アイオープナー長い時を過ごしてきた。
鬼である自分のものに比べて人の命はとても儚く、散っては咲き誇ることを繰り返す花のようにも思えた。それでいて彼らは花よりも温かく、ヴォックスが慈しめばそれに応えた。時折人ならざる己を恐れ離れようとする者もいたが、そのときは手折ることにしていた。
愛情深き鬼はそうして人間たちと心を通わせてきたのだ。
そんな命たちの煌めきを見続けて400年。
世の中とは予想もつかぬ面白いもので、ヴォックスは配信者として活動していた。Luxiemの一員としてデビューし、同胞も先輩もできてとても刺激的な毎日だった。
天真爛漫なマフィア、頼りがいのある呪術師、愛らしくお人好しな文豪、そして──刺激的な探偵。
その探偵、ミスタは不思議な男だった。デビュー前の物静かで人見知りな男は初配信でその姿を脱ぎ捨て、見る者のシナプスを焼き切るようなエンターテイナーとなった。ゆっくりと花の散るさまを眺めていた自分にとって、いつ何をするかわからないミスタは花火のようであまりに鮮烈だった。しかし、しばらく見ていれば彼が才能と努力の上に立っていることも、ただの不器用で寂しがり屋な坊やであることもわかった。
ヴォックスはそんな彼を慈しんだ。他のメンバーと同じように愛した。人の一生が一瞬であることを知っていたからだ。毎日鉢植えに水をやる子供のように、ヴォックスが与えられるだけの甘やかな愛を囁いた。
「ヴォックスって愛情深いよね」
いつだったか、ミスタはポリポリとチョコレートを齧りながらそう言った。
「ふむ……そう言ってもらえるなら光栄だな」
「あー、いや違くて」
礼を言えば彼は少し難しい顔をした。うーん、と言葉を探す表情はどこかコミカルだ。ミスタは真剣に考えているようなので黙っていたが。
「何だろ、上手く言えないんだけど相手に応えられることを期待してなさそう」
「ほう、随分な言い草だ。つれなくされる度、どれだけ俺の胸が痛むのか知りもしないで」
悲しげに溜息を吐いても彼は口を尖らせるだけだった。
「アイクで慣れてるでしょ。っていうか、そうじゃなくて……」
うーん、とミスタはまた考え込んだ。長く長く考え込んだ。
結局その場で答えは出ず、ヴォックスの中でもその言葉はほんの僅かな引っかかりだけを与えて日々の記憶に埋もれていった。
ミスタは賢い男だった。それでいてどうしようもなく不器用だった。
ヴォックスにとっての彼は仔犬のようで、撫でれば困ったような声を出すところも可愛いと感じた。なのに、キャンキャンと吠えてはしゃぐ様からは想像もできないくらい静かに涙を流した。
この甘えることさえ満足にできない迷子の子供に何かできないかと胸が漣のように揺れる。
実際に会って実際に手を触れ合わせてもミスタは悪戯っぽく微笑むだけ。人間と鬼の皮膚二枚を隔てただけで、彼の柔い熱しか伝わらない。押し殺されたはずの慟哭の激しさは見つけられなかった。
「もし俺が寂しいと言ったらどうする」
実際に会うようになって何度目かのこと、ふざけて重ねた手をそのままに、ヴォックスはミスタにそっと尋ねた。
ミスタはキョトンとした顔で目を瞬いた。
「え、なにヴォックス、嫌なこととかあった?」
「いや、違うよ。何も無い。ただもし『俺を置いて死ぬな』と情熱的に口づけたなら、お前はどうするかと思ってな」
小さく吹き出したあと、ケラケラとミスタは笑った。いつものRPだと思ったのだろう。
「Daddy、一人のベッドが肌寒いならあっためてあげよっか?」
そして重ねていたヴォックスの手を取って人差し指の先を食んだ。
RPだったのでは?口先だけのRPを想定していたのに。
あまりに突然で身を強ばらせるヴォックスをよそに、ミスタは微かに音を立てて指を吸い舐め上げる。
「おいミスタ……!」
「行儀が悪いって?」
じゃあ叱ってよDaddy、と低く囁く声。バイカラートルマリンが煌めく様にヴォックスは魅入った。
一瞬ののち、ミスタはチュポンッと指を口から抜く。
「まじで調子悪いっぽいじゃん。相談するなら俺なんかよりアイクとかシュウのほうが力になれるんじゃない?」
「…………はあ」
ヴォックスは溜息を吐いた。この子は本当に、と頭を抱えたくなった。
ぺちりとミスタの額に手をやって、自分の手から離れさせる。思いのほか力が強かったのか、小さな悲鳴が聞こえたのでそのまま軽く撫でてやった。
あのとき本当に口づけてやればよかった。
ヴォックスは独りになって考えていた。
あの同胞やリスナーたちと夢中になって駆け抜けた日々はもう随分と前のことで、彼らの骨も形を失いかけている今、手に残る熱の記憶はどれだけ正確なのだろう。
悠久のときを生きる鬼にあんなことを聞かれたミスタは、メンバーの中で一番先に眠りについた。
縋りもしなかったくせに、ヴォックスは裏切られたような気持ちになった。駄々を捏ねる子供のように、なぜ、どうして、と怒りにも似た悲しみが渦巻く。
恋など、愛など、そんなものは飽きるほど人間に抱いてきた。特別な何かをミスタに抱いていたなどと思いもよらなかった。
ヴォックスはただ散りゆく花々を眺めていたのだ。それは惜しむことさえ愛の一部で、地に落ちてゆく花弁を掴んで戻そうと躍起になるものではなかった。
それなのに、あいつは花ではなかった。
あれだけ鮮烈なくせに、目を惹きつけてやまないくせに、お前の前では瞬きさえ惜しいと思わせたくせに!
「嗚呼、恨むぞ。ミスタ・リアス」
何てものを俺に教えたんだ。
(恋を知らない愛情深い鬼はそれが恋だと気づかないが、臆病で自信が持てない人間もまたそれに応えきれない話)