Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    mi2asobi

    @mi2asobi

    テキストとか、Twitterに上げにくいものをアップします

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 3

    mi2asobi

    ☆quiet follow

    前作から続いています
    1.Hallucination(準島) https://onl.la/vmwmqs3
    2.Delusion(準島) https://onl.la/YA2AHwV
    3.Halation(モトマサ)https://poipiku.com/5055277/6528283.html
    4.夜の涯(準島)※今回
    文庫にして30Pくらい

    夜の涯(準島)2009.12.29発行 後輩がやらかした。フォローに追われた準太が自宅へ帰りつくまで、家を出てから三日が過ぎていた。それくらいの大きなミスだ。疲れてはいたが、とにかく腹が減った。一刻も早く帰宅したくてどこへも寄らずに帰ったものの、冷蔵庫にはビールくらいしか入っていない。
     ああ、蕎麦食いてえ。
     11月も半ばを過ぎれば夜は冷えこむ。冷たくなった体を温めるものがほしい。のろのろとスマホを掴んで時刻を見ると、午後8時を過ぎたところだ。蕎麦屋の出前にはまだ間にあう。そのまま天ぷら蕎麦と親子丼を一人前ずつ注文すると、準太はようやくネクタイを緩め、大きく息を吐いた。
     腰掛けたベッドにスマホを放り、重たい体を横たえようとして、思いとどまる。今眠ってしまったら、何があっても目を覚ます自信がない。蕎麦屋も困る。
     しかたなく、立ちあがってスーツの上衣を脱いだ。着替えるのも億劫だったが、皺になったら余計に面倒が増える。上衣をハンガーラックへ掛けたところで、ベッドの上のスマホが震えた。
     着信の相手を確認して、真っ先に頭に浮かんだ言葉は「出たくない」だったが、件の後輩だ。そういうわけにもいかなかった。これも仕事のうちだと自分に言いきかせるように、準太は通話を取った。
     通話の開始とともに、後輩の泣きそうな声が聞こえてくる。社内で真っ青になっていた彼女は震える声で、何度も準太に詫びた。やはり取らなければよかった、と思わされる。気遣いの言葉や或いは叱咤が必要な場面だと頭には浮かんだが、疲れはてていて口を開くのも辛い。
    「もうわかったから、次気をつけてくれればいいから」
     やっとのことでそれだけ絞りだすと、後輩は息を呑み、そして小さな嗚咽を漏らし始めた。
     ああ。もう、面倒くさい。
     
     気持ちがわからないではなかったが、とにかく疲れた。もう切りたい。泣いている相手に対して配慮のない言葉が出かかった準太を、突然鳴ったドアチャイムが押しとどめた。
    「ごめん、誰か来たみたいだ。話はまた会社でゆっくり聞くから」
     蕎麦屋だろうとは思ったが、来客ということにしたほうが切りやすい。だが彼女は電話を切ろうとしなかった。
     なんでだよ。来客だよ。切れよ。そういうところがダメなんだお前は。
     そう思うものの、ここで切れないのも自分の甘さだろうか。諦めて電話を繋いだまま、財布を手にして玄関へ向かう。いくらだっけ。頭のなかで注文した品物の計算をしながら、無言でドアを開ける。
     
