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    越後(echigo)

    腐女子。20↑。銀魂の山崎が推し。CPはbnym。見るのは雑食。
    こことpixivに作品を置いてます。更新頻度と量はポイピク>pixiv

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    越後(echigo)

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    ##小説
    ##或監察

    或信念の終着点「はい張った張った! 丁か! 半か!」
    「丁!」
    「半だ!」
     中盆の威勢のよい声に各々が返し、山崎の声もそのうちにあった。
    「ではよござんすか? よござんすね? ――四六の丁!」
     嘆きと喜びが入り交じり、すえた空気をさらに濃くする。報告に戻る前には落としておかねばならぬ厄介な臭いなのだが。
     山崎はそう思いながら、手元の札を数える。
     どう見ても、勝ちもせず負けもしていない地味なやくざ者だ。児の手慰みのような素振りをしていようと、周りは気にとめていない。

     無認可の鉄火場に手配中攘夷浪士の姿ありと情報を仕入れ、ヤクザものに扮し潜入した。
     もう三日になる。
     らしき影は認めたものの、表立って出ることはない。どうやら金欲しさに用心棒を請け負っているらしいが、指名手配の身で出しゃばる馬鹿ではないようだ。
     数日おきに元締めらしきヤクザが来るとき、戸の外にそれらしき気配はある。それが一番の好機と思えた。しかし、無策に踏み込めば血で血を洗う大乱闘が必定。肝心の手配犯に、どさくさに紛れて逃げる隙を与えることになる。

     山崎の役目は、手配犯を見つけるのみならず、必ず捕まえられる場をお膳立てすることだ。
     今日、そのためのタネを仕掛けると決めていた。

     下っ端たちが客らの賭け札を回収し、まだ参加するものからテラ銭(参加料)を徴収する。
     中盆が高らかに開始を告げると、ツボ振りが笊ざるに賽さいを入れて伏す。続いて丁半を募る掛け声を中盆が張る前に、山崎が叫んだ。
    「待った!!」
     一瞬、場は静まりかえる。その機を逃すまい、と山崎は畳み掛けた。
    「今の賽、ちょっとばかしおかしくねえか?」
     ざわっと波打つようにして、客たちがどよめく。
    「ほう? 兄さん、いちゃもんつけるたァ、確かな証拠があってのことかい?」
     墨の入った中盆が、山崎を睨みつける。手の震えを押し殺し、座った三白眼を返した。
    「この眼でよーっく見えたもんよ。おい、手のひら見せな」
     ツボ振りの肩がわずかに動く。山崎には今までだって、イカサマの動きはよく見えていた。しかし、指摘するのは初めてだ。中盆が唇を歪める。
    「……おい、お客さんに見せて差し上げろ」
     へい、とツボ振りは頷く。場に向けて両の手を持ち上げ、ひらひらと振った。
     何もない。わかっている。
     すでにイカサマのタネが腰に移動したのも見えていた。
    「何ィ……」
     だが、山崎は瞠目するふりをした。
    「おいおい……さっきまでの威勢はどうしたんだい兄さんよォ」
     中盆がここぞとばかり、いやらしい笑みを浮かべる。
    「この落とし前、つけてくれるんだろうなァ!」
     そして、鬼の形相で吠えた。
    「確かに見たんだよ! ちょっと俺に調べさせてくれ!」
     なおも追いすがる諦めの悪い男を演じながら、山崎は考えを巡らす。中盆が怒って自分が裏に連れて行かれれば成功だ。多少痛い目にはあうだろうが、敵の足止めと仲間の手引きがしやすくなる。
     腕まくりした若い衆が立ち上がった瞬間、カーン、と高い音が鳴った。
     再び、場は静まり返る。
    「中盆さんよ、そちらの兄さんの言う通りにやんなせえ」
     火皿で打った煙管を口にもどし、小柄な老人が煙を吐いた。編笠を脇に、手甲に股引、脚絆と今ではなかなか見かけぬ古めかしい旅装だ。
    「あっしもこの目で見ておりやした。おい、ツボ振り、テメエ腹ンとこよーく見せなァ」
     鈍く光る煙管とは裏腹に、眼光は鋭い。場は一瞬にして、ただものならぬ気配に支配される。中盆も若い衆も、皆が山崎ではなく老人に目を向けていた。
     周りより早く山崎は空気を脱し、場を把握すると歯噛みした。これでは計画が狂ってしまう。このまま賭場が解散すれば三日間が無駄になる。ちくしょう、と吠えるのはなんとかこらえた。
     山崎の苦悩を知ってか知らずか、老人は静かに言葉を続けていた。
    「イカサマを破られちゃ賭場の負けよ。未熟でもヤクザの端くれなら、潔くするこった」
     未熟。その言葉で、呆けていた中盆の頭にカッと血が上った。
    「クソジジイが! そこのともども裏に連れていけ! グルに違いねえ!!」
     へい、と気迫に叩き起こされた若い衆が、わたわたと老人と山崎を取り押さえようとする。予想外が起きたが、これはありがたい展開だ。
     余計な荷物を抱え込んでしまったが、計画通りに進むかもしれない。期待を隠しながら、抵抗に見えるギリギリの動きで山崎は捕まった。つづいて老人を若い衆が取り囲むと、身体と荷に手をかけようとする。
     瞬間、全員が吹っ飛んだ。
     山崎の数センチ横を軽々と人が飛ばされていった。振り返ると、壁で中盆をサンドしてともどものびている。
     ひぃっと声があがったかと思うと、山崎をつかんでいた者が飛んだ。額に汗がふきでる。常人ならぬ動きには慣れているつもりだった。何も見えなかった。見なければならないのに、手先が痺れ、首が動かせない。誰よりも自分の心臓の音がうるさい。続けて何かが音を上げて舞っているのだが、それが人か埃かも確認できなかった。
     騒ぎに気づいたのだろう、奥からどたどたと複数の足音がして、乱暴に横戸が開かれる。横目に追っていた攘夷浪士の姿をみとめると、焦りで体が動いてくれた。今、なんとか足止めしなければいけない。
    「賭場荒らしだ!」
     山崎が咄嗟に叫ぶと、攘夷浪士どもは場を把握せんと見渡した。腰を抜かす客や山崎、倒れている賭場の関係者――編笠を手にゆうゆうと立ち上がる老人。
    「何奴!」
     気迫の叫びの後に、浪士は抜刀した。異常性を肌で感じたのか、一斉に老人に斬りかかる。して、ひっくり返った。またしても山崎の目には何も映らなかった。自分の肌が泡立っていることだけ、遅れて気づく。思わず腕を握ると冷えていた。
     まだ痺れている身体を無理やり動かし、賭場をぐるりと見渡す。したたかにどこかを打ち付けたか、それとも拳を叩き込まれたのか。唸り声をあげる起き上がれぬ屍共が転がる、地獄絵図と化していた。
     客どもは勘の良い何人かは逃げ出し、腰を抜かしたものだけが残っていた。ひとり立っている老人は、煙管をゆっくり懐にしまう。
    「迷惑をかけましたねえ。皆さんで取っておいてください」
     飄々としたふりで老人は厚い袱紗を取り出すと、すっと盆の前に置いた。惚れ惚れするような堂に入った仕草のあとに、編笠をかぶり直す。框から出る小さな背を、追うものはいなかった。

