或正体の本質 藤太は妹の手を引いていた。
平日の昼前にもかかわらず、大江戸ランドは人でごったがえしている。
受付にて「子ども二枚」と背伸びをしながらよれた招待券を渡す。
受付係の女性は「子ども二枚」と事務的に繰り返し、ちぎった半券を寄越した。
空いた方の手で受け取り、あらためて妹の小さな手をぎゅっと握る。はじめての遊園地に目を輝かせる妹は、早くとばかり兄の手を一度引っ張った。
彼の背にはずしりとした、行きがけに母親の持たせた二人分の水筒と弁当がはいった袋がある。
藤太の家は下町の食堂だ。今朝も幼い妹を着替えさせながら、準備に忙しなく動く二親を横目に見ていた。
藤太には、両親と三人そろって話した記憶がない。妹が生まれてからはなおのこと、親の空いた時間はすべて妹にむけられてしまう。妹の首がすわってからは藤太が世話係となり、最近通い始めた寺子屋もなかなか行くことが難しい。
客を含めた周りの大人は、親の手伝いをするよくできた兄だ息子だと藤太を褒める。そのうち一人が、家族でと大江戸ランドの招待券を寄越したのだ。
休みのとれない食堂のこと、藤太はもらっても仕方ないと思ったが、親は喜んでいた。
だから、もしやと期待をしてしまった。
が、結局は二人だけの道行きとなった。早い話、手のかかる二人を昼の間遊ばせておきたいのだろう。だけど、これは藤太にとっても、はじめての遊園地だったのだ。
がっかりした気持ちに包まれた遊びたい盛りの心は、妹と背負い袋を投げ捨ててしまいたいとしきりに訴えてきて、しまいには黒いもやのようなものに変わって胃の腑に住み着こうとする。
しかし、藤太の脳裏には親の疲れた顔や食堂の目まぐるしい忙しさが思い浮かぶ。藤太はぐっと息を飲んで黒いものを押し流そうとした。手の先では、妹が兄の指示を待ちわびている。
「兄ちゃんの手をはなしちゃダメだからな」
真剣な顔で頷く妹はかわいい。幼いなりに良い子になろうとしていることも、藤太にはわかっていた。だから今は遊園地で思いきり遊ばせてやりたいとも、思っていた。
それにしても、遊園地とはこんなに大人の、それも男性ばかり多いものだったのか。
行ったことはないながら、テレビで見ていたものとの違いに藤太は驚いていた。それもどこか並ぶでもなく、てんでバラバラに一人ずつ、ぽつんと立っている。それより少ない男女の組み合わせや家族の客らとは、まるきり行動が違っている。
もしや、何か特別なショーの準備があるのかもしれない。一番大きな広場では、テレビで見ているゴーザムライのヒーローショーが定期的に行われていることを藤太は知っていた。とても観たいが、まだ幼い妹は長いショーには耐えられないだろうと諦めている。でも、帰る前に少しだけ立ち寄って、ゴーザムライのリーダー、セイバイレッドの姿を運良く見ることができたらいいなという淡い望みは持っていた。
中心の大通りまでくると、いかにも怖そうな坊主頭の巨漢が腕組みをして虚空を睨み付けていた。その隣のベンチでは、なにやら黄色いものが大量にのった食事らしきものを頬張りながら周りを見渡している男性もいる。
そういった怪しい輩からは小さな妹を身体で隠しながら、藤太は幼い子向けの遊具のある場所へ向かった。
遠目にも多くのカラフルな遊具が配置してある。何人かの子供が親に見守られながら遊んでいた。マスコットの着ぐるみを見つけた妹が、きゃーっと歓声をあげた。手をはなして駆け出そうとするのを握りかえして、二人で広場にたどりつく。風船を配るマスコットの隣には、見慣れぬ白いペンギンの着ぐるみもあった。
そのずっと後ろ、奥の植え込みになにやらがうずくまっていて、藤太にはセイバイグリーンだとわかった。コスチュームが広場まわりの植え込みと同系色のうえに、ご丁寧に頭に枝までくくりつけている。ゴーザムライの中でも一番地味なセイバイグリーンが更に地味に見えた。
いったい何をしているのだろう。つい、目で追っているとグリーンの面がこちらを向いて、あっ、と言ったような仕草で慌てだした。グリーンが人差し指を口元にあてて静かにのジェスチャーをすると同時に、妹が我慢の限界と藤太の腕を引く。
