リカバリ どよめくスタジオと走り回るテレビクルー。
番組を観覧する一般客がいなかったことがせめてもの救いだったかもしれないが、ひな壇に座るタレントの中には恐怖で泣き出す者もいた。
当然、生放送で進行していた番組は一時中断し、テレビ局には問い合わせの電話やメールが殺到している。
そんなスタジオの中心にはその場で呆然と立ち尽くす司会者と、足の長い椅子に腰かけて冷めた表情を浮かべる祓ったれ本舗の二人。
騒ぎの渦中にいるのは間違いなくこの二人だったが、今回に関してはどちらかといえば被害を被った側にいたのである。
「あれいつくらいだっけ?」
目の前であちことへと行きかうスタッフを眺めながら、悟は真横の傑にそっと尋ねた。
「五年前だね、渋谷から直行したやつ」
傑はそう言って、自らの下腹部を押さえる。
先ほど放映された映像はまだ二人がテレビに出始めた頃に撮影されたものであり、傑の腹の中にはその時に取り込まれた一級レベルの呪霊がいまもなお使役されている。
「まさかとは思ったけど映像が残ってるとはな」
「それも今更掘り出されてくるとはね」
はーあと傑がため息をつけば、すぐそばに立っていた司会者がびくりと肩を揺らした。
二人よりもかなり先輩の芸人であり、場数もそれなりに踏んでいるようだったがやはりこういった「ガチ」のものは初めてだったらしい。
スタジオのタレントはみなその場での待機を指示されてから一歩も動かずにスタッフの動向と、そして祓ったれ本舗の様子を息を飲んで見計らっている。
今でこそ、心霊に関わる意見について祓ったれ本舗の二人が言うことは絶対だという常識がテレビ界のみならずありとあるメディアでじんわりと浸透しているが、やはりデビュー当時はそこそこ舐められがちだった。
先ほど流れてしまった映像も駆け出しの頃に派遣された廃墟ロケの記録であり、そこで二人は一級レベルの呪霊に出くわしたのである。
悟と傑の二人だけならばまだしも、撮影スタッフなどの一般人が付いてきている状況では思うように立ちまわれないし、廃墟とはいえ祓いに伴って建物を壊してしまうのもまずいだろう。
「傑あれ欲しい?」
「欲しい」
「じゃあ先行け、俺あいつらにカメラ止めるよう言ってくっから」
番組から支給された安っぽいジャージを羽織った傑の背中をぽんと悟が叩く。
「聞くかな?場合によっては呪霊より厄介じゃないか」
「はは、言うね?」
でもまあ確かに。と言いつつも悟はそのまま踵を返して廃墟の周りを撮っていたカメラマンの方へと歩いていく。
傑と同じように支給されたジャージを悟も来ていたが、たまたまなのかそれとも番組が狙ってなのか悟の方は手足の丈がまるで足りていない。
今しがたそのジャージをいじるオープニングを撮り終えたばかりだったが、それもお蔵だろうなと傑はさっそく呪霊の根幹まで向かっていく。
もともとは宿泊施設だったらしいこの廃墟は地元の有名な肝試しスポットであり、実際に行方不明になっている人も出てきていると事前に聞いていた。
なんでそんなところをいつまでも野放しにするかなと傑は思っていたものの、実際に足を踏み入れてみればなんとなくその理由がわかる気がしていたのである。
呪霊の本体に遠い廃墟の入り口に撒かれた呪力にはまるで遊園地のお化け屋敷に入る前のようなあからさまに作られたような恐怖が演出されている。
そしてひとつふたつ部屋を抜けたあたりで一気に呪力が増し、これは駄目だと気付いた時にはもう退路を断たれていて後戻りが出来なくなっているのだ。
並の術師ならこの罠にはひっかかるかもしれないが、生憎訪れたのが悟と傑だったため、この呪霊も年貢の納め時が来たようである。
ここまでのアミューズメント性、呪霊になった本体はどこかでイベント会社でもやっていたのだろうか?それにいままで一体何人程食い散らかしたのだろうか?