    ◇◇◇

     昼、神社の境内で、老人は煙をくゆらせていた。
     編笠と杖は脇に置かれていた。わらじの継ぎ紐が細くなっているのをちらりと見やると、また煙を浮かせた。
     そこに、一人の青年が駆け込んでくる。やくざ者の格好をした青年は、老人を認めるなり頭を下げた。
    「お探ししておりました!」
     ほう、と老人は目を細めて煙管を口からはずす。
    「アンタ、賭場にいた兄さんかい。無事だったようだね」
    「へい! お陰様で!」
     腰を直角に曲げたまま、元気な声でやくざ者――に扮した山崎退は応えた。
    「一度礼をと! その節はありがとうごぜえやす!」
    「いい律儀モンだ。ヤクザにしとくにゃ勿体ねえ」
     粗忽な若者を演じながらへへ、と頭を掻く。山崎は老人の目をまともに見ることが出来なかった。
     彼が去った後、台風の通った後のような賭場で屯所と連絡を取り、のびてる全員を急ぎ捕縛し変装を解き報告に向かった。思わぬハプニングではあったものの、結果的には目当ての攘夷浪士を被害なく捕縛、ついで違法賭博の現場をおさえてとりつぶすことができた。こう書けば棚ぼた、万々歳の結果である。
     だが、それでおさまるはずもなく。こめかみに青筋を立てた副長から「謎の老人ってのはどういうことだ」と詰められた。
     何故この老人を留めておけなかったのか、何の情報も得られなかったのか。これだけの実力者、ただの博打打ちだの旅掛けの老人であるはずがないだろう。
     そこは山崎も重々承知の上だが、台風のさなかでいったい何ができたというのだろう――とは口が裂けても言えなかった。そして言えないまま、謎の老人を探し、どういった素性か確認しろとの命を受けた。
     調べてみれば、拍子抜けするほど簡単に老人の居場所は分かった。そのまま踏み入るのも短慮と、周辺や噂を洗ったところ、老人は先日かぶき町に着いた流れ者だった。
     安宿を何箇所か渡り歩いており、気前よく宿賃を支払って行儀も良い。賭場にいたのはあのときのみで、あとは場末のバーの隅で飲んでいたり、一人、煙管をくゆらせて街並みを眺めているだけ。
     老人の知り合いは探し出せなかった。バーで道や施設を聞いていたことから、かぶき町に明るいわけではないようだ。滅法腕が立つ、というのは賭場の一件から噂にはなりかけたらしい。だが直後に真選組の手入れしたことにより、すぐに立ち消えてしまっていた。
     特段の危険性は感じられない。だからこそ、心してかかるべきだと監察としての経験とカンが告げている。しかし、周りから得られる情報はこれ以上あるとは思えない。
     ――ここは懐に潜り込んで調査をするしかない。
     そう判断した山崎は、やくざ者の格好をして老人の前に姿を見せたのであった。
    「アンタは命の恩人でさあ。ぜひ、どこかで奢らせてくだせえよ」
     へらへらと笑いを浮かべながら手もみする。腰掛けて煙をくゆらす老人は、じろじろと山崎の頭の天辺から足の先まで観察した。
     山崎の背に冷や汗がつたう。老人の実力は相当なものだ。下心のあるしょうもないやくざ者として見くびられれば良い。しかしこちらが油断すれば最悪、命のやり取りになるという予感があった。
     笑顔が歪みそうになるのをこらえながら、二手三手先へ考えを巡らす。老人がふと、にい、と口の端を持ち上げた。ただならぬものを感じ、山崎の身体に力が入った。
     老爺は視線を山崎の顔にあわせ、煙管を口からはずした。
     そして――ハッハッハ、と声高に笑った。
    「場末者にしちゃあ、なかなか面白そうな兄ちゃんじゃねえか。俺ァ気に入ったよ」
    「へ、へへ、ありがてえでごぜえます!」
     口がうまく回らない自分に気づきながらも、山崎は必死に笑顔を作った。
     しかし、第一関門は突破と言って良いのではないだろうか。あとは老人からどうにか情報を引き出す。この人の正体はただのヤクザくずれの老人とか、そういうやつで、ひとつ。と、祈る。
    「ところで……お名前は。あ、俺は山崎といいます」
     内心も外面も冷や汗をかきながら、腰をますます低くした。「見ての通り、しがないチンピラで」などとへりくだる。
     向き合っている老人の目線は山崎の頭を越し、遠くを見やっていた。
    「名ァ、ねえ……おっと」
     何かを思い出すようにそうしていた老人の目が見開かれる。
     小さな体はひょいと立ち上がると、境内より飛び降りた。いつのまにか手には杖が握られている。首だけでふりかえり、老人はなんでもない調子で山崎に声をかけた。
    「兄ちゃん悪いね。ちょいとばかし下がってくんな」
     その言葉が早いか、人の気配――それも殺気が山崎にも感じられた。視線をやると、階段を駆け上がる複数人の音がする。
