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    kunya_928

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    kunya_928

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    まだ恋愛感情は持ってないけどいずれどっかのタイミングでくっつく💚と❤️‍🩹のお話。
    ※❤️‍🩹が女性にキツイ描写(配信程度)が有り
    ※解離性同一性障害の話をしてますが筆者は医療関係者ではありません
    ※💚のメンタル強め、❤️‍🩹のメンタルが弱め
    ※呪術師に対する捏造設定有り

    これは君への愛の序章目覚めた時に真っ先に感じるのは爽快感だとか朝日による希望だとかそんな小綺麗なものではなくて、いつも絶望だった。
    そもそも目覚める時間は大概夜中だし、其処彼処からバイクのエンジン音が聞こえてくる。そして何より“自分が目覚めた”という事実に、最も強く絶望するのだ。嗚呼また、目覚めたのかと。

    ぱらり。ベッドから下りて向かった机のとある引き出し。無意識に“彼奴”が開けないようにしている引き出し。そこを引っ張り開けて中のノートを取り出し捲る。自分にピッタリな小汚い字が並ぶそれは日付と共にその日あったことを記してある日記だ。前回目覚めた時からまだ一週間も経っていない今日の日付を目に留めて、苛立ちを隠せずに舌打ちをした。

    身支度を整える。服を脱ぎ、さっぱりしたラフな、けれど雑には見えない服を引っ掴んで袖を通す。顔も洗い歯も磨いて、ついでに伸びかけの髭も剃る。風呂はきちんと入っているようだった。この状態に陥る時、たいてい“彼奴”の精神状態は宜しくない。だから全く身なりが整っていないことの方が多いのだ。まぁ勿論この国の文化上、“彼奴”の傾倒するアニメやらがある東の島国ほど綺麗好きなわけでも、風呂に入る頻度が高いわけではないのだが。それはそうと、そういう時の“彼奴”は風呂どころか掃除、洗濯、挙句には食事まで疎かにすることの方が多い。だからこそ、風呂に入ったその日に自分が出てくることは、珍しくあった。そこまでできるなら呼ばなくてもいうだろう、という考えの元、改めて日記を手に取る。文字に目を滑らせて漸く、誰かに穢され、そいつを殴ったことに気づいた。だから嫌でも風呂に入ったのかと納得する。
    そして殴るというトリガーによって、自分が目覚めたことも。

    「…世話が焼けるよ、全くさ。」

    思わず独り言ちた。それに応える者はいないし、答えもない。
    だから外へ出た。行き場のない怒りと苦痛。それらを発散させるのが自分の役目だから。カツリカツリと夜の道を闊歩する。どこかあどけなさを残しながらも、身長や服装によりすっきりとした印象を与えるその男の風貌はネオンの街によく映えた。
    一人の女性がぼぉ、と思わず突っ立って彼を眺める。その瞳は熱に浮かされていた。それに目敏く気付いた男は、踊るように彼女へと近づく。

    「ねぇ、素敵な人。僕と一緒に、夜を明かさない?」

    頷く女。細くてしなやかな指が男の手を取る。劣情と暴力しか知らない、男の手を、無知故に取る。
    この後安っぽいホテルで他愛のない会話の最中、突然怒りを発露させる男。机を、椅子を叩き、殴り、罵り、けれど「そばにいて欲しい」と甘く強請る。体を暴き、髪を撫でたかと思えば、無体を強いてなお愛を囁く男に、女は恐怖し、逃げることもできず従順に従う。満足げに笑う男。いい子だと褒める男。泣き笑いの女。そうして一夜、たった一夜、男女が無意味な時間を過ごす。

    ただしそれが、リアスの役目だった。

    ***

    目覚めはいつも最悪の気分。けれどその日は珍しく、本当に珍しくそうでもなかった。いつも通り、自分の知らない記憶を辿るように“彼奴”、即ち主人格たるミスタの日記を読む。ここ最近は目覚めの頻度が減っている、そう思いながら読んでいけば少し前まで出てこなかった名前が頻繁に書き連ねられていることに気づいた。

