絵はつまりこういうことですね?伊黒はガビガビになったシーツを取り除いた。
不服げな視線を相手に注ぎながら。
それを受け取った童磨は、ことりと首を傾げた。
「汚したのはキミだろう?」
「お前のせいでな。誰が洗濯すると思ってるんだ?」
「キミだね」
一縷の疑いもなくそう言ってのける童磨に、今更気恥ずかしさを憶えた伊黒は丸めたシーツを他の寝具もろとも洗濯機に放り込んだ。
それに勢いを得て、この際だと山積みの本にも手を掛ける。居候の女が整理したこともあり、大掃除のハードルが下がってのことであった。
小説、専門書など、大まかに分類しながら大量の書籍を整えていく。童磨はといえば、伊黒が掘り起こしてきた書籍たちを手に取ってはパラパラとめくり、『そういえばこんなのあったね』と気楽を貫いていた。
二時間ほど作業した頃、木製の支柱が顔を出す。
「ここに何か置いていたのか?」
「エーッ、どうだろ。分かんない」
「…………」
さらに作業を進めていくと、しっかりとした造りのデスクが全容を見せた。
「こんなものがあったのか」
「うわーっ! 懐かしい。そういえばあったね」
「お前な……部屋の真ん中にもローテーブルがあるだろ。幾つテーブルを持っているんだ」
「見つからなくなると買っちゃうからね。買うと忘れるから」
童磨は真鍮のライターを親指で弾いて蓋を開く。
キンと金属が擦れる小気味のよい音に次ぎ、点火する音が静かな室内に響いた。伊黒の好きな音。
あてどなく窓の外を見つめ、童磨は煙草を吸う。
「雨が降りそうだね」
「シーツを回収した方がよさそうだ」
「あ、降ってきた」
ガラス窓に雨が粒を作った。
童磨は当然のように伊黒に向き直る。
「お前何もしとらんだろう。取り込んでこい」
「煙草吸ってるよ?」
「じゃあ、誰がやるんだ」
「キミだね」
このやり取りをするだけ時間の無駄であったと、愚かな己に呆れつつ伊黒は部屋を後にする。
取り込んだ洗濯物を全て乾燥機に放り込み、珈琲を二つ手にして戻った。
デスクにマグカップを置く。
先程綺麗にした天板の上には、既に幾つか本が散らばっていた。その中の〈精神分析入門 上巻〉にフと、伊黒の視線が向いた。
「フロイトか」
「そ、心理学の三大巨匠のひとり」
帯には『ひとの機微、その真髄に迫る』と書かれている。
思わず笑いそうになるのを堪え、伊黒はチェアに腰掛けた。
「どうしたの? 何だか楽しそうだね」
「学びというのは、日常的に取り出せるようになって初めて学びというんだ」
「? よく分からないけれど、先生みたいだね」
「先生だからな」
試しに表紙を捲り、流し読みをする。話し言葉で綴られているため思いの外読みやすかった。
童磨はそんな伊黒の横で、デスクにもたれて煙草を吹かしていたが、ツと身体を捻って伊黒を見下ろした。
「伊黒センセーお腹すいちゃった」
外は空が壊れたみたいな雨になっていた。
「だから何だ。珈琲ならここだ、好きに飲め」
「お昼ごはんは?」
「誰が作るんだ」
「それもキミだね」
「………お前はもう極力ひとに関わらずに生きた方がいい。それが社会奉仕だ」
「言葉って鋭利なの知ってる?」
伊黒はそれを無視して、立ち上がった。
昨晩、童磨がワインのお供に買ってきたチーズを使わなければならない。高温で蕩けるタイプのあれだ。童磨に買い物をさせると碌なことがない。
グラタンにするかと、伊黒はひとつ思った。