フォーマル子ウニネタ 「センセイ、これ苦しい」
ユーニッドは不機嫌な声音でそう言うと、行儀よく締められたネクタイを緩めようとした。
「駄目だよユーニッドくん、今日だけは我慢して」
ドクターはユーニッドの小さな手を優しく、けれど素早く制止し、ズレたネクタイを直してやる。カジュアルでラフな格好を好むユーニッドに格式張った服を強いるのは心が痛んだが、今回ばかりは仕方がない。
しっかりとアイロンされたワイシャツに、ドクターと同じ生地で作られたネクタイ。センタープレスのハーフパンツにサスペンダーがかけられ、足元はハイソックスに硬いローファー。どれもユーニッドにとって初めて着るものばかりだった。
「なあセンセイ、りっしょくパーティーってなにすんだ?」
つま先を地面にトントンと叩きつけて靴の具合を確かめながら、ユーニッドはつまらなそうに訊ねる。
「うーん、ご飯を食べながら、色々な人と色々な話をする場所……かな?」
「なんだそれ!くだらねーなぁ」
ユーニッドの素直な意見に、ドクターは苦笑を漏らす。正味、内向的なドクターもパーティーという社交場に赴くのは気が進まなかった。
「わたしもそう思う。でもね、今までずっとこういうのを断りすぎて、次行かなかったら街のクラブに連れていくって隊長に脅されてるんだよ」
ドクターがレベッカとクラブで踊っているところを想像して、ユーニッドは思わず吹き出した。この施設でほぼ生活を完結しているドクターにとって、外の激しい音楽はさぞ刺激的だろう。
「へへへ、そっちの方がおもしれえんじゃねえか?センセイ、サボってみろよ」
「そういう訳にはいかない。それに、今回のパーティーは君をわたしの家族として紹介するいい機会でもあるからね」
家族。ドクターの口から(首から上はないが)家族という言葉を聞いて、ユーニッドの心はなんだかくすぐったいような、むずがゆいような気持ちになった。その不思議な気持ちを隠すため、ドクターの腕へパンチする。ドクターは大げさに痛がるふりをして笑い声をあげた。
「……なあ、キャベツのサラダあるかな」
「きっとあるよ、ユーニッドくんの大好物がたくさんね」
施設の運動場が小さく見えるほど、パーティー会場は広々としていた。先に到着している知らない大人たちがウェルカムドリンクを飲みながら談笑していて、ユーニッドはなんだか居心地が悪くなる。そんな彼の心情を察して、ドクターはその幼い手と自身の手を優しく繋いでやった。
「大丈夫、わたしの傍にいれば怖くない」
「……うん」
不安の色を滲ませていたユーニッドは、こくりと頷くと少しばかり安心したようだった。温もりを確かめるように、何度もドクターの手を握り直す。
ふとドクターが料理の並ぶテーブルを見やると、サラダのコーナーが見えた。ユーニッドの好きなキャベツがあるかもしれないと踏んで、屈んで話しかける。
「ユーニッドくん、ほら。サラダがあるよ。キャベツのサラダが並んでるか見に行こう」
そう言うと、ユーニッドは橙色の単眼を期待で満たして首肯した。ドクターをひっぱる形でサラダコーナーに向かうと、キャベツとベーコンのサラダが見える。興奮したユーニッドが「あった!あった!」と小さく叫び、小走りで駆け寄ってサラダの皿を取った。年相応のはしゃぎ方が愛らしく、ドクターは和やかな気分でユーニッドを見つめていた。
「よかったね、ユーニッドくん。ゆっくり食べるんだよ」
「わかってる!へへ、いただきます」
ユーニッドは嬉しそうにフォークを握り、サラダを口へ運ぶ。しゃくしゃくと小気味よい音が鳴るにつれ、彼の目が見開かれ輝いていく。よほど美味しかったのか、フォークを持つ手は止まらなかった。
どうにか幼いユーニッドの不安が解けてよかった、と一安心したドクターは、空腹でもなかったのでウェルカムドリンクに口をつける。上質なワインなのだろうが、ドクターはあまりアルコールが好きでなかった。身体に悪いと成人を過ぎてからもFORMATに禁止されていたため、あまり美味しさがわからないのだ。
「……ドクター?あのドクターですよね?」
ワインのアルコール味に肩を竦めていると、男女の2人組に声をかけられた。そうです、と頷くと、彼らは途端に饒舌になる。マインドハックに興味があって独学で学んでいること、ドクターに憧れていること、マインドハックの秘訣を知りたいことなどを一気に話され、ドクターは少しばかり面食らった。1つずつ返答していったものの、施設外の人間と話すことは本当に久しぶりで、どう対応したものかと考えあぐねる。
「センセイ?」
その声にハッとして見下ろすと、ユーニッドが不思議そうにドクターを見つめていた。彼を紹介する丁度いい機会だと思い、ドクターはユーニッドの薄い肩に優しく手を置いた。