     玄関の向こうにいるのは蕎麦屋だとしか思っていなかった。
     だから、ドアを開けた瞬間、思いもよらない人物をそこに見つけて、体が硬直した。
     
     マンションの渡り廊下にひっそりと佇むのは、島崎だった。
     思い出のなかと少しも変わらない面影に、心臓が爆発しそうなほど大きく跳ねる。
     何年ぶりだろう。10年? 突然のことに混乱する頭を正気に返したのは、スマホから聞こえる後輩の声だった。
     『……さん。高瀬さん?』
     電話中だったことも失念していた準太は、携帯を耳に当てなおし、今度はきっぱりとした声で言いはなった。島崎からは、一切目を逸らさずに。
    「来客だ。切るよ」
     返答も待たずに通話を切ると、目の前の島崎をじっと見据える。冷たい夜気に乗って流れてくるこの煙草の匂いは、いつもの錯覚ではないらしい。
     落ちつけ。跳ねる己の心臓に言いきかせる。腕を組みドアに凭れかかると、何ごともなかったように笑顔を繕った。
    「お久しぶりです、慎吾さん」
     装った平静は、見透かされたろうか。だが島崎は準太の思惑になどまるで興味がないように、表情のない顔で久しぶり、と返しただけだった。
    「どうしたんですか。もうすぐ式なんじゃないんすか」
    「引っ越したんだな」
     はぐらかしたのだろうか。準太の質問には答えずそう言うと、島崎は渡り廊下の奥へ視線を動かした。エレベータの開く音がする。おそらく蕎麦屋だ。
    「職場に通うのに都合がいいんすよ」
     答えながら島崎をドアの脇へ押しのけると、準太は渡り廊下を覗きこむ。予想したとおりに今度は蕎麦屋で、料理を載せた盆を受けとると、準太は千円札を二枚渡した。
    「あ、お釣りが」
    「いいよ、取っといて」
     若いバイトは準太に笑顔を返した。ドアの横に立ちつくしたまま、顔を背けている島崎にも律儀に会釈をして、足早に立ちさっていく。盆を室内へ置こうと背を向けた準太に、島崎が呟いた。
    「客、いるのか」
    「は?」
     玄関脇のシューズボックスへ盆を置くと、準太は島崎を振りかえり、首を捻った。
    「……二人前」
     どうやら出前の皿が二つあることを気にしているらしい。準太はああ、と納得したように相槌を打った。
    「一人前じゃ出前してくれないんで。残りは明日食おうと……食います?」
    「……ここで?」
     玄関の床を指さし唇を歪める島崎に、準太は笑顔で頷いた。
    「そう、そこで」
    「ひっでえな、お前」
     笑いまじりの島崎の声に昔を思いだし、針を刺したように胸が痛んだ。
     ともに過ごした日々は、お世辞にも蜜月などとはいえなかった。島崎は自分たちの関係をひた隠し、準太はそれに倣った。二人きりでも甘い遣りとりなどなく、ただ情事の刺激と生活があった。だがつまらない軽口、どうでもいい冗談で笑いあう日常は、確かにあった。そんなものが、準太にとっての宝石だったのだ。
     今、目の前にある島崎の笑顔が懐かしい。もう戻れないとわかっているから、なおのこと強く、そう感じた。
     そのまましばらく押し黙っていた島崎は、渡り廊下に響く足音に気づいて顔をあげた。思いを馳せていた準太も我に返り、視線をあげる。住人の誰かが部屋から出てきたのだろう、特に気に留めることでもない。だが目の前の島崎はまるで上の空だった。渡り廊下を近づいてくる足音、島崎の視線は明らかにそれを意識している。
    「……あんたはオレと住んでたころのままですね」
     ちょうど住人が島崎の後ろを過ぎるタイミングで、準太はことさらに声のトーンをあげた。島崎の肩が緊張する。大きめの声に住人が視線をよこすと、準太は微笑して小さな会釈を返した。
    「……わざとか」
     住人の姿が見えなくなると、島崎は不愉快そうに、重たい口を開いた。肩を竦めたきり答えない準太をひと睨みすると、島崎はもう一度周囲を見回し、蚊の鳴くような声で呟いた。
    「中、いいか」
     いつでも人目を気にして怯えて、それが原因で捨てた相手に対し、平気で部屋に入れろという。そして準太がそれに応じることを、微塵も疑ってはいない。
     何も変わっていない、このひとは。
     それがたまらなく可笑しくなって、笑いだしたい衝動に駆られる。そんな準太を島崎は、訝しそうに眺めた。
    「……準太?」
     幾年ぶりかで自分の名を呼ぶその声に、背中が甘く痺れる。バカみたいだ。何年経っても自分はこのひとを溺愛している。そのすべてを許してしまえるほどに。そんな自分も、あのころと何ひとつ変わってはいないのだ。
     そんな考えはおくびにも出さず、準太は微笑を浮かべたままきっぱりと言った。
    「中には入れませんよ」
     断られるなど思ってもみなかった。そんな表情で目を見開く島崎に耐えきれず、準太はとうとう笑いだした。
    「入れません。何のために引越したと思ってるんすか」
     島崎の顔色が変わる。その様子がまたおかしい。
    「わざわざお別れにみえたんですか」
     わざと、冷たく聞こえるように切りだす。島崎の表情は凍ったままだった。
