魔術師の大喧嘩「よぞら、大好き」
「うん、ボクもだよインプモン」
成長期の頃、ぼくはこれで満足してた。
そう言って抱きしめてくれる君が大好きだった。
ぼくが生まれた時から一緒にいる、姉のようでぼくの母親のようなぼくにとって、唯一の人間のよぞら。
ぼくはいつからこれで満足出来なくなったんだろう。
「よぞら、好きだよ」
「ボクも大好きだよウィザーモン」
君の言うそれは、ぼくの『好き』とは違う。
それがなんとも息苦しくて、徐々に君を愛しながらも憎むようになっていた気がする。
デジモンとしての名前で呼ぶのは、ぼくたち二人きりの時だけ。
人前では「ソロくん」と呼ぶ。
とある魔術の王様の名前から取ったらしい。
魔術の王様は君だろう、だって君のその魔術の知識はどこから出てくるのさ。
真っ赤なその本は誰から貰ったの、この間だって猫みたいな座天使から本を貰っていたじゃないか。
比べてぼくは、杖が使えない魔力が多いだけの落ちこぼれのウィザーモンだ。
今使っている杖のいらない東洋魔術だって、旅の途中でよぞらがクズハモン先生を見つけ出してくれたから使えるだけでぼくだけの力じゃない。
それでもぼくはよぞらが大好きで、誰にも渡したくなくて、でも彼女を守りきれない己の無力さが何よりも憎かった。弱い自分が何より嫌いだった。
◆
色んな事件に巻き込まれて、デジタルワールドを旅して、魔法都市ウィッチェルニーにだってたどり着いた。
ここでぼくはもっと強くなれると思っていたのに、よぞらはそれ以上になってしまった。
人間の学校というものではひとりぼっちだった君も魔法都市の学校では友達もすぐに作ってしまった。
成績優秀、突然現れた天才魔術師、変わり者だけど人当たりもいい優しい人間の女の子。比べてぼくは魔力ばかり有り余る落ちこぼれ。
悔しくて、虚しくてたまらなくて、いつしかぼくはよぞらから逃げてしまった。
逃げて、逃げて、でも弱い自分は嫌で泥水すすりながらも強くなろうとした。
魔術も研鑽を積んだ、暗黒データや外法にだって手を出した。気がつけば完全体を飛ばして究極体に至っていた。
クズハモン先生には物凄く怒られたけど、この際どうでもよかった。
ぼくは強くなったから。
でもどうしても、何かが足りなくてそれが分からなくて、何かが大切なものを思い出せなくて、傭兵をしながら世界を彷徨っていた。
◆
「……ここにいた」
「!……久しぶりに会ったと思ったら暗黒進化してるなんて」
体感何年ぶりかに会ったよぞらは何も変わらなかった。ただ以前にも増して、旅に慣れたような戦い慣れたかのような妙な貫禄があった。
おそらくデジタルワールドからほぼ出なかったのだろう。
───でも、なんの為に?
