HBT(花吐き病タイムアタック) 板張りの床にぽつんと置いているやけに鮮やかな丸い何かは、拾い上げてみると一枚の花びらであるようだった。
黄色くて厚めの花びらは大きな花の一部なのだろうか、わりとしっかりとした繊維でできているらしい。
たぶんこれは本物だろう。花に詳しくない悟もなんとなくそれはわかる。
悟がその花びらを拾ったのは寮の廊下であり、傑の部屋の真ん前だった。
これだけではこの花びらを落としていった花の持ち主が傑であることを確定させることはできない。
しかし悟は最近、傑から人工物ではないほのかな甘い香りがしていることと、それからおとといこっそり傑がビニールに詰め込まれたものを焼却炉に放り込んでいる現場を目撃していたのである。
きっとあれはこの生花の匂いだったのだろうし、燃やしていたのも黄色い花そのものだったに違いない。
傑が好んで部屋に花を飾るようになったなんて話は聞いていないしたぶんそんなこともない。それに飾る花をわざわざ焼却炉で燃やしたりもしないだろう。
なによりあのビニールいっぱいに詰め込まれていたならば相当な数だ。
だったらなぜそんな数の花を傑が持っていたのだろうか?
無論それは、これらの花の出所が傑に由来するからなのだろう。
こんな話を聞いたことがある。
まだ悟が高専に入学する前、実家で一般教養についても呪術についても教えられていた頃だ。
誰かを好きになった気持ちをこじらせて、花を吐く病とも呼ばれる呪いがあるらしい。
発症するかしないかについてはまちまちで条件も曖昧。
一説によれば思いが強ければ強いほど発症の確立が上がり、吐く花の量もとんでもないことになるらしい。
こじらせた恋心という感情が多くの割合を占めている現象なので、一丁前に呪いらしいことには呪いらしかったが、いやいやそんな馬鹿な呪いがあるか。と悟は半信半疑だったのである。
恋愛をこじらせて花を吐くなんてどんな呪いだ?
というか花を吐くって何?それって本物の花?
現代までにも症例はあるらしかったが、当時の悟の周りにはその呪いを実際に目撃したものはいなかった。
それに悟自身あまりその呪いに興味がわかなかったので、特に調べようともしなかったのである。
そもそも思いつめるほど誰かを好きになるだなんてことが理解できない。
花を吐く行為は場合によっては命に直結するらしいが、そんな命懸けでするものなのだろうか?恋なんてものは。
きっと自分がそれに罹ることはないだろうし、きっとこの先も出会うことのない有象無象の呪いの一つだろうと記憶の中にしまい込んでいたのだが、こうして傑の部屋の前で黄色い花びらを見つけたタイミングでちょうどその記憶が掘り起こされたのである。
まず、本当にあるんだな。という驚きがひとつ。
そういえばこの前失恋を苦に自害し、浮かばれきれずに呪霊になった少女をそこそこ使えそうだからと取り込んだと言っていたような気がする。
間違いなくそれが原因だろう。
だったらその少女の呪霊を祓ってしまえば良さそうなものだったが、ちょっとまてと悟はもう少し記憶を探ってみることにした。
確かこの呪いには明確な解呪の方法があった気がする。
なんだっけ、ああそうだ。
花吐き病になる原因となった恋が成就すればすっかりと病は消え失せるらしい。
つまり、傑が恋煩う相手と結ばれてしまえばいいのである。
なーんだ簡単じゃん!と悟は拾い上げた黄色い花びらを握りしめ、そのまま傑の部屋に入っていったのだった。
「傑―いる?」
「は、え?悟?!」
目の下にくまがうっすらと見える傑が、ベッドの上で毛布をかぶりながらうずくまっていた。
声はかすれてシーツの上には黄色い花や、その花びらが散らばっている。
たぶん吐きたてほやほやの花だろう。
思ったよりも苦しそうでびっくりしたものの、そりゃあ喉の奥から異物を吐き出すなんて嫌に決まってるよな。と悟は床にも落ちている花びらをのしのしと踏みながら傑のいるベッドにどしんと座る。
そしてじっと傑の顔を見つめた。
正直ちょっとぐっと来ている。
花を吐いている傑を見るのも悪くない。
だって傑は自分のことが好きだから、これは全部自分を思って吐かれた花なのだ。部屋にあふれる花の量が直接傑の気持ちを表しているような気がして、悟はそわそわと照れくささすら感じてしまう。
しかし、当の傑からしてみればたまったものじゃないだろう。
花は当人の体力や気力を奪って生成されている。もしかしたら少しくらい呪力も食っているのかもしれない。
自分への思いをこじらせた傑を見るのも悪くないが、やっぱり元気な姿でいてくれるほうがいいに決まっているだろう。
さっさと治してやるか。と悟は傑の後ろ頭に手を伸ばすと、そのまま顔を引き寄せてかぷっと何も言わずに唇を重ねた。