     あの日、島崎は突然、準太と暮らす部屋から出ていった。別れの言葉はなかった。前触れもなく出ていくと言いだした島崎に、準太はそうですか、とだけ言って見送った。理由はきかなかった。あとから本山に何か聞いたような気はするが、おそらく他人がどうこうという話ではないだろう。だが結局のところ、準太には理由を想像することしかできない。二人の間には大きな諍いも、話しあいもなかった。
     あらためて思う。自分たちは恋人同士でも、ましてや友人同士でもなかった。島崎はいつでも幕のような暗い闇を纏っていて、その内側へ準太を入れようとはしなかった。おそらく、準太だけではない、ほかの誰も。
     島崎だけの咎ではない、と思う。その先へ踏みこまなかったのは準太も同じだ。決定的に島崎を失うより、どんな関係であっても傍にいられさえすればよかった。そんな自分の弱さに負けたから、今もまだ、こんなことをしている。分の悪すぎる、駆けひきを。
     ずいぶんと長い沈黙のあと、島崎はようやく準太に視線を合わせて告げた。
    「……そう、別れを」
     挙げ句、10年待った結果がこれだ。このひとはわざわざ清算にやってきたというわけだ。律儀にも。準太は落胆を読みとられまいと俯き、目を伏せた。
    「ご苦労なことですね。……無神経さも相変わらずだ」
     油断すると、感情が溢れてしまいそうだ。顔をあげ、努めて冷静を装う。
    「いいですよ、さようなら。式には行けませんけどお幸せに。……気が済みました?」
     準太の皮肉に動じた様子もなく、島崎はただそこへ立っている。そんなものか、と内心自嘲して視線を下ろすと、島崎の膝が目に入った。
     小さく、震えている。
     しばらくその様子を見つめたあと、それがなにを意味するのかに思いいたり、準太は目を見開いた。
    「帰るわ」
     背を向けかけた島崎の腕を掴み、準太は確信した。このひとは今しがたここへ来たわけじゃない。冷えきった腕がそれを証明している。
    「……どのくらい外にいたんですか」
     声に知らず苛だちが混じる。そうだ、自分が家へ帰ってきたのは三日ぶりだ。まさかその間ずっと待っていたわけではなかろうが、タイミングがよすぎる。おそらく付近で準太の帰りを待っていたのだろう。島崎が現れたことに動揺して、そんなことにも気づけなかった自分に腹が立った。突然の準太の行動に驚いて目を見開いている島崎をそのまま中へ引きいれて、準太はドアを閉じた。
    「なんだよ」
    「上がってください」
     島崎の手を放し、シューズボックス上に置いた店屋物の盆を取ると、準太は廊下の奥へ向かって歩きだした。小さなローテーブルへ盆を置き、玄関から動けないままの島崎を振りかえる。
    「どっちでもいいから食って」
    「え? いや、オレは」
     島崎の言葉が聞こえていないかのように、準太はそのままバスルームへ向かった。温度をいつもよりも気持ち高めに設定して蛇口を捻り、バスタブへ湯を落とす。いまだ玄関へ立ちつくす島崎を見つけて、準太は困ったように笑った。
    「式の前に風邪引かせるわけにいかないでしょう」
     ほんの少しためらったあと、島崎は靴を脱いだ。廊下を進んでくるのを確認して、準太はキッチンへ向かう。小さなミルクパンに水を注ぎ、火にかけた。
    「狭い部屋なんで窮屈ですけど。そこ座ってください」
     指さされたソファへ大人しく腰を下ろすと、島崎はキッチンの準太を見つめてぽつりと呟いた。
    「……わりぃ」
     それには答えずに、シンク下の収納庫を覗きこみながら問いかける。
    「貰いもんのスコッチとかありますけど、湯で割りましょうか」
     島崎がこういうときに答えを返さないのは、昔からだ。迷っているのではなく遠慮している。まったく面倒くさい男だ。
     返事を待たずにスコッチの瓶を取りあげ、マグカップへ適当な量を注ぐ。沸いた湯をカップに注いで振り返っても、島崎はまだ蕎麦にも丼にも箸を付けていなかった。両手に持ったマグカップの片方を島崎の前に置いてやると、それにはすぐに手を伸ばす。ローテーブルに置かれたリモコンでテレビをつけると、準太はキッチンの壁に凭れ、まだ熱いスコッチを啜った。
    「……食わねえの?」
     島崎の問いかけに、準太はそちらを見もせずに首を振った。ひとりで暮らすための部屋には、島崎が腰掛けているソファ以外、食事をするための場所はない。島崎の隣へ腰掛けるのも、真向かいの床へ座り、顔を合わせて食事をするのもごめんだった。
     会話のない二人の間に、テレビ番組の笑い声だけが空虚に響く。内容がまったく頭に入ってこないテレビの画面を見つめながら、準太は島崎と暮らしていたころを思いだしていた。
     あの頃と同じだ。口数が少ない島崎も、島崎といるときの自分が無口になるのも。違うのは、自分が島崎と同じソファに腰掛けていないということくらいだった。
     沈黙のなか、突然響いた電子メロディに、島崎がびくりと肩を揺らした。
    「風呂ですよ。あったまってきてください」
     島崎はぽかんと口を開けて準太を見つめたあと、気まずそうに俯いた。おかしなことを言ったろうかと考えかけて準太は、すぐに自分の失言に思いいたる。
    「そういう意味じゃないですから」
    「……や、わかってる……悪い」
     顔を背けながら、島崎はひらひらと手を振った。
     