足元に転がるまだ生臭い物体を見ながら傑はどんどん廃墟の奥へと進んでいくと、ふっと周りの雰囲気が変わったことに気づいた。
どうやら悟が帳を降ろしたらしい。
ということは、撮影スタッフの足止めに失敗したのだろう。
傑が背後を振り向けば、ばたばたと丈の短いジャージ姿のままの悟が苛立ったように走ってくる様子が見えた。
「駄目だったか」
「いやまじあいつらねえわ!撮れ高もクソもあるかっての!」
これだからパンピは!と悟が足元の石ころをけーんっと蹴り上げる。
「手は出さなかっただろうな?」
「さすがにな。入ってこようとするから無理やり帳降ろしたわ」
「悟にしては上出来だよ」
殴らなかったのはえらい。と傑がにこりと笑って悟の頭をなでると、ふんっと膨れつつも悟はまんざらでもない顔をする。
この廃墟は本物だから撮影を今すぐに止めろ。と悟がどんなに言っても聞かなかった撮影スタッフたちは、今頃突然見えなくなってしまった二人の存在に右往左往しているだろう。
心霊現場の撮影は自分たちの方が長けていると思い込んでいたらしく、若手の芸人の言葉に耳を貸さなかったのもわからなくもないが、そういう連中こそこういうのの格好の餌なんだろうな。と傑はいよいよ呪霊の本体に対峙しながらぼんやりと思った。
「私がやる。悟はそこでこのあと何食うか考えてな」
「カレーがいい」
「昨日もカレーだったろ」
私はラーメンがいい。と傑は言いながら、ぞわぞわと足元から湧き上がらせるように節足動物を模した呪霊を繰り出した。
数だけは多い低級に違いなかったが、この呪霊にはこれくらいで十分である。そんな傑の考えが手に取る様にわかる悟は、廃墟のぼろぼろになったコンクリートの壁に寄りかかりながら、呪霊同士がぶつかり合う様を眺めていた。
万が一に備えて悟もすぐ動けるようにしているものの、その万が一が起った試しはない。とはいえ慢心はいけないという誰かさんの言葉を悟は律儀に守っているのだ。
「俺いま後方彼氏面してるわ」
「彼氏面じゃなくて彼氏だろ」
「まあね」
そしてあっという間にかたがついたので、廃墟が粉々になることもなく、件の呪霊はしゅるしゅると傑の手の中で黒い玉になっていったのだった。
呪霊がいなくなると不思議と淀んでいた空気が澄んでいくような心地がする。この廃墟もいわくつきの場所ではなく、ただの放置された建物になってしまったのでいつどのタイミングで取り壊されても問題ないだろう。
傑は手のひらに握りしめた玉をさっそく口元へもっていき、そのままごくりと丸呑みする。まずさと息苦しさに眉を顰めるが、何よりその様子を悟がじっと見つめていることが気になって仕方がなかった。
なに?と傑が喉を上下させた後、じとっとした視線を悟に向ける前に悟から肩を引き寄せられて軽く唇を啄まれる。
そしてにんまりとした悟の顔が目の前に現れた。
「やっぱ今夜は蕎麦にする?」
「…ん」
やめろと言っても悟はこのタイミングで口づけてくることをやめない。
この頃はもうそれも好きにさせていたのだった。
何事もなくなった廃墟から出て帳を上げると、目をぱちくりとさせた撮影スタッフが二人を見ている。
なにがあった?と言いたげな顔をしていた。
「何かありましたがもうなくなりました。安心してください」
傑がそう言ってにこりと微笑んで見せる。
「でもさっきこの廃墟を撮っていたテープは私たちに処分させてもらえませんか?」
「え、いやでも…」
「渡してください、映ってますから」
「いや映ってるならなおさら…」
「はあ?頭沸いてんのか」
スタッフの言葉に先にしびれを切らした悟が凄み、こら悟。と傑も牽制する素振りを見せるが威圧をやめることはない。
さすがにスタッフもその二人の物言いに気圧されたが、やはり事態の重大さに気づくことはできなかったのだ。
所詮は心霊現象が起こるという噂、幽霊とはいえ見えない何かでしかない。という思いが二人の態度の真意を汲めなかった原因の一つだろう。
結局、一度上と相談させてくれとということでその場でテープを渡してもらえることはできなかった。
しかしこれを有耶無耶にしてもまずいと悟も傑もわかっていたので根気強くテープの回収を訴え続け、数か月ほど経ったあたりでようやくテープを渡してもらい、二人でそれを処分するに至ったのである。
もちろんその時の映像は放映されることはなかった。
だからこの一件はテープの破壊で幕を閉じたと思っていたのに、どういうわけか五年の時を経て、よりによって生放送の現場で公共の電波に乗ってしまったのである。
今夜は祓ったれ本舗が駆け出し時代に撮ったマル秘映像を公開!という企画で、番組の序盤から傑がふれあい動物園でモルモットに好かれ過ぎて埋もれ、助けを求める映像や、悟が着ぐるみを着て一日仕事をする企画のカットされた映像など懐かしいものが流れていた。
そしてそのトリとして公開されたのがあの廃墟でのロケである。
テレビ局の倉庫に保管されていて何故かお蔵入りしていた廃墟ロケ映像なんですが…と司会者が読み上げた時、先に悟が椅子を立って「おいやめろ!」と叫んだ。
もちろん傑以外の誰しもがそれを何らかの振りだと思っていたものだから、映像は止まるはずもない。
しかしそんな悟を諫めるだろうと思っていた傑の方も「今すぐ止めてください!」と言うではないか。
二人にとってそんなに見られたくないものが映っている?
