ジンクス 誓っていうが僕にのぞき趣味なんてものはない。スタンドの能力ゆえ周りに誤解されている気もするが僕自身は漫画へと活かすために他人に興味があるだけで取材対象である一個人には邪な感情を寄せることもないし誰かに吹聴する気もさらさらない。僕が相手の情報を得るためスタンド能力を行使して読む行為は"天国の扉"の能力どおり本と変わらない知識欲を満たしてくれるだけのものでそこにあるリアリティを自分のものとしてしまえば人格に関わるような干渉はしたくないと考えている。時には自分と関わった記憶さえ奪うことだってあるくらいだ。そもそも人嫌いの気がある露伴は必要以上に他人と関わり合いになりたくないと思っている。なので今、昔馴染みの四つ年下の生意気な男が振られるのを目撃してしまったのも全くの不可抗力である。
東京での出版社との打ち合わせは揉めに揉め帰ってくるのが予定より遅くなってしまった。ちょうど退勤のピークタイムにぶつかってしまったこともあり、駅前はやけに人通りが多く東京ほどではないが人の多さにうんざりする。白熱した討論を繰り広げ普段使わない声帯を酷使したこともありさっさと家に帰りたかったのだがタクシーも全く捕まらず待っているより歩いて帰った方が早いと判断して露伴はロータリーを出た。
駅から少し離れただけで店から発する暖気はどこへやら殺意すら感じる容赦ない冷たい風が全身に吹きつけられ、最短ルートで帰路に着くはずがあっさりと寒さに負けて少し遠回りになるがアーケード街を通っていくことにした。一つまた一つと合間に挟まる信号のせいかやたらと皆歩みが遅く、始めこそシューティングゲームの様に器用に人を避けていた露伴だったがついには飲み屋から出てきたグループが道を塞ぐ様に横一列に並んでだらだらと牛のようにのったりとしか進まなくなりいよいよ耐えきれなくなり露伴は横をすり抜けて細い路地にでた。
店と人の熱気がないだけでこれほど寒いのかと思うほど冷気が足元から這い寄り、追い討ちの様な強風に思わず首をすくめてしまう。緯度が違うから寒いのは当たり前だが東京とのあまりのギャップにもっと防寒してくるべきだと後悔しながら足早に大通りに出るとここでもまた人混みに行手を遮られて寒さもあり妙な焦りを感じる。一刻も早く家に辿り着きたいのに露伴の想いと裏腹にあとからあとから人が集まり密集した人間たちにより黒山がどんどん築かれていく。
「くそっ、なんだってんだよ」
思わず悪態をついた先にはやけに上背のある男がいて露伴の独り言が聞こえていれば喧嘩にでも発展するかと思ったが人のざわめきに上手く紛れたようで何の反応もないところを見るとスルーしてくれたわけではなく本当に聞こえていなかったようだ。
改めて目の前の男を見やるがよほど体格がいいのか亀のように首を引っ込め、寒さに耐えている露伴にはその顔まで拝むことはできなかった。ただ着古されてはいるが手入れの行き届いた布地だけが露伴の眼前を埋め尽くして運転している時に前にトラックが入ってきたかの様な感覚に余計に苛立ちが増す。まだ年若いであろう男にしては背伸びした年齢に見合わないブランドもののコートは男の立派な体格をすっぽりと覆い隠して暖かそうだ。型崩れすることもなくしっかりした厚みのある良いコートで大方貰い物か何かだろうとあたりをつける。露伴の悪態に気づかなかったのは隣にいる彼女と思しき女にこいつが必死に話しかけていることも関係したようで男の一方的な会話に女の返事は実に曖昧なもので返答もずれていた。言葉を発するだけで体温が奪われる様な心地がするため極力会話をしたくないのもわかるが女はやけによそよそしく心ここにあらずと言った様子で男もそれを察してかしきりに会話を盛り上げようとしているが露伴には逆効果にしか見えなかった。
この寒い冬場だというのに二人の間には妙な距離があり別れるのは秒読みだろうというのは今出会っただけの露伴にも分かった。哀れな男の顔を拝んでやろうとマフラーにうずめていた頭をあげるとなんとそれは時代遅れの妙な髪型をした男—東方仗助その人だった。
仗助とは別に友人でも何でもないが会えば以前苛立ち紛れにぶつけた言いつけを律儀に守り渋々挨拶を寄越してくる。その程度の関わりしかない。高校生の時よりいくらか引き締まった面差しは精悍さを増し、釣り上がった眉と相まって一見キツそうに見えるが優しげに垂れた眦と豊かなまつ毛が愛嬌を感じさせて承太郎にも似てきていたが彼にはない甘さをはらんだ顔立ちは嫌味やなくらい整っていて思わず舌を打ちたくなる。本当にツいてない。信号待ちですら列のように人の波は溢れ車道まで出るほどで逸れるのさえ難しく聞きたくもない会話が耳に流れ込んでくる。クリスマスはどこに行きたいだの食べたいものは何かだの彼女の気分を少しでもあげようとする健気な努力は全て撃沈して仗助も困ったように後ろ頭を掻いていた。ぼんやりとしか相槌を返していなかったはずの彼女が会話の途切れた隙間に滑り込むように嫌にはっきりとした口調で発した言葉によりこのなんとも不毛なやり取りは幕を閉じた。
