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    mame_cha_cha_ch

    @mame_cha_cha_ch

    基本おばみつですが、腐っているものもあります。
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    mame_cha_cha_ch

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    ●ギャグテイスト キ学🏫💗
    ●お題箱『なぜうちの🐍さんは体文字をしているのですか?』に対するアンサーです。
    ●最近の関心ぜんぶ詰め

    ##おばみつ
    ##ギャグ

    フフンフ・フン・ゴッホの恋 春はとうに過ぎ去り、校庭のソメイヨシノも桃色に色付いていたことなど嘘のように、緑の葉を旺盛に茂らせている。雨水をたっぷり吸い、梅雨の合間の陽光を浴びて天まで目指すみたいに。しかし伊黒の視界には花霞が確かにある。
     化学部の活動がない放課後、理科室は生徒の喧騒が随分遠いところにある。時折り、運動部の声掛けが聞こえてくるばかりで、それですら静寂を強調するものであった。黒板横の扉を抜けた先にある化学準備室を、伊黒はすっかり私物化して久しい。生物教師の胡蝶もこの部屋を利用する権限は当然あるのだが、伊黒を気遣ってであろう、長居することをしなかった。
     通り掛かっただけで飛び退いてしまったり、冷や汗が止まらなくなったり。相手は自分に何の気もないだろうに自意識過剰も甚だしく、本当に申し訳ないことだと常々感じている。
     伊黒は生まれつき特異な体質を備えていた。『女性アレルギー』である。家族を除き、女性をじっくり視界に入れるのも苦手であったし、乙女らしい香りがするだけで反射的に身が強張った。こればかりは生理的なもので努力によって改善するものでもなかった。根深い苦手意識と、それに比例する不甲斐なさを集積するような半生を過ごしてきた訳である。が───
     ちょうど、コの字型をした校舎の角に位置する化学準備室からは、階下の対角線上にある美術室がよく見通せる。暫く前までは一瞥さえしなかったその場所が、最近では気になって気になって、手元の資料作成にも全く身が入らない。花霞の正体──桃色の髪をした女性。ここからは表情まではっきりと見えない筈なのに、何故か底抜けに明るい笑顔をしているのだと分かる。在校生の美術部員を相手に楽しげに会話する度、桃色の豊かな毛が揺れていた。視界に入って嫌悪感を覚えるどころか、ずっと見ていたいとすら感じるから驚きだ。何が何だか分からない──というのは建前で伊黒はこの感情にきちんと名前を与えていた。

    「初恋ですねェ………」
    「し、不死川!?? なんだ、ノックもせず」
    「したぞ? お前があの嬢ちゃんに夢中で気付かなかっただけェ〜」
    「お、お前こそ。胡蝶ならここにはおらんぞ」
    「別に。そういうんじゃねェよ。体育大会の会場偵察、お前とペアだから。概要まとめた資料届けに来たのォ」

     中高一貫のこの学園では体育大会の規模も相応に大きいものとなり、よって校庭ではなく球技場を貸し切って行うのが恒例だった。例年と同じ球技場で既に予約は押さえてあるのだが、設備変更の有無や、動線の再確認を兼ねて伊黒と不死川が現地に赴く算段となっていた。

    「………そうか。ありがとう」
    「それにしたって、お前がああいうタイプをね〜マァ、高嶺の花って感じだわな」
    「別に。深い関係になりたいなどと思っている訳ではない」
    「ふぅ〜ん?」

     好きな異性の話になれば、エリカ様になってしまうこの男たちは、中三男子くらいの恋愛スキルしか備えていないらしい。
     校内で甘露寺を目撃したその日から、伊黒は遅れてやってきた初恋の中にいる。何故名前を知っているのかというと、すれ違いざま炭治郎が甘露寺先輩!と親しげに声を掛けていたからである。死ねばいいのに。
    『恋人がいるに違いないし、いなかったとして自分を選ぶ筈もない』だとか『見ているだけで幸せだ』エトセトラエトセトラ。見上げてしまうほど堆く(うずたかく)御託を並べては、視界に入る度好きだと再認識させられてしまうのだった。そういうとき、次に来る言葉は決まって『理由がない』であった。芸術家なんてダヴィンチとピカソしか知らない伊黒が、急に美術室を訪ねていく理由もないし、そんなことをしては宇髄に恋心を吐露するようなものである。甘露寺の在学期間中、伊黒はこの学園に赴任していなかったので面識もない。会いに行く理由も接点も、とにもかくにも無いこと尽くしの恋なのだ。

             🥐🥖🥐

     ショーウィンドウ越しに、なびく葉桜色の髪が視線の先を横切った。ア、と思う。

    「甘露寺先輩なら、アオイの定食屋に行くんだと思いますよ」
    「………は?」
    「常連らしいので!」
    「ではなく。何故、俺にそんなことを?」

     炭治郎は慣れた手付きで塩クロワッサンを包装している。学園の道中にある竈門ベーカリーで、炭治郎は長男なので! という気概を顔に貼り付けて店に立っていた。受験補講のため土曜の午前を費やした伊黒であるが、受験生の勉強に対する姿勢は幾分意欲的なので徒労感は少なく済んだ。小テストで赤点を取ったり、見上げた度胸で居眠りをするということもないからチョークやペットポトルロケットが飛び交うこともなかった───炭治郎とは違って。

    「だって、伊黒先生からは恋の匂いがしますし」
    「なっ………!??」

     毎度毎度、体罰にも近い(※体罰です)処遇を受けておきならがら、何故こうも屈託なく話し掛けて来るのだろう。あたかも壁なんてないかのように切り込んでくるから、虚を突かれる思いさえする。炭治郎との会話はキャッチボールというより、ストラックアウトに近い。一方的に投げ込まれる感じだ。恋の匂い、の直球により伊黒の的がぶっ飛んだ。

    「匂いで人の感情が読めるなどと、非科学的なこと俺は信じない」
    「……甘露寺さんのことも、苦手なんですか?」

     炭治郎は『🥺💦』という顔をして、不純物のない視線を伊黒に向けてくる。そんな真っ直ぐな目で見るのは今すぐ止めにして欲しい。調子が狂う。自分が卑屈に映る感覚こそ、伊黒が炭治郎を苦手に思う所以であろう。

    「別に。苦手と感じるほどの接点などないしな」

     言ってて自分でも悲しくなるが、紛うことなき真実なのだから仕方ない。

    「今から行きましょうよ、定食屋に! 接点がなければ、作ればいいじゃないですか。ちょっと待ってて下さいね!」

     伊黒の返事など微塵も待たず、炭治郎はホールに飛び出していった。疾風の如き勢いに、ホールとレジスペースを区切る撥ね戸の蝶番が苦しげな音を立てている。呆気にとられている伊黒を他所に、炭治郎は何かを手に戻ってきた。