むにむにと少し唇を食み、そして離せばついーっと唾液の糸が細く伸びる。
悟はそれを絡めとるようにもう一度傑の唇を舐めてそれからまた顔をみると、そこではぽかんとした表情の傑が悟を凝視していた。
「…は?」
「治った?」
「いや、何が?」
「だってお前俺のこと好きじゃん」
だから治ったろ?と悟は言うが、当然傑は何のことだかさっぱりわからず、しかし急に楽になった呼吸にも気づきながら壁際に引っ付くようにその場からのけぞった。
「待て待て待て!なんで?!何が、え?」
もちろん二人は付き合っていないし、傑が悟に好きだといった覚えもない。
逆もそうである。悟が誰かを好きかなんて知る由もない。
「片思い拗らせると花吐くんだろ?そういう呪いみたいなのあるって昔聞いた…」
「そうだけど!雑過ぎないか?!」
「でも治ったろ?」
「な、治った…けど」
花を吐くようになってから傑も最初は単に最近取り込んだ呪霊の影響だろうと考えていたのだ。
しかし呪霊が定着したと思った頃にもまだ花は出てくるし、収まるどころか日に日に症状は酷くなっていく。
なんなんだ一体と高専にある文献やインターネットで調べた結果、それが花吐き病と呼ばれる病なのか呪いなのかよくわからないものが当てはまることがわかったのだ。
花吐き病は片思いを拗らせた末に発症し、その恋が成就するまで治ることはない。
ということは、悟のことを好きである自分のこの病の完治は絶望的であると数日前に思い至ったばかりだったのに、何故だかこうして悟にキスされて、簡単に治って、はたまた解呪されてしまったのである。
「あの、さ…一応聞くけど、悟も私を好きだってことでいいんだよな?」
「そうだけど」
「そうだけどって…!」
なんだそれ!と傑はかぶっていた毛布を布団に向かって投げつけた。
ばふんっと黄色い花びらが舞う。
「情緒がなさすぎない?普通こういうのってさ、もっとこう…」
「なんだよ、少女漫画みてーにしたかったわけ?」
「別にそういうわけじゃないけど」
「じゃあ月9とか?」
「…悟に月9のセンスがあるとは思えないよ」
「はあ?俺だぞ?」
そんなん朝飯前だわ!と悟は言ってずいっと傑の目前にまた迫ってきた。
青い目がじっとこちらを見ている。息を飲むほどきれいだった。
「顔だけなら月9かな」
「言い方よ」
「でもまあ、解呪してくれたのは正直助かった…ありがとう」
「おう」
今回ばかりは悟の思い切りの良さに助けられたのだ。自分だけなら今でもぐだぐだと思い悩んでもっと目も当てられない展開になっていたかもしれないのだから。
しかし悟の自信はやっぱり悔しかったのである。どうして言ってもいないのに、相手が自分のことを好きだと確信できるのだろうか?
私ってそんなにわかりやすい?いやそんなはずは…
「花って別に解呪しても消えねえのか、お前の部屋真っ黄色」
「その言い方はやめろ。でもまあ掃除しなきゃね…悟も手伝えよ」
「手伝う手伝う、俺のためにお前が吐いた花だし?一本くらい持って帰ろ…」
「絶対駄目だ。全部燃やす」
「なに?照れてんの?」
「……」
悟はにやにやとしていたが、もちろんその通りなので傑は何も言い返せなかった。
「わーったよ、全部燃やすからもっかいキスさせて」
「そんなのいくらでもさせてやるよ」
「まじで?言ったな?」
「先に掃除」
「任せろ!」
ぴょんと悟はベッドから降りると、花びらまみれの床に使いかけのごみ袋の束を見つけ出してそのうち一枚を引っ張り出した。
ざくざくと花をビニールに回収していく悟を見ながら傑もベッドから降りると、軽くなった胸にそっと手を添える。
ここしばらくの苦しさは何だったのだろうか?
こんなに簡単に楽になれるなんて考えもしなかったのに。
不思議な気持ちとちょっと腑に落ちない気持ちがありながらも、結局悟も自分のことが好きだったんだということが分かった喜びがどうしても大きい。
だからもう、まあいいか。なんて思いながら傑はせっせと花を片付ける悟の後ろに膝をつくと、とん。と背中に額を乗せた。
「なに?やっぱ先にキスしたくなった?」
「いいや、片付けてからね」
「なんでだよ、というかお前吐きすぎ」
どれだけ俺のこと好きなん?と悟は花をかき集めながら言うので、傑は目をぱちくりとさせた。
どれだけ好きって、それはまあ…と散らばる花を改めて見て思わずぼっと頬を熱くする。
言われてみれば、本当にどれだけ好きで思いつめていたのだろうか?
すでに何度か花をごみ袋につめて処分しているから、それらを合わせるとまた膨大な量だし、当然解呪までに吐いた分が全部でないのだ。
なんだか途端に恥ずかしくなり、傑は思わずは悟の背中にくっつけた額をぐりぐりと押し付けた。
なにせ悟を好きだという気持ちは、今もこの胸に新鮮な状態で息づいているのだから。
<了>