ぼくには何一つ分からなかった。
ただ一つ、目の前にいる、ぼくよりよっぽど優れた人間の魔術師を見てわかったことがある。本当に君ってやつはすごいな。
「……ぼくは、お前がいるからこれ以上強くなれないんだ」
「はい?」
「お前という存在がいるからぼくは強くなれない!!」
気づけばそうよぞらに叫んでいた。
ズキリとコアが鈍く痛む。
何となく、無意識中にそれは違うとわかっていた。八つ当たりだってことも。
しかし、なぜだかドス黒い本音しか出てこない。
「……君が強くなれないことをボクのせいにしないでよ、責任転嫁もいいとこだよ」
恐ろしいくらい暗い声で、いつもの小鳥の鳴くような声をしているよぞらから聞いたこともないくらいドスの効いた声でそう言った。
「……五月蝿い」
それ以上言葉が出ない。コアが痛い。
「確かにまぁ、ウィザーモンの頃は戦う時に必ずボクがサポートしてたからねぇ……でももういらないでしょ?見ないうちに進化したんだからさ」
ぼくの顔を見ずにどこか懐かしそうにしながら君はそう言う。
「ね、ベルゼブモン」
そして寂しそうな顔をしながら、君は初めてぼくの顔を見た。
記憶よりずっと小さい君。だと言うのに大きく見えてしまうのは何故だろうか。
「大きくなったねぇ……今の君にはボクなんてもういらないでしょ?どうして会いに来たの?」
「君を倒す為」
そう言うとよぞらは目をまるまると見開き、何がおかしいのか腹を抱えて笑いだした。
「ボクを倒す!?あははは!どうぞどうぞ、今の君なら赤子の手をひねるより簡単でしょ?」
ひとしきり笑った後、よぞらはパキンと指を鳴らすと魔術式を展開させた。まるで輪を描くようなそれは、おそらくこれから使うであろうあらゆる大魔術を簡略化するものだろう。
「やってみる?」
不敵に微笑み首を傾げる君。
なぜだか目の前にいる人間に勝てないと感じてしまうのは何故だろうか。
ベレンヘーナを引き抜き構える。
油断も隙もない、何をするか分からない存在がいちばん恐ろしいと言うのを彼女から離れた期間の経験と、一緒に冒険した思い出が物語っている。
◆
───結果的には勝負はぼくが勝った。
ただ、赤子の手をひねるより簡単と言われたが、こんな赤子がいてたまるかと言うほど彼女は強かった。防戦という縛りを儲けるのなら、ぼくよりよっぽど強いだろう。
魔術だけじゃない、ベルゼブモンという魔王型が苦手とする神聖系のデータの道具やどこかの聖騎士の持つ武具の劣化コピーも兵器として惜しみなく使って来た。
「ほらね、そもそも君はウィザーモンの段階でボクよりよっぽど強かったんだから」
彼女を押し倒し、馬乗りになって銃口を額に突きつける。
コアが痛む。どうしてこんなことをしているんだと目眩と吐き気がする。
「……強くなったね」
懐かしい穏やかで、優しい声がする。
ようやく気がついた、彼女から離れてずっとずっと欲しかったもの。足りなかったもの。
───君自身だ。
「でも、その強さはいただけないなぁ……!」
そう言ってよぞらはぼくの腕を掴むと、つけていた指輪に刻まれているプログラムを起動させる。
『強制退化プログラム』
使えるデジモンはごくほんの一部の超高度かつ進化を否定する古来のプログラム。なぜ彼女がそれを使えるのかは分からない。
ただ彼女のの奥の手中の奥の手だと言うことは見て取れる。
「っ……!!」
「へ、へへ……暗黒データ特化に改良して良かった、本当は君に使う予定はなかったんだけど、暗黒データだけでも全部分解して、せめて成熟期まで君を戻せればボクの勝ちだ!」
そう、喧嘩の勝敗を彼女は諦めていなかった。
どこまで足掻くんだこの負けず嫌いめ、そう思いながらも、また負けるのか、一度だって君に勝てたことないのに、そう思った時。
「うそでしょ……」
データの分解、退化が止まった。
「……?今、何が」
退化する感覚は確かにあった。
しかし彼女との体格の差に変化は無く、しかしベレンヘーナはきれいさっぱり分解されていたので、今自分がベルゼブモンでは無いことはわかった。
そして退化したのにも関わらず先程以上に思考回路がクリアだ。おそらくよぞらが使った強制退化プログラムは、暗黒データを分解するもので本来暴走したデジモンに使うべきものだったのだろうと伺える。
「暗黒データを消化して自分の一部にしっかりしてたなんて信じられない……君はいつもボクの想像の上を行ってくれるねぇ」
そういうと脱力し、君を掴んでいた腕を優しく撫でると「君の勝ち」と嬉しそうに微笑んだ。
「……よぞら、ぼく」
「あー、あ〜〜!待って、泣いちゃいそう……」
「なんでさ……」
懐かしいあの頃と同じ気が抜けるような反応。
不思議と君に対するドス黒い感情は暗黒データとともに分解されたかのように消えていた。
「君の成長ぶりに感動しちゃって、それにすっごい久しぶりに君に名前を呼ばれたから」
確かにぼくは再開してから初めて、よぞらのことを呼んだ。
「何それ……」
そう言いながらもぼくも涙声になっていたと思う。
今思えば、よぞらは普通の人間よりだいぶ小柄だし華奢だ。いくら魔術を使えるとはいえ肉体そのものの頑丈さは常人以下である。
それなのにも関わらず、ベルゼブモンという戦闘特化のデジモン相手に魔術と経験だけでここまで戦ったのだ。やっぱり彼女は強いと思ってしまう。
「えへへ、妙に頭がクリアでしょ?