    「何の真似だ?」
    「これ、甘露寺先輩の大好物なんです! お代はいただきませんので!」

     言うか早いか炭治郎は何某かのパンをナイロン袋に入れセロテープで封をすると、塩クロワッサンと一緒に袋詰めしてしまう。その行動力たるや目を見張るものがあった。

    「いや、いや……金なら払う」
    「いえ! 大丈夫です! 俺の小遣いから店に還元しておきますので!」
    「生徒に奢られてどうする。ホラ、受け取れ」
    「要りませんったら!」

     ヤバい。レジに並ぶ後方の客から背中に痛いほどの視線を感じる。溜め息の端が自分たちに向いているのが分かる。支払いでの小競り合いほど格好悪いものはないというのに、炭治郎と言ったら一度決めたことは頑として譲らぬ性質らしい。

    「これで接点ができたなら、また買いに来てください! それが対価だと思って!」

     その言葉に伊黒は溜飲を下げ、握り締めていた札を財布にしまった。ここらが潮時と判断してのことである。ありがとうございました〜と炭治郎の明るい声を聞きながら店を後にすると、負けたような、やり込められた気がするが、今はとにかく定食屋に向かうのが最優先である。一雨来そうな空模様にも押され、伊黒は道を急いだ。


    「いらっしゃいませ」

     神崎アオイは、生真面目にエプロンを着せたように店内をキビキビと立ち回っていた。

    「あ、伊黒先生。珍しいですね。お好きな席へどうぞ〜」

     そんな言葉をとりあえず鼓膜で受け止めながら、伊黒は店内に視線を這わす。テーブル席が四つとカウンターがあるばりの店内で、甘露寺を見つけることは造作もないことだった。テーブル席を料理で満載にしている。連れはいないようなので、どうやらこの量をひとりで平らげるらしい。

    「アオイちゃん〜! 今日の天丼もプリップリのじゅわわわ〜で最っ高よ!」
    「良かったです」
    「小鉢のね、これはツルムラサキかしら?ピャッと冷たくて、とろっとろで箸休めにもピッタリ」
    「ふふ、甘露寺さんは本当に美味しそうに食べますね」  

     そんな会話をひとつも逃すまいと耳をそば立てながら、近くのカウンター席に腰を落ち着けた。空席が幾つかある中、相席を申し出るほど積極的な人格に早変わりできる訳もないのだった。しかし座ってしまってから、失敗したと思う。これでは甘露寺が全く視界に入らない。今更テーブルを移動するのも不審であるし、なとど考えを巡らせているうち、王手をかける勢いでアオイがお冷を運んできた。城之内、死す。

    「ご注文はお決まりですか?」
    「ち、」
    「ち?」

     茶だけでいい、だなんてまさか言えない。

    「蕎麦はあるか?」
    「梅昆布、天麩羅、きつねがありますけども」
    「梅昆布で」

     伊黒の夕食が塩クロワッサンに確定した瞬間である。夕食にすべきメニューではない、と日本人らしく言いたいところであるが、平素より食に興味が薄く、栄養飲料などで済ませてしまっているので通常運行であった。

    「ん〜! ここのハンバーグ、ソースが赤ワインの風味が効いてて大好きなの!」
    「うちのドミグラスソースは、セロリやにんじんなんかを一からワインで煮ていますから」
    「そうよね〜家庭では作れない味って感じがするもの」

     背中に目が欲しいくらい、後ろが気になって仕方ない。声だけ聞いていても、心底美味しそうに食事をしていることが伝わってきた。

    「お待たせしました〜」

     梅干しの酸味ある香りが、なけなしの食欲を掻き立てた。梅雨の湿度のせいか最近ではいつにも増して食欲が落ちている。割り箸を割りつつ、どこを取っても自分とは対照的な女性だと思い知る。あの量の食事をかくも美味しそうに平らげるとは、なんと快活で素晴らしいことだろう。蕎麦一杯食べれば満腹という男性らしからぬ食欲を、初めて恥ずかしいと感じた。芍薬が歩いているかのような華やかな容姿だって、平凡な伊黒とは比べるべくもない。

    「あら! 可愛い白蛇さんだわ!」

     パキッ、と割り箸を分割した体勢のまま、暫し静止する。どう自惚れたって自分のことだよな、と恐る恐る振り返った。肩の上の相棒を見遣れば、背中に目が欲しいと願った飼い主の熱量そのままの視線を甘露寺に向けている。飲食店に入るときの暗黙の了解で、白衣の下に隠れていた筈の鏑丸がいつの間にか頭をもたげていた。鏑丸はいつだって伊黒の気持ちを雄弁に語ってしまう。そんなことなど露とも知らぬ甘露寺は、ただ純粋な好奇心といった風に鏑丸と、その飼い主を相互に見つめた。

    「……申し訳ない。飲食店であるのに、不愉快な思いをさせてしまったな」
    「いえ! そんな不愉快だなんて。真っ白で綺麗な蛇さんですね」

     不安を解くみたいに甘露寺が笑うと、ポニーテールが元気に揺れた。ここまで至近距離で見たのは初めてだったが、想像の上をいく愛らしい容姿をしている。色艶の良い肌に、まんまると大きなグリーンの瞳、左右対称に頬に乗った黒子まで、伊黒の心を鷲掴みにするため計算し尽くされたようだった。さらに声まで可愛い。鈴が弾むみたいに心地よい話し方をする。

    「……ありがとうございます」

     好き過ぎて、声が掠れる。

    「白衣、もしかしてキメツ学園の先生ですか?」
    「ああ。化学教師をしている」
    「私卒業生なんです。在学中お世話になった宇髄先生に会いに、今でもときどき顔を出すんです。あ、私美大生でして」
    「………そうか」

     まさか知っているとは言えずそう返答したものの、これでは会話も打ち切りではないかと、己の対話能力の低さに舌打ちさえしそうになる。案の定、甘露寺はその言葉を受けて手元の定食へと戻ってしまった。距離を縮める千載一遇の機会を棒に振り、地まで落ち込めそうだ。そうする他ないので伊黒は蕎麦に手を付けた。出汁の滋養ある旨味に少しばかり慰められた。

    「今から学校へ戻られるんですか?」

     アオイがカウンター席をふきん掛けしながら、何の気なしに問うた。

    「ご飯を食べたら甘いものが食べたくなっちゃって。甘味のお店をハシゴしようと思うの」
    「うちは残念ながら甘味は扱いがないですからね〜」

     椅子を引く音に、甘露寺が席を立ったことがわかる。眼球だけでその姿を追う。荷物を手にしていて、どうやら退店するらしい。アオイが伝票の内容をレジに打ち込む電子音を聞きながら、伊黒はどうにか次に繋がる手立てを探していた。このままでは何の印象にも残らず、ありふれた記憶の中に埋もれてしまうだろう。蕎麦はもう全然味がしないし、残念ながら食べ頃を過ぎている。