    「――こいつァ、俺のお客さんだ」
     真っ直ぐな背筋の老人は、杖を手に取り肩にやる。一度屈伸してから階段へと歩いた。歩いた、としたのは、動きがあまりにも悠然としていて散歩にでも出かけるような一歩だったからだ。
     二歩目には弾丸のように老人は飛び出し、すでに抜刀していた浪士が、腹に一撃をもらう。声を上げる間もなく、階段を落ちた。
     瞠目し、動きの止まった一人が打ち伏せられる。反応がやっと追いついた一人の攻撃は、老人に届く前に横面をはたかれて逸れ、お返しとばかりに脳天に一閃がいく。間のあと、男は前のめりに倒れた。
     慌てて山崎が駆け寄った頃には二人の浪士が大の字になり、一人は階段の途中でひっくりかえっている。出来事を理解してから、血の気がやっとひいた。
    「おう、もういないのかい」
     飄々とした風情で杖を振って汚れを落とす老人の横顔は、好々爺といっても差し支えないだろう。だが、瞬間的に起こった暴力はたしかにこの隣の老人から一方的に行われたのだ。
     ごくり、とつばを飲んで、山崎は――その場で土下座をした。
    「御見逸れいたしましたァァァ!」
     老人が目をまたたかせた。山崎はなおも続ける。
    「さぞ名のある御方とお見受けいたします! どうかついていかせてくだせえ!!」
     地に頭を擦り付けて懇願するさまに、老人が少しだけうろたえて声をかける。
    「よしなせえよ兄ちゃん。こんなもんは今の世、仕方のねえ手品でしかねェ。俺ァただの流れモンだよ」
    「いえっ!! 俺は!! 感動しました!! ぜひ! お名前を!!」
     頭でぐりぐりと地面に穴を掘る姿に、困り果てた顔の老人は杖で己の肩を叩く。
    「ただのジジイだよ」
    「いえ! きっと名のあるジジイに違いない!! ジジイオブジジイとお見受けします!」
    「まだオブられる足腰でもねェんだがなァ」
     はあ、とため息をつくと老人は山崎の頭の傍にかがみ込む。
    「政四郎ってんだよ。さァ、いつまでも大の男がツラを地面に貼り付けるもんじゃない」
     山崎は泥だらけの顔を一度あげると、ふたたび、ありがとうごぜえます! と穴に頭を突っ込んだ。
     地面と半ば熱いキッスをしながら、山崎はずっと頭を巡らせていた。実力者に加えて、命を狙われていることまで確定した。先ほどの面々は、山崎の知ってる範囲では手入れした賭場とは関係ない。しかし、追っている攘夷浪士の一人が階段にころがっている。
     つまりはたしてこの老人、攘夷浪士と何らかの関わりがある可能性がある。これだけの腕と貫禄、ただの私怨ではないだろう。この老人――政四郎と行動をともにすれば、もしかしてだが、大検挙につながる可能性がある。そういったことをミステリーサークルを広げながら思案していると、おい兄ちゃん、と政四郎の呆れ声が降ってきた。
    「俺ァ、名乗りもしたことだし宿に帰るが、兄ちゃんはいつまでそうしてるつもりかね」
    「えっ」
     しまった。ここで逃がす訳にはいかない。慌てて立ち上がる。ついていく言い訳をひねり出そうとしたときに、政四郎が口を開いた。
    「兄ちゃん、人を斬ったことがおありなさるね」
     まるで今日の天気は晴れだねといった口ぶりで、山崎の反応が遅れた。
    「それもひとりふたりの話じゃあない、昔のことでもなさそうだ」
     穏やかな声がかけられ、山崎と政四郎の目が合った。老人の色素が薄くなった目は、ガラス玉のようなうつろさで、小さくなった山崎をうつしてるかのようだった。山崎は内心のうろたえを必死にこらえて、ひたと見返した。老人の向こう側から己の黒がこちらを見ているかのように錯覚した。
     ふいに鳥の声も虫の音も町の喧騒も止まり、耳の痛くなるような静寂の中に放り込まれた。ただ目をそらしてはならないとだけ山崎は思った。時間がいくら経過したのか。ふと老人の目が細まって、山崎は息をつく。
     途端、小柄な体躯からどう出しているのか、という大声で政四郎は笑った。ぽかんと口を開けた山崎に、ゆるゆると首を振り、低い声で告げる。
    「こんなジジイについていって、得られるモノなどありゃしねえさ。ただ、明日も気が向いたら俺ァここにいるよ」
    「あ、ありがとうございます!」
     山崎が直角に背を曲げる。政四郎が横目に悠々と境内へ歩んでいった。
    「ああそうだ」
     荷をかつぎなおしながら、今思い出したという調子で政四郎がとぼけた声を出した。
    「来るなら堅気の格好で来ておくんなさいよ」
    「へっ?」
     つい、山崎が頭をあげると、ひらひらと片手を振って老人が場を後にするところであった。

