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    mi2asobi

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    mi2asobi

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    Twitterから続いていますが、今回は別カプの話です
    1.Hallcination(準島) https://onl.la/vmwmqs3
    2.Delusion(準島) https://onl.la/YA2AHwV

    3.Halation(モトマサ) 2009.3.7発行 改札をくぐり、周囲をひととり見回しても、待ちあわせの相手が来ている様子はない。左腕の時計は19時45分を指している。早すぎたか、と胸ポケットを探りセブンスターのソフトパックを取りだして灰皿を探したが、近くには見当たらなかった。諦めてポケットへ戻すのと同時に、モト、という低音に名を呼ばれる。改札を振りかえると、チャコールグレーのスーツを着た仏頂面が、片手を挙げてこちらへ向かってきた。本山は表情を崩し、幾年かぶりに会う相手の名を呼んだ。
    「マサやん」
     松永は本山を頭からつま先まで舐めるように見つめ、眉をひそめた。 
    「……お前まともな仕事してんの?」
     きっちりとスーツを着こんだ松永に対して本山は、Vネックのプルオーバーにスタンドカラーの黒いジャケットを羽織り、ボトムはジーンズとまるで休日のようないでたちだ。
    「あー、オレんとこ服は自由だから。営業でもねえし」
     そういう本山は、以前働いていたアパレルのバイヤーを辞めてから、今はWebデザインのディレクションをしている。メーカー営業の松永はどうにも理解できない風情だったが、それ以上は何も言わずに、夜の街へと歩を進めた。

     本山が数年ぶりで松永に連絡をとったのは、島崎からの結婚式招待状がきっかけだった。式への出欠を尋ねた電話に、二人めの出産で妻が実家へ里帰りしていることを松永から告げられ、久しぶりに会おうという話になった。
     自宅が近いこともあり、松永が結婚するまでは頻繁に連絡をとりあっていたが、独身と妻帯者では遊びかたが違う。以前と同じような頻度での連絡はためらわれ、とくに松永に子どもが生まれてからは潮が引くように疎遠になっていた。

     金曜の夜はどこも騒がしい。喧噪を避けて本山が選んだのは、繁華街でも路地に隠れた小さなバーだった。薄暗い店内に何組かの客はいたが、一様に落ちついたトーンで会話を楽しんでいる。上衣を店員に預けると、バーテンダーに簡単なつまみと水割りをふたつ頼み、二人はカウンターのスツールへ腰掛けた。
    「慎吾とはよく会ってんの」
     松永の問いかけに本山は唇からグラスを離して、かぶりを振った。
    「全然。あいつも結婚決まってからバタバタだよ」
    「……まあ、そうなるよな」
     諦めたようなその響きには、それでも後悔の色はない。松永はきっと、今の生活に満足しているのだろう。本山は目許を緩め、そしてなにかを思いついたようにカウンターへ置いたスマホに触れた。
    「慎吾も呼んでみるか、ゆっくり飲むなんてこれからねえだろうし」
     すぐに返ると思っていた答えはなく、本山はスマホの操作を止め、隣の松永に顔を向ける。グラスを見つめ、しばしの沈黙のあと、独り言のように松永は零した。
    「……準太、どうしてんだ」
     スマホに視線を戻したが、本山の指は動かなかった。それでも返す言葉には、特別な感情がこめられた風でもない。
    「同期でもねえし、全然会ってねえな。元気にしてんじゃねえの」
     本山の声がまるで聞こえなかったかのように、松永は続けた。
    「カタついてんのか、あの二人」
     あまりにも直球なその問いに、言葉に詰まってしまう。松永の視線が自分に注がれるのを感じて、本山は慌てて言葉を紡ぎだした。
    「ついてなきゃ結婚、てな話は出ないだろ」
    「んな訳あるか」
     吐きすてるような松永の口調に、返す言葉を失くす。
    「世の中の夫婦が全員、過去をキレーに清算してから結婚してるとでも思ってんのか」
    「……既婚者が言うとシャレになんねえぞ、それ」
     笑いを作ろうとした唇の端が引きつる。松永はグラスをテーブルに置くと、本山に顔を寄せ、瞳をじっと覗きこんだ。
    「既婚者じゃなくて、オレが、の間違いだろ」
     どくん、と心臓が跳ねた。
     痛いところを抉られたように眉を寄せ、固く瞼を閉じると、本山はこめかみを押さえた。
    「……勘弁してくれ、そーゆー冗談」
     ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らし顔を背けると、松永はカウンターに頬杖をつき、独り言のように呟いた。
    「冗談ね」
     自分より幾分背の低い松永のつむじを見下ろしながら、本山はグラスの水割りを飲みほした。
     松永とはいつもこうだ。互いに異性愛者であるのはわかっている。松永にいたっては妻子もいる。それでもことあるごとに松永は、本山を試すような言葉で揺さぶってきた。だが本気とも冗談ともつかない遣りとりの真意を本山が問いただしたことはないし、これからも訊ねることはないだろう。