    「ご馳走でしたぁ〜」
    「またお越しくださ──」
    「あの!!!」

     咄嗟に張った声は、アオイの台詞を分断した。間が悪いし、必死なあまり場違いな声量だった。店中の関心が此方に向けられる。穴を掘ってでも入りたいくらいだが、声を掛けた手前もう突き進むしかない。

    「これ………」

     そう言っておずおずと、炭治郎に押し付けられたパンを差し出す。今更ながら、それはフランスパンのあいだに何かが挟まった商品のようだ。

    「え?」
    「……竈門が、君はこれが好きだと言うから」
    「え?」
    「やる」

     紛うことなき童貞の台詞である。蛇柱は98%くらい童貞であろうと認識していたが、あんなもの銀河の果てまで童貞確ではないか! 教科書のような話し方をし、歳上らしく落ち着いた振る舞いをすると誰もが信じて疑わなかった。しかしその考えには落とし穴があったのだ。つまり座敷牢にいた十二年を加味していない。21−12=9歳そこに諸々の補正を加えてザッと計算する限り、蛇柱の恋愛精神年齢は14歳くらいであろう。
     今まで往来でイチャイチャしたりしないキャラとして書いてきた訳だが、あれくらいの恋愛スキルならば、ジェラったら直ぐに路地裏へと連れ込んで自分が知らない甘露寺の時間を埋めるようにキスするのだろう。だがしかしそれもまたイイ…あたしゃ頑張る童貞が好きだよ。

    「甘いもののお口だったから嬉しいです! 有り難くいただきますね」

     降り始めた雨を覆すような笑顔を見せ、パステルカラーの傘を広げると甘露寺は去っていった。ドッドッと心臓が音を立てる。可愛い、大好き。

    「………………」

     視線を感じて辿れば、アオイが世にも奇妙なものを見たという風情でこちらを凝視していた。

    「……伊黒先生」

     深刻な声色である。伊黒は思わず生唾を飲む。

    「なんだ?」
    「甘露寺さんを狙っているなら、相当難易度高いですよ」
    「別に、狙ってなど……」
    「ふぅん……そうですか! それは余計なことを言っちゃいましたね」
    「なんだ、含みのある言い方だな」
    「私が知る限りでも結構な数の男性に言い寄られてますから。このお店でも君ひとり? だなんて言われているのを何度か見ましたし」
    「……………」
    「だからウジウジしていたら、あっという間に誰かに攫われちゃいますよ。って言おうとしたんですけど。眼中になかったのなら見当違いでしたね! あ、いらっしゃいませ〜」

     アオイは言うだけ言うと、仕事に戻ってしまった。伊黒だけがその場に立ち尽くして、先の言葉を反芻していた。



     ここのところ甘露寺を見ない。母校を頻繁に訪れるという方が不自然な話なのかもしれない。美大生なら課題も多そうだ。
     階下の美術室では部活動に勤しむ在校生の姿が見えた。退屈を噛み殺すみたいに窓際で空を仰ぐ宇髄と、バッチリ視線が重なる。咄嗟に逸らしてしまったが、何故お前なんだと内心毒づいた。甘露寺とはこんな風に目が合ったことは一度もないというのに、何が楽しくて野郎と見つめ合わねばならないのか。思わず溜息が溢れた。
    『甘露寺さん、私が知る限りでも結構な数の男性に言い寄られてますから』
     アオイの言葉を思い出しては、胸が絞られるみたいに苦しくなる。それはそうだろうな、と納得しかない。お城のように感嘆しながら見上げる他ないような、そういう星に生まれた女性だ。容姿に恵まれておらず、加えて女性経験がない伊黒には難攻不落と冷静な頭では分かる。諦めろ、と諭してみても、気が付けば美術室を見下ろして春を探している。すると自然と思考は甘露寺に傾いていくのだった。終始がこのような有り様で、日常がままならない。色恋にかまけて取るもの手に付かない日が来ようとは、一寸先は本当に分からないものだ。
     と、何やら黒いものがこちらに飛来する。近付いてきたそれは、ピンクのリボンを掛けられた鴉であった。嘴に何か咥えている。手紙らしい。

    「……………俺に?」

     鴉はキラキラしい瞳で伊黒を真っ直ぐと見返してくる。それを肯定と捉え、手紙を受け取った。鴉はモジモジした仕草を見せると、また遠方の空へと飛び立っていった。その姿が見えなくなった頃合いで、視線を手元に落とす。何の変哲もない真っ白な封筒にハートのシールで封がしてある。裏面を改めた伊黒は、その文字列に目を剥いた。甘露寺蜜璃、とある。

    「…………えっ?」

     もう一度表に返す。真っ赤なハートは先程と寸分も違わぬかたちでそこに鎮座していた。胸の中でハート? と、ひとりごちる。まさかとは思うがラブレターだろうか。いやしかし、姉たちもメッセージアプリでハートの絵文字を多用しているし、女性側からすれば大した意味はないのだろうと己を律する。と言いつつ、舞い上がる心を完全に抑えるのはどだい無理な話であった。早る指先でハートの封を切る。しとやかに草花が散りばめられた便箋に、丸みのある文字が並んでいる。

    『伊黒先生へ
    先日はありがとうございました。
    練乳パン、美味しくいただきました!このパンの生地がとても好きなんです。外は歯応えがあるのに、中は空気をたっぷり含んでいてフワフワで。こっくりした練乳と相性が抜群なんですよ。良かったら、食べてみてくださいね。
    ところで、今週の金曜日に美術部に顔を出す予定があるのですが、化学準備室に遊びに行ってもいいかしら? いらっしゃらなかったら、そのまま帰りますので少し顔を出させて下さいね♡
                  甘露寺蜜璃より』

     伊黒は物凄い勢いで壁掛けカレンダーを見た。今日が水曜日であることくらい頭に入っているのだが、そうでもしないとこの夢みたいな成り行きに正気を保っていられなかったのである。

    「甘露寺が来る……? ここに?」

           🦄🌈✨🦄🌈✨

     週末まで、伊黒は巣作りをする親鳥の如く化学準備室を整える作業に徹することになる。というより、何かしら動いていなければ、あの♡の意味は……? などとすぐに脳が茹ってしまうから取り憑かれたみたいにハタキ掛けをし、用務室から勝手に拝借したワックスで床を磨き、アナフィラキシーを起こしかけながらFrancfranc的な場所へと赴いてイイ感じのクッションを用意するなどした。化学準備室の私物化も甚だしい。
     そして、金曜日当日。立ち寄るは勿論──