「仗助くん、ごめん…ごめんなさい私、」
「えっ、何急にどうしたの?体調悪い?」
突然許しを乞いだした彼女に動揺を隠せないのは露伴も同じだった。ふらつく彼女は人にでも酔って体調を崩したのかとも思ったが仗助が彼女を支えるように差し出された手は取られることはなく行き場をなくしその仕草はむしろ仗助に触れることを避けているようにすら見える。
「違うの、私…仗助くんは悪くないの、ごめんなさい………別れてもらえるかな」
彼女がそういうや否や周囲の人間が一気にざわついた。まるで周りの名もなき通りすがりの人間たちがこのカップルの会話を見守ってシットコムよろしくリアクションでもとっているのかと思うほどのタイミングの合致だった。見れば日が落ちてから何時間も経っているはずだが暖炉の火でも投げ入れた様に周囲が明るくなっている。闇を吹き飛ばす陽気な灯りに照らされた群衆は口々に何事か話しだして拍手すら聞こえてきた。そこでようやく思い当たった、今日はS市の冬の名物であるイルミネーションの点灯式だったのだ。
イルミネーションなんてただ大量の電球が光っているだけで一度見てしまえばどこもあまり大差がないためわざわざ見に行こうと思ったことはなかったがすっかりはげ上がった並木道が温かな光に包まれて輝いているとやはり視線はそちらに向く。華やかな雰囲気に皆携帯を掲げて写真を撮るのに夢中になって信号が青になるたびに誘蛾灯の様に光に引き寄せられる人の波に押し流され行きたくもないイルミネーションの方に導かれる中で目の前のカップルは綺麗な破局を迎えあまりの落差にマフラーを巻いているはずの首筋が直接冷気を浴びたように寒くなる。
どうやら彼女は不貞をしてそちらに気持ちが傾いたようだ。仗助ほどのスペックの男が傍にいれば自分はモテるんだという妙な勘違いを起こしてしまうのも分からなくもない。禁断の関係ほど燃えるものはないしきっと浮気の言い訳上位に入る魔が差したというやつだろう。
仗助は優しい男だが恋人にするには優しすぎるのだ。守るべき対象にはそのスタンドにも現れる優しさで包み込んでくれる包容力はこの年にしては十分に備えていて器も大きい。不良のようなナリをしているため誤解されやすいが心根は曲がることなく純粋で露伴の前以外では基本的に善人で純情だかなんだか知らないが奥手らしい。きっと仗助の見てくれだけでその中身を判断して刺激を求めた結果がこれだったのだろう。タイミングとしては最悪だがきっと遅かれ早かれ別れることにはなっていたはずだ。仗助の彼女を見つめる視線は庇護にあふれ大切にしているのは傍目から見ても伝わっていたがその分彼女は無償にも見える仗助の献身が苦しくなってしまったのだろう。まだ若い彼女にはそれがどれだけ貴重なものかわからず刺激を求めて仗助を手放してしまったのだ。
突然の彼女の言葉に呆気にとられている仗助の瞳は寒さからか振られたショックなのか分からないが潤み、あの青い紅玉のような虹彩が滲んで瞳が溶け落ちそうでそこに反射する無機質な機械仕掛けの温かな光が皮肉のように映り込んで見たことのないその色合いの美しさにイルミネーションよりそちらを注視してしまう。立ち止まる仗助を煩わしそうに避けていく人々は次々に先に行かせろとばかりグイグイと押し寄せその波に流されるようにして小柄な彼女はどんどん流されていきやがて見えなくなった。代わりに仗助の隣に押し出されるように並んでしまった露伴は顔を逸らしてどうか気づいてくれるなと思っていたのに仗助が露伴の思い通りの行動をするはずもなく諦めた様なため息の後、見てましたかと小さく呟いた。
振られたばかりの仗助を放って置けるほど関係も浅くないし非情にもなれない露伴はそのまま連れ立ってベルトコンベアーに乗せられているケーキのようにただ惰性で歩みを進める。どうせ引き返すにも列を抜けるのにも手間がかかるのなら無理に抗うのもアホらしい。仗助もそう思ったのかそのまま流されるように連れ立つ様子は傍目から見れば最初から二人でイルミネーションを見に来たように映るだろう。誰に見られているわけでもないのになんとなく周りの視線が居た堪れずに対して興味もなかったイルミネーションの細枝に巻きつく電飾を視線で辿りまるで景色に夢中になっているかのように振る舞って顔を逸らしていたが返事を寄越さない露伴の態度に仗助は俺ってもしかして見えてなかったりする?と戯けた質問を投げかけてきた。言葉端には不安が混じり寒さだけではない震えを感じてそういえば先程の"元"彼女もろくに返事を返してやってなかったのを思い出して苦々しい気持ちで振り返るとやっと顔を合わせてくれた知り合いに安心したのか小さく息をついてはにかんだ。立ち上る白い息は空気にほどけて気合を入れてセットしたであろうリーゼントを恥ずかしそうに撫でるいじましさに思わず余計なことを口走ってしまった。