    ◇◇◇

     私服で境内にやってきた山崎は、落ち着きなく辺りを見回していた。のびていた浪士どもは仲間への連絡で速やかに回収されている。
     得体の知れない実力者とは重々承知でこの状況を作り上げたものの、どこまで見透かされているのか。お釈迦様の手のひらの上とはこういったことかと、顔が青くなっていく。今や自分を煮るも焼くも政四郎の思うがままである。ええい、と小声で気合を入れる。こうなれば覚悟を決めるのも監察のならいと己に言い聞かせる。
    「待たせたね」
    「はいァッ!」
     背後から声をかけられて飛び上がった。
    「おはようさん」
     山崎が振り向くと、ニコニコと笑う好々爺がそこにいた。たしかに顔は昨日見た政四郎だが、旅姿ではない。羽織袴と黒足袋を身に着けて扇子を挟んでいる。洋風の帽子までかぶり、どこかの商家のご隠居と紹介しても差し支えない立派なものだ。
    「お、おはようございます!」
     山崎が丁稚かという勢いの挨拶を返すと、微笑んでまあまあと手でとどめる。なおのこと昨日の侠客の面持ちや暴力の影は見あたらない。「化ける」ことにかけては山崎はプロだが、それでも舌を巻いた。
    「礼をしたいと言ってただろ、兄ちゃんよ」
    「あ、ハイ!」
     背すじを伸ばす山崎を、まぶしそうに見上げながら政四郎は言った。
    「俺ァよそから来たもんでね、ちょっとばかしここらを観光したいと思っていたのさ。兄ちゃんに案内してもらえりゃあ、助かるんだがの」
    「あ、はい……そりゃ良いですけど……。でも、どのあたりを?」
     もはや意味もないだろうと、山崎は乱暴に繕っていた物言いは止めていた。
    「どこでもいい。兄ちゃんの気が向くとこに連れてってくんな。銭の心配はいらねえからよ」
     懐をぽんぽんとたたき、ハッハッハと鷹揚に笑う政四郎に、山崎はあははと苦笑を返した。この流れは予想していなかった。すでに謎の老人こと政四郎については一度報告し、篠原たちを使って素性を洗い出す動きにうつっている。完全に情報が出揃わなくても、問題がおこれば逮捕状をまわせるよう、根回しも怠っていない。
     しかし、命を狙われているような人間が堂々と観光案内を頼んでくるとは。誰か一人、尾行するものを連れてくるんだったと山崎はひそかに後悔する。
     大捕物につながるとは思えないが、昨日のようなことが町中で起これば防ぐのは難しい。どこかでパトロール中の隊士とつなぎをとる機会をうかがうか。ため息は飲み込んで、こっちですよと老人に声をかけた。

