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    ミスオエ
    オエ女装
    まだR-18ではない

    そろそろ結婚したらどうかと周りにせっつかれ、適当に返事をしているうちに上官の細君を譲り受けることになった。翌日、トランクひとつで屋敷にやってきた華奢で目つきの悪い女は、名をオーエンと言った。
    「きみが僕の新しい旦那様?」
     女にしては低めのかすれた声だった。ついでに言うと尻も胸もなさそうだった。上等なドレスを身にまとってはいるものの、どこもかしこも細くて貧相で、痩せぎすの少年だと言われた方がまだ納得できる。体に恵まれないのならせめて愛想だけでもよくすればいいものを、ミスラを見上げる瞳はまるで氷のように冷たく鋭く、女が持っているべきやわらかさや人懐っこさが欠片もなかった。
     体もダメ。愛想もダメ。だから夫に捨てられたのだろうかとミスラは邪推する。オーエンの元夫、つまりミスラの上官は部下に優しく愛情深いことで有名な男だった。そんな彼が自分の妻をミスラに譲り渡すなど、よほど問題のある女だったと考えるのが自然だろう。
    「ねえ、聞いてる?」
    「ああ…なんでしたっけ」
    「だから、おまえが僕の新しい男なのかって聞いてるんだよ」
     旦那様、ではなく男、になった。本当にまるで愛想のない女だ。オーエンは不機嫌さを隠しもせずにミスラを睨みつけていた。
    「まあ、はい。一応そういうことになりました」
    「なに、その煮え切らない返事は」
    「俺もよく分かってないんですよ。適当に頷いていたら、いつの間にかあなたを貰い受けることになっていたので」
    「……は?」
     オーエンがぽかんと口を開けた。素で驚いている様子の間抜けな顔はかわいかった。少し考えたあと、オーエンが戸惑ったように尋ねてくる。
    「じゃあおまえは、その場のノリで、適当に、僕のことをもらったわけ?」
    「そうなりますね」
    「…………」
     取り繕う必要もないからと正直に頷くと、オーエンは何も言わずに俯いてしまった。泣くのをこらえているのだろうか。それとも激昂してミスラをなじるつもりだろうか。
     顔をあげたオーエンの反応は、そのどちらでもなかった。
    「っふ……あはは、なにそれ! 馬鹿じゃないの?」
    「え?」
     オーエンは涙が滲むほど爆笑していた。手に持っていたトランクを床に落とし、腹を抱えて全身で爆笑していた。怒りや苛立ちよりも先に呆気に取られてしまう。
    「面白いことを言ったつもりはないのですが」
    「もっと面白いよ…! おまえ、知らぬ間にあいつの尻ぬぐいさせられる羽目になって、っふふ、かわいそうにね、あはは!」
    「尻ぬぐい?」
     気になる言い方に首をかしげると、オーエンは目尻を拭いながらうなずいた。
    「そうだよ。今日はもう疲れちゃったから、今度話してあげる。空いてる部屋、適当に僕の部屋にしていいよね?」
    「はあ、どうぞ」
    「ありがとう。じゃあ、これからよろしくね。僕の新しい旦那様」
     トランクを拾い上げ、オーエンが我が物顔で屋敷に上がる。すれ違いざまににこりと微笑まれたが、それきりオーエンはミスラを玄関に置いてさっさと部屋探しに消えてしまった。その背中を眺めながら、ミスラは首の後ろをかく。
    「……まあ、こんなものなのかな」
     世間一般の夫婦像など知らないけれど。形だけの夫婦、ついでに言えば他の男から譲られた女との生活など、こんな風に始まるのがちょうどいいのかもしれない。
     冷たそうで、無愛想で、やわらかくもなさそうな女。でも、男の前で思いっきり爆笑したりする女。
    「へんな女だな」
     だが少なくとも、退屈はしなさそうだと思った。



