君の言葉は蜜より甘い バレンタインデーにチョコ贈ることを提案したやつ出て来い。布教させたやつしばく。なんなら好きな男にやる日、なんて広めたやつもだ。
「クッソ、重ぇ」
肩が根元からミシミシ言う幻聴が聞こえる。ミジンコパワー舐めんなよ。筋繊維がぶちぶち切れていく感覚さえする。明日には確実に筋肉痛間違いなしってわけだ。ふざけんな。
二月十四日バレンタインデー。
両手に下げたパンパンに膨らんだ袋の中身は全てチョコ。チョコが原因で筋肉痛。後になれば笑いのネタくらいにはなるだろう。これらが全部自分に宛てられたものならまだ諦めも尽くし、拒否も出来た。
『あさぎりさんに渡して』、そう押し付けられたチョコが8割で残りの2割が渡してくれるお礼の義理チョコだ。計算が合わないのは数名一組のグループの女子の人数分、ゲンにはチョコがあるが俺へのお礼は同じ数名分が一つにまとまったチョコだからだ。
どれだけ便利屋扱いなのか。断れば良かったのだ、俺は運び屋ではないと。だが、同時にこの日だけは女という生き物がどんなに面倒で怖い生き物かを俺は知っている。普段の日なら突っぱねても平気なのだが、今日だけは無理だった。
「ゲンのやつ、覚えてやがれ。俺が筋肉痛になったらマッサージさせてやるからな」
芸能人を恋人に持つ身は辛い。辛いが、チョコを渡してくる人間たちはゲンが俺のだと知らない。もちろん、言えるわけがない。
つく前に連絡をしていたからか、インターホンを押してすぐにドアが開いた。
「千空ちゃん、いらっしゃい……って、うわっ、ゴイスーな量だね。それ全部チョコ?」
テメー、去年もそんな反応しただろ。学習しやがれ。
驚くゲンを俺は冷ややかに眺めた。
「ああ、ほぼテメーのだ」
いつもなら正確な数を言うのだが、途中から数えるのも嫌になってやめた。ゲンを好きな女の数なんて数えたくはない。
「おわびというのもなんだけど、俺、千空ちゃんが来るからってドーナツ買ってあるの。一緒に食べない? それともチョコが良かったな? メンゴ―、今日はドーナツしかない」
「あ˝―、ドーナツでいいぞ。それよりこれ、ここに置いとく」
こいつのことだから高級チョコでも買っているかもと思った。
去年までは友人だったが、今年は恋人に格上げした。だから、ちょっとだけ期待していたし、恐らくゲンもだと思う。玄関先にチョコの袋を放置したまま、俺は靴を脱ぐ。
女達よ、貢物を運んでやっただけありがたいと思え。ただし、この先は連れて行ってやらねぇ。俺だけの場所だ。
「飲み物はコーヒー? 紅茶?」
「コーヒーで」
そういや、去年もドーナツを一緒に食っていた気がする。もしかするとゲンはドーナツが好きなのだろうか。だとしたら、俺も張り切っておかしなことを試みなければ良かった。
二月十三日、俺はキッチンで戦っていた。カカオ豆からチョコを作る。それくらいのクラフトをしたい気持ちを抑えて、慣れない料理に挑んだのだ。
溶かしたものを固める。手順はこれだけだった。これだけだったのだ。
「ククク、俺はパティシェでもショコラティェでもねぇ。科学好きの男子高校生だ」
悪戦苦闘した結果、菓子職人と同じ人間の手なのに湯せん時にはお湯が入り、火加減の調整に悩み、最終的に俺の前にはぼそぼそとしたチョコと焦げたチョコしか出来上がらなかった。
チョコの融解温度やテンパリングの最適温を知っていたとしてもそれは知識で手は動かない。脳から手が生えていれば良かったのだろうが、途中経由のニューロンの伝達に問題があるのだろう。
「買った方がマシだったな」
