たとえあなたが《プロローグ》 ❖ プロローグ ❖
アカデミーの教室では、班に分かれた生徒たちがわいわいと話し合っていた。授業中だというのに、和やかで楽しそうな雰囲気で溢れている。
イルカは教室の中を歩き回って、生徒たちの様子を見ていた。声を掛けたり、質問に答えたり、時にはイルカから問題を出してみたり、生徒たちと一緒に授業を進めていく。
この日の教室には、様々な忍具が教材として集められていた。武器や巻物、動物なども忍具として用意されている。動物は、変わり身の術に使われることの多いウサギやネズミ、ヘビなどだった。逃げると大変なので、それぞれケージに入れられている。
生徒たちは班に分かれ、忍具を実際に手に取っては形状を観察したり、特徴や使い方を話し合っている。動物がいることもあり、生徒たちは普段よりも賑やかだった。
生徒たちの様子を見ながら机の間の通路を歩いていたイルカは、やがて教室の後方に差し掛かった。教室の席は階段状になっていて、後ろからだと生徒たちをよく見渡せる。
一番後ろの席にいた男の子が、表紙がやや色あせた紫色の巻物を手にしていた。教材は何代にも渡って大切に使われてきた物が多く、古くても手入れはよく行き届いていた。
男の子は同じ長机に並んで座っている子たちと、巻物の有効的な使用法について話し合っている。紐を解いて広げられた巻物には、黒々とした墨で術式が書かれていた。
こういった巻物には術が封印されていて、チャクラを流すことでその術を誰でも簡単に使える仕組みになっている。術式さえきちんとしていれば、複雑な術を組み込むことも可能だった。ただ、今回持ってきた巻物は教材用のため、術は発動しないようになっていた……はずだった。
教室の一番後ろに立っていたイルカは、急に僅かな違和感を覚えた。すぐ側の机に広げられている巻物から、気味の悪い気配がしたのだ。言葉にはできない違和感だった。気のせいと思えば、それで済んでしまうくらいの。
ところが、それはすぐに気のせいではなくなった。
イルカは、術が発動する瞬間の、空気が圧縮される感覚を肌で感じた。瞬間的に空間が縮むような、不思議な感覚。頭の奥で耳鳴りがした。
イルカは咄嗟に側の男の子へと腕を伸ばしていた。巻物を取り上げて、素早く教室の隅へ投げ捨てる。窓際の最後列は誰も座っていなかった。
「全員伏せろ!」
イルカは声を張り上げた。賑やかな教室に、イルカの声はよく通った。
教室にいるのはまだ小さな子どもとはいえ、忍者の教育を受けている生徒たちだ。みなイルカの声に反応し、すぐに身を屈めた。多くの生徒は机の下に潜って頭を低くした。
イルカは瞬時に教室を見渡して、生徒たちの様子を確認した。みな、ちゃんと頭を下げている。ただイルカの目の前にいる男の子だけが、反応が遅れた。なにが起こったのか理解できずに、いや、理解しようとして、視線が放り投げられた巻物を追っている。
窓の外へ投げればよかった、とイルカは思った。でもそんな余裕は無かったし、教室の中のどこへ投げても生徒が巻き込まれる可能性がある。それなら、自分がすぐに庇える場所がいい。
カカシならどうしただろうか、という考えが頭を過ぎった。
イルカは男の子を胸に抱き寄せ、投げ捨てた巻物に背を向けた。が、少し遅かった。
一瞬の閃光が走る。
生徒は庇ったものの、イルカの目を強い光が貫いた。視界が真っ白になり、頭の奥にまで届くような鋭い光がイルカを襲う。
光は一瞬だけで、教室はいつも通りに戻ったように見えた。静けさの中、イルカの指示で身を屈めていた生徒たちが、一人また一人と机の下から顔を出し、一体何が起こったのかと様子を窺う。
放り投げられた巻物は、墨で書かれた文字が焼け焦げていた。焦げ臭いにおいが充満している。
「イルカ先生!」
教室の後方で生徒が悲痛な声を上げた。その近くで別の生徒が泣き出す。ざわざわと、生徒たちの間に不安と恐怖が広がっていく。
イルカが、その場に倒れていた。