    ——若くねえなぁ。

     沈黙をごまかすようにバーテンダーに2杯目を頼むと、倣うように松永も同じものを頼んだ。

    ——もう怖いだけだよな、

     この年になって、今までの関係を壊すのも、あたらしく恋をするのも。
     飲んでもまったく顔色の変わらない松永を見つめながら、あの場所から随分遠くへ来てしまったと感じる。繰りかえされる駆けひきのような言葉に気づいたのが、あの時代だったら。準太と島崎のような関係に、あるいはなっていたのかもしれないけれど。高校のグラウンドから弾きだされた自分たちは、ただ前へ前へと押されるように進んでゆくだけだ。
     一抹の寂しさを噛みしめて、本山は再びスマホに視線を落とした。松永とはもう、あまり二人きりでいない方がいいのかもしれない。本山は素速く指を走らせて、島崎の携帯を鳴らした。コールは3回で途切れ、昔なじみの声が鼓膜を揺らす。
    「ああ、慎吾。今さ、マサやんと飲んでんだけどお前も来ねえ?」
     かちかち、という硬質な音に視線を落とすと、松永が爪でリズムを取るようにライトオークのカウンターを鳴らしている。その指先を見つめながら、島崎の答えを待った。
    「いや、そりゃ式でも会うけど、ゆっくり話もできねえだろ」
     滑らかにカウンターを行き来する指が、少しずつ自分の方へ近づいてくるのをぼんやりと眺める。意識は電話ごしの会話と松永の指に二分されて、宙へ浮いたように現実味がない。
    「ああ、……うん。あ、式みんな出られんの」
     唇が紡ぐ言葉は他人のもののようだ。指は触れるか触れないかのところでぴたりと止まり、いつの間にかカウンターに伏した松永が横目で見あげてくるのを感じる。視線を合わせられない。島崎との会話に集中しようと、本山は汗ばむ手でスマホを握りなおした、瞬間。
    「……は?」
     電話の向こうで、島崎が放った言葉をすぐには理解できずに、本山は目の前の松永も忘れてぽかんと口を開けた。
    「今、なんて」
     異変に気付いたのか、松永も動きを止めて、本山の発する言葉に集中しているようだった。ざわめく店内にほんの一瞬、すうっと凪ぐように静けさが広がったそのとき、島崎の声は松永の耳にまで届いた。