潔く料理の下手さを認めたまでは良かった。それからどこかで市販品を調達する算段もまぁ悪くなかった。ただ、今日という日とゲンの人気を甘く見ていた。
あまりの荷物の量に、店に寄るのを忘れてしまったのだ。
何でこいつがモテるのか、いやでも確かにカッコいいし、イイ男だからモテるのはわかるが。ゲンの魅力が認められるのは嬉しいが正直誰にも気付いて欲しくない。複雑だ。
手を差し込んだポケットの中。指先にかさりと小さな袋が触れた。
「あ˝―、悪ぃがゲン、オレは今飴しか持ってねぇ」
しかも、昨日エナドリを買ったときにドラッグストアでもらった試供品の花粉症対策キャンディ。特別感ゼロ。
渡せるものが他にないのだから仕方ない。俺は手のひらにそれをのせてゲンの前に突き出した。黄色い小さな袋に入った飴玉をゲンがまじまじと見つめる。
「へぇ、飴いいね。それ俺にくれる?」
「飴好きだったのか? チョコは間に合わねえがべっこう飴くれぇなら砂糖と水があれば作れんぞ」
チョコは大変だったが、べっこう飴くらいは時々部室でも作っている。
「嬉しいな、千空ちゃんの手作り。あ、でも同じ材料なのに砂糖と水って飴になったりカラメルになったりして違うの何でなの?」
以前、ゲンが好きだというのでコーラーを手作りしてやった。材料を見て驚きはしたが味が良かったそうで、時々作ってやっている。
「唆る質問じゃねぇか。それはだな、温度の違いだ。色が濃くなるほど高い温度で加熱する」
バリスタからマグカップが運ばれてくる。ふわりと上がった湯気を一吹きすれば香ばしさが散らばった。分厚い陶器のマグカップとソーサー。スティックシュガーがないのは今日のお菓子が甘いからだろう。
運ばれてきたドーナツの種類にゲンが俺の好みを覚えていてくれたことを知る。
かぶりつこうと手を伸ばしたところにフォークが用意されていた。目の前に座ったゲンをみると同じようにフォークを準備していて、ドーナツの輪を切っている。
真似て一口大に切り取って口に運ぶ。
「ドーナツ、あなたのことが大好き」
「?」
食べようとして、ゲンの言葉を邪魔した。わけがわからないまま、フォークを持ったまま呆然とする。カフェテーブルの向かいからゲンの手が迫ってきてフォークを奪い取られたかと思うと、口元にドーナツが運ばれてきた。言葉かけもなしにされたので俺も何も言わずに口に納める。
「お菓子言葉だよ。ちなみに飴は長く続く愛」
「ほーん」
口中でもぐもぐとドーナツを噛みしめながら、そんな女子の好きそうな話をしだした男を見つめる。
俺にとっては星座占いも血液型占いも科学的根拠が薄いしろものだ。言い出しっぺのくくりに乗っかって自分の性格を当てはめれば、大概の占いは当たるし外れる。出てきた結果の良い部分だけを信じる者だけが救われるだろう。要は気の持ちようである。そう言えばゲンだって同調圧力で輪から外れたくない心理で同じ方向を向くと言っていたのに菓子言葉とやらは別なのか。
まぁ、占いじゃねぇし、意味は悪くねぇな。
別に何とも思わない振りでやり過ごす。
「千空ちゃん、ホワイトデーはチョコをお返しするね」
頬杖をついたゲンがやわらかく笑む。
「ククク、その菓子言葉は?」
訊ねてからコーヒーを一口含む。
口腔内に残っていた甘さが苦味の中に溶け込んで消えていく。コーヒーを飲み込みながら、俺はゲンのゆっくりと開いた口から期待通りの答えが返ってくるのを待った。
<END>
・チョコレートのお菓子言葉は「あなたと同じ気持ち」だそうです。
・占いは嫌いではないです。
支部にて2022年2月14日に初出