    「あ、伊黒先生! いらっしゃいませ〜」

     ペカーッと後光の差す笑顔を向ける炭治郎に、膝を折る思いがする。炭治郎の思惑通り、対価を払いに来た訳である。

    「……ろじの、好きなパンを教えて欲しい」
    「甘露寺さんの好きなパンですね!!!!!」
    「声がデカい、この馬鹿」

     相も変わらずブレーキとアクセルを踏み間違えたような勢いで、炭治郎はホールに出てきた。この撥ね戸の寿命は短いだろうな、とギイギイ音を立てる蝶番を伊黒は労った。

    「まずは練乳パンでしょ、それから金時豆の蒸しパンは毎回買っていますね」
    「メロンパンはざらめ砂糖の粒が大きくて、お好きだと仰ってました」
    「甘いものばかりだと飽きてしまうので、惣菜パンも幾つかどうですか。フィッシュバーガーと、フランクドックもよく購入されてますよ」

     炭治郎と肩を並べ、指示された菓子パンを従順にトングで掴んでトレイに乗せていく。レジ台に持って行く頃には雪崩れるくらいの量になっていた。炭治郎はニコニコと手際よく袋詰めをする。

    「放課後も毎日こうやって家の手伝いをしているのか?」
    「ええ、長男なので!✨」
    「関心だな」
    「ありがとうございます! 竈門ベーカリーは、伊黒先生の恋を応援しています!!!」

     もう怒るのも疲れたので、簡潔に礼だけ述べて店を後にした。恋の匂いでも何でも好きに嗅いでくれ、という具合である。
     珈琲も紅茶も準備してあるし、甘露寺を待つばかりだ。用意したものを気に入ってくれるだろうか、会話らしい会話を持てるだろうか、ごくオーソドックスなストライプのシャツを選んだが可笑しなところはないだろうか。心配事を数え上げればキリがなかった。準備室に戻ってからも時計を見つめては、手持ち無沙汰に科学雑誌を開いたり、分子模型を弄ったりしている。内容は上滑りするだけであるし、いつの間にか壮大な化合物が完成していた。
     伊黒自身は知らなかった。実を言うと、ここに至る反応式の過程で伊黒は永久機関を成立させていた。熱力学の原理上、存在し得ないものを作りあげたのである。甘露寺への恋慕は熱力学の法則をも覆したのだ。世に出していればノーベル賞を取り、坂本龍馬やベートーヴェンの横に伊黒小芭内の伝記が並び、蛇柱の新札が発行されていただろう。しかし伊黒には無自覚なので、ただの手遊びだと壊してしまった。
     そんな無為な時間をやり過ごし、時計の短針が四を指した頃。

    「こんにちは」

     ごく控えめに開いた扉から、室内を窺うように愛らしい顔が覗いた。

    「中に入ってもいいかしら?」
    「ああ、もちろん」
    「お邪魔しまぁす」
    「そこへ座って」

     伊黒のデスクに他の教員のデスクから拝借したチェアを横付けしてあった。

    「きゃあ! 可愛いクッションだわ〜」

     フリンジのたっぷり付いた異国情緒漂うそれを一目見て、甘露寺はパッと表情を明るくした。お気に召したようでなりよりだった。

    「何か淹れようか? 珈琲と紅茶ならあるが」

     クッションを背に椅子にちょこんと座る甘露寺が、伊黒にはお姫様に映った。ポニーテールに、さらりとしたサロペットという些かスポーティーな装いながら、本気でそう見えるのだから恋とは恐ろしい。

    「そしたら、紅茶をお願いします」

     湯を沸かしている間に、買い込んで来たパンをトレイに並べてデスクに置いてやる。

    「きゃあ!? これ私の為に!??」
    「そうだよ。来ると連絡を貰っていたから」
    「全部、私の好きなものばかりだわぁ〜!」
    「それは良かった。たんとお食べ」
    「手を洗っても?」

     伊黒が頷けば、備え付けのシンクに甘露寺が寄る。隣に並ぶと花のような芳香がしてクラクラした。紅茶を淹れる、というタスクにおびただしい意識を向ける。カップに注ぐお湯が揺らめいていて、手が震えているのだと気付く。

    「ストレートでいいか?」
    「ミルク、はないですよね。ストレートで大丈夫です」

     次があれば牛乳、と胸に刻む。普段から牛乳を飲む習慣はないが、余れば冨岡にでも押し付ければよい。いつもあんぱんを食べていることだし。

    「フレッシュならあるが」
    「お願いします。伊黒先生……ん?」
    「何だ?」
    「在学期間が被っていないのに、先生は可笑しいわよね。何と呼ぶのがいいかしら。伊黒さん? 小芭内さん?」
    「おっ………!?? い、伊黒さんで頼む。俺も甘露寺と呼ぶから」

     幾らなんでも小芭内さんはヤバい。遅れ咲きの初恋でやおら名前呼びなんてされてしまっては身が保たない。

    「じゃあ、伊黒さん! 縞々のお洋服がとってもお似合いですね!」
    「そうか? 初めて言われたな」

     確かにボーダーと無地ならば、ボーダーに手が伸びることが多いが。

    「ええ! 伊黒さんと言えば、縞々って感じがするもの」

     右手に紅茶、左手に自分の珈琲を持ち、連れ立って席に着く。ソーサーなんて洒落たアイテムもこの素っ気ない化学準備室には当然なかったので甘露寺の訪問にあたって揃えたものだ。

    「おとぎ噺のお茶会みたい! いただきます♡」

     甘露寺は律儀に両手を合わせると、はむっ、と大きな一口でメロンパンを頬張った。

    「竈門ベーカリーのメロンパンはね──」
    「ざらめ」
    「えっ?」
    「ざらめ砂糖の粒が大きくて、好みなのだろう?」
    「エーッ!?? どうして伊黒さんがそんなことを知っているのかしら!?? ち、超能力?」
    「まさか。竈門がそう言っていた」
    「なぁんだ。炭治郎くんったら、私より先に伊黒さんの耳に入れちゃうなんて狡いわ〜」

     眉根は下げつつ、食べることは止めない旺盛な食欲が好ましい。飲み慣れたドリップコーヒーさえ甘露寺が隣にいるだけで美味しく感じられた。のんびりと珈琲を啜っているうちに、甘露寺は早くも二つ目のパンに手を伸ばす。

    「でも、伊黒さんって変わっているわ。私の食欲を見たって何にも言わないんだもの」
    「眩しいよ」
    「へっ!??」
    「俺は食が細いから、健啖な君が純粋に眩しい」
    「そ、そうなのね!??」

     鮮やかな色に導かれ、視線を落とす。甘露寺は目も覚めるような黄色いフラットシューズを履いていた。

    「綺麗な靴だな」
    「ずっと憧れていた靴でね、アルバイトをいっぱいして、やっと買えたお気に入りなの!」

     膝をピン、と伸ばして見せてくる仕草が無邪気で何とも愛らしい。元気そのものというカラーが、甘露寺のイメージにピッタリだった。

    「靴底が革だから足に物凄く馴染むけれど、雨の日には履けないのが玉に瑕なのよ」
    「よく似合っている」
    「うふふ、嬉しい」

     甘露寺はやっぱりご機嫌にフランクドックを頬張る。齧ったときにレタスがはみ出てしまい、恥ずかしがっている様子まで愛らしい。その食事風景を見ているだけで、伊黒まで内臓があたたかくなる。食事は楽しいものだと、教えられるようだった。
     ふと、全ての懸念が払拭されているな、と気付く。甘露寺は準備したもの全てに丁寧な関心を示してくれたし、会話も思考するよりどんどん先に弾んでいく。服装も似合っているらしいし。

