石神家の双子の弟はママ神と呼ばれています昼休みが始まってすぐ、教室の出入り口を見たら目つきの悪い男と視線が合った。
「おい、千空。忘れ物だ」
なんの遠慮もなく入ってきた不愛想な男は俺の席までくると緑色の布包みを渡してきた。
黒髪に緑色の瞳。目立った造形の違いはそれだけの俺の双子の弟、黒だ。
「……わざわざ届けに来たのかよ」
それは紛れもなく俺が朝忘れていった弁当である。少食だからと黒よりも一回り小さいサイズにしてある。
「何だよ、せっかく持ってきてやったっつーのに」
礼より先に不満を言う俺に黒も文句で返してきた。
感謝を感じていないわけではないが、ちらちらと伺ってくるクラスメイトの視線が煩わしくて弟に伝える余裕がない。こんな人目がある場所でなければ素直に「助かったわ」くらい言ってやれただろうに。
一方の黒は周囲の様子に気が付かないのか、全く気にしていないようだ。その鈍感さが羨ましく思う。何もしていないのに弟が来ただけで注目を浴びている俺の気持ちなんて当の黒本人にはわからないだろう。
「どうせ部室で喰うから俺が取りに行こうかと……」
黒の行為を否定するわけではない、と周囲に視線を巡らせる。その仕草でようやく黒も気が付いたのか、数回瞬きをすると口元が上がる。
「ついでにさっき授業で焼いたからやる」
俺が都合を言い終わる前に机の上にクッキングシートに包んだだけの菓子を置くと黒は「自信作だぜ、お兄ちゃん」とニヤリと笑った。
渡すだけ渡すと、用件はそれだけだったようで「じゃあな」と踵を返して去って離れていく後ろ姿を目で追う。その視線を切って女子が乱入してくる。
置かれた机の上で自然に広がった紙の中から星やハートの形をした型抜きクッキーが覗き見えた。
「いいな石神~、一つもらうね~」
言葉と共に横から白い手が伸びてきた。
ふわりと甘い香りが鼻を掠めて指に挟まれたクッキーが通り過ぎていく。その指を視線で追うと、女子の口元に辿り着いてパクリと一口で焼き菓子が消えていった。
「あ゙ぁ? テメーらもクッキーぐらい作れんだろ? 男の作ったクッキーがそんなにいいのかよ?」
「あ、いらないの? じゃあ、私もちょうだい」
「ズルい、私も」
「石神が要らないなら全部もらうからちょうだい」
一人、また一人と手が伸びてきて、あっという間にクッキーが残り二つになったところで俺は慌てて包み直す。
「ぁ? 誰がやるか! これは俺のだ!」
苦情を言いながら断りもなく奪われていったクッキーの行き先を恨めしく睨む。もぐもぐと咀嚼しながら女子達の目が輝き、「美味しい、美味しい」と頬を抑えている。何かの宗教だろうか、全員同じ顔と動きをしている。
残ったクッキーを一つ口に放り込む。確かに弟の作ったクッキーは美味い。
俺にはラップやクッキングシートアルミホイルにくるまれたままだが、人に贈るときにはラッピングも凝っているようだ。飾りつけも家では皿に乗せただけだが、調理実習では「見た目が大事だ」と彩りの配置、バランス、高さを考えていると教師が呻っていた。
食器乾燥機に食器用洗剤入れてあわあわもこもこにするようなやつだぞ。知ってんのかよ、テメーら。いや、知らないだろうな。
あんなガサツなやつなのに料理の才能はあったらしい。
俺が黒のクッキーを出し惜しみしているとでも思ったのか、一人の女子が拳を握って興奮気味に身を乗り出してきた。
「黒君の料理を何の苦労もなく食べれている石神兄にはその貴重さがわからないのよ。いい? 予約三か月待ちなんだからね! ちなみに手作りお弁当の予約は半年先まで埋まってます!」
ああ、なるほど。どうりで黒が毎日メモを見ながらおかずの量を確認しながら作っていたわけだ。毎日弁当箱を変えて肉や野菜、ご飯の量を変化させた弁当を用意していた理由がここで合点がいった。しかし……。
「三か月待ちって……」
そんなに人気があるとは思わなかった。思わず、渡された弁当を見てしまう。俺は別に頼んでいないが黒は毎日自分の弁当のついでだと弁当を作って渡してくる。この弁当が三か月待ちだなんていきなり告げられた言葉が信じられない。
「なぁに? 兄神はママ神のお弁当いらないの? じゃあ、私がもらってあげるよ」
伸びてきた手が触れる前に慌てて弁当を引っ込める。
「いらないなんて言ってねぇだろうが! 大体何だ? 『兄神』やら『ママ神』やら。俺たちの姓は『石神』で二人とも人間だ。呼び方を考えろ」
「ちょっともじっただけじゃない」
「そうよ、それに黒君は本当に『ママ神』なんだから」
「ぁ?」