遊具の前にいたマスコットの着ぐるみは、入り口から動かない兄妹に気づいたらしい。風船を持って歩み寄ってくる。伸ばされた妹の片手に、マスコットは風船の紐を握らせてくれた。妹が喜ぶ顔に微笑ましくなりながら、ありがとうをうながす。恥ずかしくなったらしく、もじもじしながら小さな声で礼を言う妹へ、着ぐるみが満足げに頷いていた。ずいぶんと偉そうな着ぐるみだ。横ではペンギンのマスコットが「ようこそ」と看板を掲げている。
藤太は妹から風船を預かると、遊具へ連れて行った。小さい子向けの遊具の中に、大きくなった自分が入っていくのには恥ずかしさがあるが、まだ幼い妹を一人で遊ばせるのは危なっかしい。先程までの照れを忘れた妹がはしゃいだ声で、あれ、と指差すのに頷いて従った。
ぞんぶんに遊具で楽しんだ妹が息を切らし始めたので、藤太は名前を呼んだ。背負い袋をベンチに置いて、水筒と碗を取り出す。そういえば、セイバイグリーンはまだいるのだろうか。気になって茂みのほうを見てみたが、いなかった。少しがっかりしたが、ショーの準備ならそういつまでもいるわけじゃないと気持ちを切り替える。
駆け寄ってきた妹をベンチに腰掛けさせると、碗をもたせた。見守るばかりだった藤太はちっともお腹がすいていないのだが、もう昼も近い。背負い袋から案内マップを取り出して、弁当を食べる場所に移動しようかと考えていたときだった。
耳をつんざく悲鳴が聞こえた。
「攘夷志士だ!」
子供を抱えた大人が、藤太の後ろから駆け抜けていった。どよめきとともに皆が移動をはじめ、遊園地全体がゆれているかのように錯覚する。
はっと顔をあげると、何が起こったのかわからない妹が泣きそうな顔をしていた。藤太は妹の手から碗を引き取り、残っていた茶を捨てると背負い袋にねじこんだ。声をかけながら妹をベンチからおろし、手をぎゅっと握る。
わあわあと藤太たちを追い越していく大人たちからは、攘夷志士、真選組、と聞こえる。藤太には何も見えてこないが、なにやら問題が起きたらしい。すぐにここから離れなければということだけがわかった。
兄ちゃん、と妹が心細げな声を出す。小さな手に精一杯の力がこもっている。藤太は握り返し、妹の顔に頷き返した。大通りは人がいっぱいで危ないだろうと、端を通って入り口まで行こうとゆるく駆け出す。
二人がなるべく端を辿っていくと、皆もう逃げてしまったのか、人通りがなかった。入り口近く、土産物屋の立ち並ぶ通りに差し掛かる。片側は植え込みだ。
息がきれてきた兄妹は、一度立ち止まった。妹は文句の一つも言わないが、不安と疲れが増しているのだろう。真っ赤な顔で涙を浮かべている。おぶってやりたいが、余裕がない。藤太は妹の頭と背を撫でてやりながら、あと少しだと励ました。
こくりと頷いた妹の手を握ろうとしたら、目の前になにかが全身で転がり込んできた。浪人風のなりの男だ。器用に受け身から跳ねるように立ち上がると、兄妹を向いた。髷はほつれて半ばざんばらで、目にはギラギラと不気味な光をたたえている。
男が転がり込んできたほうから何人もの大人の怒鳴り声と駆け足の音がした。不気味な男は舌打ちし、藤太のほうに突進する。とっさに妹を後ろにかばうと、男は藤太の胸ぐらを乱暴につかんだ。そのまま身体は浮いて首がしまり、藤太はうめいた。男は姿を見せた大人たちに吠えている。
「待て! ガキがどうなってもいいのか!」
「クソッ、民間人がいたのかよ」
乱暴に担ぎ上げられ、腹を男の肩にのせられる形になった藤太の、背中のほうから声がする。下のほうで妹の泣く声がする。
男と大人たちはなにやら大声で叫びあっている。男は幸い、妹のほうまで構う余裕がないらしい。早く逃げろと伝えないと、俺は兄ちゃんだから。首を無理やり動かし、妹を探すと、こっちを見て泣いている。大人たちのほうに行けと頭をふって伝えようとしたところで、男が気づいた。
「テメーらが離れねえなら、こっちのガキから先にやるぞ!」
男はいつのまにか刃物を手に持っていた。光る刃が藤太の視界に入る。妹のぐちゃぐちゃに泣いている顔も。ここにいない両親の顔も。あまり行けなかったけど楽しかった寺子屋の友達。見たかったヒーローショーも。変なマスコットやセイバイグリーンも。
「いっでえぇぇ!」
藤太は男の肩に思い切り噛みついた。汚い悲鳴とともに藤太は地面に尻から落ちた。衝撃から痛みを覚える前に、男の足に蹴られた。
「このガキャァァァ!」
全身が痛む中、男の叫びを聞きながら、藤太はごめんなさい、とだけ思った。
