サンポワンライ 穹サン 期待のハグの日「穹乗客! 欲しいと言っておったジュースを仕入れておいたぞ」
「え、本当?」
ベロブルグでの依頼が終わり、サンポと連れ立って列車に帰ってきた穹へパムがそう声をかける。途端に穹は嬉しそうに顔を明るくして、得意げにする車掌の元へ駆け寄った。
「全く難しいオーダーじゃったぞ! 俺に感謝して飲むんじゃ、わかったな!」
「うん! ありがとう、パム!」
「さぁ、冷蔵庫にしまっておいたから、依頼終わりのご褒美に……うわわっ!」
パムが慌てた声を上げるので、武器の手入れをしていたサンポはさっと振り返る。すると、穹がパムを抱き上げて、ご機嫌で頬擦りまでしているではないか。
「や、やめろ穹! 俺は子どもじゃないと何度言ったらわかるんじゃ!」
「えへへ、だって嬉しくて。パムも1番好きな俺に抱っこされて嬉しいだろ?」
「う、嬉しくなどない! 恥ずかしいだけじゃ! 馬鹿者、離せぇ!」
パムはふくふくとした頬を真っ赤にしてじたばたと暴れ、穹の腕の中から逃れようとする。しかしそれは失敗に終わり、結局満更でもないような顔でその抱擁を受け入れていた。
「はー、パムってふかふかだな。なんだか癒されたよ」
ようやく気が済んだのか、穹はパムを床へ下ろしてやる。小さな車掌は少し乱れた毛並みを丸い手で整えながら、拗ねた様子で鼻を鳴らした。
「ふん! こ、今回は許してやるが、次は許可を取るんじゃぞ! びっくりするではないか」
「はーい、ごめんなさい」
穹とパムの和やかな掛け合いを、サンポは離れたところでじっと眺めている。それから少し何か考える素振りをしつつ、客室車両の方へ入っていった。
翌日。穹が自室で丹恒から借りたアーカイブを読んでいると、誰かの来訪を告げるノックが響いた。
「いるよ、どうぞ」
穹がそう言うが早いか、入ってきたのはサンポだった。いそいそと近づいてくる彼の様子はどこか普段と違っていて、穹は怪訝な顔をする。椅子から立ち上がって彼を出迎えると、サンポはぎこちなく笑った。
「どうしたんだ、サンポ。何かあった?」
「い、いいえ。ええと、その……」
手をわたつかせ、しどろもどろになるサンポは明らかに変だった。いつもなら余裕たっぷりで穹をからかって、騙して、あざとく笑うのがセオリーだ。
「なんだよ、何かやらかしたのか?」
「そ、そんなことは! ただ、き、聞きたいことが……」
「聞きたいこと?」
なんだろう。依頼派遣の報酬についてだろうか。戦利品のマージンについて? そんなことを考えている間、サンポは口をはくはくさせて何かを言おうとしては噤むを繰り返していた。
「……何か、欲しいものは、ありますか」
意を決した様子のサンポが投げかけた問いは、ずいぶん簡単なものだった。肩透かしを食らった気分になった穹は、頬をかいて苦笑する。
「欲しいものかぁ。なんだろうな、案外思いつかないや」
「な、なんでもいいんです。食べ物でも、遺物でも、武器でも、光円錐でも、素材でも、お金でも……!」
あまりに強く食い下がってくるので、穹はたじろいだ。1歩下がると、サンポも1歩近づいてくる。彼の必死な顔が肉薄して、穹の頬がほんのりと上気した。
「そ、そんなに無理しなくていい。なんで急に、俺の欲しいものが知りたくなったんだ? 何か取引がしたいとか?」
「取引……そうです、ある種、取引、です」
サンポは俯き、その表情を隠す。それから深呼吸をして、一息に言葉を紡いだ。
「僕はあなたの欲しいものをなんでも贈ります。今欲しいものがないなら、いつ申し付けてくれても構いません。だから、だから……代わりに……ハグをしてくれませんか」
「……え、ハグ?」
呆気に取られた穹がオウム返しをすると、サンポは下を向いたまま早口で返す。
「昨日、パムさんからジュースをもらって、感謝の印にハグをしていましたね。ですから、欲しいものを……あなたの欲しいものを贈れば、見返りに、ハグをしてもらえると、思って」
そこまで言って、サンポは急に押し黙った。
「え……ええと……」
「……いえ、やっぱりなんでもありません、忘れてください」
「あ、こら! 待て、サンポ!」
脱兎のごとく逃げ出そうとするサンポの腕を掴み、穹は無理やり自分の方を向かせる。すると彼は、いつもでは考えられないくらい情けない表情をしていた。耳の先まで朱色に染めて、余裕そうに上がっているはずの眉を萎れさせ、僅かに唇を引き締めて。
「……は、なしてください。もういいです、いいですから……っ」
「サンポ、ごめんって! 驚いただけだ、嫌じゃないよ」
穹がそう言うと、抵抗していたサンポの身体が強ばる。それから少し潤んだエメラルドの双眸で穹を見つめ、所在なさげに瞬きをした。
「いやじゃ、ない?」
「ああ、それに……お前がしたいなら、ハグなんかいくらでもするから」
サンポの手首から手を離し、穹は両腕を広げて微笑む。
「ほら、おいで」
穹の笑顔を眩しそうに見つめ、サンポは目を泳がせた。いいのだろうか。見返りも代償もないのに、欲を叶えてもらうのは。逡巡は葛藤に変わり、彼は迷子のように答えの行方がわからなくなる。そうして困っている姿を見かねたのか、穹はずんずんと近づいてサンポの身体をぎゅうと抱きしめる。
「っあ、穹さん」
「はは、サンポがハグしてほしいなんて思わなかった。減るものでもないし、好きなだけしていいよ」
身体に感じる、穹の温もり。首筋に当たる、彼の呼吸。背中に回された腕の感覚。その全てが嘘のようで、夢のようで、サンポは一瞬惚けてしまった。
「お前も、ほら」
穹にとんとんと背中を叩かれ、半ば虚ろなまま彼の背へ手を回す。少年と青年の合間にいる彼の身体はまだ少し小さく、ぽかぽかと子犬のように温かい。
「……あったかいですね、穹さんは」
「そうか? あんまり自分ではわからないな」
愛おしい。そう思ってしまった。大切なものなど作らない方が、幸せになれると思っていたのに。優しく、素直で、頑固で、愚かな穹が、好きだ。共に、生きていきたいと思った。
「……ごめんなさい、もう少し、もう少しだけ」
なんだか涙が零れそうになって、サンポの声は震えてしまう。それに気づいているのかいないのか、穹は静かに頷いただけだった。