五条だけじゃなくて、夏油までああなるのは珍しいな?
司会者にタレント、スタジオの周りのスタッフまでそう考えている最中にも映像は進む。
暗い廃墟の前。
悟の丈の短いジャージをいじるオープニングが終わった後に、なにやら二人で言葉を交わす祓ったれ本舗の後ろ姿。
それから傑だけ建物の中に入ったかと思えば、それを止めようとするスタッフの声を制して悟が「撮影をやめろ」と言うではないか。
映っている悟の様子は明らかにおかしい。映像を客観的に見れば何となくそれは伝わってくる。
今すぐカメラを止めろ。いや止めない、それより夏油を呼び戻してこい。などの押し問答があったかと思えば、悟の舌打ちが聞こえ一瞬画面が暗転した。
そしてカメラには変わらずに廃墟が映っていたけれども、悟の姿がどこにもないではないか。
途端にスタジオでは悲鳴が上がる。
司会者はすでに青白い顔をしていたし、もう映像を止められないと諦めた二人は白けた表情を浮かべている。
ご丁寧に編集されていた映像には、帳が降ろされる前に撮影された廃墟の全体像までしっかりと映り込んでいた。
そのため、二人の目にはあの時祓った、あるいは取り込んだ呪霊がばっちりと映っている。なんとなくそいつの目がこちらを見ている気がしてうんざりとした。
映像が終わるとスタジオはしんと静まり返っており、恐怖に包まれるスタジオの中央に無表情の祓ったれ本舗がふたり座っている。
「あ、えーっと…なああの、さっきのってヤバいやつ…?」
静寂をどうにかしようと思ったのか、司会者が傑に尋ねる。
しかしそれはこの場にとって火に油でしかないのだ。
「ええまあ、相当ですね」
ねえ悟。と傑は悟を見る。
「そうそう、相当のやつ。俺らでテープ処分したはずなんだけどなあ」
そして悟はサングラスをずらすと、スタジオを囲むように立ち尽くしているスタッフたちをぐるりと見渡した。
ここにいる面々はもう心霊に関する祓ったれ本舗の言葉の重大性をよくわかっているはずだから、テープが残っていたことについては巻き込まれた方なのかもしれない。
きっと、彼らが処分したはずのものがなんで局にまだあったんだ?とも思っているだろう。
まだ駆け出しの芸人という立ち位置であった頃とはいえ、少なからず心霊系に精通すると言われていた二人の言葉をよく聞かなかった当時の撮影スタッフやその関係者の失態に違いなかったがそこを今ついても無駄だろう。
なにせテープはもう公に出てしまったのだから。
「傑、大丈夫?」
「私はどうともないよ。あれは同じだけど別個体だしね」
「だよなあ」
結局放送は中止され、早くもタレントやスタッフが体調不良を訴え始める。
一気に慌ただしくなった局内では怒号や悲鳴まで聞こえ始めたので、簡易的な地獄のようにも思えた。
「あの廃墟まだあるんだっけか」
「行くかい?」
「行くでしょ」
そんな喧騒の中で二人だけがゆっくりと言葉を交わしていたのである。
あの時の呪霊は間違いなく傑の腹の中に取り込まれている。
しかし映像に少しでも残っていたせいで、呪力のバックアップがとられていたらしかった。
二人が当時処分したテープはマスターテープだったものの、こっそりコピーされていたテープが局に残っており、こうした惨事を生み出したというわけである。
改めて引き渡されたテープは呪力に満ち満ちており、よくこれを一般人が素手で触ったな?と思うほどにまがまがしかった。
そのテープを伴い、今度は二人だけであの廃墟へと向かう。
