天国と過酷本霊時代飽きるほど見た顔がその頃のまま美しく笑う。
「おや、猫殺しくん」
南泉は眉間にシワが寄るのを止められなかった。
「お前には会いたくなかったよ」
そう、こいつには会いたくなかった。
なんせ本霊時代、この戦いが始まるほんの少し前。
オレはこいつに告白して振られているからだ。
翻って今、二振は同じ布団に寝ている。まったく恋仲ではないのに。
本丸生活とはかくも過酷なものだったのか。
天国と過酷
天国と地獄は隣り合わせとはよく言ったもので。
オレはかつて恋した奴と背中合わせに寝るという新手の地獄を味わっていた。
なんにせよ貧乏が憎い。
真面目だがやりくりの下手な主と手綱を持つには主に甘すぎる近侍長谷部のコラボレーションのおかげで当本丸は常にかつかつのさらに下を行っている。
おなかいっぱい食べて欲しいという主の意向を最優先しているおかげで皆の肌ツヤは良いのだが、典型的な日本家屋の隙間から吹き込む風がボロ家の哀愁を引き立てていた。
なけなしの資源で綱渡りして特命調査を乗り切ったはいいが新しく顕現した元監査官の寝る布団すら足りてはいない。
ごめんね所蔵元のよしみで……と主にすまなさそうに言われれば否とは言えなかった。主の背後で柄に手をかけ笑顔で頷けとこちらをガン見してくる長谷部の圧にも負けた。
こうなると分かっていればオレだって縁側で惰眠を貪ったりせず函館を三周してから加役方人足寄場に遠征ループしていたものを。いや今からでも行ける。この地獄を味わい続けるよりマシだ。
――これが地獄なのは、恋がかつてではないからだ。
背中にさして距離のない位置からの体温を感じる。己の寝所に引っ張り込むのを幾度も望んだ相手の物だ。
本霊からばっちり引き継いだ恋心には性欲も付随しているもので、まあ居心地悪いことこの上ない。
夜は更けきりあまりに静かで、昼の喧噪に紛らわせてきた自分の中の恋だの欲だのの声がよく耳に届いた。
やっぱここに居るべきじゃねえにゃ。
どこへ、など目算はないがとにかくここではないどこかへ。
外気が入らないようそっと掛け布団から出ようとしたところで声がかかった。
「眠れないのか?」
「うわお前起きてたのかよにゃ……」
長義は逃がさんとばかりにこちらの夜着を掴んでいた。勘弁して欲しい。
「どこに行くんだ」
「……加役方人足寄場」
「いま? 急に?」
ぱちぱちと目を瞬かせ、怪訝な声で咎めてくる。
「何を受信しての金稼ぎか知らないが夜は寝ろ」
お前が居るから寝られねーんだよ! とはとても言えない。
「いやオレは今すぐ金を稼ぎてえ。稼ぎたくてたまらねえ。是が非でも何が何でも金が欲しいにゃ」
「君猫の他に博多藤四郎の呪いも受けてるのか? 朝になったら鳴狐に解除の交渉に行こう。今は寝ろ」
あろうことか長義はこちらの身体に腕を回して押し倒すようにしてくる。抗うオレとむきになる長義との攻防の末、
「あーもう!」
と叫んで起き上がった。長義もつられて半身を起こす。
そのまま見つめられて、もう説明しないわけにはいかなかった。
極力なんでもないように、を装いながら。
「お前嫌じゃねえのかよ……にゃ。仮にも自分に告白してきた奴と同衾なんかして」
「なんだ」
ようやく得心がいった、と長義は頷いて晴れやかに笑う。
「君まだ俺のこと好きだったのか」
「心が化物ォ!」
すごい。本霊時代から一寸たりとも性格が変わっていない。
こんなメンタル化物をなぜ好きなのかと聞かれたらこの性格込みで好みだからとしか言いようがないのだがさすがにどっと疲れが押し寄せた。ここまで疲労すれば隣に100年単位で好いた奴がノーガードで寝ていようが入眠出来る。
「あーくそ馬鹿馬鹿しくなったわ詰めろ寝る」
「っ」
「悪い、敷いた……」