    ヴォックス・アクマ
    アイク・イーヴランド
    ルカ・カネシロ
    シュウ・ヤミノ

    何度も繰り返し出てくるその名前達は、おそらくはミスタの友人なのだろう。有意義な時間を過ごしているようで、また、お互いが今まで持ち得なかった様々な価値観を持ち合っているようで、これがミスタが安定した理由の一つかと納得した。
    けれど今日の日付のページ、そこにある文章にリアスは唇を噛む。

    『シュウに怒られた。
    一方的だ。俺がパニックになっちゃったわけで、あれはシュウの落ち度じゃない。でもシュウはお互い様と言った。俺にはそれがわかんなくて、ただ、今は落ち着いてこう書けるけど、あの時は心の底から申し訳なくて何も聞けなくって、結局シュウを怒らせた。
    俺は悲しくて悔しくて、上手く言えないのが嫌で、ついにシュウを突き飛ばして逃げるように帰ってきた。
    傷付けた。
    ごめんなさい。』

    それは一方的な謝罪の文章で、しかもかなりめちゃくちゃなものだった。相当パニックが酷かったのか、ところどころ文字がゲシュタルト崩壊を起こしている。ある程度日記として機能しているが、おそらくそれも無意識の行動だったからで、実際のミスタは文章も書けないほど錯乱していたのだろう。ノートに残った涙の跡が生々しく感情を記録していた。

    ちくしょう、と口の中で吐き捨てる。リアスにとってミスタは守るべき主人格であり、この上なく面倒なお荷物だ。
    自分が生まれた理由は、彼が自己防衛で全ての暴力的な感情を塞ぎ込んだから。彼にとって暴力とはあってはならないもので、少々完璧主義の混じった思考をしている彼には自分が誰かに暴力を振るってしまうことが何より許せないらしい。そして、それは怒りを向けることにも繋がった。自虐思考、自己否定、自己嫌悪。それらはやがて体を蝕み心に穴を空け、そしてそこに新たな人格が生まれる。隙間を埋めて、自らの行動を正当化できる人格が。
    それがリアスだ。ミスタが拒絶した感情を請け負い、ミスタを守る第二人格。
    か弱いものに怒りをぶつけ、自らの思い通りにいかなければわざとらしいほどに苛立ち、物を殴り、音を立てて怯えさせ、恐怖で他人を支配して自らを満たす存在。最低最悪な、ミスタの為だけの人格。

    ぱたん、とノートを閉じて机に閉まった。ミスタがミスタとして行動している時の記憶は、リアスには引き継がれない。当然逆も然りだ。けれどリアスはミスタを守るために存在している。それを実行するために精神に一つ、日記を書くという命令を残した。リアスがより、ミスタのストレスを発散しやすくする為に。ミスタに日記をつけている記憶はない。勿論、リアスという人格が存在するということも知らない。そんなこと知られれば彼の精神負荷はより一層酷いものとなることだろう。だからリアスは独りぼっち。どこまで行っても、一人きり。

    ダンッ

    大きな音を立てて机が軋む。
    強く打ち付けた拳がいつものように痛んだ。リアスは独りぼっちだ。認識もされず、名前も知られず、ただ一人消費されるストレス発散マシーンだ。だから好きに暴れる。部屋の中ですればミスタに気付かれるからいつも外に出て、この容姿に目を眩ませた適当な女を引き連れて、そのストレスを発散してきた。大抵の理由はやり返しに殴ったとかムカつくことを言われたとか、そんなものだったから。
    けれど今回のストレスはどうやらただの怒りとは訳が違うらしい。だからいつもと違う目覚めだったのか。いや、それならもっともっと最悪の気分で目覚めてもおかしくないだろう。どちらでもいいが無性に、腹が立つ。頭をガシガシと乱雑に掻き乱してから、ふーっと長く息を吐いた。
    何はともあれ家にいても意味がない。ガチャリ、と戸を開けて、リアスはまたストレス発散マシーンとなることにした。