     このときの二人はまだ知らないが、化学準備室でのお茶会は繰り返し開催されることになる。ハーレクイン風に言えば、ロマンスは続いてく…♡のであった。

             🌼🍃🌼

     何度目かのティータイムを共にし、特段緊張も覚えなくなってきた頃のこと。

    「おめでとなァ」 

     不死川は変わり果てた化学準備室を見回し、『ここはサロンか何かなのか?』と、眉を顰めている。甘露寺に対するより幾分ぞんざいに珈琲を出し、伊黒は長い溜息を吐いた。

    「よくもめでたいなどと言えたものだ」
    「ンだよ。デート決まったんだろ? めでたいことじゃねェか」
    「ノープランのデートだぞ? しくじる可能性も自ずと高くなる」

     プライベートでも会いましょう、と自然な運びでそうなったのは良いが、交換したメッセージアプリで何をしたいか問えば、当日までに考えておくわね♡、と返ってきた。これはいただけない。

    「俺は不覚の事態などなきよう、ガッチリプランを組んで挑む算段だったんだ……」

     不死川は甘露寺よりたっぷりミルクを注ぎながら、それがどうしたァ?と表情だけで語りかけてくる。

    「普段から会話だって盛り上がってるみてェだし、そのまんまやりゃ良いだろが」
    「もしだぞ!? 今日は美術館に行きましょう♪なんて言われたらどうする!」
    「行けばいい」
    「美大生と一緒に美術館なんて緊張感があり過ぎる。俺は少しも芸術に明るくないんだ。昨日、少し調べてみたんだがな……」

     伊黒はズヌー、の角度で不死川を見下ろした。

    「ゴッホのフルネームが言えるか?」
    「フフンフ・フン・ゴッホとかだろ」
    「フッ……俺と同じレベルか、それより下だな」

     伊黒は明らかに安堵し、尊大な態度になった。自分より下がいることで心の安寧を得るような大人になってはいけない。

    「煩せェ。高校が理数科だったから、美術なんて中学までしか履修してねェんだよ」
    「どんな画家だか説明できるか?」
    「エーッと……アレだアレ。ひまわりをいっぱい描いたとかだろ?」
    「フッ………」

     思惑通りことが運び、伊黒は高笑いさえ溢れそうだった。罪状の如くWikipediaのページを突き付ける。題目はフィンセント・ファン・ゴッホ。ひとを小馬鹿にしているが、伊黒だって付け焼き刃の知識であった。

    「生涯で2000以上の作品を残したとあるだろ。で、お前が言ったひまわりだが──」

     伊黒は指先が覚えているリンクへと、迷いなくサーフィンしていく。

    「たった11点(諸説あり)だけだ。信じられるか!? 日々おばみつという題材だけで煎じ続けているオタク達ですっかり目が肥えているから、驚きを禁じ得ないだろう!??? 百作品くらいあると思うよな!??」
    「何の話?」

     もし甘露寺に『ゴッホは沢山ひまわりを描いた画家だよな』だなんて言っていれば、『えっ? えっ? 伊黒さんたら何を言ってるのかしら?』と、氷点下の視線を向けられていただろう。そんなことになれば寿命は半分くらいに縮んでいた。肝を冷やす伊黒の隣で、不死川は53億もすんのなァ、と呑気なものである。悲しいかなその気持ちは痛いほど分かる。芸術に明るくない人間が大抵そうであるように、現金換算くらいしか作品の価値を測る物差しを持ちあわせていないのだ。

    「…………何か全体的に枯れてねェ? ひまわりっていうから、元気いっぱい太陽サンサンみたいのを想像してたわァ」
    「だよな……良かった。目が腐っているのが自分だけではなくて」
    「殴ろうかァ?」

     勝手に同僚の目を腐敗させ、伊黒は遥か宇宙を見渡すように背もたれに体を預けた。Wikipedia先生は、ゴッホにとってのヒマワリは明るい南仏の太陽、ひいてはユートピアの象徴であった、と言っていた。

    「美術館で何らかの所感を求められても、ユートピアが枯葉にしか見えない俺には甘露寺が求める答えをきっと導き出せない!」

     伊黒はワッ! とデスクに突っ伏し、泣き出した。涙はすぐに河川となった。

    「だから俺はプランを練りたかったのに……」
    「大丈夫だろォ。お前だって甘露寺が元素周期表を言えなかったとして、そんなことで引いたりしないだろ」
    「そうだな……甘露寺が答えた通りに周期表の方を修正すべきとすら思う」
    「個人的な都合で世の摂理を捻じ曲げんなァ」
    「残り数日で何をすれば良いんだ? 画集でも買ってきて緑ペンと赤シートで暗記するとかか?」
    「息だけしてろォ。あとは当日、履き慣れた靴で行くんだぞ」

     伊黒は今週末が、この良好な関係の終止符にはならないかと、心配で心配で、何も手に付かないのだった。

             🐍🍡☔️

     ──靴、と思う。
     雫が鼻先を掠めていった。

    「あ、雨だわ」

     肌の上に何とか感じる程度であった雨は、間もなくして本降りとなった。甘露寺がリクエストしたベトナム料理店を出てすぐのことだった。

    「今日は、降らない予報だったのに!」

     青ざめる甘露寺に折り畳み傘を押し付けた伊黒は、どうにかして彼女を宙に浮かせなければ、という使命に突き動かされた。咄嗟に屈み、おんぶの姿勢をとる。

    「君さえ良ければ、おぶって室内まで連れていく。靴、お気に入りなのだろう?」

     そう提案した瞬間、甘露寺は確かに泣きそうな顔をしたのだ。結局背中に乗ってくれたが、伊黒はその表情を見逃さなかった。

    「ありがとうございます……重くないですか?」
    「全く。気にするな」

     傘をさす甘露寺を、伊黒がおぶって歩く。
     美大終わりの簡素な装いと違い、甘露寺は黒いロングワンピースに身を包んでいた。緩やかにひとつ纏めにした髪も、耳に揺れるフープピアスも持ち前の美しさをグッと引き立てている。待ち合わせ場所では、甘露寺が立っている場所だけスポットライトが当たっているかに見えたほどだ。膝の裏の柔らかい素肌に、腕まくりした己の腕が触れる度、あまりの柔らかさに息をするのも忘れてしまう。身体の輪郭が出るものを着ないので気付かずにいたが、豊満な肉体をしていると嫌でも分かってしまう感触だった。
     浮き足立ちそうな心はしかし、先程の泣きそうな顔が思い出されて直ぐに消沈した。常識的に考えて、恋人でもない男にこんなことをされるのは誰だって嫌だろう。