     あったまってきて。
     
     それは過去、二人の間では合図のような言葉だった。どちらからともなく発せられる誘いの言葉で、それを聞いた日にはほぼ間違いなく、情事におよんでいた。島崎はまだ顔をこちらへ向けない。忘れていたとはいえ迂闊な発言に、自分にまで羞恥が湧いてくる。それが日常だったころは誘っても誘われても、恥じいることなどなかったのに。
    「風呂はいい」
     その言葉で我に返り顔をあげると、島崎はまたいつもの無表情に戻っている。彼の冷たい腕を思いだし、反論しかけて、準太は思いとどまった。
    「あ、もう一緒に住んでたりするんすか。じゃあ風呂はまずいのかな」
     結婚を間近に控えた相手が石鹸の匂いをさせて帰宅するのはさすがにまずいだろうと考えていると、島崎はかぶりを振って俯いた。
    「いや、一人だ」
    「そうですか。まあ、残り少ない独身生活ですからね」
     カップの中身を飲みほすと、空腹にアルコールがじんわりと沁みる。二杯めを注ごうとキッチンへ向かいかけるのを、島崎の声が呼びとめた。
    「オレを入れてよかったのか」
     俯いたままで問うてくる島崎の声は掠れている。
    「どうしてですか?」
     逆に問いかえしてやると、言葉を選ぶようにためらいがちに、それでも島崎は口を開いた。
    「……なんのために引越したんだ」
     その言葉に、小さく吹きだしてしまう。準太はソファへ歩み寄り、島崎の上へ屈みこむように顔を近づけた。
    「あんたね」
    「……なに、」
     笑いまじりの準太の声にからかわれたと思ったのか、島崎は眉を顰めて体を起こしかける。その腕を捕らえてソファへ押し倒し、身動きの取れない島崎を見下ろす準太の表情は一変していた。
    「自分の要求を言わずに相手に汲んでもらおうって? いつまで逃げてるんですか」
    「放せ、」
     自分の体の下でもがく島崎の体は記憶のなかよりもずっと線が細くなっている。上になっている自分が押さえつけるのは容易かった。ろくなものを食べていなさそうで、そんなことにも腹が立って、自然と語調がキツくなる。
    「中に入れろって言ったのも人目が気になるから、でしょう。今だってそう」
    「準太……!」
     のしかかる体を押しかえそうともがく島崎を許さずに、準太は言葉を継いでゆく。耳に吐息が触れるたび、島崎の身体は小さく跳ねた。
    「オレが強引であれば言い訳になるからね」
     体を合わせて触れんばかりに唇を近づけると、準太は島崎の耳に低く囁きを落とした。
    「最低ですね」
    「……!」
     体の下で島崎が小さく痙攣したのを確かめて、準太は腕の力を緩めた。耳の弱い島崎が、これでしばらく立てないのはわかっている。顔を離す前に耳朶を軽く噛んでやると、島崎の体はまた、びくんと跳ねた。
    「招待状だってそうでしょ。あんた結婚なんかしたくないんだ」
    「……なに、を」
     島崎の声はかすかに震えている。興奮しているのか、怯えているのかそれは知らない。島崎の体をあっさりと解放して、準太はソファへ深く身を沈めた。
    「オレがどうにかしてくれると思ったんだろ」
     抗わず、流されるままに行きついた、泥の沼から出してくれると思って。
     招待状が来たときにはただの予測。だが今日島崎がここに現れたことで、それはほぼ間違いないと思えた。
    「普通送らないでしょう」
     邪魔されたくないのであれば。外聞だって気にしなければいいだけの話だ。「出したけど来なかった」なり、適当に言い繕えばいいだけのことで。それをせずに律儀に招待状を送ってきたのだ、このひとは。何かを期待して。
    「……違う」
     倒れ伏し、顔を俯けたままで島崎が反論した。
    「じゃあなんで今ここにいるの。オレは返事出しただけだよ」
    「あんなに遅れて、かよ」
     どうにか顔を上げた島崎を楽しそうに見下ろして、準太は戯けたように肩を竦めた。
    「仕事が忙しかったんですよ」
     返す言葉を失った島崎を憐れむように、準太は言った。
    「こんなに追いつめられた事はないですよね、オレに」
    「お前、変わったな」
    「変わってないよ」
     準太が言葉を被せるように遮ると、島崎は口を噤んだ。
    「オレは変わってない。でもやめたんです」
     今考えたことではない。10年間、いや島崎と離れる前からずっと考えていたことは、容易く口をついてでる。
    「甘やかし過ぎたからね。もう逃がさない」
     反論しようとした島崎の口を、言葉が出る前に掌で塞いでしまう。
    「なんで引越したかって? あんたを捕まえるために決まってるでしょう」
     島崎は大きく目を見開き、そして準太の掌を押しかえそうと両腕に力を込めた。だが伸しかかる男の身体は、容易には跳ねのけられない。
    「いつか戻ってくると思って自由にさせてりゃ惚れてもいない女に結婚押しきられて、って」
     内容と裏腹に準太の声は酷く冷静に響く。口を塞がれもがく島崎の唾液が、準太の掌を伝いおち、ソファに染みを作った。
    「……そう言って無理矢理にでも抱かれたかったんじゃないんですか?」
     言い終えるのと、島崎が準太の掌を振りほどいたのはほぼ同時だった。肩で息をしながら唾液で汚れた頬を手の甲で拭い、準太を睨みあげようとして、島崎は息を止めた。それまでの、酷薄といっていいほど無表情だった準太の顔が、苦しげに歪んでいる。
    「……部屋に入れないって言ったのは、」
     一度言葉を切り、深呼吸するようにゆっくりと息を吐きながら、準太は言った。
    「怖かったからです」
    「…え?」
    「あんたの気配がするもの、全部ここへくるときに捨ててきたのに」
     転居するときに、テーブルやソファだけでなく二人で買った家電類もすべて処分した。二人で映った僅かばかりの写真や、未練がましく取っておいた高校時代の秘密のメモ。思い出の品はもとより多くはなかったが、そのすべてを捨ててきた。
    「でもこの部屋は、あんたの匂いがするんだ」
     幻だとはわかっていても、そのたび嫌でも島崎を思いだす。
     そして何度も思い知らされるのだ、忘れていないことを。何年経っても、自分の一番深いところに、彼がいることを。
    「……お前、やっぱり変わってねえな」
     ぽつりと零した島崎に、準太は笑いまじりの声で答える。
    「だからそう言ってるでしょう」
     ソファの縁に浅く腰掛けて、島崎を見下ろす。
    「あんたがオレの傍にいようといまいと、石コロみたいに扱ったって。オレはあんたのものなんです」
     断固とした声で準太は言いきった。迷いもなく。
    「だからあんたは好きなように生きたらいい」
    「……」
     どう答えるべきか迷っているのか、島崎は言葉を返さない。
    「自由ですよ。結婚してもしなくても」
     返答など期待していなかったかのように、準太は言葉を続けた。
    「これきりオレと会わなくても、都合のいいときだけ会うのでも」
     島崎は黙って、準太の独白のような言葉を聞いている。
    「セックスなんかしなくたっていいし、したいならすればいい。あんたは何にも縛られない。全部あんたが決めるんだ」
     このままではずっと繰りかえしだ。このひとにとって都合のいい人間でいることに、ずっと甘んじていた。10年待っても何も変わらなかった。このひとの纏う夜の闇を越えない限り、自分たちは螺旋を描くように回りながら朽ちていく。向かいあったまま。二人の距離は縮まらず、ただ時間が過ぎていく。それは永遠の別離よりも怖いことのように思えた。
    「逃がさないんじゃないのか」
     その言葉に、この期におよんで流されることに期待している島崎の狡さを知る。以前ならそのまま、期待どおりに押し流してやった。でももうそれほど、互いに幼くはないはずだ。
    「逃がしませんよ」
     準太はきっぱりと言いはなった。
    「もう誰のせいにもさせない。あんたが自分で選ぶんだ」
     二人の間に、長い沈黙が降りた。向きあったまま、島崎の気持ちを推しはかるように、準太はその呼吸を数える。
     ひとつ、ふたつ。島崎の呼吸に乱れはない。
     いつつ、むっつ。期待する自分に泣きたくなる。このひとが自分から降りてくることなど、しないと、できないと知っているのに。
     それでも島崎に、島崎の方から選んでほしい。そうでなければこの関係を繋いだところで、自分はずっとわだかまりを抱えたままだろう。
     甘さが欲しい。もう、ただ身体を重ねるだけの関係で満足できるほど、子どもではない。ただこのひとが、自分の何十分の一だけでもいい、自分を想ってくれているのだという依りどころが欲しかった。
     吐息をちょうど10数えたところで、島崎が口を開いた。
    「……帰る」
     なんの答えもないまま、島崎はそう言った。いや、帰るということこそが答えなのだろう。落胆を隠し、準太は笑顔で頷いた。
    「お好きに」
     島崎はスコッチのマグカップを準太に差しだした。手を伸ばして受けとると、ほんの少しだけ指が触れる。ソファから立ちあがり、島崎は一度も振りかえらぬまま、準太の部屋を出ていった。
     受けとったマグカップの中身は、まだ半分ほどしか減っていない。カップを置き、手をつけないままそこに置かれた蕎麦を、一口啜る。のびきった蕎麦に顔をしかめて、準太は箸を置いた。
     選ばれなかった。最後まで。
     酷い疲れが襲ってくる。準太はソファから立ちあがることもできなくなった。
     島崎の腰掛けていた場所に彼の残像が見える。残していったマグカップはもう、自分で使うことはできないだろう。
    「……だから入れたくなかったのになあ」
     呟いて、準太はソファの上にひとりうずくまる。そうして、自分が行くことのない式で、永遠を誓う島崎に思いを馳せた。
     彼の妻になるひとは、踏みこむことができたのだろうか。自分がついに越えられなかった、あの島崎の闇へ。
     