布団の端でほぼ乗り上げられていた身体を雑に反転すれば、今度はこちらが組み敷く形になっていた。離そうとした身体がぴたりと止まる。謝罪の語尾もフェードアウトしていく。
「あ?」
「……なんだよ」
こちらのそこそこドスの効いた声にも長義は臆さなかったが、不自然に腕で顔を隠したままだ。
「おいちょっと顔見せてみろ」
「は? 嫌だけど?」
あくまで強気を崩さない長義が身体の下でもがき始めるがこっちはカンストしている。レベルリセットして昨日今日顕現した奴など本気になれば難なく抑え込めるのだ。さっきは間違っても怪我などさせないよう手加減していただけで。
「いやいやお前」
どかした腕の向こうに真っ赤な顔がある。必死に目を逸らせていて、これは誰がどう見ても、
「俺のこと好きだろ……」
沈黙が落ちる。
喉をうん、とひとつ鳴らして、長義は仕切り直すように言った。
「おやすみ猫殺しくん夜更かしは身体に毒だよ」
「逃がさねえけどにゃ」
赤い顔のまま唇を噛み締めている長義は悔しそうだがけして否定はしてこない。混乱は極みに達する。え? 意味わからなさ過ぎるだろ。
俺なんで振られたんだ……?
とりあえずと再び身体を起こし、長義が逃げられないようあぐらの間に横抱きで額を合わせる。
大して厚くもない夜着同士で密着していて、双方の速い鼓動など文字通り手に取るようにわかる。
次の言葉をそれぞれ言いあぐねて、好いた者同士特有の互いに向き合う意識で部屋の中が張り詰めたようだ。
「なあ、ついでに聞きてえんだけど」
低く落とした声を耳に吹き込んでやれば気の毒なほどびくりと肩を跳ねさせた。
「なに」
どちらも顔が赤い。熱い。
「お前さ」
どくどく言う心音がもうどちらのものかわからない。
次の言葉を言われたくないのだなと長義の表情でわかったが構わず続ける。
「いつから政府に行ってたんだ?」
甘さなど欠片も含まない真っ直ぐな目線に、長義は痛いところを思い切り突かれたように苦笑した。
「君のそういうとこ一文字って感じ」
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「おい」
「わかったって」
唸るように呼びかけると、渋々白旗を挙げた。
「君に告白される数日前かな」
「はあ まだ本霊にすら戦の通達もきてない頃だろうが」
怒りを隠さず言えば、ほらこうなるから言わなかったんだよ……と呟く。それに関しても後でシメるとして、なんとなく構図が見えてきた。
大きく息をついてがくりと俯く。
あれも言おうこれも言おうと考えた末に出てきたのはこれだった。
「……なんでお前なんだよ」
「向いてたからだろ。監査官に」
弾かれたように見た長義の顔はすっかり平静で、凪いでいた。
「何事も物事が始まる時が一番ごたつくんだ。今でこそ規範となる本丸は山とあるけど、当初は政府も審神者も暗中模索だったからね。闇に落ちた本丸の話はいくつも耳にしただろう? 俺はそれらがまっとうな審神者や男士たちに影響が出ないような動きをまあ、担当してきた」
人間に好意的、かつ同じ刀剣男士の過ちも忖度なく綱紀粛正出来る性質を持った刀。
開戦前に、用意周到に配置されたセイフティーネット。
政府しか知る事のない存在。
こんなに、やるせない事があるだろうか。
「……っんで言わねえんだよ」
「君が優しいから」
うなだれた南泉の頬を、困ったなあという顔で苦笑して長義が撫でる。
「俺が本丸に配属されるかつい最近までわからなかった。俺自身ずっと政府で存在を秘匿されながら過ごしていくものだと思ってた。このまま、本丸を一から立ち上げる艱難辛苦を、共に乗り越える悦びを、我が物とする事なく在りようの知られ方によってはただ憎まれて終わる俺の立ち位置を君が知れば、きっと怒ったり哀しんだりするだろうと思ったんだ」