     翌日、オーエンは朝食の時間になっても部屋から出てこなかった。屋敷には使用人がいるからオーエンがいなくとも家のことは回るのだが、まさか一日目から主婦業をさぼるとは思わなかったというのがミスラの率直な感想だ。
    「お、起こしてきましょうか、奥様のこと……」
     妻のために用意されていた手付かずの朝食を黙って見つめる主人を見かねたのか、使用人の一人がおずおずと申し出る。姿を見せない「奥様」に困惑しているのは使用人たちも同じだった。オーエン専属のメイドとしてあてがった女たちは部屋にすら入れてもらえず、気まずそうに俯いている。主人がようやく身を固めたと浮き足立ち、花嫁の到着を今か今かと待ち望んでいたのが嘘のようだ。オーエンが屋敷に到着してすぐに部屋に籠ってしまったせいで、彼らはまだ一度もミスラの新妻を見ていない。
    「いいです。俺が行きます」
     不安そうな使用人たちの視線を一身に受けながら、ミスラは二階へ向かった。


     オーエンは空室の並ぶ二階のうち、いちばん南側の部屋を選んだようだった。部屋には鍵がかかっており、何度かノックをしても返事はない。着替えを手伝おうとやって来た専属メイドたちはさぞ途方に暮れたことだろう。
    「オーエン」
     やはり返事はないので、執事長からこっそり渡されたマスターキーでドアの鍵を開ける。長く使われていなかった部屋にはほとんどものがなく、日当たりが良いせいで壁も床も焼けて色が薄くなっていた。カーペットの敷かれていない剥き出しの床にはオーエンが持ち込んだトランクが無造作に置かれ、そばには昨日着ていたドレスも落ちている。明るいがどこか寂しい雰囲気のする部屋の真ん中で、オーエンは全裸にシーツを巻きつけた状態でベッドに横たわっていた。
    「…………」
     まるで宗教画のような光景に思わず足が止まる。いつまでも眺めていたい気もしたが、それ以上にあの裸体に早く触れたいと強く掻き立てられた。足音を立てずにベッドに近付き、顔を覗き込む。ミスラと同じく雪国の生まれだという女の抜けるように白い肌と揺れる銀髪が、朝日に照らされてさらさらと輝いていた。そっと頬に手を添えてみると、ひんやりと冷たい。興奮を抑えながらベッドに乗り上げ、オーエンの上にまたがる。シーツに隠された胸をまさぐろうと手を差し込み、思わず、え、と声が漏れた。
     オーエンが目を開けたのはその時だった。とっさに引っ込めようとした手を逆に引き寄せられ、鼻先がぶつかりそうなほどの距離で、氷のように冷たい瞳が歪められる。
    「女の部屋に忍び込むなんてどういうつもり?」
    「夫婦なら構わないでしょう。それよりもオーエン…あなた、」
    「ああ…ふふ、ばれちゃった?」
     ミスラを鋭く睨んでいたオーエンは、自身の体を見下ろしたあと何がおかしいのか唐突に笑い始めた。昨日と同じくミスラはまた置いてけぼりだ。いつもこれくらい笑っていれば少しはましだろうに、へんなところで笑う、へんな女だ。
     それにしても、とミスラはもう一度オーエンの胸をさする。指先が乳首らしき突起に引っかかり、オーエンが小さく鳴いた。感度は悪くないようだが、それにしても。
    「さすがに胸なさすぎでしょう。真っ平らで乳首も小さくて、本当に男みたいですよ」
    「……は?」
    「あなたの前の夫は貧乳の女が好みだったんですか? それとも、そうではないから捨てられたんですか?」
    「は……? まって、もしかしておまえ、まだ気づいてないわけ…?」
     オーエンは信じられないとばかりに目を見開いた。
    「何がですか?」
    「嘘でしょ…おまえってほんとにばかなんだ…」
    「は?」
    「だからあいつはおまえに僕を譲ったんだ、おまえが信じらんないくらいばかだから…」
    「あなた、殺されたいんですか」