俺の反論にひるむことなく女子たちは口々に主張を始める。
「黒君はねぇ、言ってしまえば調理部に咲く一輪の薔薇みたいな存在なのよ。棘はあるんだけど気品もあるっていうか……」
「ほーん、そんじゃあ髪の色も名前も黒だから黒薔薇だな」
小指で耳をかきながら女たちのときめきに時間を割いてやる。
全く目の前に同じ顔がいるのに良くそこまで褒めれるな。想像するのは勝手だが実際を知らな過ぎんだろ。ああ、知らないからこそここまで都合よく理想を詰め込んで盛れるんだな。
あいつ、小さい頃は相当ビビりで夜中に一人でトイレにも行けなかったんだぞ。夜中に何度起こされたことか。グスグスと泣いて駄々を捏ねて俺を起こして。その度にあくびをかみ殺しながら黒の手を引いて歩いて数メートルのトイレまで連れて行ってやった。
呆れる俺をよそに女子たちの話は途切れることはない。
「見た目は不良だし口も悪いけど、ギャップがいいのよ! ギャップ! 一見乱暴そうな感じなのに粉ふるいは綺麗だし、買い出しの時は重い荷物運んでくれて紳士なの! 細かい作業も得意で~、クリスマスケーキで作ったマジパンのサンタの可愛さなんて伝説なんだから! 男子だけあってホイッパー持つ手は力強くて~」
何かの寸劇を観ているようだ。女子たちが身をくねらせて語りだす。熱でもあるのではというくらい頬も赤い。全員で何か変なものでも喰ったんじゃないのか、そのくらいには周囲が見えていない。
「確かに! 目つきが悪いからかちょっと怖い印象なんだけど、時折見せる憂いを帯びたような影が堪らないのよ。石神兄にはわかんないだろうけど」
一ミリもわからないし、わからなくても困らない。
「そうそう、いつも言葉悪い黒君の憂いを帯びた顔。あの伏せがちな睫毛いいよね~。今日何か悲しいことあったのかなって思うよね~」
憂いを帯びた黒?
ああ、そりゃ多分、トイレ用のハイターを塩素系と酸性と両方買ってきて、同時に両方使おうとして俺に烈火の如く叱られた次の日のことだろうな。もしくは詰め替え用としたアルカリ性の洗剤を余ったからとアルミの缶に入れようとした日か? それとも俺の白衣を色物と一緒に洗って染めた日か?
料理以外ポンコツ過ぎて思い当たることが多すぎる。
「口は悪いけど、根はやさしくて。不良なんだけど怖いっていうよりも凛々しいって言った方がいいのかな?」
「そうそう、例えば木の上から降りれなくなった猫をそっと降ろしてやるみたいな」
猫を降ろした話は知らねぇが、黒がロープで出来たジャングルジムみたいな遊具から降りれなくなった話なら知っている。あの時は一番上でべそかいていたのを俺が誘導して降ろしてやったな。
呆れている俺を感心しているとでも勘違いしたのか、女子の勢いは止まらない。あるものは首を縦に振り、またあるものはハンカチを出してそっと目尻を拭いている。いや、これのどこに感動して泣く要素含まれてんだ? 頭おかしいだろ。病院に行けよ。
「悪ぃな、俺そろそろ自分の飯を食ってもいいか?」
この場にいるのは非合理的だと判断し、俺は女子たちの逆方向から逃げ出した。さっきの女子の感じだとおかずを平気で横取りしそうだし、あの調子では俺が飯を食っている間も弁当のおかずをチェックしてあれこれ言ってきそうだ。
どうして今日に限ってわざわざ教室まで持ってきたのだろうか。俺から取りに行ったり、いつも食べている部室に持ってきてくれれば良かったものを。自分の料理が人気があるのだということを俺に知らしめたかったのだろうか。
しかし、いつのまにあんなたくさんの女を味方につけたんだ、うちの愚弟は。思い出してみて、そういや女子には優しかったなとも気付く。
小学校に上がる前、大人しかった黒はお人形遊びもママゴトも誘われても嫌な顔一つせず女子と一緒に遊んでいた。一方の俺は砂場で作った山にどんなふうに穴を掘れば崩れにくいのか、どこまで大きな穴を開けることが出来るのかなどを調べまくる。服が泥だらけの俺と綺麗な黒。帰宅するとその差にいつも百夜がびっくりしていた。
ままごと遊びが男子にからかわれたときは「好きなものが好きで悪いの」と泣いて怒って帰ってきた。そんな帰ってきた黒に「多様性」という言葉の武器を与えたところ、意味がわからないと頭の悪いバカに逆切れされたらしい。ただそれからしばらくは平和だった。
ある日、珍しく黒が泥だらけになって泣きながら帰ってきた。
一目見てただ事でないと察した百夜に連れられて病院に行ったその日の夜、相手の親が突撃してきた。