    そしてその10分後、外に出たことを全力で後悔した。

    「ミスタ?」

    そう呼ぶ声に思わず振り返ってしまったのが運の尽きだったのかもしれない。否、そもそも前回と違う道を選んだことだろうか。今更どうしようもない行動達に悪態を吐く。
    名前を呼んだということはミスタの友人だろう。目の前の黒髪に金のメッシュ、紫のインナーカラーと独特な風貌をした男は、アメジストの瞳を瞬かせてじっとリアスを見つめていた。驚愕、それからほんの少し気まずさを孕んでいる視線。リアスには彼が日記の“シュウ”なのだろうと直感的に理解できた。今にも「どうして」と言い出しそうな口に舌打ちをこぼす。それを言いたいのはこっちだった。

    「…誰?」
    「えっ、あ、ぇっと…人違い…じゃないよね、ミスタって言われて振り返ってたし…まだ、怒ってる?ごめん、ちゃんと謝りきれなくて、」
    「だから、どちら様?」

    しどろもどろ。説明を重ねる男に間髪入れずに突っ込む。男は酷く悲しそうな顔をして、それからこちらの雰囲気があまりに違うことに気付いたらしく目を見開き、一つ深呼吸をした。

    「僕は、シュウ。シュウ・闇ノ。…君は?」
    「順応が早いね。賢い子は好きだよ、僕。リアス、昼間は僕の主人格がお世話になったようで。」

    その言葉に一瞬眉根が寄るが、シュウという男はまたゆっくり口を開いた。いやに堂々としている、その上こちらに大きな警戒を見せていない。不審がってはいるが、嫌悪の様子は見えなかった。

    「君は、ミスタ・リアスの第二人格…ってことでいいんだね?」
    「一から十まで懇切丁寧に教えてあげなきゃ、その頭は理解できないわけ?同じことを2度も教えてあげるほど僕は優しくないよ。」
    「…うん、わかった。リアスはなんでこんな時間に外へ?」
    「それもさ、言わなきゃ駄目なの?僕は僕の好きな時に動いてるんだけど。そもそも彼奴の友人らしいけど、僕の友人でもなんでもない赤の他人に、僕の行動理由を説明しなきゃなんない?」

    ここまで拒絶されてもなお、シュウは特に動じる様子が見えなかった。普段のミスタとの乖離に、てっきり動揺して逃げていくと思っていたが。いやに堂々と、まるで当たり前のようにこちらの言葉に応答するシュウ。
    もしかして、とリアスの脳裏に一つの答えが浮かんだ。

    「…ねぇ、お前さ。」
    「何?リアス。」
    「お前も“中に居たりする”?」

    パチリ。パチパチ。長い睫毛に縁取られた瞳が瞬く。
    数秒、彼は何かを悩む様に目を僅かに伏せ、そして再び目線を上げた。その瞳には確固たる意志が宿っており、何となくリアスはミスタが彼を好む理由がわかった気がする。そんなリアスの心中を知ってか知らずか、シュウはふわりと柔らかい笑みを浮かべて答えた。

    「そうだよ。」

    端的だが、はっきりした返答。隠し立てることも誤魔化すこともせず、真っ直ぐに返す。普通、二重人格だなんて告白をするのは避けるだろう。いくら目の前の存在が見知った友人と同じ姿をしているとはいえ、そしてその友人も二重人格だったとはいえ、こうも容易く口にできるものだろうか。少なくともリアスはNoだった。だからこそこのシュウという男の潔さが強く胸を打つ。自らが酷く汚れている様に思えて、その清純さが嫌だった。

    「…とはいえ、僕のは所謂診断を下される様な、解離性同一性障害とは別物だけどね。実家が特殊でさ、色々あってお互いを認識できるし記憶も感覚も共有できる存在がもう一人いる感じなんだ。だから、リアスと全く同じではないかな。」