    『準太だけ、返事が来ない』

    「おまえは、……っ」
     一瞬おいて本山の喉から絞りだされた声はとびきり低く、掠れていた。それ以上の言葉を飲みこむように唇を噛みしめると、本山は何も言わずに電話を切った。
     島崎は、準太を結婚式に招んだ。
     どういうつもりで? 訊かなくてもわかる。
     島崎と準太は進学先が同じだという理由で、一時期二人で暮らしていた。真の理由は本山と松永、そのほかもごく限られた人間にしか知られていない。一緒に暮らすほどに親密だった準太を結婚式に招かなければ当然、不審に思い尋ねてくるものもいるだろう。招んでいないといえば面倒な勘繰りに遭うことも考えられる、だから。
     だから、それだけのために。
     招待状は出したという既成事実を作るためだけに、島崎は絶対に来ないであろう準太へ招待状を出したのだ。
    「なに慎吾、式に準太招んだの」
     大きな動揺もない声で問う松永へ、本山は曖昧に頷いた。隣で松永がふっ、と鼻で笑ったのを感じる。
    「……相変わらずだなアイツは」
     そうだ、松永の言うとおりに島崎は相変わらずだった。自分のペースを崩さずにいるようで、その実呆れるほど世間体を気にしている。準太との付きあいにしてもそうだった。ひたすらに、隠して、隠して。
     デリケートな問題だというのも理解できる、隠したい心情も。だが本山も松永も知っている。島崎は、大学の友人に同性と同居していることを揶揄されたというだけで準太を切りすてたのだ。
     本当のところはもっと深い、準太と島崎しか知り得ない事情があるのかもしれない。こと準太に関しては、島崎は近しい人間にもまったく本心を明したことがなかった。そして島崎が嫌がりそうな話題は、準太も頑に口を噤んだ。本山と松永が二人の関係を知ったのも、二人きりの会話を偶然耳にしたという偶発的なものでしかない。
     準太はどうしているだろう。松永よりもずっと長いこと会っていない、ひとつ下の後輩が気にかかった。最後に会ったのは確か、島崎が準太と暮らす部屋から出ていった、すぐあとだった。かける言葉が見つからない本山に、準太は常と変わらぬ涼しい表情で、こともなげに言った。
    『あのひとは戻ってきますよ』
     −−と。
     一人で暮らすには広すぎる部屋から、準太が移り住むこともなかった。会わなくとも、毎年律儀に届く年賀状でその所在は知れた。
     だが、その準太のもとに戻ったのは招待状の入った白い封筒ひとつ。それを思うと、胸が詰まった。
     スツールから腰を浮かせかけた本山の腕が、思わぬ力強さで掴まれた。
    「やめとけ」
     低い呟きが、本山の行動を制止した。
    「あいつらも三十ヅラ下げたいい大人なんだぜ。色恋沙汰のケツなんかテメェらで拭かせろよ」
     松永の言葉はもっともだ。他人の色恋に口出しするほど野暮なことはない、だが。
    「……わりぃマサやん、オレちょっと準太んとこ見てくる」
    「おっまえ……、アイツんちまでこっからだいたい2時間だぞ?」
     席を立つ本山を呆れたように見上げ、松永は渋々と言った風情で自分もスツールから降りた。
    「お前は甘過ぎんだよ、モト」
     まったくだと心の中で同意しながらも、歩きだした本山は松永を振りかえらなかった。


     叩いたドアの向こうから顔を出したのは見たこともない20代の男で、予想もしていなかった事態に本山は、言葉もなくそこへ立ちつくしてしまった。
    「……どちらさん?」
     不審そうに眉をひそめる男に、本山を押しのけ、松永が背後から顔を出した。
    「すみません、こちらは高瀬さんのお宅では?」
    「いや、違うね」
    それだけ言ってさっさと扉を閉めてしまいそうになる部屋の主を、我に返った本山が慌てて制した。
    「あの、ここにはいつから住んでるんですかね」
    「……忙しいんで」
     あからさまに怪しまれている。松永は本山にだけ聞こえるように小さく舌打ちすると、住人に笑顔と申し訳なさそうな声色で用件を告げた。
    「以前こちらに友人が住んでいたんですが、今行方がわからなくて困ってるんです。いつ頃ここに越していらしたのかだけでも教えていただけませんか?」
     さすがに営業歴10年以上の松永は、踏んでいる場数が違う。本山にはしてみせたことのない、心底困ったような表情と申しわけなさそうな声色は、それだけで相手の緊張を解したようだ。男の表情から先ほどまでの警戒の色が和らいでいる。感心したように松永を見つめていると、住人の男はあっさりと望んだ答えを寄越した。
    「……越してきたのは7月アタマだけど……内装入るって2週間くらい待たされたよ」
    「そうですか、ご親切にありがとうございました」
     松永は満面の笑みで会釈すると、本山を突きとばすように背を押し、前へと歩かせた。
     アパートから離れると松永は、手の甲で本山の胸を叩き、呆れたように言った。
    「バイヤーやってたとは思えねーほど機転が利かねぇな」
     笑おうとした声が酷く乾いていて、それを誤魔化すように松永から顔を背けると、本山は唇を尖らせて早口に呟いた。
    「向いてねーから辞めたんだろ」
    「……はは。そうだよな」 
     笑った。
     そう思って松永を振りかえったが、笑顔はすでに消えている。
     わざとなのか、無意識なのだか、それは知らない。だが本山は、随分長いこと、松永の笑った顔を見ていない。
    「6月中旬か……招待状が来てから引越したんだな……モト?」
     ぼんやりとして聞きおとした言葉を慌てて拾うように、曖昧に頷く。そしてふと足を止めると、本山はポケットの中のスマホを握りしめた。
    「……電話は換えてないかも」
    「もういいだろ」
     言いおえる前に松永の言葉が被さり、本山は最後まで言葉を吐ききれなかった。
    「あの部屋を出たのが準太の結論だろ。もう放っとけって」
     きっと松永の言うとおりなのだろう。もう、準太も子どもではない。あのとき、島崎は戻ってくると言った準太のままであるはずがない。何年経った。10年以上だ。頭ではわかっていたが、自分でも驚くほどの失望に、本山は混乱していた。
    「お前、なんでそんなにあの二人にこだわってんの」
     その問いへ、簡単には答えられない。自分でもはっきりと言葉にはできない感情を抱えたまま、本山は準太の番号を探しはじめた。
    「あんまり準太に理想押しつけんなよ。あいつにもいい迷惑だぜ」
     その言葉に、一瞬スマホを操る指が止まる。まっすぐな視線でこちらを射抜いてくる松永を見つめ返し、反論しようとしたが、唇は音を紡がない。