     ばかだばかだとしきりに呟くオーエンの頬をつかみ、無理やりこちらを向けさせる。ミスラが軽く脅せば、たいていの人間は怯えきって必死に頭を下げて許しを乞う。
     だから、こんなことははじめてだった。左右で色の違う瞳は、ミスラと目が合っても少しも揺らがなかった。それどころか、オーエンはミスラににっこりと微笑んでみせたのだ。調子を狂わされたのはミスラの方だった。たかが女なのに。力では絶対にミスラに敵わないのに。どうしてこの女はこんなにも余裕そうなのだろう。
     首の後ろに腕が回された。花みたいな香りがする。
    「ごめんね、旦那様。でも僕はあいつよりもおまえの方がすき」
    「はあ……?」
    「だから許して」
     あいつ、とは前の夫のことだろうか。あからさまなおべっかに怒る気も失せた。もういいです、とオーエンの上からどこうとすると今度は逆に引き寄せられる。ちょっとまって、なんて言われて。
    「なんなんですかあなた」
    「許してくれたお礼に、あいつが頑なに隠そうとしてきた僕の秘密を教えてあげる」
    「秘密?」
    「そう、とっておきの秘密」
     今にも歌い出しそうに機嫌がよさそうなオーエンがミスラの手を股間へ導く。秘密、という言葉に少しでも気を引かれてしまったのを隠そうとして、手のひらにぐ、と押し付けられたのはミスラにもなじみのある熱の塊だった。
    「え?」
    「……胸なんかあるわけないだろ」
     オーエンがかすれた声で囁く。女にしては低めだと思っていた声は少年のものだと言われれば納得がいく。なさすぎると思った胸も、痩せた体も、全てつじつまが合う。ミスラの手に押し付けられたそれが、何よりの証拠だった。
    「…男?」
    「そう。僕は男だよ。残念だったね、旦那様」
    「男……」
    「そう、男」
    「男?」
    「男」
     おとこ、おとこ、と二人して繰り返した。この部屋にははじめから男しかいなかった。男であるミスラと、その妻である、男。つまり、どういうことだ。
    「ふふ、へんな顔」
     オーエンが触れるだけのキスを寄越してくる。やり返す余裕などあるわけがなかった。ミスラは今、全神経を手のひらに集中させていた。質量のある熱。ミスラよりは小さそうだけれど、やわらかさと弾力性があって、よく知った形をしていて。つまりこれはだから、ちん----
    「体、どけて」
    「ああ…はい」
    「ありがと」
     呆然としているうちにオーエンはミスラの下からするりと抜け出した。全裸のままぺたぺたとトランクに近づき、中から女物の下着と新しいドレスを引っ張り出す。小さな乳首が赤いカップにしまわれ、薄っぺらい布の中に股間が押し込まれていくのを凝視していると、また笑われた。
    「まあ、一応ね。つけろって言われてたし。化粧もしちゃうからちょっと待ってて」
    「はい」
     はい、としか言えなかった。離れていってしまった手のひらの熱はいまだミスラを混乱させていた。ぐーぱーと何度か手を握ってみたりして、さっき握っていたのは、握ってしまったのは、
    「ちんこ……」
    「うん、ついてるよ。僕にも」
     ぱたぱたと白粉をはたきながらオーエンが答える。ちんこ。ちんこのついた妻。女? いや、オーエンは男だ。さっきこの目と手で確かめた。
    「いつから?」
    「いや、生まれた時からついてたよ」
     ばかなの? とまた目も合わせずに言われた。オーエンの視線は鏡の中の唇に向けられている。口紅を塗って、んま、と馴染ませて、
    「できあがり」
     と口紅の蓋をぱちんとしめるオーエンはどこからどう見ても女だった。



    「僕が男だってこと、みんなには秘密にしておいてね」
     と言われたので、ミスラは家の中ではオーエンを普通の女として扱うことにした。新しくやってきた妻には実はちんこがありました、なんて使用人たちを困惑させるだけだし説明も面倒なので、そちらの方がミスラにとっても都合が良かった。