    柔らかな笑みを湛えたまま語るシュウの姿は薄汚れた夜の街に似つかわしくないほど清らかに感じられた。同じネオンに照らされているはずなのに、シュウの横顔は天使の陽光を浴びている様にすら思えて、リアスは無意識のうちに拳を握り締めてしまう。
    狡い。そんな言葉が一瞬脳裏を掠めて、吐き気がした。何を僻んでいるんだろう。そもそも、第二人格の自分が他人に劣っていることを今更突きつけられたって怒りを覚えるのはお門違いというものだというのに。そう誤魔化すようにハッ、と鼻を鳴らした。

    「…大したお人好しだね、お前さ。警戒心足らないとか思わない?見た目が同じなだけで他人だってわかってるのに自分の素性ペラペラ喋るなよ。」
    「そう?僕は別にそうは思わないけど…リアスは、優しいんだね。わざわざそんな心配するなんて。」

    此方の奥底まで見透かす様な瞳が緩やかに細められる。まるで、本心じゃないだろうと言われる様なその瞳に胸の内側が焼ける様に熱くなった気がした。咄嗟に、近くにあった電柱を思いっきり叩きつける。バンッ、と存外大きな音がその場に響き渡った。

    「……二度とそんな言葉、使ってくるんじゃねぇ。」

    自分でも恐ろしいほどに低い声が出た。怒気を孕んだ声を真正面から受けたシュウは一瞬、本気で怯む。目の前のリアスはシュウとは初対面だとわかっていても勿論友人のミスタと同じ容姿だったし、何よりそのミスタがこんな怒りを孕ませているところを見たことはなく、それ故の人格だろうという理解はできてもシュウの頭にはずっと、昼間パニックになって走り去ってしまったミスタが映っていたから。ビリビリと肌がひりつく。

    「…ごめんね。昼間ももう一人の君を悲しませたし。」

    くてり、と力なく笑うシュウに少しずつ怒りの頂点から降りてきたリアスは一つ舌打ちだけ溢した。それ以上の言及はしない。彼は先に言った通り自分の友人ではなく、ミスタの友人だから。
    ミスタの、友人。

    ふとその時リアスの思考に地獄へ還る蜘蛛の糸の様な一縷の考えが浮かんだ。最悪の一言で片付けることのできる、考え。彼は自分にとって他人で、ミスタにとっては怒らせたくない友人。憂さ晴らしに最適だった。

    「…そんなに言うなら、ちょっと今夜付き合ってよ。このままじゃ寝れないし。僕が寝れないとミスタも休息が取れないことになるからさ?」

    お優しいこの男ならミスタを引き合いに出せば付いてくる。その読みは当たったらしく彼は暫く瞬きを繰り返した後に悲しげな笑みで一つ頷いた。

    ***

    リアスは腹が立っていた。本人すら認識できないレベルで、無性に。それは目の前のシュウの無条件で愚かな優しさ故でもあったし、それに劣等感を抱いた自らへでもあった。ともあれ、腹が立ったリアスの行動はいつだって一つ、暴力だ。何かを殴れ。蹴りあげろ。そして従わせ、見下し、感情のまま屠れ。そう、内側で鼓動が煩く喚き散らす。
    適当なやっすいホテルの一室に彼を連れ込み、ベッドへと突き飛ばす。お優しいシュウは、驚きこそすれど怯えの表情は見せずに大人しくそこへ転がった。それにすら、腹の虫が唸る。

    「…抵抗とかねーの?」
    「して、君の気が済むんなら。」

    盛大に舌打ちを鳴らした。リアスはこの余裕綽々な様が嫌で嫌で仕方ないのだ。孤立した、確立された存在。吐き気がする程妬ましい。そんな思考が煩わしい。
    大股でシュウヘ近づいたリアスはその手首を握り潰しかねない勢いで掴み、ベッドへ縫い付ける。それでも、凛としたアメジストの瞳は揺るがない。