     
     遠くで鳴る電子メロディから逃れるために寝返りを打とうとして、それがスマホの着信音だということに気づき、準太はソファから飛びおきた。
     窓の外はすでに明るい。素早く時計に視線を走らせると、もう8時を過ぎていた。まずい、遅刻かもしれない。とりあえず音の正体であるスマホを引っつかむと、準太は通話をうけた。
    「もしもし」
    『あ、準サン〜?』
     切羽詰まった自分がばからしくなるくらいのユルい声で、電話の相手は準太を呼んだ。社会人になって10年経つというのに、利央の言動はまるで高校生の頃のままだ。
    「……んだよ忙しい時間に」
    『え? 土曜も仕事してんの?』
     言われてはじめて今日が土曜であることに気づき、準太はどっと疲れを感じてソファへ腰を落とした。
    『準サン、最近慎吾サンに会った?』
     昨日の今日だ。見透かされたようで、返事をためらう。
    『スマホの番号変えたみたいでさぁ、繋がんないんだよね。準サン知らないかなと思って』
    「……いや、知らない」
     番号を変えたのか。ずきん、と胸が痛む。そんな準太の気も知らずに、利央はそっかあー困ったなーなどと、まったく困っていなさそうなトーンで呟いている。
     離れて暮らしはじめてからは一度も通話をしたことなどなかったが、それでも番号を知っているのと知らないのではわけが違う。新居の住所も知らない。おそらくもう連絡が来ることはないだろう。今度こそ本当に、島崎との繋がりが断たれたように感じて、準太は唇を噛んだ。
    『慎吾サンあんなことがあったし、みんなで集まって騒ごうってなってオレ幹事なの。準サンも都合つけてよね』
    「何、あんなことって。めでたいだろ」
     相変わらず言葉の使いかたも知らないのか。そう思っているところへ、利央の困惑したような声が降ってきた。
    『……えっと……? 準サンとこ……誰からも連絡行ってないの、かな』
     ためらいがちな言葉に、神経が逆撫でされる。
    「なにが」
     ただでさえ、寝起きで不機嫌だった準太の声が一段と低くなったことに怯えて、利央は早口で捲したてた。
    『慎吾サン結婚ヤメになっちゃったんだよ』
    「……は?」
     利央の言わんとすることが俄には理解できず、準太はぽかんと口を開けて訊きかえした。
    『詳しいことは知らないけど。慎吾サン結婚しないんだって』
    「いや、しないんだって、で済むことじゃねえだろ……」
     状況がよく、把握できない。式まであと、2週間くらいではないのか。だってあのひとは一言もそんなことを。昨夜のできごとが高速でフラッシュバックする。
     なぜここへきたのか。別れを言いに、と彼は言った。違う。そう言ったのは自分が尋ねたからだ。わざわざ別れを? と。
    『よくわかんないんだけど、月末には九州行っちゃうみたいだから早めに捕まえたいんだけどさァ』
     利央の言葉が準太の思考を遮った。
    「……九州?」
    『仕事だって。しばらく戻らないんじゃない? そんでね準サン、日程なんだけど……』
     あとに続く利央の言葉は耳に入ってこない。まだ話しを続けている利央にはお構いなしで通話を切り、準太はすぐさまソファから立ちあがった。
     