キン、と、なにかはじかれた音がして、藤太が目を開けると、視界は緑色で覆われていた。
「あっぶな!」
藤太の頭を抱えこむようにしたセイバイグリーンは、テレビよりやや高い声だった。
「――確保ォ!」
先頭に立つ者の威勢のいい声が先かという速さで、大人たちが男に飛びかかっていき、あっという間に制圧する。それを認めたセイバイグリーンは、ほう、と息をついて
「よく頑張ったね、お兄ちゃん」
と、目を丸くした藤太の頭を軽く撫でた。
少し離れた場所で、妹が泣いている声がする。藤太は礼を言うべく口を開いたが、歯が数度合わさっただけだった。セイバイグリーンがじっと、覆面越しに待ってくれている。
「ありっ……」
「うん」
「りっ」
目と頬が熱い。噛み締めた歯の隙間から息がもれた。セイバイグリーンはかがみ込んだまま、頷いている。
「うん」
「あぃ、あ、あっ」
「うんうん」
相槌をしながらもう一度、セイバイグリーンが小さな頭を撫でる。
藤太は大声を上げて、泣いた。
◇◇◇
「よう、セイバイグリーン」
「……やめてくんない?」
げんなりと振り返る山崎の先には、ニヤついた原田がいる。
真選組は桂一派潜伏の報を受け、遊園地を私服で捜索していた。その中で山崎は怪しい着ぐるみを発見し、これから報告というときだったのだ。他の隊士が指名手配中の攘夷浪士を発見し、焦って捕縛しようとしてしまったのは。
もちろん桂ではない。しかも、相手の攘夷浪士に気取られてしまったことで真選組、攘夷浪士と互いの身分を周りにバラす羽目となる。現場は混乱を極め、避難誘導もままならない。攘夷浪士を取り逃がせないが抜刀、バズーカなんてもってのほか。捜査中の隊士全員を呼び出して、民間人のいる遊園地で大捕物もとい大鬼ごっこという間抜けな事態になってしまったのだ。
山崎はよりにもよって、スタッフから借りたヒーローショーのコスチュームで潜伏しているときに招集をかけられた。正直、恥ずかしすぎた。絶対からかわれる。しかし着替える暇なんて与えられるわけがない。
せめて、端の植え込みや建物の影から移動して攘夷浪士の動きを逐次伝えることにしようとしたところで、人質の場面に遭遇した。
幼い兄妹に刃物を向ける卑怯さにすぐさま飛びかかりたくなったが、下手をうてば逆に怪我をさせてしまう。感情を抑え、気配を殺しながら機をうかがっていた。
ふいに担ぎ上げられていた兄の方に動きがあった。必死に妹を守ろうとしているのだとわかった。だが、すぐに気づかれてしまい、逆に犯人を激昂させてしまったのだ。
山崎の足が動きかけた。身体が前に出るのを理性が抑えようとするより先に、兄が攘夷浪士の肩にかじりついた。汚い悲鳴と同時に弾丸のように身体が動いていた。
攘夷浪士の手を蹴り上げて刃物を飛ばし、子供を抱きかかえた。副長の号令より先に皆が男を取り押さえた。山崎の腕の中の小さな身体は震えていて、生きてるとわかりほっとした。
「いいじゃねえか。目立ってんだから」
「目立って……かあ」
泣く兄妹をひきあわせてから、山崎は慌てて着替えに行った。うっかりしていたが、コスチュームは借り物である。このまま現場検証などで汚すわけにもいかない。四苦八苦して隊服に変わると現場に引き返した山崎への第一声は副長の「テメー大変なときにどこに行ってやがったァァァ!!」であった。
そう、山崎が戻ったときにはセイバイグリーンの中身は謎のヒーローということになっていたのだ。
気づかないうちに現れて正義をなし、気づかないうちに消えてしまった。いや、いたでしょ!? 喋ってたでしょ!? と訴えてもあとの祭り、梨のつぶて。中身が山崎と信じるものは、着替える事前に偶然会話をしていた原田以外いなかった。
しかもどういうことか、段々と中身を噂することがタブーかのようになってしまい、あれは皆を影から護る大江戸のヒーローであると定着してしまったのだ。
今日もどこかでセイバイグリーンは人知れず大江戸の平和を護っているんだ……と、局長に純粋な瞳でしみじみと語られたとき、山崎は、あ、もういいや、とあきらめた。サンタクロースの正体を教えるのは野暮であるし、着ぐるみの中の人などいないのだ。
「まあ、どうせ着るもの変えたってやること一緒だしな」
ため息の後にぼやくヒーローの肩を、坊主頭の隊長は笑いながら叩いた。