん……」
ブロッサモンがボクのことを呼んだような気がした。
何となくすごく悲しそうな声だった気がする。
「ブロッサモン、送り届けてくれて、ありがとう……もう、いいよ……お母さんに会えたから、もう、いいよ」
必死に笑顔を作ってブロッサモンを安心させようとボクなりに努力した。
「…………わかったわ。さようなら、お嬢ちゃん」
ブロッサモンは触手の一本でボクの頭を優しく撫でると、静かにデジタルワールドへ帰って行った。
胸が苦しくて仕方なかったけど、我慢した。
家に帰ると、お母さんは乱暴にボクをリビングのカーペットの上に放り投げた。
それから堰を切ったように、大声でボクにまくし立ててきた。
「アンタのせいで滅茶苦茶よ!あんな大騒ぎ起こして、もう外に出られないじゃない!!」
「…………ごめんなさ」
「言い訳なんか聞きたくもない!写真も動画も取られて……!どうしてあんな恐ろしい化け物なんか庇ったの!?」
「……あのブロッサモンは、優しいデジモンで…」
「うるさいっ!」
お母さんはボクの頬を強く叩いた。
そのせいでボクは尻もちを着いてしまい、お母さんはそれを上から何度もボクを叩いてきた。
「なんであんな化け物をトモダチと言うの!?どうしてアンタは普通にできないの!?」
「いた、痛い……おかあさ、やめ……」
「うるさいうるさいうるさい!屁理屈ばかり成長して、周りに合わせようともしないじゃない!!」
お母さんに何度も叩かれて、痛みと混乱で頭がぐちゃぐちゃになりながらも、合わせようにも合わせる基準なんて言ってくれなきゃわかる訳ないじゃないか、と、どこか冷静な自分もいた。
それからお母さんは何度も何度もボクを叩きながら、あらゆる罵詈雑言をボクに浴びせて来た。
どれもひとつひとつが悲しかった。
そして限界というものは突然訪れるもので……
「悪魔の子!アンタなんか産むんじゃなかった……!!」
ガラリ、とボクの中で何かが壊れた音がした。
それから何も聞こえなくなって、視界は目は見えるのに真っ暗。自分自身の心臓の音すらも遠くなったような気がした。
ボク、生まれてきちゃいけなかったんだ。
何となく自分の中でそう結論着いた時には、お母さんとボクはお父さんによって引き剥がされていた。
お父さんは……いや、あれはパパだったんじゃないかな、パパがボクをお母さんから守るようにボクを抱きしめると、途端に大地震が起こった。
そのあとのことは震災やらなんやらで、物理的にバタバタしてたからあまり覚えてないけど、あの時のお母さんはパパを何かとても恐ろしいものを見るような目で見上げていたのを何となく覚えている。
震災があってから数ヶ月、気づいたらボクの両親は離婚していた。
というか、ボクはその数ヶ月間の記憶がすっぽり無いんだ。
引越しの最中、カラスのぬいぐるみのお父さんはずっとボクの肩に着いて離れなかった。遠隔でパパの身体を操作して疲れてたんだろうな、夜はぐったりしながら眠ってたと思う。
引越し先でもやはりと言うべきか、ボクは好奇の目に晒された。
ネットの世界とは怖いもので、あの時のブロッサモンとのやり取りが動画として上げられ拡散されていたのだから。
先ず引越し先の田舎は思ったより排他的で、時々仲良くなれる子がいても、その子の親がそれを許してくれなかったのもあって、ボクは基本的にひとりぼっちだった。
そして学校ではボクのことを村八分にしてきた。
母親に捨てられた鬼子とか、化け物の仲間の鬼退治だの言われて数人から木の棒で叩かれたり、テストの点数でその子たちよりいい点数を取れば生意気だと階段から蹴り落とされたりすることもままあった。
まぁそれはボクも大怪我をしたし、お父さんがすぐに警察を巻き込んでの大騒動にしたのですぐに落ち着いた。それに学校に行かないことも許してくれた。
気付けばボクの心は伽藍堂なのに、苦しくて仕方なくて、いつも吐き気と息苦しさを感じていた。
心があるからこんなに苦しいのかな、と何度も思っていた。
そして、こんな世界から消えてしまいたい、自分なんて生まれちゃいけなかったんだという自分に対する呪いが自分にばっかり残っていた。
ある日、近所をひとりで散歩をしていると、こっそり仲良くしてくれてた女の子がこっちに駆け寄ろうとしてたのを親に止められているのを見かけてしまった。
「どうして?あの子は頭のいい優しい子だよ?」
「ダメなものはダメ、あの子の家には化け物がいるの、隣の山の鬼の仲間なの」
この町の山にそんな話があったなんて知らなかった、そう思って遠目に親子の話をこっそり聞くことにした。
「あの山の鬼はね、なんでも知っているけど人の魂を奪ってしまう恐ろしい鬼なのよ」
知らなかった、魂を奪う人ならざる存在がこの町にいるなんて。
多分デジモンかな、ケモノガミ信仰の成れの果てかもしれない。悪魔系なら魂を奪えるデジモンは割といるからその辺かも。そう少し期待をしながら、ボクは噂の山に向かった。
ボクを殺してくれる、優しい悪魔を探しに。