    ガゴンッ、と衝撃音を立ててベッドが揺れた。さすがのシュウも突然の轟音に目を見開く。リアスがベッドを蹴り上げたのだ。しかも、だいぶ荒々しく。そんな蹴り方をすれば蹴った足も痛むだろうという想像が容易いほど、豪快で盛大な蹴り。ベッドは暫くギシギシ五月蝿く鳴いていたが、やがて揺れが沈むにつれて共に静かになった。
    リアスの青い瞳を見つめる。ミスタの時より鋭いからか、あの陽の光のような色彩が少なく感じられる。シュウはそ、と口を開こうとした。

    「随分と粗暴ですね。」

    けれど、その口から出た言葉は自身の意図するものとは違う、他人の言葉になる。先程よりもよっぽど目を見開くシュウは、やがて静かに、観念したように長く息を吐いた。

    「…さっき、リアスは僕の中にも誰かいるかって聞いたでしょ。その“僕”が君に話があるってさ。」

    やや呆然と見下ろしてきていたリアスに、今度こそ自らの言葉で告げてからシュウはスッと瞼を下ろす。そして、リアスが瞬きするだけの僅かな時間、本当に“瞬く間”に彼の髪、そして瞳の色が変化した。
    金色のメッシュは紫へ、紫のインナーカラーは緑へ、そしてアメジストの瞳はペリドットへ。美しい変色を遂げたシュウは、先程よりもずっと冷えた声で告げた。

    「退いていただけますか。」

    呆気に取られていたリアスは、怒りも忘れてその人物に見入る。先程の柔和な雰囲気とは打って変わって、冷たく落ち着いた、けれど剣呑とは言えぬなんとも表現し難い独特の空気を纏っていた。強いて喩えるならば、そう、雨の日のガラス窓の様な。澄んでいて、美しい音色を奏で、室内の光をころころと反射させる水滴を纏った、あのガラス窓の様な。そんな雰囲気だった。

    「……誰だよ。」
    「光ノ。下の名前は同じです。シュウ、と申します。」

    退けと言うわりに無理矢理退かせようとはしない、光ノと自称した男はただ冷ややかに、妙に丁寧にそう返してくる。リアスはぞわり、と背が粟立つのを感じた。悪寒に近い。この神経に爪を立てられた様な恐怖を、リアスは良く知っている。
    何かすれば危ない、と本能に近いところで警鐘が鳴った。
    彼の言葉通り大人しく体を起こせば、シュウ_光ノもまた、ゆっくりと体を起こす。そしてその冷たく美しい瞳でリアスを貫いた。ク、と喉の奥が締まる。恐怖だ。突き放される恐怖。ミスタ・リアスがおそらく最も恐れるであろう、侮蔑と嘲笑、その頂点にある拒絶。それを今、リアスは読み取ってしまった。指先が痺れる。喉が異様に渇いた。
    沈黙が流れる。

    「……何を、そんなに怯えているのですか。闇ノの身体に手を出す気のないなら、貴方に私から手を出す様なことはしません。」

    先に沈黙を破ったのは光ノだった。その眼差しからふ、と拒絶の色が薄れる。それを見てとって漸く、リアスは呼吸を忘れていたことに気付いた。ひゅぅ、とか細く弱々しい呼吸音ののちに数度、咳き込む。さすがの光ノもそこまで怯えられているとは思わなかったのだろう。慌てる声が聞こえて、その声が妙に耳に張り付いてうざったかった。たった今出会ったばかりの他人、しかも肉体を害そうとしてきた奴へ向けるにはやけに優しいその声に、何故か無性に苛立つ。

    「大丈夫です、」
    「うるせぇッ!」

    バシン。光ノとリアスの言葉を切り裂くように大きな音が立つ。それは物を殴っただけでは到底響かない様な、皮膚と皮膚のぶつかり合う音。鳴らした張本人であるリアスは真っ先に思う。やらかした、と。若干のパニックに陥りかけていたリアスは咄嗟に背に触れた光ノの手を払い退けたのだ。否、払い退けてしまった。