     二人の町行きは幸いなことに平穏だった。昼のかぶき町に夜の賑わいはないが、買い物客たちや遊ぶ子どもたちはいる。政四郎と山崎の二人も、おのぼりさんの老人とその息子、隠居した商人とそのお付きくらいには見えるだろう。
    「――しかし、ここいらのお天道さんもまあ、見えづらくなっちまって」
    「はぁ」
     ビルディングに挟まれた空を船が行き交っていく。政四郎は見上げながら眉をひそめた。その言い草にひっかかりを覚えて山崎は尋ねた。
    「政四郎さんは、江戸に来たことがあるんですか?」
    「……昔の話さ。もう十五か二十年前か」
     視線を前に戻して、噛みしめるように老人は答えた。人気のないネオン通りを過ぎると、商店街にさしかかる。ビルディングの切れ間にターミナルが見えた。政四郎が足を止める。彼は瞬きもせず、天人の建てた江戸の象徴を眺めてつぶやいた。
    「いい町だなあ」
    「そうですか」
    「ああ、活気がある」
     まぶしそうに目を細める横顔を、山崎は複雑な心境で眺めた。自分がこの老人の何を見ようとしていたのか、わからなくなりそうだった。
    「――おい兄ちゃん、煙草はどこで吸うんだい」
     煙管を取り出して笑いかける顔にハッとして、山崎は迷いを監察の任務に引き戻す。
    「あ、こっちですこっち」
     気を取り直して老人を休憩所に案内する。煙管を取り出して葉を詰め始めた隣に佇んだ。紫煙があたりに漂ってから、政四郎はぽつりとこぼした。
    「もう、来る気はなかったのさ」

     ――俺が二度と踏み入っちゃなんねェ町だった。
     もう二十年も経つんだとよ。それは、俺がこの町から戦場に向かってから二十年ってこった。ああ、今は攘夷戦争って呼ばれてんだってな。ここから遠い田舎でも、そう呼ばれていやがった。
     俺ァ、あそこで落とし物をしてきちまったのさ。
     どこにあるかずっと探して、旅して、とうとうジジイになるまで見つけきれなくてよォ。

     俺ァ、ガキの時分からそうだ。
     目の前のことに夢中になっちまうと、前にしか走れねェ猪年の生まれよ。
     だから、落とし物をしても気づきゃしねえ。いつだって落として、走りだした後に気づいて、手遅れで、それでも前にしか進めねえんだ。
     歯を食いしばって進んで進んで――俺ァ、何を手に入れたんだろうなァ。いつのまにか背負っても、拾うことは少ねェ人生だった。足元にころがったもんには、いつだって気づけねェんだ。