「紹介が遅れました。息子のユーニッドです」
ほら、挨拶して、とドクターに促され、ユーニッドはぺこりと首だけを下げてお辞儀する。息子と紹介されたのは初めてのことで、なにやら恥ずかしいような気持ちになった。2人は「こんにちは」と微笑みかけたが、すぐにドクターへ視線を移してしまう。
「身寄りのない子を迎えたというのは本当でしたのね。大変ねぇ、躾もされてないでしょうに」
「こんな孤児をお迎えされるとは、天才マインドハッカーともなると懐も深いのですねぇ」
何やら棘のある言い方に、ユーニッドは顔をしかめる。食ってかかろうかと思ったが、ドクターにぐっと肩を掴まれ止められた。ドクターは言い返すこともなく、愛想笑いをしながら適当に話を変えてしまう。
(……なんだよ。おれのこと、家族だって言ってたくせに)
もやもやとした感情が胸の中に広がり、空になった食器を見つめた。サラダなんかで浮かれていた自分に虚しくなって、ユーニッドは肩に置かれていたドクターの手を振り払う。ドクターが何か言っていたが、聞きもせずにユーニッドは会場の奥へ走っていった。
履きなれないローファーで、足が痛い。ネクタイも苦しいし、このカッチリしたズボンじゃ上手く走れない。センセイは構ってくれないし、来なきゃよかった、こんなとこ。
皿とフォークを適当な場所において、ユーニッドは拗ねた顔でふらふらと室内を歩き回った。どこもかしこも大人だらけで、大人にしかわからない話をしている。何人か子どもも見かけたが、皆一様に両親と楽しそうに過ごしていてむかっ腹が立っただけだった。
いよいよ足が辛くなってきて、ユーニッドは会場の壁を背にして座り込む。行き交う人達のツヤツヤした靴やきらめくハイヒールを眺め、ぼんやりと時間を潰した。
「あんなところで座るなんて行儀の悪い……」
ひそひそと大人が囁く声が聞こえる。
「どこの子かしら?躾がなってないわね」
そうだ。おれは何もできない孤児のガキだ。
「追い出せばいいのに……スタッフは何をしてるんだ」
勝手にしろよ。どうせおれのことなんか、誰も、好きじゃないんだから。
膝を抱え込み、俯いてユーニッドは心の中でそう言い返した。それでもやっぱり浮かんでくるのはドクターとその温もりで、頭を撫でてくれた、握ってくれた、彼の手を思い出す。
目の奥が熱くなって、視界が潤む。泣きたくなんかないのに、勝手に涙が滲んできた。泣くな、泣くな、泣いたってなんにもならない──
「ユーニッド!!」
今まで聞いたこともない彼の大声に、ユーニッドはぎょっとして顔を上げる。途端、ドクターが跪いてユーニッドを痛いほど抱きしめてきた。
「ユーニッド、ユーニッドくん、ごめんね。あんなことを言われて、嫌だったよね。わたしもすぐ言い返すべきだった。本当にごめんよ」
周囲の人達が口々に何かを言うが、ドクターは全く意に介さずユーニッドを抱擁し続ける。すっかり尖ったトゲを柔らかく撫で、もう片方の手で背中をゆっくり摩ってくれた。
瀬戸際のところで堪えていた涙が、ぼろりと溢れればもう止まらなかった。ユーニッドは嗚咽を上げながらドクターの背に手を回し、ぎゅうと抱き寄せる。
「ッひ、ゔ、うぅ……せん、せぇ、せんせ、んう……ッ」
「うん、ここにいるよ、大丈夫。ごめんね、ユーニッドくん」
冷たくなって靄のかかっていた心が、じんわりと温まり、晴れていくのを感じる。必死で探し回っていたのか、ドクターのスーツや手袋はしっとりと汗で湿っていた。
「あの2人には強く言っておいた。彼はわたしの大切な家族だ、侮辱は許さないって」
「……か、ぞく、おれ、せんせいのかぞくでいていいの?」
おれ、しつけもできてないし、口もわるいし。そう言うと、ドクターは首を振る素振りをする。
「関係ない。わたしは、そんな上辺でなくて、君自身を愛しているんだよ」
愛している。また心がくすぐったくなるような言葉が耳に入ったが、不快ではなかった。むしろ心地よい響きのそれを、もっともっと聞きたいと思った。
「……おれも、せんせいのこと……すきだよ。さっきは……ごめんなさい」
「ユーニッドくんが謝る必要なんてないよ。足も疲れただろう?特別に、抱っこしてあげる」
ドクターはユーニッドの傍で囁くと、ぐっとその身体を抱き上げた。周囲の視線が少し気になったが、久しぶりに抱っこをしてもらえた喜びでそんなものはどうでもよくなってしまう。
「なあせんせい、今日、いっしょにねてもいい?」
「もちろん。遠慮することはないから、いつでもおいで」
ユーニッドは満足気に息をつき、ドクターの肩口に頬を押しつける。そして泣き疲れてやってきた眠気に身を任せ、愛おしい人の温もりを感じながら微睡みに落ちていった。