    音に反してそこまでの痛みがなかった光ノはもう一度リアスを見る。
    そして、絶句した。

    顔面蒼白、という文字が負けるほど白い顔で、今にも死にそうな顔で、リアスは光ノを見上げていた。直感的に思う、これがリアスの“生まれた”原因だと。今度は光ノがやらかしたと思う番だった。

    解離性同一性障害は、ある出来事に対して心的外傷、つまりトラウマを負った際に『それが別人の受けた出来事である』と脳が自己防衛の為に判断し、その出来事を処理する為の人格が生まれるというもの。光ノと闇ノのそれとは違う、立派な精神疾患。そして、リアスのこの表情を見るに今の行動、否、その直前の光ノの態度を含めて、トラウマの再現を行ってしまったのだろう。憶測を出ないが、少なくとも今の彼の状態が正常と言い難いのは間違いなかった。
    咄嗟に、彼の体重を支える手へと、手を伸ばす。勿論、姿勢は低く、野良猫の相手をするように緩やかな瞬きを繰り返しながら。ビクリと固まるリアスの体を傷付ける意図はない、そう伝える様にゆっくり、ゆっくり中指の先を手の甲へ触れさせた。それから人差し指、薬指を添え、徐々に触れる面積を増やす。

    「…大丈夫、息をなさい。ゆっくりと吸って、吐くのです。大丈夫、大丈夫ですから。」

    血の気を失い、なんならカクカクと震える紫に近付いた唇に、駄目かと思いながらも光ノは声をかけ続ける。闇ノでは彼に優しくし過ぎる、下手をすれば殴られることも享受するかもしれないから、と無理矢理代わったせいか、今はまだ闇ノとの意識が上手く繋がっていない。こういうのは彼の方が得意なのに、と過去の自分に悪態を吐きつつ手のひらで、震える手の甲を覆い体温を分ける様に緩やかに撫で動かしながら、努めて優しい声を出す。

    「リアス、リアス。貴方を傷付けたりしません。恐ろしいことはしないと誓います。だから、ゆっくり息をしなさいな。貴方の恐れるものは此処にはない。」

    しかしその声は、過去に囚われたリアスにはまだ、届かない。

    ***

    フラッシュバックに近い、大きな衝撃。冷ややかな拒絶と咄嗟の防衛で生まれたのは、どうしようもない暴力の雨。口調がおかしい?見た目がおかしい?貧しい?卑しい?出来損ない?その言葉のどれもがリアスを育んだ。そしていつかの日、殴りかかってきた同級生の手から逃れようと振った手の甲は運悪く、その同級生の頬を弾いた。
    殴打、殴打、殴打、激痛。それから冷たい目線と熱い全身。どれもこれも子供が受け止めるには大き過ぎて、重過ぎて。それ以降、暴力がリアスの全てになった。ミスタが捨てた、過去だけが、リアスにとっての現実になった。

    「リアス、…リアス。」

    はた、と唐突に、意識が現実へ引き戻される。あの日は呼ばれなかった名前が、自分の耳に届いたから。
    殴られていない。片手の甲が温かい。熱いのではなく、温かい。あの日とは違って、どこも痛くない。

    「ぅ、ッげほ、ぇ、っ…」

    突然舞い戻った呼吸に、詰まる様に咳き込んだ。どうにかこうにか、何度も深呼吸をして、漸くリアスは現状を認識する。手の甲には光ノの手。背中にも、咄嗟に摩ったのか光ノの手。目の前は光ノの胸元に寄せられているのか若干暗い。