     押しつけ? そんなつもりはない。
     自分は知っているのだ。
     予想もしない相手からある日突然届く結婚式の招待状、その衝撃。変わることはないと思っていた未来が、足許から崩れ去る瞬間を。
     島崎の結婚を知ってからずっと、数年前松永からの招待状を受けとったときのことを思いださずにはおれなかった。どうしても、あのときの自分と準太を重ねてしまう。そして考えないように蓋をしていたのを、準太の話を持ちだしてわざわざ広げたのはほかでもない松永だという皮肉。島崎の、準太に対する追いうちのような。
     だが、準太の転居にこれほど衝撃を受けているのは松永の言うとおり、彼を理想化しているからなのかもしれない。
     松永の揺さぶりを「冗談」だとはぐらかして態度を決めなかった自分が、準太にありもしない「永遠」を求めるのはなんという滑稽だろう。松永の言っているのは、多分そういうことだ。
     反論できるはずもない。
     本山の思いをよそに、耳にあてたスマホは、すでにコールを鳴らしはじめていた。

     準太と通話を終えるころには、本山の気持ちは随分荒んでしまっていた。
    電話の向こうの準太はやけに冷静で、それでいていつもよりも陽気だった。その陽気にわざとらしさはなく、準太は島崎をもう見切ったのだと思った。そのことにまた酷く落胆し、そんな自分にさらに嫌気がさした。
     準太は言った。返事は、出すのを忘れていた。島崎が自分に甘えることを、もう許してはいない、と。
     電話を切るまではそれを訣別の言葉として解釈していた。だが準太の言葉をひととおり本山に聞かされた松永は、呆れたように呟いた。
    「ここに至って罠仕掛けまくりだな。尊敬するよホント」
     言わんとすることを理解できずに、きょとんと松永を見つめる。本山の視線に気づくと、松永は苦虫を噛みつぶしたような顔で話しだした。
    「電話まで換えてたらもう吹っきったんだと思えたんだけどな。どう見ても慎吾を試してんじゃねぇか」
    「……そうなのか?」
    「引越して、返事ださずに引っぱって。そりゃあこの時期に準太から返信きたら、慎吾も揺れるよな?」
     そうなのだろうか。
     準太はまだ、島崎に仕掛けているのだろうか。未来があると思っているのだろうか。自分の手のなかへ還ってくるのだと、あのころのままに。
    「だからあいつらなんか放っとけっつったろーが」
     松永はそれを薄々感じていたのか。だから。
     放っておけと言ったのもそういうことなのか。あの二人はまだ、変わらないまま、なのか。
     そう思うと、胸がじわりと、沁みるように熱くなった。
     自分では信じていない永遠を、あの二人には強く希ってしまう。とても身勝手な願望だった。
    「お前みたいな手合いには全っ然通じない罠だよな」
    「え?」
     小さな呟きを問いかえしても、肩を竦めたきり、松永は答えなかった。
    「つーかもう終電終わってね?」
     慌てて腕に嵌めた時計を見遣ると、短い針はもう12と1との間だった。ああ、と溜息のような声を漏らして、本山は駅の方へ向かって歩きだした。横へ並んで、松永も歩きだす。
    「わりぃ。おごるから朝まで付きあって」
    「マジで? じゃあオレ一番高い酒頼も」
     さらりと宣い、松永は涼しい顔で本山を見上げる。本山が反論を口にする前に、松永が言葉を継いだ。
    「お前昔の彼女にクリコのラ・グランダム飲ませたっつってたよな、すげえよなー」