     なにより、オーエンの妻としての外面は完璧だった。
    「奥様はとても気立てのよい方ですね。使用人のひとりひとりに名前を聞いておられましたよ」
    「今朝寝坊されたのも何度も謝っていただいて…疲れていたでしょうからお気になさらないでくださいとお伝えしました」
    「お美しい上に心優しいお方でした。素敵な奥様をもらわれましたね」
     一体どんな魔法を使ったのかと疑いたくなるほどに使用人たちは口々にオーエンをほめそやした。ただ一人、オーエンの秘密を知るミスラとしては曖昧にうなずくほかない。
    「ていうかここに来た時、もっと愛想悪かったですよね」
     夕食後、ミスラはオーエンの部屋を訪れた。使用人たちにあたたかく送り出されたのはいいものの、もちろんオーエンとの間には何も起こらず、ミスラは一人でベッドに寝転んでいる。一方、完璧な妻を演じきったオーエンは疲れたと悪態をつきながら化粧を落としていた。体に大きな傷があるからとかなんとか言って、身の回りの世話は自分でやると取り付けたらしい。「気立ての良い奥様」にお仕えできると浮き足立っていた専属の侍女たちは皆残念そうにしていたが、彼女たちに男のアソコを見せるわけにもいかないので仕方がない。
     化粧を落として少しだけ男らしく、というよりは子どもっぽくなったオーエンが、今度はクリームらしきものを肌に塗りはじめる。
    「昨日は本当に疲れてたんだよ。突然知らない男の家に行けって言われて、慌てて準備させられてろくに寝られもしないまま馬車に押し込まれたんだから」
     鏡越しにちらりと視線が合う。
    「どんな男の元に行かされるのかと思ったよ。どうせ女のことをモノとしか思ってない、最悪な男なんだろうなって」
    「あなたは女じゃないでしょう」
    「僕は今、かわいそうな妻の立場からものを言ってるんだよ」
    「はあ…」
     それを言ったらミスラだっていつのまにか知らない女を貰い受けることになり、しかもそれが男でしたなんて相当かわいそうな目に遭っている気がする。
    「でも、おまえはあいつよりはマシ。顔も悪くないし、アソコもでかそうだし」
    「はあ、どうも」
    「なにも考えてなさそうだから扱いが楽そうだし」
    「ちょっと」
    「なにも考えてなかったから僕をもらう羽目になったんだろ」
    「……だとしても、あなたが男だと分かっていたらさすがに断ってましたよ」
     酒の席のことだからあまり覚えていないというのが正直なところではあるが、男を妻として迎えてはどうか、なんて話では絶対になかった。オーエンの元夫でありミスラの上官である男は、オーエンが男であることを隠してミスラに譲り渡したのだ。だとしたら悪いのはその上官であってミスラではない。
     みたいなことを言うと、オーエンが呆れたようにため息を吐いた。
    「普通は、その場のノリと適当な返事で上官の妻を譲り受けることになんてならないんだよ。まともな人間ならそんなのおかしいって気付いて断るだろ」
    「…………」
    「ねえ、聞こえてる?」
     雲行きが怪しい。都合よく眠気もやってきたことだし。
    「そろそろ戻ります」
     と言うとオーエンが不思議そうに首を傾げた。
    「どこに?」
    「どこにって、自分の部屋にですよ」
    「せっかくの初夜なのに?」
    「は、」
     ベッドに乗り上げたオーエンが少女のように笑う。薄いネグリジェを羽織り、女のような香りを纏わせながら、やわらかく抱きしめられた。
    「ねえ、旦那様」
     耳元で甘ったるい声がささやく。ミスラの股間にはちょうどオーエンの膝があたっていた。ぐ、とゆるく押し込まれ、オーエンがそのつもりなのだと悟る。
    「…僕に、お情けをちょうだい?」
