台風でカタリナをしまうジオルド ぬかるんだ土をものともせず、愛しい妻は城の裏手へ駆けていく。
「待ってください、カタリナ! これから嵐が来るのですよ! 危ないから戻ってください!」
「だからこそです、ジオルド様! 支柱の補強をしないと!」
今日は朝から雨が降っていて、真っ黒な雲が不穏な速さで流れていた。窓の外を眺め、落ち着かない様子でソワソワしていたカタリナは、嵐の前の静けさでほんのわずか雨が止んだ隙に、ドレスのまま外に飛び出してしまったのだ。
やっとのことで追いつき、後ろから抱きしめたところで頬にぽつ、と大粒の雫が落ちる。
「ほら、降ってきた! カタリナ、部屋に戻りますよ」
「でも私のそら豆が……」
「気持ちは分かりますが、君の安全が第一です。それに、この前一緒に支柱を立てたばかりじゃないですか。きっと大丈夫ですよ、カタリナの野菜を信じましょう」
不安そうに畑の方を見遣るカタリナを抱き上げ、元来た道を戻る。
そうこうしているうちに雨脚は強まり、ぐっしょりと濡れた二人は呆れ顔のアンによって、浴室に放り込まれてしまった。
それからのカタリナは至れり尽くせりだった。
ジオルドによって頭から爪先まで丁寧に洗われ――いたずらな手がたまに怪しい動きをしていたが――カタリナの好きな香油を垂らした浴槽で後ろからすっぽりと抱きしめられ、彼女の肩が冷えないようにと耐えず湯を掬って掛け続けてくれている。
(この人、本当に王族なのよね?)
ジオルドは普段の堂々とした振る舞いから感じられる印象とは違い、意外と尽くすタイプだ。
朝が弱い妻をキスで優しく起こし、「今朝もプライベートルームでとりますから」と自ら朝食を運んできてくれる。楽しそうにスプーンをカタリナの口に運び、もぐもぐと動く唇に目を細め、おやつの時間になれば外国の珍しいお菓子を「はい、あーん」と食べさせてくれ、それぞれの公務が終わって部屋に戻ればカタリナを膝に座らせたまま、今日一日の出来事を楽しそうに聞いてくれる。
(なんだかジオルドって親鳥みたい)
などと思うのは、気まぐれにクッキーやチョコレートを口にくわえ、ほとんどキスをするように与えてくるからだろうか。
ジオルドに憧れる令嬢たちに「どうせすぐに側室を作られますわ」「美人は三日で飽きると言いますけれど、型破りは何日持つかしら?」とすれ違いざまに笑われ、流石にマリッジ・ブルーに陥った結婚前の自分に見せてあげたいくらいだ。
「カタリナ、頬が赤いですね。のぼせる前に出ましょうか」
「わーっ、待ってください! 先に出ますから〜! いいって言うまで目をつぶっててください!」
日々大胆になっていく夫を座らせ、カタリナはそそくさとメイドの待つ脱衣所へ向かう。
後ろからの視線を痛いほど感じるけれど、振り向くのも恥ずかしくて、果たして毎回の約束は守られているのか知らないままだ。
リボンやレースで飾られた愛らしいナイトウェアは、ジオルドの趣味らしい。
膨らんだ袖や、ふんわりと空気を含んだ真っ白な裾は見る度に「いちごケーキの生クリームみたい」と思うのだが、初めてこれを着て現れた新婚初夜でジオルドは「天使が舞い降りたのかと思いました」などと大袈裟なことを言って、明るい青の瞳をとろけさせていた。
プライベートルームのドアを開くと、ジオルドは先に支度を終えて、魔法で暖炉に火を起こしてくれていた。
「カタリナ、おいで」
幼い頃からの習慣となっている敬語がちょっと砕ける時、カタリナの心臓はドクンと高鳴る。
