木ノ葉隠れの里がすっかり春を迎えて、ひと際のんびりと午前が過ぎたある日。シカマルは自分の席で昼食を簡単に済ませると、家から持って来た折りたたみ式の簡易な将棋盤セットを持って火影室へと向かった。
六代目火影であるカカシは、予定が無ければ大抵昼は火影室に居た。外に昼食を食べに行くにもこの時間だとどこも混むので、いつも時間をずらしている。
今日は予定も無ければ溜まっている仕事も無かった。それは朝の時点で確認済みだ。時間が空くとなにかとアカデミーの視察に行きたがるが、そのアカデミーも今は春休みで休校中であり、カカシと特別親しいイルカも今日は新米下忍の説明会で忙しい。
つまり、今日カカシは暇をしている。ついでに自分も今日は時間がある。良い機会だとシカマルは思った。
シカマルの席がある事務室から廊下に出て、すぐ隣が火影室だった。扉の前に立って部屋の中の気配を伺ってから軽く扉を叩く。すぐに部屋の中からカカシの声が聞こえた。
扉を開けると、カカシは席に座って新聞を読んでいた。
「六代目、ちょっといいすか?」
「どーしたの?」
カカシはシカマルにちらりと視線を向けただけで、またすぐ新聞を見る。シカマルは手に持った折りたたみ式の将棋盤を体の後ろに隠していた。
「お昼ご飯のお誘い?」
「あー、いえ。オレもう食べちゃったんで……。六代目、今時間ありますよね?」
シカマルがそう言うと、カカシはうんともハイとも答えず、よくわからない返事をした。あわよくばのらくら躱そうと思っていることは分かっているので、シカマルは構わず話を続けた。
「オレと手合せしてくれませんか?」
シカマルの唐突な申し出に、カカシが吃驚した様子で顔を上げた。
「えっ、キミが?」
「なんすか、その反応……手合せって、将棋のですよ」
大体予想した通りの反応が返って来て、シカマルは笑いながら手に持っていた折りたたみ式の将棋盤を見せた。
「なんだ……」
カカシはそう呟いたあとに「いやだね」と続けた。将棋じゃなければ相手をしてくれるかのような言いようだが、きっと将棋じゃなくても答えは同じだっただろう。
「俺、将棋なんてできないよ」
カカシが新聞に目を向けながら答える。その言葉が嘘だということは知っていた。
「昔アスマから教わったことがあるって……イルカ先生から聞きましたよ」
それを聞いたカカシは、面倒くさそうに小さく溜め息を吐いてから新聞を机に置いた。
「アスマの相手をしてたなら、そこそこ出来るってことですよね」
「ルールが分かる程度だよ」
「十分です。相手してください」
「俺と指しても面白くないと思うけど」
カカシはそうやって言うばかりで頷いてはくれなかった。シカマルもそうなるだろうなと思っていたから、ちゃんと打つ手は考えて来てある。
「アカデミーの卒業アルバムって見たくないですか? イルカ先生も載ってますよ」
そっぽを向いていたカカシの目が、急にシカマルを捉えた。普段は何を考えているのか全く分からないカカシの目が、興味があると訴えている。ところがカカシが興味を見せたのは一瞬で、すぐにシカマルからは逸らされた。
「ナルトに見せてもらうからいいよ」
卒業アルバムなんて卒業生はみんな持ってるから、まあそういうことになる。ナルトなら気安く見せてくれるだろう。でもシカマルにはまだ奥の手があった。
「いのとチョウジとオレが、卒業アルバムの制作係だったんですよ。アルバムに載せる写真選んだりとか、もうすっごく面倒くさくて……アルバムには載せなかった写真もいっぱいあって、それ今も取ってあるんすけど、イルカ先生の写真もあった気がするなあ……臨海学校の写真とか……」
ピクリ、とカカシの手元が動いた。シカマルは、もう釣れたと思ってほくそ笑んだ。カカシはシカマルをじっと見て、諦めたように息を吐いた。
「キミさあ……ほんと良い度胸してるね」
「どうも」
シカマルは口元に笑みを作った。
カカシが無言でこっちに来いと示す。シカマルは火影の書斎机に近づくと、そこに持っていた将棋盤セットを置いた。それから窓際に置いてあった丸椅子を持って来て、書斎机の横に置いて腰を掛ける。
折りたたみ式の将棋盤はそれ自体がケースになっていて、開くと中に木箱が二つ入っていた。木箱の中にはオモチャみたいな駒が入っている。駒箱を取り出し、ケースを広げて将棋盤にする。シカマルが盤面に駒を並べ始めると、カカシも駒箱から駒を取って並べていった。
「そんなに俺と将棋指したかったの?」
「それを言うなら、そんなにイルカ先生の写真見たいっすか?」
シカマルが聞き返すと、カカシは真面目な声で「見たいよ」と答えた。イルカ本人に見せてもらえばいいのに、とは思ったが、シカマルはそれ以上突っ込んで聞くのはやめておいた。
「まあ、オレも指したかったですよ。火影様になるような人がどの程度か知りたかったんで」
シカマルが冗談めかして答えると、カカシは可笑しそうに笑った。
「それ、俺の次の火影には言っちゃ駄目だよ」
「言わないっすよ。アイツ理詰めのゲームは全然ダメだから」
携帯用のやや小さな盤面に互いの駒が揃った。先手は火影に譲った。
カカシが指を出して、すっと駒を動かす。シカマルも同様に歩を進めた。
カカシの指し手は早かった。何も考えてないんじゃないのかと思ってしまうほど、自分の番になるとすぐに駒を動かした。でもまったく的外れな手という訳でもなく、シカマルの思惑を理解して指しているようにも見える。
(まあでも序盤だしな……)
シカマルは様子見をしつつ駒の陣形を組み立てていく。一応、相手には分からないように手は抜くつもりだった。
ところが、中盤になってもカカシの指し方は変わらなかった。ほとんど時間を掛けずに駒を指す。今のところ悪手はひとつも無い。この人本当はそこそこどころか、かなり出来るのでは……とシカマルは思い始めた。
「アスマに教わったって本当ですか?」
「ん? ああ……アスマが相手する人がいないからって言ってさ、仕込まれたんだよねえ。待機所とかでたまに指してたよ」
カカシが駒を動かしながら話した。そう言えば上忍待機所には立派な将棋盤が置いてあったなとシカマルは思った。シカマルも最近になって待機所に出入りするようになったが、その将棋盤を使っている人は見たことがなかった。
「あれ三代目が置いてくれたんだよね。アスマは知らなかったかも知れないけど」
カカシはパチリと軽い音を立てて駒を指した。それはアスマがよく使っていた手だった。次の手でシカマルの駒は取られてしまったが、何故か悪い気はしなかった。
「キミ、アスマより強いんだろう。アスマが褒めてたよ」
「ほめ……えっ、アスマがですか?」
「あいつ本人が居ないところだとめちゃくちゃ褒めるよ。本人の前で言えっつーの」
カカシが愚痴るように話す。他人の口から聞く師の話は、なんだか新鮮だった。