    「……」
     オーエンが女であったなら迷わずその体を暴いていただろう。男を誘惑する白い肌を、ミスラはそっと押し返した。
    「俺はあなたを抱くつもりはありません」
    「どうして? 夫婦は愛し合うものだよ」
     オーエンの膝がぐいぐいとミスラの股間を刺激する。夫婦、なんてよく言えたものだ。その場のノリと適当な返事でオーエンをもらうことになったのだとさっき話したばかりなのに。それに、たとえ女のように美しくともオーエンは男だ。ミスラに男を抱く趣味はない。
     オーエンはミスラの頭の中を見透かしたように妖艶に笑った。
    「だいじょうぶ、そこらへんの女よりきもちよくしてあげる。あいつも僕に夢中だったんだ」
    「どうでもいいです。というか知りたくなかったです」
    「ふふ。見た目によらず激しいセックスをする男だったよ。いつも僕の体を…」
    「知りたくないって言ってるでしょ」
     ミスラにしがみつく体を無理やり引き剥がし、上体を起こす。まって、と伸ばされた手を振り払うと、オーエンはむっとした顔でミスラを見上げた。
    「…………ほんとに、抱かないわけ」
    「はい」
    「なんで? 僕はそんなに魅力ない?」
    「魅力がない…かは知りませんが、女じゃないので抱きません。それだけです」
     女じゃないから抱かない。抱かない理由としては十分すぎるくらいだろう。
    「もらってしまったものは仕方がないので、あなたのことは俺の妻として扱います。ただし、あくまで表面上は、です。子どもだって作れないんですから、わざわざこんなことする必要ないでしょう?」
    「…………あっそ」
     ふてくされたような返事を最後に、オーエンはミスラに背を向けてしまった。ネグリジェから覗くうなじから肩までのなまめかしさに、一瞬目を奪われる。後姿だけなら、しゃべらなければ、知らなければ、オーエンは美しい女だった。抱かないと言ったくせに、つい触れたくなる。真っ白な背中に手を伸ばし、指先が触れる寸前で「出てって」と言われた。
    「シないなら、僕はもう寝るから」
     頑なな声の中には悔しさと幼さが混じっていた。確か十六歳になったばかりだと言っていた。あの男も酒の席でそう嘯いていたことを思い出す。若くて綺麗な、とっておきの女だと。その最後の女という部分、もっとも大切な場所だけが嘘だった。
    「あなたが女なら、間違いなく抱きつぶしていました」
    「…………」
    「それで許してくれませんか」
    「…………」
    「おやすみなさい」
     枕に散らばる銀色の髪の毛をくしゃりとかき混ぜ、ミスラは部屋を後にした。



    「……さいあく」
     悔しさに奥歯を噛み締めるほかなかった。おやすみなさいと言って頭を撫でた手は、驚くほどあっさりと離れてしまった。しんとした部屋で、わざわざ肌にぬりこんだクリームのむせかえるような甘ったるいにおいに一人溺れてしまいそうになる。怒りに任せて爪を立てたシーツの冷たさなど、初夜にベッドに残された妻の気持ちなど、あの最低な男は考えもしないのだろう。
    「なんだよ、あなたが女ならって…」
     そんなことを言われたって、オーエンは女ではない。女ではなくとも、自信があった。あのぼんやりとした男などすぐに落とせると思っていた。だって、男だとばれた後もミスラの瞳の奥に灯った欲望の光は消えていなかったのだから。
     それなのに、あの男はオーエンの体を前にしても何もしなかった。それどころか。
    「たってすら……っ」
     怒りのあまり喉がつかえる。屈辱だった。まるで、女としての自分を否定されたようで。
    「はっ…」
     そこまで考えて、思わず笑ってしまう。
     なんだよ、女としてって。