それが恋仲ならなおのことね。
と続ける声は慈愛に満ちていた。
確かに、きっと自分は我慢がならなかっただろう。
あの政府の、青く光る暗いモニター室で、笑い合い心を通わせ合う他の刀たちをこいつはただ見てきただけだってのは。
知った今もその年月を思ってたまらないんだ。
「――いつかはオレにもバレるなら本霊の時点で言っておけばよかったんだ」
「うーん、君が呼ばれて、その後に俺も顕現して君に知られる可能性を考えなくもなかったけど」
額同士を猫のように擦り合わせてから、視線を合わせて長義は言った。
「君が今感じている感情を味わう期間がすこしでも短ければいいと、俺はあの政府の部屋で思っていたんだよ……」
何かをこらえるために眉間に力を入れなければならなかった。
長義を抱き寄せる手をこらえる事は出来なかったけれど、抵抗されず大人しく腕におさまっているのでこうして良いものなのだと思えた。
こうする事を夢見た時はこんな感情でだとは思ってはいなかったけれど……ん? とそこで南泉は顔を上げた。
「待てよ。告白した後俺が面会拒否されてたのは」
「君カンがいいから、さすがに気付かれると思って」
きらきらと効果音の付きそうな輝く笑顔でしれっと長義は言った。
「おっまえ……!俺はずっと告白のせいで避けられてるんだと思って!やっぱ言うんじゃなかったってあほほど後悔したってのに!にゃ!」
腕の中でごめんね?と俺の大好きな顔で笑う。本当にこいつは顔がいい。くそ今は騙され……いやほんと顔がいいな⁉
激昂と恋どちらに走ろうか止まっている間に長義はぴたりと身体を寄せて、熱っぽく呟いた。
「俺たち恋仲ってことだよね……」
「ああ」
すっと恋の方に寄って俺は答えた。怒りなど置いて。ものすごく手玉に取られている感があるがこいつは素でやっている。恐ろしすぎないか。
「これでようやく……」
触れなば落ちん、という幸福に蕩けた表情で長義が笑う。
「この戦いが終わったら身体を重ねる事が出来るね……」
「この戦いが終わったら身体を重ねる事が出来るね?」
びっくりするわお前オレの心を折りに敵から遣わされた刺客かなんかか。オレの真顔と復唱の意味汲んじゃくれねえですかにゃ。
ねえ猫殺しくん。と山姥切は愛しそうに頬を撫で、はにかみながら追撃してきた。
「ああでもせっかく恋仲になったんだから同衾と口吸いくらいは許してくれるかな……?」
心を折るのみならず拷問まで……?
後から考えればここで「ああ」とか言ってそっと口付けて優しく頭を撫でて「もう寝ろ」など横たえて抱きしめて「うん」なんて幸せそうに眠っていく長義の顔を見守るなんて絶対してはならないとわかるんだ。後からならわかるんだ。
ここで!物分かりの良い彼氏面で!かっこつけてはいけないと!後からだったらわかったのに。
まあ後の祭りです。
追うように南泉も意識を手放した。
就寝ではなく、これからの日々を思い気が遠くなって。
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「おめでとう。ようやくくっついたんだって?」
縁側でうたた寝していた瞼を上げれば後藤藤四郎が覗き込んできていた。
同所蔵のよしみでオレたち2人の行く末を見守ってくれていたうちの一振りだ。
彼の兄弟の鯰尾は庭先で長義と何やら話し笑い合っている。
そちらを眺めながら、
「徳川入れたら長かったもんなあ。ようやく恋仲になれたなんてここは天国だろ」
オレも鯰尾と、自分の番になった長義を見た。
ああ、今日も可愛い。可愛いだけに。
自分の顔が険しくなるのを止められない。
「いや、過酷だ、にゃ」