    「…ァ、にしてんだよ、お前。」
    「嗚呼…落ち着いたのですね。それなら良かった。」

    突き飛ばす気力も体力もない。残念ながら呼吸を忘れていた体はまだバカになった様に酸素を回すことに専念していて、なんなら応対すら面倒な疲労感だった。

    「すみません、闇ノの危険かと思って無理をして出てきたのですが、貴方を怯えさせるつもりも負荷をかけるつもりも、本当にありませんでした。申し訳ありません。」

    やけに丁寧な口調は先程と変わらないが、ゆっくり離れた彼の顔に浮かぶ色は安堵と、それから罪悪感。下げられた眉の下の、冷ややかだった瞳は今や柔らかく緩い光だけを帯びていて何処も怖くはなかった。
    リアスは怠い、怠い腕を僅かに揺らす。まだ重なったままの彼の手を払う為に。光ノはそれに気付き、これまたゆっくりと手を退かした。離れていく温もりを惜しいと感じたことを誤魔化す様に、ぎゅっと手を握り込む。そんな感覚は、要らないから。

    「…あんまり俺に構わないでもらっていい?うざってぇからさ。」

    矛先のない怒りが勝手に他所に向く。仕方ない、リアスはその為だけの存在だから。そう自分に言い聞かせる様に、冷たく邪険な態度を取る。最初のむしゃくしゃした、シュウを虐めてやろうという気持ちはもう夕暮れ時の朝顔の様に萎んでしまっていて、ただぐるぐると胃の辺りが重たくなっていた。
    手を置いていたシーツが少しだけ引っ張られる。視線だけで見れば、光ノがシーツを握りしめていた。なんとなく、本当になんとなく彼の顔を見上げてリアスは後悔する。
    酷く、曖昧な表情だった。コレ、と言える感情はなく、ただ悲痛で、優しくて、寄り添うような、そんな表情だった。あ、此れは自分に向けられたことのない表情だ、とリアスは思う。もしかしたらミスタなら見たことがあるのかもしれないが。

    「…じゃあ、俺帰るから。悪かったよ連れ込んで。虫の居所が悪かっただけ、もうしないから安心してくれていいよ。」

    その顔で見つめられると、なんだか駄目になりそうで一方的に言葉を告げて立ち上がる。一瞬ズキン、と頭に痛みが走って立ち眩みがしたが無視した。ここで止まる方が怖かったから。
    それなのにこの手首に温もりが触れた。咄嗟に振り返り、また後悔する。
    そんな、優しい顔を俺に向けないでくれ。

    「貴方、一人称は俺なのですね。」
    「…だから。」
    「いいえ。ただ、取り繕えないほど疲れ切っているのなら、ここで眠って帰っても良いのではないですか?時間はその分だけ取ったのですから、ね。もしミスタに切り替わってしまうのが怖いのなら、責任を持って私が、貴方の目覚める前に貴方の家まで送り届けますよ。それに、私も闇ノも呪術師です。記憶を誤魔化すまじないくらいなら、しっぺ返しもないですからね。」

    ぎゅう、と手首を弱く、けれどしっかり握られてしまう。さっきのように振り払えないのは、疲れているからでも、トラウマがあるからでもない。わかっている。ただ、その温もりを喜んでいる自分がいるからだ。
    誰もリアスのことは知らない。同じ体を持つミスタでさえも、知らない。リアスは独りぼっち。ミスタのように友人もできないし、特定の誰かに優しくされることもない。ストレスを発散する為に粗暴な態度を取る男に誰が優しくしてくれるだろうか。
    でも、今。今この瞬間、この目の前の男だけは、慈愛の眼差しと体温でリアスを呼ぶ。呼んでくれている。じわり、じわりと手首から溶けてしまいそうな心地だった。知らない感覚に、動けなくなってしまった。それを肯定と捉えたのか、ベッドサイドに腰掛けたまま、光ノが手首を軽く引っ張る。もう、リアスに抵抗の兆しはない。小さな子供のようにぽて、ぽて、と辿々しくベッドへ近づく。