「僕ならそんな思いさせないのに…」
「えっ」
ほらみろ動揺してるじゃあないか仗助はそれってどういう…と続く言葉を詰まらせ落ち着きなく手を動かして露伴の真意を探ろうとしてくる。この人混みでも漏らさず露伴の声を拾う寒さで赤くなった耳が愛おしくも憎い。露伴だってこのタイミングでこんな口説くようなセリフを吐くつもりなんて毛頭なかった。自分で自分の言葉に一番動揺していたが一度発してしまった言葉は回収することはできないのも分かっている。これもいい機会かもしれないと諦めて開き直ることにした。
「そのままの意味だよ」
いまだに困惑した様子の仗助は視線を泳がせてはいるが露伴に対して嫌悪の表情を浮かべることはなかった。そのことに少し安心してこれ以上の詮索にボロを出してしまうと思い、アホ面を晒す赤くなった仗助の形の良い鼻を弾くと突然の暴力に咄嗟に反応できずに一拍遅れて文句を言い出した。
「このイルミネーションの噂ってほんとだったんだな」
「それって嫌味?」
「ふふっ…そうかもね」
あの有名な遊園地やこのイルミネーションも定番のデートスポットとして有名ではあるが同時に破局の聖地としてもその名を轟かせている。先の読めない待ち時間や寒さなどの環境の悪さに付き合いたてのカップルの絆など脆く崩れ落ちる。鼻を押さえていた仗助は露伴の言葉に苦虫を噛み潰したように顔を歪めて見せたがすぐに吹き出す。
「はは…振られたばっかってのにあんまりショックじゃないことが逆にショックなんですよね…」
酷いやつっすよねとはにかむ仗助は落ち込んでいるように見えたが露伴の考えていたことと別のベクトルで傷ついていたとは思いもよらず驚いた。
「ねぇ…さっきのって」
何が楽しいのかはしゃいで同じような写真を撮り合うカップルたちを横目に歩みを止めることもなく二人はただ義務のように足を進めついに並木道の終わりが見えてきた。人の間隔も空き代わりに入り込んだ冷気が人々の熱気で温められた体から一気に温度を奪い思わず身震いする。
「言わせたいのなら意地が悪いし本当に分からないのなら君が振られるのもわかるよ」
グサリと刺してやったはずなのに仗助は戸惑ったように露伴を見つめる。背後のイルミネーションも喧騒も通り過ぎ見慣れたいつもの通りが近づき、ついに分かれ道まで来てしまった。立ち止まった仗助を窺いせいぜいこれ以上この愛おしくも憎い男が傷つかないことを祈るのみだとそのままブーツの踵を鳴らして歩き去ろうとしたが腕をとられた。
「あの、こんなのおかしいってわかってるんっすけど…アンタがその、俺のこと好きって言ってくれてんの悪くないっていうかその…あぁ〜上手く言えねぇ〜!」
一人で百面相をしながら露伴の腕をぎゅっと逃がさない様に捕まえ自分でも何が言いたいのかわからずに助けを求める様に見つめてくる視線の熱さに焼かれる様な気がした。掴まれた場所から伝播する仗助の体温もじわじわと上昇して今やカイロのように温かい。好きだなんて一言も言ってないだろと返すとえっ、違うんっすか?!と慌てて手を離して恥ずかしそうに顔を赤くして俯いてしまった。
「君、案外チョロいんだな…」
「ちょろ、」
「可愛いって言ってるのさ、じゃあな」
呆然としている仗助を今度こそ置いて帰路に着くが悪くない気分だ。いけすかないのに妙に気になる美しく可愛いらしい男の価値に気づいてない元カノは本当に惜しいことをしたと思う。あれほど値打ちものそんじゃそこらでは見つけられないというのに。それに簡単に付け込まれてしまうだなんて無防備にも程がある。ドタドタと色気のないスニーカーの駆ける音が背後から近づいてきて思わず顔がニヤけるのも仕方ないことだろう。
「露伴!」
「言っておくけど僕に慰めてもらえるなんて思うなよ」
「な、慰めるって…」
何を考えたのか顔を赤くして口数少なくなんでこんなドキドキするんですかねと露伴に話してしまうところもまだまだ駆け引きなどできない甘さが見えて可愛くて仕方がない。茶くらいは淹れてやってもいいかもしれない。連れ立って帰る家主不在の家はすっかり冷え切っていたが柄にもなく弾む足取りに寒ささえどこかに行ってしまった。その後二人がどうなったのかなんて言うまでもないがジンクスは嘘だと証明されたとだけ言っておこう。