いまでも肝試しの場所として知られているらしかったが、行方不明者などは出ていないようだった。
しかし、いざ訪れてみると廃墟は当時のようにそこかしこに人間を誘い込むような呪力がばら撒かれていたのだる。
「ばっちり復活してんじゃん。この前とんだ俺のHDDのデータも戻ってきてほしいわ」
「便利なもんだよねえ」
今までにも映像に映りこんだ呪霊を目撃したことはあったが、そこにあるのは残穢だけでそのままにしておいても特に危険はない物ばかりだった。
だが稀にこうやって記録媒体に残ってしまう特性の呪霊もあるらしく、今回は再生されたことによって復旧されてしまったらしかった。
「いる?」
「いらないかな、こいつが二体いてもねえ?」
傑がそう言えば、悟は意気揚々に再現した呪霊を指先ひとつですっかりと祓ってしまったのである。
もちろんテープもすっかり木っ端微塵に破壊されたのでこの件は今度こそ一件落着だ。
「呪霊による影響はこれで収まるから、あとはテレビ局が火消しを頑張るだけだね」
「これで俺らまで燃えたら訴訟起こしたろうかな」
「そこは大丈夫だろ、インターネットのみんなも今回は私たち側だ」
「まじで?それはそれで怖いんだけど」
呪霊収集のために傑が時々覗いているオカルト系を扱う掲示板でも、これについては祓本の言葉を無視したテレビ局に問題があるだろ。という意見が大きいようだった。そのため、二人の周りでの騒めきはすぐに収まるだろう。
「そういえばあの映像を採用したスタッフは心霊系の番組を扱ったことがなかったらしくてね?倉庫でテープを見つけたときは特ダネだって小躍りしたらしいよ」
「そいつそれ一人で見たの?」
「見たらしいよ?祓ったれ本舗の心霊ロケでお蔵があるなんて!ってね」
「いや疑えよまず、俺らがやってるオカルト系でお蔵なんてなんかあるだろ」
そもそもテープが残ってんのが意味わかんねえけどな。と悟は言う。
まあそうだよねと傑も返事をした。
「この分野で私たちの意見は聞いておいた方がいいって言われてるらしいけど、それも眉唾だったみたいだよ」
「いま生きてるのそいつ」
「なんとかね。まあ体調は悪そうだったよ」
そこで傑はそのスタッフの肩に寄りかかった低級の呪霊をひとつふたつ掬い上げながらこう言った。
あなたのこういった経験を生かして、これからは安全な番組作りをお願いしますね?と。
「はは、呪いじゃん」
「そんな人思いなことでもないよ」
「そいつ怯えてたろ」
「どうだったかなあ、顔も覚えてないからねえ」
傑はそう言って、先ほどまで開いていたスマホのブラウザを閉じてしまった。都市伝説のスレッドには特にめぼしい情報もなかったようである。
「傑、もう帰ろ」
「そうだね、せっかくオフになったんだし」
本当ならば今日もロケのはずだったのだが、それは例のテレビ局の番組だったためその局のありとある企画は一時中断となっていたのだった。
二人は廃墟の近くに停めた車まで歩き、ぴぴっと悟が手元で鍵を開ける。
「なんか食ってく?」
「うーんデリバリーでもいいかな」
私疲れちゃったかも?と傑は車に乗りながら、わざとらしく運転席の悟を見上げた。
「あざといじゃん」
「好きだろ?」
「好きだよ」
やっぱり悟はまんざらでもない顔でふっと笑うと、こちらを向く傑の唇に触れるだけのキスをする。
まるで映画のワンシーンのようだったが、車の外の背景が廃墟というのはいささかムードに欠ける。早くベッドで続きを始めなければ!
だからさっさと車を走らせて、もう二度と訪れることはないであろう廃墟を後にしたのである。