     たかだか10分の遅刻の詫びに、と付けくわえると、本山は返す言葉を失ってがくりと俯いた。
    「……この僻地にそんなん置いてる店があるならな」
     店で飲んだら5万は下らないであろうシャンパンが置いていないことを祈りつつ、本山は歩を進めた。
    「慎吾、結婚式やると思うか」
     笑いを含んだ声で松永が言うのを、本山は顔色を変えて見つめた。
    「……や、それはやる、だろ」
    「ドタキャンしそーな気がすんだけど。……アレは落ちるんじゃねーの」
     根拠もないのにやけに説得力があるその言葉に、本山は見たこともない、島崎の妻になるはずの女性を思って憂鬱になった。誰かが何かを得たら、ほかの誰かは失うのだ。
    「……最低だ、もーマジ最低」
     歩きながら頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜてひとりごちると、松永はフン、と鼻を鳴らして「誰が」と訊いた。
    「慎吾に決まってる」
    「……お前は準太が大好きだな」
     呆れたような声に、なんで、と問いかえすと松永は、
    「どっちも最低じゃねえか」
     と吐き捨てた。
     冷静に考えればそうかもしれない。だが同じような立場に立たされたことのある身としては、どうしても準太に肩入れしたくなる。
    「……お前にはわかんねえよ」
    「へえ」
     義務のように感情のこもらない相槌に、ついカッとなった。だから。
     いつもだったら、絶対に口にしないような。生涯胸に秘めておこうと思った言葉を、思わず吐きだしていた。
    「お前のときはオレがどんな気持ちだったと、」
     そこまで言いかけて我にかえり、本山は慌てて口を塞いだ。
    「ああ? オレんとき、て……」
     最初は意味を図りかねたのだろう、訊きかえそうとした松永は、言いかけて息を止めた。驚いたように本山の顔を凝視して、何か言おうと口を開きかける。が、本山は悲鳴のような声でそれを遮った。
    「何でもない! 忘れろ!」
    「……忘れろってお前ね、なんにも言ってないに等しいだろ」
     そうは言うが、見透かされたも同然だった。
    「で」
     ニヤリと笑みを浮かべて松永が本山の顔を覗きこんだ。
    「どんな気持ちだったんだよ?」
    「……っ」
     その場にしゃがみこみたい衝動をこらえながら、本山は赤く染まっていく顔を見られまいと、松永から顔を背けた。
     結婚式の招待状が届くまで、本山は松永に恋人がいたことすら知らなかった。意味ありげに唆すような言葉を吐き、自分を試しつづける松永に対して、優位を感じてはいなかったか。
     自分に粉をかけていた人間がさっさとほかへ行ってしまって腹立たしいというだけの単純な話じゃない、どこかで松永を下に見ていたのではないか。考えてみたこともなかった、松永が自分より先に結婚するだなどということは。
     残された自分は道化のようだ。「ちょっと困った」程度にしか思っていなかった松永の「冗談」は、その時から呪いのように本山に纏いついて、剥がれない。そうしてあの日にようやく気づいたのだ。松永のことを、好きなのだと。
     何もかも、手遅れだったけれど。
    「……ぜってー言わねえ」
     これはもう、一生口にすることのない想いだ。墓場まで持っていく。そう心に誓いなおして、本山は唇をかたく引きむすんだ。
     終わってしまったのだ。始まったときと同時に、この恋は。