    「……ごめん、もう少し辛抱してくれるか」
    「え?」
    「さっき泣きそうな顔をしていたから」

     自ずと視線が下を向く。雨脚はつよくなっていて、泥で濁った雨水が近くの排水溝目指して流れを作っていた。

    「ち、違うわ! あ、あれはね」

     甘露寺が興奮気味に身を乗り出してきた。傘が歪んで、濡れてしまっている。

    「嬉しくて泣きそうになったの」
    「……嬉しくて?」
    「そうよ! この靴を大切にしている話、覚えていてくれたんだ、って……」
    「そう、か……良かった」
    「うん」

     甘露寺が背中に頬を預けてくる。ぺとり、と。それ以上何を言うべきか分からなくて、雨音だけを聞いていた。霧雨が肌に纏わりついてくるのに身体中が熱くて堪らなかった。



    「一日あっという間だったわね〜」

     甘露寺はベンチに座り、夜空を見上げる。洗いたての夜空は星まで綺麗に見渡せた。なんとなく別れ難くて、口実を求めるように自然と足が広場に向いた。ただ近いという理由だけで入った広場であったが、二十時を過ぎた今でも犬の散歩や、ジョギングをする人が行き交っていて雰囲気は悪くなかった。

    「そうだな」

     甘露寺が脚をブラブラさせる度、サンダルに散りばめられたビジューが街灯を弾いてキラキラ光った。あの後、雨宿りで入ったアジア雑貨店で買い求めた一足だった。ビーズや刺繍がたっぷりと乗った、ともすればオモチャみたいなサンダルであるのに、甘露寺はリゾートスタイル風に履きこなしている。とどのつまり美人は何だって似合うらしい。

    「ノープランだから、正直どうなるものかと気を揉んでいたが」

     終始、気の向くままと言う感じだった。伊黒がジャスミンティーを啜り、甘露寺はタピオカ盛り放題のベトナムデザートを食べた。制作の資料を探したい、と言うから入った本屋では各々好きな本を物色したし、自分一人では入り得ないような雑貨店だって、甘露寺と居ると自然とその場に馴染んでいた。

    「伊黒さんは、さっきの映画どう思った?」

     突然の雨天に、適当な上映時間のラブロマンスを観たのだ。

    「そうだな……ヒロインがあの男を選ぶ理由が正直分からなかった。もう一方のお相手の方が堅実であったし、将来の気苦労も少なそうだ」

     それを言うならば、甘露寺が自分などと過ごしてくれる理由も分からない。伊黒は楽しいし、次の約束に繋がると勿論嬉しいが、甘露寺にはもっと相応しい候補が幾らでもいるだろうにと思う。

    「恋をするのに理由がいるのかしら?」
    「要らないのか?」
    「頭で考えるよりキュン、とする方を選べばいいのではないかしら。心でするものでしょう?」
    「そんなものかね」
    「そんなものですよ、きっと!」

     思えば、伊黒はずっと理由を探していた気がする。甘露寺の隣にいるにも何かしらの理由が必要なのだ、と当然思っていた。そうやって凝り固めてきた観念を、甘露寺はこの一瞬で取っ払ってしまった。しかも他人からの干渉を嫌う性分の癖にそれが全然嫌ではない。だから少し怖くもなる。大人になるにつれ、ひとは変化に臆病になっていくのだと思う。でも甘露寺となら──

    「今晩のごはんも美味しかったなぁ〜」
    「あんなもので良かったのか?」

     ディナーは多少畏まったところで、と想定していた。が、映画が終わり人の流れに流されるまま辿り着いたレストランフロアにて甘露寺は串カツ食べ放題の暖簾に足を止めた。チェーン展開されている、間違っても『デート向き』などとネット検索して該当する飲食店ではなかった。キラキラと感心を寄せる甘露寺に、まさかノーとは言えず入ったものの、こんな学生同士が行くような店でいいのだろうか、と正直思った。しかし甘露寺の食欲に遅れをとらぬよう揚げる作業に徹するうちそんな不安も消えていた。熱い熱いと言いつつ、うずらが美味しいだの、ソースはどれが好みだのと、はしゃぐ甘露寺の愛らしさは掛け替えのないもので。ソフトクリームメーカーの扱いがあんまりに下手くそで、器から大きくはみ出したソフトクリームを手にしょんもり帰ってきた甘露寺には、申し訳ないが爆笑してしまった。声まで出して笑うだなんて、いつぶりだったろう。おかわりは伊黒が作ってやった。

    「私ね、伊黒さんと食べるご飯なら何だって美味しいの。今日は一日中とっても楽しかった」
    「……そうか。俺も楽しかったよ、とても」

     ピカソもゴッホも難しいことは出る幕がひとつもなかったし、どんなときも純粋に楽しかった。
     ふと、雨上がりの土埃に混じって、クチナシの甘い香りが風下に乗ってきた。視界の範疇には見当たらないが、どこかに植え込みがあるらしい。

    「夏の匂いがする」
    「クチナシね? 伊黒さんが匂いで季節を感じられるひとで良かった」
    「普通では?」
    「大学の同級生には、その感覚はよく分からないって言われたわ」
    「甘露寺はどんな匂いで夏だと感じるんだ?」
    「ピーマン!」

     変化球に伊黒は首を傾げる。ピーマン? とオウム返しをするのは我ながら間が抜けている。

    「そう! 冬のピーマンってね、繊維が固くって匂いも全然感じられないの。けれど旬になると刃を入れた瞬間、青臭い匂いがぶわわわわっと香り立ってね、あ、夏だ! と実感するのよ」
    「自炊は全くしないので、その感性はなかった。甘露寺はさぞ豊かに暮らしているのだろうな」
    「良かったら今度食べに来ますか?」
    「え?」

     少しは見習わなければな、くらいの気持ちで言ったつもりだった。が、話が思わぬ方向に転じ、頭の理解が追いつかない。甘露寺の自宅に招待されている、らしい。

    「あっ! 伊黒さん少食だし、そんなお誘いをされても困ってしまうわよね!?」
    「いや、そうではなく。若い女性の部屋に俺なんかが上がり込んでも良いものか、と……」
    「そ、そうよね!? ごめんなさい、誰にだってこんなはしたないお誘いをする訳ではないの!」

     これは自惚れてもいいのではないか。淡い期待に心臓がドクドクと早鐘を打つ。甘露寺は見るからに真っ赤になってすっかり恥入っている。好きだと伝えてみるのはどうだろう、と甘いムードに背中を押される反面、デート初日に告白とは些か軟派なのでは、と臆病風も吹いて。告白する、しない、と花占いの如く逡巡した後もう少しデートを重ねてからが無難、と結論を出した。