     山崎は、ただ黙って老人の述懐を聞いていた。煙管をふかす横顔は十も二十もさらに老け、体躯は縮こまって見えた。
     だがなァ、と、言ってから老人は煙管の葉を火皿に落とす。
    「俺ァ、信念に従ったことに後悔だきゃしねェって決めてンだよ」
     にいっ、と歯を見せて山崎に笑いかけた。
    「――やったことにも、やることにもなァ」
     つぶやいて、煙管に再び葉を詰める。火を付けないまま、言葉を続けた。
    「兄ちゃん、前向いて生きな。まっすぐ、まっすぐに、アンタの信じるところに道が出来んだ。そんときは、恨みも何もかも忘れて進んで、背負った恩だけは忘れんな」
     咄嗟に返事の出来なかった山崎は、ただ頷く。ハッハッハ、と政四郎は大きく笑った。
    「ジジイの説教に付き合わせちまったなァ。年とると下のキレも上のキレも悪くていけねえよ」
     休憩所を出ると、空に雲がかかっていた。灰色の濃いそれに、そういえば夜は雨予報だったかと山崎は思った。
    「こりゃ、一雨くるか。早めに飯でもとるかい、兄ちゃん。奢ってやるよ」
    「え、いいんですか!? ……あ」
    「ハッハッハ、元気になりやがった。若いモンはそうでないといけねェ」
     指摘に恥ずかしそうに頬をかく山崎に、実に愉快そうに政四郎は目を細める。行こうかと山崎の前に立ち、通りに足を進めたとき、軽く肩が通行人とぶつかった。
    「おっと」
    「あだっ!! オイこらジジイ! 何してけつかんねん!」
    「あァ? ジジイ、アニキにぶつかっておいて詫びもなしかゴルァ!!」
     政四郎が話す前に、まくし立てるチンピラ二人を見て山崎は心のなかであちゃー、ともらす。どうやら当たり屋らしい。タイミングからして、身なりがいい政四郎のことを狙っていたのかもしれない。騒ぎになるのは避けたいし、政四郎が力を振るうのも問題だ。
    「すまんすまん。よそ見をしてたんでなァ」
    「それで謝っとるつもりかァ!? なめとんのかワレェ!」
    「そうやそうや、……誠意っちゅーもんがあるやろォ?」
     あー始まったよ。と心のなかでため息をつく。政四郎が穏やかに接してくれているのはありがたいが、それで引き下がるような奴らじゃないだろう。かといって、大金を出してはいけない。ここは自分が出てきて平謝りをして小銭を渡し、引き下がってもらうほうが良いだろう。
    「あのー、すいません……」
    「あァん!? テメー何じゃい!」
    「あ、いやその、こっちは俺の連れでして」
    「はァ!? つまりテメーが責任者ってことかのぉ!? オラァ!」
     何故か声をかけた瞬間、チンピラどもの態度が悪い方向に豹変し、山崎は胸ぐらを掴まれた。絡みやすいと判断したのかは知らないが、勘弁してくれよ! と心の中で吠えた。しかし、一発二発くらいは仕方ないという覚悟も同時に決める。これも任務。いや任務になるのか? 思い込もうとしたが、あまりの理不尽に困難を極めて涙目になる。
    「何しとんじゃい」
    「あっ若頭!」
     そこにもう一人チンピラ――と、思いきや、ヤクザまで参入した。かぶき町の顔役の一人でもある黒駒の勝男だ。一目で見抜いた山崎の顔がみるみる青ざめる。ヤバい。このままでは騒ぎが大きくなりすぎてしまう。ヤクザの事務所までご案内ということになれば、アクシデントだとしても任務の域を大きくはずれるわ、厄介事のタネだわで副長にドヤされるのは間違いない。
    「こいつらがですよォ。生意気にぶつかってきたもんで……」
    「ほぉ」
     勝男は胸ぐらを抑えられたままの山崎の顔をじろじろと見つめる。
    「この地味なやつがか? 地味ィな癖にわしらに地味ィな喧嘩売ろうとはやるのォ。七返さしてもらうぞオラァ!!」
    「いや、ぶつかったのはこっちのジジイ」
    「あ、そうか」
    「おい……」
     顔にツバかかったんですけどー!? てか地味地味言いすぎだろ! と、いうツッコミをギリギリでおさえた山崎は、政四郎の様子をうかがう。暴れる様子はないが、この老人の動きや気配は自分ではたどれない。騒ぎだけは勘弁してくれと目だけで訴える。勝男は老人を睥睨すると、ううん? と唸った。
    「アンタどこかで……いや、確か……これはあんときの、いやそんときの……」
    「ど、どうしたんですかい若頭」
     急に悩みだした勝男にチンピラたちはうろたえ、山崎の拘束が緩んだ。
    「あー、ここまで出とるんや! ほら、お前たちも思い出せぇ!?」
    「な、何をですか?」
    「ええからはよ! あームズムズする! 七三が決まらなかったときなみにムズムズするわ!」
    「えええ……」
     自由になった山崎はチンピラ二人を巻き込んで迷走をはじめた勝男の傍を通り過ぎ、そっと政四郎に目配せをする。政四郎も頷くと、そっと二人で町の方へと駆け出した。

     全力疾走後の男たちは離れた公園で二人してかがみ、荒い息を整えていた。
    「はっ、はーっ……政四郎さん、アンタ、いったい何者なの……」
    「はっ……はははっ。ただのジジイさ」
    「まだ、言うのかよ……それ」
    「それ以外は……ははっ、落としてきちまった」
    「くっ……はは、どんだけ、落としてんの……」
     減らず口に、山崎が相好を崩す。一度ふうっと息を吐いてから、政四郎はすくっと立ち上がった。
    「なあに、落としてもアンタらがいるなら大丈夫だ。おまわりさんよ」
    「なっ」
     山崎はがばっと起き直ると、ハッとして己の懐を探る。思ったものが無いと気づいて慌てて服をはたくと、悠々とそれを政四郎が取り出した。
     老人の手の内でつやつやと輝く警察手帳に、山崎が瞠目する。ぽんと無造作に投げられて、慌てて両手で受け取った。政四郎は穏やかな目と声で告げた。
    「がんばんなせえよ。山崎さん、アンタは、俺が落としてきたもんにそっくりだ。いい目をしてる。信念も、恩も背負って、前に進む目をしてらァ」
     口を開けたままの山崎を放って、小さな背が外へ向かう。山崎は、その名を呼んだ。一度ひらりと手を振って、振り返ることなく老人は去っていった。
     ぽつり、と雨が降りはじめた。