『バアルモン』それが今の君、知識の王様のデジモンだよ」
「知ってるよ、ったく、ぼくが言う前に……」
「それでどうするの?ボクをやっつけて何がしたかったの?」
「質問に答えてくれるかな」
「答えられるものならなんでも」
「どうして君の身体は成長してないんだ」
再開して最初に疑問に思った事だ。
ぼくはデジタルワールドでよぞらから逃げるようにずっと旅をしていた。
よぞらは人間でリアルワールドに戻れば人間として成長が身込めただろう。
しかし彼女の身体は何一つ成長していない、別れた時のままだった。それはつまりデジタルワールドから一度も出ていないということと同義だった。
もしかすると、という予感があった。でも外れたら恥ずかしいし言い出せなかった。
ぼくを探していたの?なんて口が裂けても言えなかった。
「君を探してたらあっちに帰るの忘れちゃってねぇ。まぁ、向こうじゃ一年も経ってないから大丈夫じゃないかな?」
「……バカじゃないの」
そう言いながら、横たわるよぞらに肩に頭を埋めた。
予想が当たったのが嬉しかったのもある、でも裏切って傷つけてしまったことへの罪悪感もあった。今の君はボロボロで傷だらけで、どれもこれも全部ぼくがつけた傷だと言うのに、ぐちゃぐちゃに纏まらない感情をぶつけるように、ウィザーモンの頃のように甘えてしまった。
「ひどーい!……もう、心配したんだからね」
あの頃と変わらず、大きくなってしまったぼくの頭を撫でる君。
やっぱり勝てないな、なんて思いながら君を抱きしめる。
コアが暖かい、でも苦しい。
涙が止まらない。
「ねぇ、よぞら」
「なあに?」
「ぼくのこと……」
言い淀む。
ぼくに昔のようにそれを言う資格はあるのだろうか、いや無い。いっぱい傷つけてしまって、今更自分が好きかなんて聞けるわけが無い。
「大好きだよ、どんな姿になろうと、ボクに何をしようと、世界でいっとうね」
そんなぼくの様子をわかっていたのか、よぞらはそう言ってぼくを抱きしめ返した。
「ねぇバアルモン……もう何処かに行かない?」
「よぞら?」
「……もうひとりはいやだからね」
「ごめん」
喧嘩は勝ったはずなのに、結局ぼくが謝らされる。いつも通りなんだけど、今回ばかりはぼくが悪いとぼく自身が一番わかってる。
強いけど、本当は弱くて小さい君。ぼくは強くなったのに、それを見て見ぬフリして傷つけてしまった。
そんなぼくでも君のそばにいていいのか、それは滅多に涙を流さなかった君がぼくに抱きついたまま泣いている事実が何よりも証明してくれていた。
「もう君から離れないって約束するから」
「一人じゃ出来なかった危険なこといっぱいしてやる……」
「それはやめて」
その後、強制退化プログラムの刻まれた指輪の効果がぼくとの喧嘩で思ったより薄かったと反省したよぞらは、しばらく研究室に引きこもって出てこなかった。
どうやらデジモンと人間の共存する世界のために暴走デジモンに対する人間側の防具として作るつもりだったのだとか。優しい君のことだ、殺さずに済む方法を模索した結果だろう。
研究中はぼくはよぞらの身の回りの世話をしたり、無理やり食事を取らせたりしていた。以前にも増して世話が焼けたが日常が戻ってきたと実感が持てた。
ついでにそばにいないとこの人間は夢のためにいつ死んでもおかしくないという妙な焦りも覚えるようになった。
未だに彼女に向けるドス黒い好意、おそらく恋情というものだろう。それは伝えられずにいたが、ただ、ようやく自分は前に進めた、そんな気がした。