     
     がらんと片付いた部屋をもう一度見渡して玄関をくぐり、部屋に鍵を掛ける。封筒に入れた鍵を管理人室へ届け、簡単な挨拶を終えると、島崎はトランクケースを引いてマンションのロビーを出た。
     落日が早い11月、すでに暮れた空に、吐く息は白い。駅へと向かう道を歩きだすと、すぐにガードレールへ腰掛けた準太を見つける。視線も送らずその前を通りすぎると、準太は立ちあがり、島崎の横へ並んで歩きだした。
    「あまり驚かないんですね」
    「実家から連絡あったからな。お前が連絡取りたがってるって」
     それが伝わっていてもレスポンスを返さない島崎に、とくに憤慨した様子もなく、準太は会話を続けた。
    「引っ越しは今日って聞いて。出発は来週でしょ」
     苦いものを噛んだような顔で、島崎は準太の顔を眺めた。
    「……どこまで話してんだ、うちの奴らは」
     さあ? とはぐらかすように答えて、準太は笑った。
    「お母さんとは仲良しなんです」
     高校時代から顔を見知って、一緒に住んでいた期間も準太と島崎の母親は、確かに仲が良かった。久しぶりの電話にも何ら警戒することなく、聞かれてもいないことまで内々の事情を話したのだろう。
    「破談になったって聞いて、オレあの後反省したんです」
    「なにを」
     歩を止めずに、島崎は訊きかえした。
    「あんたはうちにきた時点で、嫁さんよりオレを選んでくれてたんだって」
     答えないままの島崎の腕を掴んで立ちどまり、自分の方を振りむかせると、準太は笑顔で言葉を続けた。
    「そんな風に考えたんですけど、全っ然違ってましたね」
    「放せよ」
     それだけ言う島崎の腕を一層力を込めて握り、準太は強く引きよせる。突然引っ張られてバランスを崩し、島崎はトランクケースから手を放した。がたん、という大きな音に、道ゆく人が振りかえる。
    「逃げられちゃったんですって? 嫁さんに」
    「……まだ嫁じゃねえ」
     準太の手を振りはらい、ふて腐れたように吐きすてる。道路に落ちたトランクケースの引き手を拾いあげて、島崎はまた歩きだした。数歩離れて、準太もその後を追う。
    「慰めて欲しいならそう言えばよかったんですよ」
    「そんなわけねえだろ」
    「そうですか? でもなんか言いたいことがあるんじゃないの」
    「ねえって」
    「じゃあなんで駅まで遠回りしてんですか」
     普通に歩けば10分の距離を、まるで駅を避けるように歩いている。その言葉に足を止め、準太を振りかえる島崎の表情は険しい。
    「お前がついてくるから人目のない道選んでんの」
     抑えてはいるものの珍しく強い調子の声に、準太は声をあげて笑った。
    「あんたはいつもそうですよね」
    「なんだよ、いつもって」
     歩きだそうとする島崎の腕を引いて正面へ回りこむと、もう片方の腕で島崎の腰の辺りを掴む。あっさり抱きとめられてしまった島崎は、準太の視線を受けとめることしかできなかった。
    「そうやって人目ばっかり気にしてるから捨てられるんですよ」
     くっ、と笑いに喉を鳴らし、準太の体を押しかえしながら島崎は言った。
    「でもお前は生涯オレのもんなんだろ」
    「……どこまでもズルイ男ですね」
     憎らしい、そう呟いて準太は島崎から手を放した。なにごともなかったような顔で再び歩きだす島崎に準太が手を差しだすと、当たり前のようにその手にトランクケースの引き手が渡される。
    「いつ帰ってくるの」
     トランクケースを引きながら、世間話のように聞いてくる準太に、島崎は首を捻った。
    「……なあお前、言ってることとやってること違わねえか」
    「そうですか? 言いましたよ。もう絶対逃がさないって」
     準太が駅とは別の方向へ角を折れると、島崎はなにも言わずにそれへ倣った。角を曲がってすぐのコインパーキングに停めたハッチバックへ歩みよると、準太はリモートキーを操作してロックを解除する。準太が後部座席へトランクを詰めこむ間に精算機のボタンを押して駐車料金を確認した島崎は、うえっ、と小さく声をあげた。
    「お前何時間待ってたんだよ」
     ぶつぶつ言いながらも千円札を三枚投入すると、タイヤの下のロック板がぷしゅん、と間の抜けた音とともに降りていく。準太が運転席へ乗りこむと、促されてもいないのに島崎は助手席のドアを開けた。尻ポケットの財布と煙草をダッシュボードへ放って腰をおろし、シートベルトを締めると、島崎は先ほどの会話を続けた。
    「オレに決めさせんじゃねえのかよ」
    「ああアレ。もういいですよ。あの日あんたがうちにきたってことでチャラにします」
     クラッチを切りキーを回すと、セルが回りエンジンに火が入る。格好いい、というだけの理由でマニュアル車に乗りはじめた準太は、今でもそのポリシーを曲げていない。ゆっくりと発進する車のシートに深々と身を沈めて、島崎は納得しかねたように眉根を寄せている。
    「……そこにオレの意思は?」
     ははっ、と快活な笑い声をあげて、準太はハンドルを大きく切った。
    「まだそんなこと言ってんのか。どんな女と付きあったって、オレを忘れらんねェのに?」