    ◇◇◇

     夜更けには大雨となっていた。壁を叩く音に初老の男は顔をしかめた。
     ビルディングの地下駐車場に黒塗りのリムジンが一台、そこに向かってでっぷりと太った男――このビルの社長――はゆっくりと足を進めていた。二人のボディガードが脇を固めている。
     男はひそかに焦っていた。今、この町には、彼があれ以来恐れていたものがある。息のかかった賭場で目撃されたそいつを襲撃した面々からの連絡が取れず、今どこにいるのかさっぱり消息がわからない。
     希望的観測をするならば、今までに襲わせた浪士たちによって深手を追ったか、自分のことを諦めて街を去ったか――しかし、楽観視は到底出来なかった。故に今日も自宅ではなく、別宅に避難する。スケジュールや車移動についても最新の注意をはらい、情報が渡ることは万が一にもないはずだ。
     死んでなるものか。
     初老の男は生にしがみつづけた。それは二十年前も同じだった。幕府からの使いの命令に諾と答えて仲間を売ったのはそれが生き延びるすべだったからだ。
     天人の兵器まで持ち出された戦場は、勝ち目のない戦いしか残されていない。幕府からの投降の呼びかけに否と答えたのならば、それは死ぬるということで、己がやろうが幕府がやろうが同じことだったではないか。むしろ、正面から衝突しなかった分、速やかに事は済んだ。故に彼は後悔をしていない。
     ただ恐れるのは、唯一、何故か生き延びた過去の亡霊の手だ。
     幕府の伝手を借りて名を変え、姿を変えて、商売を成功させてからも注意をはらってきた。だのに、あの男はこの町までやってきたのだ。たった一人で何ができるというのか。こちらには金も力もある。しかし、なにやら恐ろしくてたまらなかった。手を結んでいる攘夷浪士らに金をばらまいて、確実に仕留めるように頼んでからも夜に歯の根があわないほどの恐怖に駆られる。殺した後には首を持ってくるよう言うべきだったと今更ながら嘆息した。
     自分らが近づいてもリムジンのドアが開かないことで、ボディガードが首を傾げた。男を手で控えさせ、己が慎重に前に進む。
     一歩、二歩、三歩目で首が飛んだ。
     ごろん、ごろんと間抜けな音がコンクリートに反響する。ゆっくりと倒れゆく身体の方に、小柄な人影が立っていた。
    「よォ、しばらくぶりだ。探したよ」
     旅姿の老人が、杖を持っている。いや、杖の三分の二は血に濡れた刃だった。顔こそ穏やかだが、目は炯々と輝いて、社長を睨めつけていた。
    「お互い年をとったもんだなァ。俺なんか下も上も白くなっちまった」
     ひっと息を呑む社長に対し、恥じ入るように笑っていた顔から、瞬間で表情が消える。
    「ここらで、二十年前の落とし前つけさしてもらおうか」
     ボディガードが袈裟がりに斬られるのと、社長が手元のブザーを鳴らすのは同時だった。けたたましく鳴り響く警報に、老人――政四郎は舌打ちをして、駆け出そうとする社長を追う。後ろから火薬の爆ぜる音がして、政四郎の肩を焼いた。振り返れば控えさせていたのか、あちこちから浪士が手に武器を持ち取り囲もうとしていた。二人が拳銃を構えている。
     でっぷりとした男は、ハ、ハ、ハ、と切れ切れの息で笑う。
    「泥水小政! てめーのほうが年貢の納め時だァ! 亡霊が!」
     やっちまえ! の言葉とともに、銃弾が飛んだ――飛ぶはずだった。政四郎がニヤリ、と口元を歪ませた。仕込み杖をひらめかせて、鞘におさめる。と、二つの拳銃から銃身が落ち、カン、カン、と音が響いた。
    「あ、あ……」
     浪士どもは顔を歪ませ、化け物を見る目が政四郎に集まった。
    「なァ」
     ゆらりと、小さな影がゆらいだように見えた。
    「てめーがあのとき、幕府に俺たちを売ったことで、みな死んだ」
     震えた剣先を立て直し、浪士が吠えて政四郎に斬りかかった。ぴっと血がはねたかと思うと、それは大きなしぶきとなって、目を見開いたまま浪士が一人どう、と倒れる。だが、と老人はつぶやいた。
    「あんときなァ、俺がてめーの言うこと鵜呑みして進めって言わなかったら、落とさなかった命だってあった」
     なァ。
     政四郎は、昼日向の老爺のようなひどく穏やかな声で問いかける。
    「――ケジメだ。俺と一緒に地獄に落ちようや」
     ごうっ、と殺気が辺りを支配した。最初に気を取り直したのは、殺気を一番に向けられている男だった。
    「ふざけるなクソジジイが!」
     青くなっていた顔が赤く染まっていく。
    「お、お、おい! コイツを殺れ! 言う金は出すぞ!」
     震えのとれぬ声で指令を出した。それに何人かが正気に返り、雄叫びを上げて同時に躍りかかる。血しぶきが舞い上がり、倒れゆく浪士どもの中で小柄な老人は杖を振るう。その腕と背に、傷が走った。だが、勢いはまだ止まらない。
     でっぷりした男は後ろに下がりながら、連続でブザーを鳴らす。浪士どもが押し寄せ、自分の横にボディガードの服装をした小男が通りがかったことで、ふと顔を上げた。
     瞬間に、殴られた。衝撃でブザーが手から滑り落ちる。
    「な、な、な、おまっ」
