絡み酒にはご注意を「ぷはー」
ゴトンと鈍い音とともに勢いよくビールジョッキがテーブルに置かれる。
「ゲン、君ちょっとペースが早すぎやしないかい?」
机の上にどんどん増えていく空のジョッキに霊長類最強の男は呆れた声を出した。出先でたまたまゲンから電話がかかってきた。久しぶりに見知った友人からの誘いに嬉しくなって「時間がある」と答えたばっかりに居酒屋に連行されたのが、小一時間前。
店に入ってすぐに「俺、今日は飲みたい気分なんだよね」と生ビールをいきなり四杯頼んだかと思えば、すごい勢いでがぶがぶ流し込み始めた。通常は出来たての泡を楽しむために一杯ごと飲み切って頼むのものではないのかい?
「何かあったのかい?」
普段とは違う友人の飲みっぷりにただならぬ気配を感じ、恐る恐る物を申し出た。それが地雷だとしてもここは聞かざるを得ないだろう。
「朝起きたら女性用の市販薬があったんだよ」
「うん? 君たち男だよね?」
さっぱり全く話が見えてこない。
目の前でくだを巻いている友人、あさぎりゲンが付きあっているのは同性だ。俺の友人であり、三度の飯よりも科学を愛する男、石神千空である。一緒に住み始めたのだと報告されて驚いたのを覚えている。
二人とも男なのに家に女性用の市販薬があるとはどういうことなのか。
こんなとき誰か冷静な人物、そう氷月がいてくれたならば容量の悪い部分をうまく叩ききって話を引き出してくれたかもしれない。少なくとも俺よりは巧みに会話を誘導できたであろう。
「でしょ? おかしいでしょ? しかも開封されてるの!」
「今一つ話が見えてこないね」
「浮気するなら証拠を残さないのがマナーだと俺は思うんだよね」
間を割った俺の会話が流された。酔っているゲンは言葉のキャッチボールよりも自分の話したい内容の方が大事なのだろうか。
千空が浮気? あの人間よりも科学の方に興味の天秤が傾いている男が? 友人ならわかるけれど、過去に飲み会で冷やかされた際にデカい声で恋愛脳は非合理的なトラブルの種だと言って、隣で催されていた婚活パーティを凍り付かせた千空が?
俺の知る限り、千空と付き合える人間は今生きている中ではゲンしかいないと思う。他の人間は千空の他から逸脱した生活スタイルと科学の話になると長時間話す性格とどうしようもない人使いの荒さで三日くらいが限度だと思う。
シェアハウスするにしても あと一人くらいいなければ、千空と二人きりは絶対に無理だと思う。千空に惚れに惚れまくっているゲン以外では。
「ゲン、少し落ち着いてくれるかい? いつもの君らしくないよ、うん」
ゲンという男はいつもどんなときも喜怒哀楽の怒以外の感情しか見せない。絶えず口を動かしてどうでもいい話をして、ときに確信をついてみせるけれど基本的には自分や他人の感情をコントロールするのに長けている男だった。くるくると変わる表情とよく回る口。頭の回転が速いのだろう、重さのない、あと腐れのない会話が巧み。それがゲンだった。
なのに今荒れているのは何なのだろう。千空相手ではゲンもポンコツになるのか。面白い発見だが、この先なんの利益に繋がりそうにない。
「もう、今回だけはリーム―なのっ! 俺はメンタリストの前に一人の人間の男なのっ!」
ゲンはひとしきり泣いたり、怒ったりと感情を吐くだけ吐いてしまうと、「眠たくなってきた」とうとうとし始めた。ようやく帰れそうだとホッとして、俺はマンションに彼を送る旨の連絡を千空に送った。
インターホンを鳴らすと、千空がすぐに玄関のドアを開けて出迎えてくれた。帰りの遅いゲンを心配していたのだろうか。まだシャツにスラックス姿でお風呂も済ませていないようだった。
千空は近づくとおもむろにゲンの頭をぺちぺち叩き始めた。酔ってるんだからそっとしてやって欲しいが、これがいつもの二人のやり方だろうか。そのまま見守っていると、気の抜けた声を出してゲンがぱちりと目を開けた。
「おい、ゲン。飲みすぎだ。司が困ってる」
代弁してくれてありがとう千空。聡い友人はやはり対応が違う。
「う゛~、千空ちゃんが浮気するなら俺だって、俺だって浮気しちゃうんだから!」
「何だと? おい、司、これはどういうことだ」
ゲンの言葉に明らかに動揺する千空が俺を見てくるけれど、俺にも会話の全貌がよく見えてない。説明を求められても困る。
「どういうことも何も俺は被害者だよ。飲みに誘われたと思ったら速攻で飲んで酔ってこんな感じ。俺は酔ったゲンを連れてきた、それだけなんだ」
「こいつ結構飲んでねえか?」
「俺だって理由がよくわからないんだ」
そう、ゲンが荒れている理由は俺の方こそ知りたい。知りたいけれど、頭を突っ込みたくはない。
そうこうしているうちにゲンが目を擦りながら、頬を膨らませて呻り始めた。
「う~、だって、千空ちゃんが悪いんじゃない!」
「はぁ?」
ああ、話がまた蒸し返った。
やはり大人しくうたたね状態のままで引き取ってもらえば良かった。面倒くささを覚悟して俺は目をつぶった。耳を塞ぐことは失礼で出来ないが、視界に入れないことは出来る。念ずれば聞こえない……かもしれない。
「俺、知ってるんだからね! 使いかけの女性用のデリケートケア商品が家に置いてあるの見たんだから! 俺だって飲まなきゃやってられないよ!」
市販薬ってそういう類だったのか。司は人よりも一回り以上大きな右手で自分の顔を覆った。それはゲンも荒れてしまうだろう。髪の毛よりも残り香よりも見つけたくない。
「浮気するにしてもちゃんとうまく見つからないのが恋人への最低限の配慮だと思うんだよね! 俺は!」
いや、ゲン。浮気はダメだよ。うん。それを許すような付き合い方なのかい? 君たちは。本日二回目のセリフだけど千空は浮気したのかい?