    「君さえ良ければ行ってもいい、だろうか……」
    「来て下さるの?」
    「ああ、行きたい」

     伊黒にしてみれば、かなり踏み切った判断だった。何歳になっても変われるものなのだな、と学びを得る。

    「嬉しい! ありがとう、伊黒さん!」

     甘露寺は今日いちばんの笑顔を見せた。こんなに綺麗に笑うひとを、伊黒は知らない。

    『また連絡しますね』
     確かに甘露寺はこう言ったのだ。
     胸にまで抱いて眠った言葉だ、間違いない。

             🤸🤺🤸

     不死川は帰りたい一心だった。いらっしゃいませ、と迎え入れられた店内に、同僚の声が響いていたときから帰巣本能が疼いて仕方がない。
     期末テストを終え、教師陣の繁忙にひと段落がついた華金の今日、行きつけの小料理店で景気良く呑もうということになった。生徒の進路相談に根気強く付き合っていた不死川は、こうして他のメンバーに遅れて店の敷居を跨いだ訳であるが、どうやら宴席は相当できあがっているらしい。『山がァ〜燃え〜〜るゥゥゥ〜〜〜戻れなk(CV鈴村健一)』と今も聴こえてくるし、ドッと巻き起こる歓声も耳に覚えがある声ばかりだ。何が楽しくて燃え盛る酒場に行かねばならないのか、と不死川は暗澹とした気持ちで案内されるまま個室の障子を開けた。そこには想像以上に戻れなくなっている伊黒がいた。

    「な、何してやがんだァ!!??」

     なんとパンツ一枚姿で体表現をしている。どうやら平仮名の『み』を作っているらしい。その顔はビチョビチョに泣き濡れていて、村でも焼かれたような悲惨な様相を呈していた。不死川は靴を揃えるのも忘れて座敷に上がり込み、胡蝶カナエの側に寄った。カナエはというと、伊黒の奇行をニコニコと見守りつつ、果実酒をちびちび呑んでいる。傍に落ちていた伊黒のものと思しき白衣を鷲掴み、その視界を遮った。

    「……あれは一体何なんだァ?」

     ウフフ、と麗かに笑うカナエは世間知らずなのか、肝が据わっているのか、とにかく動じるところがない。そんな凛とした居住まいに惚れ入っているので強くは出られないが、もう少しばかり危機感を持ってもらいたいものである。

    「甘露寺さんへの愛を表現してみろ、と煽られてアルコールも手伝ってああなったのよ」

     テーブルには空のビール瓶が所狭しと並んでいて、相当飲んだらしいことが窺えた。正体をなくすまで飲むなど愚の骨頂、を掲げているいつもの伊黒はどこへ行ってしまったのか。正体どころか社会性まで失いつつあるが、それについてはどう考えているのだろう。数ある愛情表現から何故その方法を選んだのか。疑問は尽きない。

    「うっ、うっ……かんろじ……」
    「伊黒の甘露寺に対する情熱は、そんなものなのか!??」

     ピーーッ、と空気を切り裂くようなホイッスルを鳴らし、冨岡は更に燃料を投下する。初恋のために社会性までかなぐり捨てた伊黒は、不死川からすればある種これ以上なく情熱的である。宇髄はジョッキを傾けながら爆笑しているし、煉獄は普段通りのテンションで合いの手を挟んでいる。ニュートラルな価値観を持った頼みの綱──と、悲鳴嶼を探せば巨体の存在感を見事に消して泣いている。真人間は不死川くらいのようだ。

    「甘露寺蜜璃の〜〜『つ』!!!!」
    「肘の伸ばしが甘い!!!!!」
    「ううっ………かんろじいぃぃぃ」

     冨岡の求める理想的な『つ』を体現するべく、伊黒は泣きながら肘の位置を改める。

    「うむ! さっきより良くなったぞ!!」
    「ていうか、何でパンツなんだよォ……」
    「あ、それはね」

     カナエは不死川の耳元に掌を寄せる。内緒話がしたいらしい。身体を近付けるとフローラルの甘い香りがして、グッときた。

    「白衣の上からだと、シルエットが分かりにくいといち(1Re)さんが判断した結果なの」

     男心を嬲る綺麗な声だった。こんな台詞でなければ、どんなにか良かっただろう。
     大正軸と違い帯刀をしていない伊黒で『み』を作らせるのは至難であるらしかった。別にスーツでも私服でも体表現はできたと思うのだが、紆余曲折あり、パンイチ体表現でいくことになった。紆余曲折の部分はいちさんに聞いて欲しい。私には分からない。そうと決まればいちさんの行動は早かった。読者に解釈違いがあってはいけないとアンケートまで取り始めてしまったのだ。

    Q.🐍さんが履いているパンツは
    【ブリーフ】
    【トランクス】
    【ボクサー】
     ボクサーに清き一票を投じておいたが……
     論点はそこなのだろうか? という疑問は未だ拭いきれてはいない。

    「ていうか何でまた、これほど荒れてンだァ?」
     
     日増しに顔色が悪くなってる気はしていたが、初デートは楽しく過ごしたというし、不死川には伊黒がここまで落ち込む理由が皆目分からない。

    「デートの後から、甘露寺さんと連絡が取れないらしくって」

     カナエは困ったわねぇ、と首を傾げて悩ましげである。曰く、メッセージを幾ら送っても既読スルーをされているらしい。加えて、宇髄が気を利かせて今日の宴席に甘露寺を招待していたが、『行けるか怪しいです』と、返事が直前になってきたという。伊黒が避けられていると考えるのもいよいよ無理からぬ話であった。

    「とりあえず服を着ろォ! 服を!」
    「不死川、隠部というのは隠しているから陰部と言うんだ。晒してしまえばそれはもう陰部でもなんでもないと村上春樹が言っていた!!!」
    (遠い太鼓より)

     因みにこの本は相互さんが好きな本として紹介してくれたギリシャ・イタリアを舞台にした旅行エッセイであった。飾り気のない異国の情景浮かぶ素敵エッセイなのだが、現状最もインパクトがある文章となっている。残り400頁余で陰部より素敵な何かを見つけたいと思う。

    「ハッハッハ、ド派手でいいな」
    「この場にはまともな奴がいねェのか!?」

     いないのである。不死川は大袈裟ではなく泣きたかった。ちょうど運ばれてきた生ビールをほとんど自棄になって煽る。いつもそうだ。何故か自分はおばみつの恋を盛り上げるため、ロイター板の如くこき使われてしまう。

    「デート上手くいったんじゃなかったのかよォ」
    「うっ……う、俺が、交際もしていなのに、甘露寺の家にお邪魔したいなどと、言ってしまったからだ……」
    「それも甘露寺から持ち掛けて来たんだろう! 甘露寺は伊黒のことを憎からず思っていたのだと思うぞ!」
    「甘露寺は考えを改めようとしていたんだ……なのに俺が、行きたいと押し通してしまった……」
    「マジ顔色が土器みてェだが、大丈夫かァ?」
    「最近ではセンサー式トイレに座っていても勝手に水が流れていく。多分魂が消えかかっているのだと思う……」
    「ウケるwwwww」
    「宇髄、ウケている場合ではない。みつりの『り』がまだだぞ」