     女として、なんて今まで考えたこともなかった。前の夫の酔狂で悪趣味な性癖に嫌々付き合わされていただけだと思っていた。
     それなのに、いざろくに相手にもされないとなると、かえって、こんな時になって初めて、女として妻としての自負が思いのほか大きくなっていたことを思い知らされる。男なのだから抱かれないのが当たり前だと割り切って、いっそ解放されてしまえば楽なのに、女として生きてきた時間が長すぎたせいでこんなことになっている。
    「……さいあくだよ、ほんとに」
     月明かりに照らされて白く光る体を見下ろす。うっとうしくなってネグリジェは脱いだ。女のにおいをまとっていても、所詮は薄くてかたい男の体だ。それを誰より分かっていたのは、自分ではなくミスラだったということか。抱かない、と断言された。それで許してくれませんか、と子どもの機嫌を取るように頭を撫でられた。悔しさと紙一重の恥ずかしさが、じわじわと心を焦がしてゆく。
     「女」として否定されただけならまだよかったのかもしれない。屈辱が消えないのは、それ以上に決定的な敗北を味わわされたからだ。
    「…………」
     少し触れただけでも分かるくらい、とびきりの体だった。抱きついた時にその胸板の厚さにおどろいた。気だるく寝転がっていただけだというのに、においたつような男の色気に腹の奥が疼いた。
     同じ男として憧れた、なんて言葉ではとても誤魔化せない。これはもっと、それこそ女としての本能に近いものだ。
     抱かれたいと思ったのは。誘惑されてしまったのは。
    「くそ…」
     薄いシーツを思わず蹴り飛ばした。
     本当に最悪だ。
     くすぶる熱に奥歯を噛み締めながら、オーエンはそっと後ろに手を伸ばした。



     ある日の朝、オーエンはふらつきながら食堂に下りてきた。お付きの侍女が心配そうに声をかけると、笑って首を横に振る。
    「本当に大丈夫なんですか? 顔色悪いですよ」
    「…………うん。心配してくれてありがとう」
     ミスラの前に着席したオーエンがにっこりと微笑む。相変わらず、真意を見せない完璧な笑顔だ。
    「そうですか」
     会話はおしまい。使用人たちが顔を曇らせるのが見えた。
     もう二週間ほどになるだろうか。「初夜」を拒絶してからというもの、オーエンはミスラに対してあからさまに壁を作っていた。妻としての役目は完璧にこなす。だが、それだけだった。二人の間にはもう何日も夫婦らしい温度が流れていない。もしや夜の方で何か問題があったのでは、と使用人たちが心配そうに噂しているのも知っている。それはきっとオーエンの耳にも届いているだろうが、実際その通りなのだからどうしようもない。
     今日もまた同じかとミスラが内心でため息を吐いた時、オーエンが手にしていたフォークを取り落とした。
    「オーエン?」
    「…………」
     オーエンはフォークを拾うこともなく無言で口を押さえていた。その顔色は真っ青を通り越して白くなっていて、どうしたのかとミスラが尋ねる前に椅子から崩れ落ちた。
    「オーエン!」
    「奥様!」
     駆け寄ると、オーエンは苦しそうに顔を歪めていた。使用人が触れる前に抱き起こし、その体の熱さに驚く。
    「旦那様! 奥様は…」
    「熱があるみたいです。すぐに医者を、」
    「っ……だめ」
     ミスラにだけ聞こえるような声量でオーエンが囁く。潤んだ瞳は必死に訴えかけていた。医者を呼んだら男であることがばれてしまう、と。
    「でも、」
    「……フィガロを、よんで」
    「フィガロ?」
    「ぼくを……みて、た…医者…」
    「分かりました。今すぐフィガロという医者を呼んでください」
     使用人に言いつけ、ミスラはぐったりした体を急いで部屋へ運んだ。