最愛の人に甘えたいジオルドの気持ちの表れで、これから夫婦の触れ合いが始まるのだと無意識にほのめかされているからだ。
それでも、常に完璧を求められるこの人の唯一くつろげる場になれていることが嬉しくて、素直にその胸に収まった。
「髪を乾かしましょうね、カタリナ」
ふわふわのタオルで挟むようにぽんぽんと水分を吸い取り、何度もブラッシングしてくれる。畑仕事に魔法省勤務にと日差しを浴びすぎて傷んだこの髪も、丁寧な夫のおかげで日々艶めきを増している。
「これ以上綺麗になられても困るのですけどね、悪い虫がつくから」などとジオルドは苦笑するが、カタリナは生まれて初めて誰かのために美しくありたいという気持ちが芽生えていた。
「はい、おしまい」
終わりの合図に、つむじにキスが落とされる。
ジオルドに寄りかかり、ぼんやりと大きな窓を見上げると、丸枠に切り取られた景色の向こうで木々が大きく揺れ、灰色の空気に幾筋もの銀の線が迸っている。
ザアザアと地面を叩きつける雨音は、温もりの中にいるとそれほど不安ではないのだ。
「カタリナ、湯冷めしてはいけませんよ」
そう言ってブランケットごとギュッと抱きしめられる。トントンとあやすような手が胸を叩き、心地良さに少し瞼が重くなる。
(ああ、私が畑のことを不安に思っていたから、安心させようと甘やかしてくれているのね)
出会った時から優しかったこの人を、もっと早く破滅フラグのフィルターなしで見れていたら良かったのだけれど、それも自分たちの運命だ。
「カタリナ、ほら。んー」
チョコレートを綺麗な形の唇にくわえ、差し出してくる。
「んーっ」
躊躇いもなく受け取ると、二人の口付けの間でガナッシュがとろけた。
「美味しい?」
「はひ……」
大きな手が何度も頭を撫でる。昔、職場に来たジオルドがこうしてくれて、嬉しかったのを思い出す。
「ジオルド様」
「はい」
「明日、畑が大変なことになっていたら、修復するのを手伝っていただけますか?」
「もちろん。二人でやりましょう」
農業をやる王族なんて聞いたことがない、と目を丸くしていた使用人も、今では畑を耕す第三王子夫婦を微笑ましく見守ってくれている。
それも全部、ジオルドのおかげだ。
この人はいつも、カタリナが好きなものごとカタリナを大きな翼で守ってくれている。
「ジオルド様、大好き」
振り向いて、彼の頬を両手で挟むと、ちゅっ、ちゅっちゅっとまだ甘い香りが残る唇に三回口付けた。
「カ、カタリナ……」
目を見開き、真っ赤になる夫にこちらもつられて頬を染める。唇に三回キスは、二人で決めた「夫婦の触れ合い」の了承の合図だった。
「僕も愛していますよ、可愛いカタリナ」
ブランケットでくるまれ、優しく持ち上げられる。手つきが幼子に対するそれのようで、この人はいいお父様になるわ、と自然と思える。
ベッドに下ろされ、隣にジオルドが横になると、近くなった視線にどちらともなくふふっと微笑んだ。
「小さい頃、嵐の夜はこうやって布団に潜り込んでたんです」
頭まで持ち上げて、ふんわりと被せる。
薄闇の空間で、穏やかな青がカタリナを見つめていた。
「怖いから?」
「いいえ、秘密基地みたいで楽しくって」
ジオルドもそれにならい、深く潜り込む。それから小さく笑って顔を寄せた。
「本当だ。雨音がくぐもって、なんだか楽しいですね」
子供みたいな遊びでも、一緒に楽しんでくれるこの人だから、明日からも手を繋いで共に歩んでいけるのだろう。
ゆっくりと指を絡め合わせる。始まりのキスをカタリナからすれば、ジオルドはあどけない笑みを弾けさせ、受け入れるように目をつぶった。