     いきなり砕けたその語調か、それともその内容が気に入らなかったのか。対向車線のサーチライトを眩しそうに睨みつけて小さく舌打ちすると、島崎はぷいと横を向いてしまう。それが余計におかしくて、準太はまた笑った。
     横を向いたままの島崎を一瞥して、準太は目を細めた。
    「ようやくわかった」
    「何?」
     突然の話題の転換についていけずに、島崎はさすがに準太へ視線を向けた。
    「怖かったんだ、あんたも」
     自分が島崎を振りきれないように。島崎はきっとこの先、何があっても準太を完全には切れない。無条件に島崎を肯定する準太から切られることが、おそらく耐えがたいほど怖いのだ。
    「なんの話」
    「慎吾さんが俺を愛してるって話です」
     きっと島崎にはわからない。それでよかった。
    「自信満々だな」
     呆れたように呟き、島崎はダッシュボードの煙草へ手を伸ばした。
    「まだそんなキツいの吸ってるんですか」
     見慣れた煙草の箱が視界に入る。昔から島崎の吸っている銘柄だったが、島崎はそれには答えなかった。助手席のウィンドウを下げると、箱の隙間へ収めておいたジッポで、銜えた煙草に火をつける。
     きんっ、ざり、かしゃんっ。
     ジッポ独特のその音に、自分では煙草を吸わない準太は、懐かしさを感じて目を細めた。
    「まだ使ってるんですね」
     言われて、島崎は掌のライターを見つめた。丁寧に手入れされたそれは、準太が始めて島崎にプレゼントしたものだった。
    「ああ……気に入ってて変えられない……」
     何気なく呟いた自分の言葉が不本意だったのか、島崎はそのまま口を閉じた。茶化すでもなく、そうですか、と相槌を打ったきり、準太は何も言わなかった。
    「で、お前どこいく気なの」
     今、渡っている橋を過ぎれば、そこはもう地元にほど近い。準太の住まいからも離れていく。
    「オレ明日から有休取ったんです、一週間」
    「……へえ」
     適当な相槌を打つと、煙草の白い煙に乗せて、島崎は大きく息を吐く。そして唐突に切りだした。
    「オレ来週までこっちで泊まるとこ決めてねえんだわ。どっか知らねえ?」
     もちろん、本当は実家に帰ることになっていたのを、準太は島崎の母に訊いて知っている。
    「いいとこ知ってますよ。三食・ランドリーサービス付きでタダ。お出かけの際には送迎付き」
     もともとそういうつもりで休みを取った準太は、島崎がそう言いだすのを待っていた。煙草の灰を窓の外へ落として、島崎は苦笑した。
    「タダより高いものはねぇって言うからな」
    「セックスで払ってくれてもいいですよ?」
     さらりと真顔で付けくわえた準太に絶句して、島崎はそれから盛大に笑いだした。
    「お前、バカだろ!」
     橋を渡りきると、ちょうど信号が赤に変わる。隣で笑い転げる島崎の手に指を絡めて引きよせると、小さく音を立てて指先にキスをした。
    「バカですよ。わかってるでしょう」
    「自覚があるのか。手に負えねえな」
     笑いすぎて目尻に滲んでしまった涙を拭ってやると、準太はそのまま顔を近づけた。
    「気づいてない慎吾さんよりは、ずっとマシなんですけどね」
     島崎が反論へ転じる前に、唇を重ねて塞いでしまう。10年ぶりに絡めた舌は変わらず甘くて、柔らかい。島崎もそのまま目を閉じて、抵抗することなく準太の舌を味わった。
     後続車のクラクションが鳴るまで、二人はそうしていた。信号はとうに青に変わっている。動揺した様子もなく体を離すと、準太は運転を再開した。
    「……で、どこいくんだよ」
     今まで唇を重ねていたとは思えないほど甘さのない声で問う島崎に、同じく何ごともなかったような顔で準太が答えた。
    「利央があんたの残念会を企画してて、今夜桐青OBが集まるんだそうですよ」
    「……はぁ?」
     心底嫌そうな声に準太は小さく吹きだして、そうですよねえ、と呟いた。結婚式直前に花嫁に逃げられた男など、酔っぱらい達には格好の肴でしかない。わざわざ傷口に塩を塗られにいくようなものだった。
    「絶対に行きたくねえ」
    「でしょう? だから二人で逃げちゃおうと思って迎えにきたんです」
    「……迎えに」
     島崎は準太の言葉を繰りかえし、そうか、と独り言のようにつぶやくと、それきり黙った。
    「どこいきますか」
     島崎は肘をウィンドウの縁に掛けるように頬杖をつき、フロントガラスの向こう、テールランプの群れを見つめている。
    「どこでもいい」
     言葉の内容とは裏腹に、島崎の声はすこぶる上機嫌だった。その答えに気をよくして、準太は車のスピードを上げる。
     二本めの煙草に火をつけた島崎の吐く煙が、車内に充満してゆく。今まで誰にも喫煙させなかった車内が、みるみるうちに島崎の匂いに染められていった。
     もう言葉はなかった。ただ信号で停止するたび、どちらからともなく深いキスが幾度も繰りかえされる。
     来週には、島崎は遠くへ行ってしまう。だがそれも今は、なんでもないことのように思えた。
     準太はようやく足を踏み入れたのだ。島崎の、あの夜の幕の内側へ。否、島崎のものだと思いこんでいた、己の引いた線のなかへ。そうして今やっと、島崎の奥底へ触れたのだ。
     