     胡散臭い笑顔を浮かべたフィガロという医者は、ほとんど闇医者に近い男だった。普通の病院には連れて行けないからと、前の夫が秘密裏に屋敷に呼んでいたのだという。
     人払いをした部屋で、ベッドに横たわるオーエンのドレスをフィガロが慣れた手つきで脱がせる。久しぶりに見たオーエンの白い肌は発熱のせいで火照って汗をかいていた。力なくシーツに落ちた手を握っていいのかもわからず、ミスラはただフィガロが怪しい動きをしないか見つめるしかなかった。その間にフィガロはてきぱきと診察を終わらせる。
    「うん、ただの風邪だね。あとは疲れとかストレスとか。慣れない場所で緊張してたんだろうね。薬飲んで寝てれば二、三日でよくなると思うよ」
    「ありがとうございます。助かりました」
    「いいよ、気にしないで。ところで君がこの子の新しい旦那なんだって?」
    「まあ、はい。一応」
    「へえ。おまえもろくな旦那じゃなさそうだね」
    「はあ? なんですかその言い方、は…」
     言葉が途切れてしまったのは、軽い口調とは裏腹にフィガロの目が笑っていなかったからだ。
    「どんなふうにこの子のことを抱いたの? 男だからってなにしてもいいわけじゃない。倒れるまで無理させて…どうせおまえも愛してるなんて言って自分勝手な欲をこの子にぶつけたいだけなんだろ」
    「ちょ、ちょっと待ってください」
     どんなふうにも何もミスラには全く身に覚えのない話だ。それなのに、まるでミスラがオーエンに無体を働いたせいで体調を崩したかのような言い草は聞き捨てならない。
    声を荒げたミスラを嘲笑するようにフィガロは首をかしげた。
    「なに? 言い訳なんて聞かないよ」
    「抱いてません」
    「え?」
    「オーエンを抱いたことは一度もありません」
     そう言うとフィガロが驚いたように目を見開いた。
    「………え、ほんとに?」
    「本当です。ここに来た初日に迫られましたが断りました。それからは同じベッドで眠ってすらいません」
     しばらくの沈黙の後、フィガロは気遣わしげに口を開いた。
    「おまえ、もしかして不能? 診てあげようか?」
    「殺されたいんですか?」
    「え、違うの」
    「違います。女ならいくらでも抱いてきましたよ。オーエンは男だから抱かなかっただけです」
    「へえ……すごいね、この子に誘惑されなかったんだ」
     なぜか嬉しそうにフィガロは言った。ベッドで眠るオーエンの前髪をそっとかき上げ、汗ばんだ額を濡れたタオルで拭う。オーエンを見つめる視線はミスラに向けられたものとは違ってひどくやさしく、まるでわが子を慈しんでいるかのようだった。
    それを黙って見つめていると、ふと顔を上げたフィガロに「ごめんね」と謝られる。
    「俺が呼ばれるのって、大抵オーエンが酷い目に遭わされた時だったからさ。今回もそうなのかと思って。なんせろくに知らない女を口約束で貰い受けるような得体の知れない男が相手だし」
    「俺ってそういうふうに思われてるんですか?」
    「まあ、そりゃあね。オーエンが部下の男に譲られたって聞いた時はさすがの俺でもぎょっとしたよ」
     フィガロが苦笑する。
    「でも、おまえはあいつとは違うみたいだから安心したよ。オーエンが辛い目に遭ってないならそれでいい。きっと、普通に疲れが出たんだね」
    「…………」
    「どうしたの?」
    「この人の前の旦那って、本当に俺の上司なんですか?」
    「うん? どういう意味?」
    「俺の知るあの人は、部下思いで家族思いの優しい人でした。ですが、あなたやオーエンの口ぶりからはそうは思えなくて」
    「……はは、まあそうだろうね」
     フィガロの視線が険を帯びる。
    「誰にだって裏の顔はある。それだけだよ。それ以上のことは…この子が言ってないなら俺が言う筋合いもないか。さっきはちょっと口を滑らせちゃったけど」