     地獄だってもう少しばかりマシなかたちをしているのでは、と不死川は本気で思った。伊黒は死んでるのか生きてるのか分からぬシュレティンガーの猫状態で緩い涙を流していたが、冨岡の警笛が鳴るとスッ、と立ち上がった。

    「甘露寺蜜璃のォォ〜『り』!!!!」

     刹那、障子の開閉音が喧騒を切り裂くみたいに鳴った。スパーン、とこれ以上ない綺麗な音であった。さすが撥倍娘は力がちがう。

    「い、い、伊黒さん!?? 何しているのかしら!?? 何をしているの!??」
    「か、か、か、かんろじ!??」

     この瞬間、伊黒の体内アルコールは瞬時に代謝された。素面を取り戻し、人権を失ったのだ。
     村上春樹風に書くと、やれやれ、である。


             🐍💗🍡

     直後は大変だった。甘露寺登場の次の瞬間には、伊黒は梁にネクタイを括り付けていた。命を以って公然わいせつ罪を償おうとしたのである。二度目の『何してるの!? 何してるの!?』が勃発し、全員がかりで伊黒は梁から引き摺り下ろされた。

    「伊黒さん、そろそろ理由を聞かせて下さる?」
    「……俺は君に嫌われたのだろう」

     伊黒は白衣を掛けられ、座敷に三角座りをしている。その瞳は穴ぐらのようで、焦がれに焦がれた春色さえ映してはいなかった。誰がどの角度から見たって失意に暮れている人間のそれである。

    「……全く返信もなかったし」

     ボソリ、と。吐息くらいの声量で伊黒が呟けば甘露寺は顔の前に両手を合わせ、謝罪のポーズを取った。頭まで下げる。

    「ごめんなさい!!!! 課題のね、提出期限を勘違いしていてね。死ぬ気で制作しなきゃいけなくなっちゃって」
    「……課題? 大学の?」
    「そうなの。私、ウッカリしているところがあるから時々やってしまうのよ」
    「それでも。返信くらいできるのでは、と思う俺はやっぱり狭量なのだろうな……」
    「ち、ちがうの! メッセージをやり取りしたら」

     目の淵に涙の膨らみができ、乙女のためらいを物語っていた。それでも甘露寺は伊黒を見据えると、真っ直ぐと言った。

    「すぐに伊黒さんに会いたくなっちゃうから……伊黒さん断ちしてたの! 此方から連絡すると伝えていたし、こんな風になっているとは思わなかったのよ。本当にごめんなさい!」
    「そ、そうだったのか!?俺が君の言葉を信じきれなかったばかりに、不甲斐ない……」
    「今日が〆切だったのだけど、ほんっっとうにギリギリでね。ここに来られるかも怪しかったの。何とか提出はできたけど、お洒落なお洋服に着替える時間もなくて恥ずかしいわ」
    「君は可愛いよ、どんなときでも」
    「ピャッ!??」

     これで付き合ってないんだもんな〜という周囲の視線も、無敵状態のキラキラエフェクトにより伊黒の体を貫通してしまった。星のカービィもビックリであろう。
     甘露寺と連絡が取れなかった二週間余り、奈落を生きていたことなど嘘のように伊黒にさっさと衣類を身に付けると、店員を呼び止めて料理をたっぷり注文する。もちろん甘露寺のためである。

    「胡蝶。先程は破廉恥をはたらき申し訳ないことをした」
    「一皮剥けばみんな同じだから気にしないで」
    「言い方ァ……!」

     如何にも生物教師らしい許しを得て、ひと段落つけた伊黒は御手洗いに立つ。人感センサーの電気だってちゃんと点灯した。良かった。伊黒の魂は何とかこの世に繋ぎ止められたらしい。
     
             🫑❤️🫑

    「甘露寺、流石に飲み過ぎではないのかね?」
    「伊黒さんが付き添ってくれるから大丈夫って、宇髄さんが言ってましたぁ〜」

     ゆずサワーを小気味良く飲み、甘露寺はア、と漏らす。何らかの気付きを得たらしい。

    「だけど、伊黒さんも終電があるわよね」
    「なんだそんなことか。俺だって大人なのだから帰る手段くらいある」

     甘露寺の最寄駅は急行電車も停まる大きな駅で、改札を出てすぐのロータリーにはタクシーが昼夜常駐していた記憶がある。明日は学校も休みなので、最悪朝までかけて帰ったとして差し障りはない。

    「君の気の済むまで付き添うが、だからと言って体調が悪くなるまで飲むのはいけない」
    「私の気が済むまで? 付き合ってくれるの?」

     思わぬところに食い付かれ、怪訝に思うも肯首する。論点はそこではないのだが。

     甘露寺はジョッキをテーブルに置いた。アルコールへの興味はすっかり尽きたという風である。溌剌とした好奇心を滲ませ、伊黒の方へにじり寄ってくる。近い近い近い。そんな伊黒の心情などまるきし無視して、甘露寺は掌を添えてコソコソ話す。

    「じゃあね……」

     耳元で囁かれる鈴の音色は、ちょっと破壊力があり過ぎる。伊黒は身じろぎもできなくなった。

    「今夜眠るまで」
    「…………え?」

     フレーズが頭の中をグルグル回って深淵な宇宙まで飛ばされるような感覚だ。目を大きく見開いたまま身動きさえ忘れている伊黒を他所に甘露寺は自身の荷物からエコバックを手繰り寄せると、中身をジャジャーンと目前に掲げた。つやつやのピーマンが透明の袋にたっぷりと詰まっている。

    「買ってきたんです。食べませんか、一緒に」
    「…………いつ」
    「う〜ん。翌朝?」

    翌朝
    第二天早上
    the next morning
    на следующее утро

     明日の朝、まで付き合う。心臓が狂ったように拍動し、あわや壊れてしまいそうだった。一緒に朝食を食べる、とはつまり──

    「って、ごめんなさい。時間もすっかり空いてしまったし、もしかしたらこの前の会話を伊黒さんはそれほど間に受けていなかったかも、」
    「食べる」
    「へっ………!??」
    「食べたい」
    ───君を。

                      ─完─





    ※あとがき おばみつ関係ない 
    ↓↓↓


    ゴッホのひまわり、土に植わって太陽の方角を見ているようなのを想像してたのだけど、実際は花瓶に挿されていてビックリでしたね。絵って実物より綺麗に描くものだと思ってたのに萎びてたりするし。常識? すいませんw
    でも、その生涯を知ると印象が変わりましたね。とにかく不遇で、精神疾患まで抱えていて。すると、ひまわりが綺麗過ぎないのもいいな、と思うようになり。あんまりにささやかで、グッとくるというか…本文では枯れてると言ってるしフォローしとこ。(でもホンマに結構枯れてる)
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