     もう二度と離れることはない。
     放さない。
     
     次の信号も赤であるようにと祈りながら、準太はどこへ向かうともなく、アクセルを踏みこんだ。
     
    Tap to full screen .Repost is prohibited

    mi2asobi

    MOURNING前作から続いています
    1.Hallucination(準島) https://onl.la/vmwmqs3
    2.Delusion(準島) https://onl.la/YA2AHwV
    3.Halation(モトマサ)https://poipiku.com/5055277/6528283.html…
    4.夜の涯(準島)
    https://poipiku.com/5055277/6551752.html
    むかえにきてよ(準島) 2009.12.29発行 別れてほしいの。
     
     彼女がそう切りだしたのは、式を一か月後に控えた日曜日だった。
     別れるのは構わなかった。だが、式までもう間がない。友人や両親へはともかく職場の上司へはどう伝えようかと思案していると、訊いてもいないのに彼女が理由を話しだしていた。長い言いわけの要点をいえば、以前付きあっていた彼と再会し、よりを戻したということらしい。
     慎吾が悪いわけじゃないの、そう言ったことをつらつらと続けていたが、そんなことは重要ではない。結婚に乗り気だったのは彼女の方だし、式の一か月前にこんなことを言いだす無責任な人間に未練もなにもない。何を言っても復縁などないだろうし、たとえあってもごめんだった。
     とりあえず今一番気になるのは招待した面々への連絡とフォローで、彼女の気持ちはどうでもよかった。たとえ何らかの非が自分にあろうと、慮る理由が見つからない。怒っていい場面だろうとも思うが、彼女に掛ける時間のすべてが無駄に思えて、感情を動かすのが億劫だった。
    3372

    recommended works