    「…ほら、泣いて疲れたでしょう。私のせいでもありますから。此方へ。」

    優しいテノールの声。高すぎず、低すぎず、柔らかくて丁寧な声。あんなに恐ろしく感じた口調が、今は自分を抱き締める母親のものにすら感じられた。リアスは力の入らない腕でベッドへ乗り上げ、導かれるままに体を横たえる。もう半分ほど意識はなかった。
    さらり。何かが頭に触れる感覚に、目線を上げる。リアスの目に映ったのは、白い手袋に包まれた細い指が自分の頭を行ったり来たりする様子だった。撫でられている。そう知識では理解できても、それはリアスの知らない感覚だった。だって、撫でられるのも褒められるのも慰められるのも、全部ミスタの役目だったから。リアスはただ、ただ生み出された理由に則って、物に八つ当たりするばっかりだったから。

    「…なぁ、なぁ。」
    「はい?どうしましたか。」

    無意識のうちに口を開いていた。リアスのターコイズブルーの瞳は殆ど閉じかけで、光ノはその僅かにしか光の入り込まない瞳を見下ろしながら尋ね返す。優しい声だった。

    「……おれ、は、いつんなったら、しあわせになっていいの…」

    ミスタが幸せになればきっとリアスは消えてなくなる。ミスタの傷が癒やされれば、リアスの必要はなくなる。でもリアスだって生きていた。リアスだってここにいる。俺だって幸せになりたい。普段、絶対に何処にも出さない、リアス自身すらわかっていない心の底からの願い。

    「おれだって、…ともだち、とか、ほしかった…」

    日記を見た時、寂しかった。闇ノにあった時、こんなに良い奴が友人になってくれたんだと羨ましかった。リアスには永遠に手に入らないと思っている物だから。ミスタの為に、為だけに生きているリアスは気付いていた。目覚めが苦痛じゃないのは、ミスタがきっと報われ始めているからだと。もうすぐ自分は消えるからだと。

    「……ぁあ、しにたくない、なぁ。」

    ことり。瞼が完全に落ちる。小さく弱々しい寝息を立てるリアスのミルクティーのような髪を光ノはゆっくりと撫で続けた。

    『まじない、使ったでしょ。』

    ふと、内側から声が聞こえる。水の中で反響したような揺らいだ声は、光ノの内側でいつの間にやら目を覚まして見ていたらしい闇ノのものだった。

    「使いましたよ、何か問題でも?」
    『ないけどね。そのくらいのまじないで光ノが失敗するわけないだろうし。…気になったの?』
    「それはまぁ。……あんなに、苦しそうに拒絶するものだから、つい。」

    光ノは瞼を伏せる。瞼の裏には、先程のリアスの表情が焼き付いていた。眉を寄せ、目尻を下げ、迷子になった子犬のような声で。それでいて世界に怯える様な、そう、手負いの獣のような。あんな表情を見てしまったら、そのまま放っておいて帰すこともできなくなって当然だろう。だから、手首を掴んだ時に少しだけ彼の中の“流れ”を乱して眠気を誘った。

    「とはいえ、…あんな告白聞くとは思いませんでしたよ、僕だって。」
    『まぁ、元々内側にいるなっていうのは知ってたし、薄れてたのもわかってたけど……どうするの、光ノ。』
    「どうするも何も、彼らと僕らじゃ条件が違う。治る事を喜ばしく思うべき、でしょう?」
    『そうだね、一般論はそう。じゃあ、君はどうしたいの?』
    「聞く必要あります?それ。」
    『珍しく君が人に興味を持ったから、僕も嬉しくなっちゃって。』

    全く、と光ノは肩を竦めた。言葉遣いも併せて、どこか子供の様な無邪気さを持つ闇ノには手を焼く。そのくせ、変に冷静で冷徹で、思いきりが良いのだから。それは自分も同じだけれど、と思いながらふ、と吐息で笑った。

    「彼に幸せになってもらいましょう。自分勝手は呪術師の本分ですからね。」

    内側から、『んはははっ』と軽やかな笑い声が聞こえる。同意見だとわかりきってる闇ノと光ノは、とりあえず今はこの寂しそうにぎゅう、とシーツを握りしめる二人分を詰め込んだ体が安らかに眠れる様に、そっと瞼に祝福を落とした。
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