     昼間のあたたかさと裏腹に、ここのところ夜は急に冷えるようになった。川が近いのと、風がないのも手伝って、駅へ向かう道に乳白色の霧がゆるやかに流れてくる。時が経つほどに濃さを増していて、すぐ隣に立つはずの松永の表情は、暗さも手伝ってよく見えなくなった。だが車が道路をゆっくりと過ぎるたび、その白い輪郭はきらきらと輝き、やわらかな光暈を纏う。
    「なあ、モト」
     とてもとても静かな声で、松永が話しだした。
    「オレが実は結婚してないっつったらどうする」
    「は……?」
     言わんとすることがわからずに、本山はぽかんと口を開けたまま、表情の見えない松永を凝視した。
    「結婚したのも子どもがいるのも、全部嘘だっていったら」
     これは何かの謎掛けだろうか。
     どうするも何も。すべて現実のことだ。松永の結婚式には自分も出席して、娘を抱いてあやしたこともある。
    「……嘘もなにも、」
     言いかけてそこでふと口を噤み、ひとつ呼吸をおいて、本山は答えた。
    「……そーだな……、オレと駆けおちでもしようぜ」
     霧の向こうで松永がぴたりと動きを止める。
    「……いいねえ」
     声は、笑いを含んでいた。
    「南の島にでも家建てて、のんびり釣った魚でも食いながら暮らしてさ」
    「あー、昼から起きて、一日中海眺めてぼんやりしてな」
    「そんで夜には降るような星の下で寝る」
    「……少女マンガみてぇだな」
    「いや、こっから先はハードAVだから」
     真顔で告げる本山に、松永は声をたてて笑った。

     笑った。
     顔が見えなくても。松永が数年ぶりに自分の前で笑う、そのことがただ嬉しくて、本山は目を細めた。
     少し前までは冗談でも言えなかった言葉の数々を、簡単に唇に乗せることができるようになったことに、自分で驚いている。実現することのない優しい妄想や嘘を、痛みも憂いもなく吐けるようになってしまった。きっとそれが、大人になったということなんだろう。それは多分、自分の前で笑えるようになった松永も。

     ふたりの道は決まってしまったから。別たれてしまったから。
     だから言える言葉がある。もう万にひとつも起こりえない未来なのだと、知っているからこそ。

     すぐ隣で大きく伸びをする松永を見つめながら本山は、恋とも言えないほどの淡い感情に想いを馳せた。
     終わってしまった、とても静かに。ただいちども、触れることさえなく。

     きらきらと、それは残像のように瞼の奥に残り、この先ずっと、本山の歩く道を照らすのだ。

     きらきらと。
     きらきらと。
     いつまでも。
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    mi2asobi

    MOURNING前作から続いています
    1.Hallucination(準島) https://onl.la/vmwmqs3
    2.Delusion(準島) https://onl.la/YA2AHwV
    3.Halation(モトマサ)https://poipiku.com/5055277/6528283.html…
    4.夜の涯(準島)
    https://poipiku.com/5055277/6551752.html
    むかえにきてよ(準島) 2009.12.29発行 別れてほしいの。
     
     彼女がそう切りだしたのは、式を一か月後に控えた日曜日だった。
     別れるのは構わなかった。だが、式までもう間がない。友人や両親へはともかく職場の上司へはどう伝えようかと思案していると、訊いてもいないのに彼女が理由を話しだしていた。長い言いわけの要点をいえば、以前付きあっていた彼と再会し、よりを戻したということらしい。
     慎吾が悪いわけじゃないの、そう言ったことをつらつらと続けていたが、そんなことは重要ではない。結婚に乗り気だったのは彼女の方だし、式の一か月前にこんなことを言いだす無責任な人間に未練もなにもない。何を言っても復縁などないだろうし、たとえあってもごめんだった。
     とりあえず今一番気になるのは招待した面々への連絡とフォローで、彼女の気持ちはどうでもよかった。たとえ何らかの非が自分にあろうと、慮る理由が見つからない。怒っていい場面だろうとも思うが、彼女に掛ける時間のすべてが無駄に思えて、感情を動かすのが億劫だった。
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