「使いかけ……デリケート……、~~~~っ! そりゃ、俺のだよ! くそっ」
「え?」
思わぬことを聞いたのかゲンの目が丸く点になる。顔芸が豊かな男だと思っていたがまだまだ俺にも知らないバリエーションがあったのか。
ガシガシと千空は前髪の生え際を掻きむしる。いつも見ない様子から苛立ちと焦りと戸惑いが垣間見える。
「だから、俺が使ってんだ」
「どういうこと。千空ちゃんの? え? 何で男性用品じゃなくて女性用?」
「メンズはあれもこれもメントールの刺激が強すぎるし、ミストの方が使いやすい」
そうなんだ。確かにそういえば男性向けはやたらさっぱりだとかすっきりだとか爽快感を売りにしている。前に千空は漆にかぶれたと言ってたな。敏感肌はメントールも辛いのか。
「じ、じゃあ、何で俺に隠してたの~」
「テメーが何も症状みたいなの言わなかったから、こりゃ蒸れだなと判断した。そんなのいちいち恥ずかしくて言えるかよ! うっかり真菌にステロイド塗ると悪化するからな。含まれていない市販品買ってみたってわけだ」
「そ、そうなんだ」
痒みがあるときは薬を慎重に選ぶ必要があるんだね。うん。明日使えない無駄知識をどうもありがとう。もしかしたら長い人生の中で知っていて良かったと思う日が来るかもしれないけれど。
司は聞いていて頭がだんだん痛くなり始めるのが分かった。二人とも大事な友人には間違いないが、俺は何を聞かされているんだろう。君たちの夜の営みなんて俺は爪の先ほども興味がないよ。
「大体、マウント取りたいならブラかパンツ置いていくだろ? 薬置いていく女なんているか?」
「そっかぁ……メンゴー、千空ちゃん」
先ほどから自分の知らない世界が広がり続けている。居た堪れなくなってきた。早く帰りたい。千空でもゲンでもどちらでもいいから俺がここにいる意味がないことに早く気付いて欲しい。どうして千空は女子のマウントの取り方を知ってるんだい? あとゲンも反応はそれでいいのかい? 俺は耳を塞ぎたいよ。
「あ~、安心したらなんだか眠くなってきちゃた」
こっくりこっくり船を漕ぎ出すゲンを千空が細い体で支える。男とは言え、力のない千空にゲンの身体を支えるのは至難の業でよろめきながら困った顔で俺を見上げてきた。
「っと、司、何か色々世話かけまくったところで悪んだが、こいつをベッドまでお願いできねえか?」
俺じゃ無理なんだ、苦笑いして頼む千空に俺は頷いて、「寝室に俺は入れないから」と悪酔いした友人をソファーまで運んでやった。
後日、獅子王司のもとにとても分厚いお詫びの手紙と飲み代&タクシー代+αのギフト券と高級プロテインと高級ステーキセットとワインが届けられた。手紙の半分には千空直筆で科学的に証明されたアスリートに良い食材とレシピが長々と綴られ、もう半分にはゲンからの詫びが延々と書かれている。
なんやかんやと丸く収まった友人たちの喧嘩を俺はいつの日か思い出して懐かしく思えるだろうか。結婚式に呼ばれた時は少しくらいネタにしても許されるかもしれない。
ふふっと笑って冷蔵庫にいただいた生ものを詰め込む。今日の夜、ご馳走を前に喜ぶ妹の顔と茶化されて顔を赤くする友人たちの顔を想像して司は笑った。
<END>
支部にて2021年6月16日に初出
デリケートゾーンに効く薬、虫刺されにも使用できて綺麗に治るそうです(とってもどうでもいい話)