ショートコント「現世」 CM明けのジングルも終わり、番組は後半へとさしかかる。
ここからはリスナーからのメールや、SNSの呟きを拾いながら冒頭で紹介したテーマにとって話すのがいつもの流れだった。
番組名と放送局を読み上げる傑の声を皮切りに、最初のメールを悟が読む。
そんないつも通りに何も疑いを持たなかったスピーカーの先のリスナーたちは、そういえばさ。と先に聞こえてきた悟の声に少なからず驚いたのである。
「いま傑の腹の中ってどれくらいいるわけ?」
「うーん、ざっと57200体くらいかなあ」
「まじで?前より多くない?」
「この業界にいるとね、そりゃあもう低級から何からうじゃうじゃいるわけ。わかるだろ?」
「まーね。そいつらを片っ端から取り込んでるわけだ」
「多少の選定はするさ。まあちょっと自分のキャパを試したくて前よりはとりあえず取り込んではいるかな」
「おい止めろってそういうので身体張るの。大食いじゃねえんだぞ」
「正直メガ天丼のエベレスト盛りの方が苦しかったね」
「この前の?あのあとたこ焼き食ってたじゃん」
「たこ焼きは別腹だろ」
いつもならば会話に添えるように流れる静かなBGMが今夜は一向に聞こえてこないことにリスナーも、また急に予定外の雑談を始めた二人の様子をブースからぽかんと見つめる放送局のクルーも気づいていない。
みな息を飲んで二人の会話を聞いているのだ。
これって何の話?
メガ天丼ってこの前のご当地グルメのロケの話だよね?
「悟こそ、この前新調したサングラスはどうなんだい?」
「あーこれ?まあ良い感じだな。目が疲れにくい」
「わざわざ特注しただけあったね。見える?」
「そりゃね」
「じゃあ私の体温測ってみてよ」
「いや、僕の目は別にサーモグラフィーとかじゃないし…37.5℃くらい?」
「ま、それくらいだろうね。私は体温高い方だし」
「それ僕に今測らせた意味あった?というか体温測るってなんかエッロ」
「なんでだよ」
「いっそ今度もアイマスクしても良いんだけどさ?やっぱビビられるんだよねあれ」
「今度悟が何回職質されるかチャレンジしようか」
「まじ笑えねえんだわそれ」
「はは、ごめんごめん」
終始穏やかな口調で、なんてことの無い与太話をしているようにも聞こえるが、その話の軸がどうにも見えてこない。
二人の会話の前提に何があるのかがわからないのだ。
聞いていてどこか不安にもなるが、なぜか聞くのを止められない。
祓ったれ本舗のことだから、もしかしてこの話には盛大なオチが待っているのかもしれない。
この番組の後半自体がコントになっている?
生放送であるはずのラジオが放送事故だと言って番組を中断させないことから、きっとそんな仕込みあったに違いない。
普通は考えられないが、今まさに漫才界のトップランカーであるこの二人ならそういうことを公共放送でやってのけるだろう…とSNSは更に賑わいを見せていた。
しかしこの突然の会話は、番組側も一切把握していなかったのである。
何が起こっている?と局内は騒ぎになりかけたが、やっぱりこの二人だからゲリラ的にコントでも始めたに違いない。と、結局生放送を打ち切らずにこうして好きなように喋らせていたのである。
祓ったれ本舗は何を仕掛けてくるのか?
どんなオチをつけるつもりなのか?
全国のリスナーたちが期待を胸に、そろってラジオに耳を傾けていた。
たまたまこの放送を聞いていた、前世の関係者以外は。
「お、そろそろ時間じゃん。終わる?」
「そうだね。それではみなさん私たちとはここでお別れです。いままでありがとうございました」
「ありがとねー、あと祓ったれ本舗は今日付で解散なんで、後で事務所のSNS見といて」
「それちゃんと予約投稿した?」
「したした」
そう言って二人はヘッドホンを外すと、がたがたっと席を立ったではないか。
何食って帰る?
今の気分は焼肉かな。
この時間に?まあ良いけど。
そんな会話が遠くに聞こえ、ばたんっと扉が閉まる音が聞こえる。
静寂が生まれ、そしてラジオからは番組を中断するとのメッセージが放送されるや否や、放送局もそしてインターネット上も騒然としたのである。
祓ったれ本舗の公式のSNSからは先ほどの悟の言葉の通り、コンビを解散するお知らせが投稿され、所属事務所には問い合わせが殺到した。
あれは何?
コントじゃなかったの?
解散って本当に?
翌朝のニュースや昼の情報番組、夜には緊急特番まで組まれてメディアは大騒ぎになったが、そのいずれにもやはり祓ったれ本舗の二人の姿はなかった。
最後に投稿された解散を告げるSNSの情報以降何も明るみにならず、二人は完全に業界から姿を眩ませてしまったのである。
様々な憶測、果てには陰謀論まで囁かれたが、あの後二人が本当に焼肉に行ったのかすら、誰にもわからなかったのだった。
傑、とソファーから振り返りながら悟はスマホを片手ににやりとした。
「七海から」
「さすがに出てきたね。うまく隠れてたもんだよ」
そう言って傑は炭酸水の瓶を悟に渡すと、すぐ隣にぼすんと腰掛けたのである。
「こっちは夜蛾先生だよ。思ったより近場に住んでたみたいだね」
「まじで?」
傑もスマホを開き、メッセージを受信した画面を悟に見せると、なーんだそんなに近所だったんだ。と以前住んでいた場所の住所を思い起こす。
都会の喧騒から離れたいわゆる南の島に住居を移した二人は、未だに自分たちの話題で盛り上がるメディアを時々覗き混みながら世の中から距離を置いて暮らしていたのである。
「硝子には連絡した。それから灰原と…あと伊地知か」
「君の昔の生徒たちは」
「えー来るかな?」
「呼べば来てくれるさ。担任の先生の結婚式には出たいものだよ」
「ふーん?」
そういうもん?と首を傾げる悟を見ながら、そういうもんなんだよ。と傑はスマホを置いて、ゆるりと悟の肩に頭を傾けた。
たくさんの人間がいる世の中で生き続けることに少し疲れてしまった傑が悟にいったん休憩したいと告げたのがあのラジオの収録から一ヶ月前のこと。
だったらもう二人で辞めちゃう?と悟の方から提案し、世の中から駆け落ちすることにしたのだった。
傑が心情を吐露してくれることは純粋に嬉しかったし、しかし言ってきた時点でだいぶ一人で思い詰めていることが悟にもよくわかっていたから、本当はその日のうちに辞めてしまっても良かったのだ。
何よりも傑が大事。だがその傑が、さすがに今すぐというわけにはいかないとも言うので、一ヶ月後のラジオを最後にするとその日のうちに決めたのだった。
世の中に土産話を残し、公から幕を引く。
二人から現世への餞のつもりだった。
それからは静かで暖かく、過ごしやすい環境に住まいを移し、毎日ゆっくりと過ごしながら早めの余生を満喫している。
この頃ようやく傑の状態も安定してきていたので、こうして身内だけを招く予定のハウスウエディングの準備をしていたのだった。
ラジオの効果もあったのか、今まで連絡の取れなかった前世での知人たちも、ある程度把握できていたところである。
きっとみんな口を揃えて、何してるんだ?まったく。と言ってくるだろう。
なんだかそれを聞くのも楽しみで、傑は悟が少ない招待客リストにかつての教え子の名前を書き込んだのを見てふっと笑う。
そしていたずらっぽく左手で悟の薬指にはまった指輪をなでれば、こちらを向いた悟と鼻先が触れあったのだった。