走行中の蒸気機関車のように冷めることなく怒鳴り散らす悪ガキの親によれば黒が悪ガキと戦って怪我をさせたらしい。ギャーギャーと隙間なくぎっちりと「うちの子が、うちの子が」と黒への怒りを繰り返すババアの話に圧された百夜が低頭平身で謝るのかと思いきや淡々と聞いた上で、「うちの子も怪我をしています」と切り返していた。剣幕をあげる相手に同じ熱量で返すのでなく、怒りに呑まれずただただ事実を述べていく。
対応に良し悪しあるのだろうが百夜もまた、静かに怒っていたのだろう。子供ながらに耳を欹てて聞こえてきたのは「黒もまた怪我をしている」、「おたくの家の子にもケンカの原因がある」という黒を守る言葉。
一波乱ありそうだったがなんとか話は終わり、百夜はどっと疲れた顔をしていたが何も言わず黒の頭を撫でていた。後から「どうしたんだ」と訊いた俺に「別に」とだけ黒は返事をした。ずいぶん後に分かった話では一緒に遊んでいた女の子の大事なおもちゃを悪ガキが壊したことから始まったケンカ。謝罪を求める黒と悪ガキが取っ組み合いになり、悪ガキが女の子にぶつかって女の子が側溝に落ちかけたのを黒が庇って落ちたという事実。
聞いた瞬間もっと早くに教えればと憤慨する俺に「終わったことだ。百夜が俺たちの親で良かったな」とケロッとした顔で言うから「次は俺にも言えよ」としか言えなかった。しかし、それ以後からずっと俺に声がかかったことはない。
早めに帰宅した俺は小腹が減っていた。
「おー、千空。今日は早かったな」
リビングのドアを開けるとキッチンに立った黒が半身捻って声をかけてきた。身体に隠れ切れていない作業台の上にはボールや調味料が並べられている。明日の弁当のおかずの仕込みだろうか。トントンとまな板が鳴った後、サーッと材料を移動させる音が聞こえてきた。
「おい、黒」
「んー?」
今度は振り向いてくれない。
「クッキー、美味かった」
「だろ?」
黒は手を止めない。流水音と手を擦りあわせる水の音。俺と喋るよりも調理の方が楽しいらしい。それならば、俺は。
「晩御飯は唐揚げがいい」
それを逆手に取った話題を黒に振る。
「あ゙ぁ? 何だ急に」
女たちからは文句が噴出しそうだが、黒は俺の弟で、家族で、食卓に並べられた料理を食べてはいけない道理などはない。むしろ、俺の特権をテメーら外野が騒いでいるだけだ。家族である俺だけに許された最大限の甘えを発動する。
「ダメか?」
「ククク、いいぜ。材料もあるしな。特別にニンニク醤油、塩、甘辛ダレで三種類作ってやるよ。お兄ちゃん」
ご機嫌そうに黒が答える。滅多にリクエストしない俺がリクエストしたからだろうか。こいつ、本当に料理が好きなんだなと思う。
「そういや、テメーが料理したきっかけって何だ」
気が付けば弟は料理ばかりをしていた。その黒がいつから料理をし始めたのかなんて覚えていない。横から料理を摘まみながら訊ねる。黒は怒ることなく小皿に装って味見分らしい量を俺に手渡してきた。
「何だよ、急に気持ちわりぃ」
「ぁ? 知りたいから聞いたんだよ、悪ぃか」
胡散臭いという感情を溶かした翡翠が俺をじっと見る。知りたいから聞いた、俺にとっては素直な感情だ。じっと色違いの瞳を見つめ返せば、六秒で黒が落ちた。
「~っ、くそっ。テメーがっ……昔卵焼き褒めてくれたから」
そっぽを向くと黒がぼそっと呟く。顔が後ろ向きで後頭部しか見えないが、髪で隠せない耳が赤く茹っている。
卵焼き……言われた単語をもとに記憶を奥底から引っ張り出す。
あれは百夜の帰りが遅くて俺が実験に没頭していた日。黒が「俺が作る」と張り切ってエプロンをつけた日があった。学校の家庭科で習ったんだと得意げに言い、キッチンでドタバタ物音を立てていた。匂いはするのに一向に完成の知らせがない。そうこうしているうちに百夜が玄関から飛び込んできた。
出来合いの総菜を並べる百夜の横でこそこそ動く黒を捕まえたら、少し焦げた卵焼きを隠していた。失敗したんだと悔しそうに言う黒から皿を取り上げて食べた香ばしくて甘じょっぱ過ぎる卵焼き。
ああ、やっぱり黒の料理は最初から俺の物じゃないか。
「なぁ、黒」
「何だ?」
俺と他のやつの弁当には差をつけろよな、言いかけてわざわざ持ってきたクッキーを思い出して「何でもねぇ」と濁す。訝しがる黒の背中に額を押し付けて、「弁当にも入れて欲しい」と言えば静かに黒の頭が上下した。
<END>
・目の色をマラカイト、オリーブ、ウグイス、若葉、抹茶……って緑色で連想しててノリで抹茶色って使わなくて良かったなって思ってます。
支部にて2022年3月11日に初出