     おどけたように言うフィガロの目は相変わらず笑っていなかった。
    「さてと。俺はそろそろ行くよ。さっき渡した薬、ちゃんと飲ませてね。またなにかあったら呼んで」
    「はい。どうも」
    「ああ、あとさ」
     去り際、フィガロが振り返る。
    「今日だけでもいいから、オーエンのそばにいてあげて」
    「はあ…まあ、それくらいならお安い御用です」
    「じゃあ頼んだよ。またね」



     フィガロに言われなくとも、ミスラは元からオーエンの部屋に残るつもりだった。看病をしに来た使用人にオーエンの裸を見られてしまっては困るからだ。一度、様子を見に来た執事長にはオーエンの看病は自分がするからと言って帰らせた。
     ちなみに、看病の経験などミスラにはない。
    「………まあ、やってやりますよ」
     もらった薬はオーエンの目が覚めてから飲ませるとして。とりあえず見様見真似でフィガロのように濡らしたタオルでオーエンの額の汗を拭ってみる。だが、うまく水気をしぼれていなかったようでオーエンの顔はびしょぬれになってしまった。
    「っ、んぶ……」
     オーエンが苦しそうに呻く。
    「おかしいな」
     ミスラは一人、首をひねった。
     その後も寝間着に着替えさせようとしたり適当に脈拍を測ってみようとはしたものの、ドレスが破けそうになったり首を絞めてしまいそうになったりと少しもうまくいかず、最終的に手を握ってやるだけにした。これくらいならミスラにでもできるし、ミスラが風邪を引いた時はいつもチレッタにそうされていたことを思い出したのだ。
    “体が弱ってる時は心も弱るのよ。あたしがついてるから、泣かないでミスラ”
    「……泣いてはなかったと思いますけど」
     それでもチレッタに手を握られていると安心したのは本当だ。
    「あなたも、泣いてはいませんよね」
     ベッドのそばに椅子を寄せ、オーエンの寝顔を見つめる。ミスラが水浸しにしたせいで化粧は取れかけ、生来の幼い顔が垣間見えていた。寝顔は赤ん坊の頃から変わらないと言うから、オーエンはいつもこんな顔で眠っているのだろう。きっとフィガロは何度も見たことがあるのだろうその寝顔は、初日に覗き見ただけのミスラには馴染みのないものだ。
     夫婦ならもっと早くに知っておくべきだった。
     妻の寝顔も、かかりつけの医者の存在も。過去にどんな目に遭ってきたのかも。
     仮にも、オーエンはミスラの妻なのだから。
    「体が弱っている時は心も弱るそうですよ」
     額から頬へと伝った水滴は涙のように見えなくもない。
    「泣かないで、オーエン」
     ミスラよりも小さくてやわらかい手のひらをそっと握った。



     手を握られるのは苦手だった。どこにも逃げられないようにベッドに縫い付けられている時のことを思い出して、まるで標本箱の虫みたいな気分になる。

     久しぶりに他人の体温で目が覚めた。その温もりを辿ると、左手が繋がれている。
    一瞬、体がこわばった。指先を絡めていると嫌でも行為のことを思い出す。ベッドに押し倒されて、頭の横で手を繋がれる。それが始まりの合図だった。
     だが、体に刻み付けられた忌々しい記憶とは違い、今オーエンと手を繋いでいるのはミスラだ。「初夜」に失敗してから一度もこの部屋に来なかった甲斐性なしの夫が、なぜかベッドのそばの椅子に腰かけ、オーエンの手を握っている。目をつむって微動だにしないのは妻を看病しているうちに寝落ちてしまった献身的な夫にも見えるが、この男に看病ができるとは思えない。
     一体どういう風の吹き回しだろう。なぜか上半身がびしょ濡れなのも気になるところだ。

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