    「はいちょっと黙って黙って」
     ガチャ、と無慈悲な音とともに手首に輪がはまり、反対側の輪は壁を走るパイプに設置された。
    「お前、どういうつもりだ!」
     社長のただならぬ声に、殺し合いの場が止まった。落としたブザーを踏みつけ、地味なボディーガードは高らかに宣言した。
    「由井金五郎、本名大野亀吉! 横領罪及び脅迫罪、そして攘夷浪士とのつながりによる幕府反逆罪により逮捕する!」
     山崎は警察手帳を高々と掲げた。場が一瞬騒然となるも、繋がれた男は吠える。
    「おい、二人とも殺れ!」
    「げっ」
     斬りかかってきた浪士を身軽にかわすと、山崎も抜刀した。転がり込むような形で政四郎の横に駆け寄る。
    「……兄ちゃん、どうした」
    「アンタを逮捕しに来たんだよ。泥水次郎長の盃兄弟、泥水の小政。大物の攘夷浪士だ」
     ハッハッハ、と大笑して政四郎は一人を斬った。
    「そりゃお勤めご苦労なこった。して、仲間はどうしたィ?」
     う、と山崎の顔が渋くなる。
    「もーちょっと、もうちょっとなんだよ! あと三分とか一分とかいや十秒で来るから! いやマジで!」
    「そりゃあ頼もしいこって」
     山崎が浪士の斬撃をギリギリで受け止めていると、すり抜けるようにしてやってきた政四郎が蹴飛ばして隙を作った。それを切り伏せる。
    「そしたらまとめて逮捕だぞ! クソジジイ!」
    「そりゃあ楽しみだ。そろそろ臭い飯が恋しくてたまんなかったんでな!」
     ゲラゲラと笑う政四郎に二、三人がまとめて斬りかかるのを、山崎が体当たりで一人倒し、足を斬った。雨を蹴散らすようにしてサイレンの音が外から聞こえはじめ、攘夷浪士がどよめいた。一人、二人と慌てて外に駆け出そうとするのを社長が必死に罵倒する。しかし、山崎と政四郎を取り囲んでいた面々は、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。肩で息をする山崎と背中合わせに、あちこちにかすり傷をおっている政四郎が笑う。
    「兄ちゃん、まだ動けるかい。オブらなくてもいいかね」
    「はっ……はぁ、おまわりなめんなクソジジイ。もうそこまでパトカー来てっからな……」
    「いいね、楽しみだ――」
     タァン、と軽く爆ぜる音が響いて、一人が倒れた。
     細身の男が前につんのめり、奥には老人が立っていた。
     かふっ、と咳をした老人の口から、赤いものがあふれた。遅れて胸からじわじわと、旅装が赤く染まっていく。
    「は、はは、ざまあみろ老いぼれ。一人で行きやがれ!」
     でっぷりした男が哄笑する。手には煙をはく小型拳銃が握られていた。スーツの内側にでも隠していたのだろうそれの引き金に、もう一度指をかけようとする。
     ――刹那、手首ごと、銃が落ちた。
     甲高い悲鳴をあげる男より離れた場所で、政四郎はカチン、と鞘に仕込み杖をおさめた。男はまもなくごろんと白目をむいてその場に気絶した。
     政四郎はそのまま、仰向けに倒れた。
    「じいさん!」
     老人に突き飛ばされて前に倒れていた山崎が、立ち上がりざま振り返る。ついた手が、べちゃりと赤に濡れた。かまわず、口から血を流した政四郎を抱き起こす。背から濁濁とあふれるものを抑えようと支えた。ガラス玉のような目は閉じかかっていた。ひゅう、と山崎は息をのんだ。
    「じい、さん」
     一度ゆるく瞬いてから、政四郎は口を開いたが、山崎には何も聞こえなかった。
     ゴォン、と地上で何かを吹き飛ばした音がした。知った声が「御用改めである!」と叫び、鬨の声と剣戟が地下駐車場まで響いた。山崎は言った。
    「仲間が、きてる」
     だから、大丈夫だ、と――言えなかった。
    「ああ、来てるなァ……」
     掠れた声の政四郎は、微笑んだ。
    「いきな、兄ちゃん。まっすぐ、いきな」
     そのまま、目蓋は閉じられた。

    ◇◇◇

     黒駒勝男は、ぐすぐすと小さな墓の前で、情けない顔で涙ぐんでいた。その腕にはさまざまな銘柄の煙草を抱えている。
    「まさかオジキの盃兄弟をすぐに思い出せなんだとは……しかもわしの知らない場所で亡くなっちまうなんてよお……オジキが帰ってきたらどう説明すりゃいいんじゃい!」
     おーいおいと男泣きに泣くと、腕に抱えた煙草を一つずつ墓前に並べ始めた。鼻をすすり、こすりながらなものだから、パッケージが一部湿気ている。
    「昔、オジキからは無類の煙草好きと聞いとります。どうか楽しんで……アレ?」
     順番に七・三のバランスを保って並べていたら、洒落た煙管にぶつかった。見るに忘れ物というわけでもなく、どうやら、自分より先に客がいたようだ。ご丁寧に葉も詰めてある。
    「なんじゃ、気の利いたやつもおるもんじゃのう……」
     自慢の七三分けをセットし直すと、勝男は空を仰いだ。
     青空にはいつもと変わらず天人の船と、鳥たちが、悠々と泳いでいる。
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