JBS 新刊花屋パロ サンプル②Dec. ヒマワリの契機
「――ツム」
名前を呼ばれて、侑は重たい瞼を持ち上げた。よく磨かれた木目のテーブルに、炊き立ての米と出汁の香り。見慣れた風景に、あぁ夢か、と瞬時に理解する。最悪の寝覚めだった。
「おい」
見上げると、カウンターの向こうで治が顎をしゃくっていた。先ほどから、テーブルの上に投げ出されたスマートフォンが震えているのだ。一度鳴り止んだそれは、間髪を容れずに再び音をたて始める。動こうとしない侑に、治がやれやれといった様子で口を開いた。
「電話、涼子(すずこ)ちゃんやろ。ええ加減、出たれや」
治が経営する食事処“おにぎり宮”では、夜の営業に向けて仕込み作業が佳境を迎えている。
世間はクリスマスムードで色めきだっているというのに、侑は午前中から時間を持て余し、気まぐれにおにぎり宮に顔を出しては一席を占拠しつづけていた。夜には付き合って半年になる彼女――涼子との約束が控えているが、どうにも乗り気がしない。めんどいなぁ、と治に愚痴をこぼしているうちに、うたた寝をしてしまい、いつもの夢を見たのだった。
ここ最近、くり返し見るようになった夢は、幼少期の実体験だ。
強く印象に残っているとはいえ、それも二十年も昔のことだ。二十七歳になったいま、なぜこうも頻繁に同じ夢を見るのだろうか。
深層心理ってやつ?
寝ぼけたままぼんやりしていると、根気よく振動をつづけていた端末が静かになり、それきりパタリと動かなくなった。
「あ……まぁ、ええか。どうせあとで会うし」
「とっとと振られてこい」
「そろそろかもな。それならそれで、べつにええわ」
薄情、ひとでなし、クソ野郎。いちいち覚えていないが、歴代の恋人たちから罵られた言葉は数知れずだ。「バレーのことしか頭にない」「私のことなんて好きじゃないんでしょ」と詰め寄られるたびにうんざりし、そもそもそういう人間やとわかった上で付き合うたんとちゃうんか、と言ってやりたくなる。
「そのうち、女に刺されんで」
治が呆れたような顔で言う。
「刺されんのは嫌やなぁ。痛いの嫌いやし、バレーできんくなる」
「おまえな……このままバレーと心中でもするつもりなんか」
「べつに、そういうわけちゃうけど」
「薬は効いてんねやろ」
「……まぁ、な」
唐突に痛いところをつかれて、侑は口をつぐんだ。さすが双子とでもいうべきか、治にはなにもかも見透かされている気がした。このところ不安定だった侑の体調は、新しく試した薬が効いたことで回復傾向にある。それでもいまだ気分は晴れないまま、身体が重くて仕方がなかった。
侑は、特定の色が体内で過剰に生成され、蓄積される体質のロール――いわゆるペインターだった。
この世には男女の性別のほかに、ロールと呼ばれる性区分が存在する。ロールは魂がもつ色の特性によって決まり、ギャラリー(Gallery)、ペインター(Painter)、キャンバス(Canvas)の三種類に大別される。
大半の人間はギャラリーで、その魂は色のエネルギーが偏りなく均等で、おおよそ白色を帯びているという。特殊能力をもたない彼らは、世界人口の約七割を占めるマジョリティだ。
これに対し、ペインターとキャンバスは希少種で、それぞれが二割に満たない。
侑のロールでもあるペインターは、魂の色自体が鮮やかで強く、さらに特定の色のエネルギーが突出して高いという特徴をもつ。多くの者が才能に恵まれるが、その一方でストレスや感情の起伏によって体内で色が生成されつづけ、ある一定の値をこえると中毒症状を引き起こす。心身の不調にはじまり、性衝動の暴走、はては中毒死につながるケースもあることから、定期的な色の発散を含むコントロールが必要不可欠だ。現状では抑制剤による薬物療法、もしくは自分に適合するキャンバスと接触し、溜まった色を吸収してもらうほかない。
対照的にキャンバスは、ある特定の色を持たない者であり、生来その色を知覚できない。魂の色が部分的に欠如していることから、孤独や不安を感じやすく、充足感を得るには心身を安定させるための薬物療法か、または適合するペインターと接触し、自らにない色を吸収して満たさなければならない。
この吸収は個人差が大きく、キャンバス本人が望んだとき、あるいは本人の意思とは関係なく不規則に行われる。触れるだけでもよいが、性交渉など深い接触になればなるほど、色の吸収率は高まるとされる。ただし、好意をもった相手に対するキャンバスの色吸収の程度はすさまじく、それはときにすべてのロールを対象に行われてしまう。下手をすれば、相手の健康や生命までをも脅かしかねない。したがって能力が不安定であったり、強力な一部のキャンバスは、一般的な社会生活すら困難になり、専門機関で生涯を過ごす場合もあるほどだ。
容姿からロールを判別できないギャラリーやペインターと違い、キャンバスの多くは瞳や頭髪をはじめとする体毛が、脱色したような透明に近い灰色をしている。ゆえに、古くは魂を狩りとる忌むべき脅威として、差別や迫害を受けてきたという歴史がある。しかし医学が進歩した今日では、色の凹凸が適合する、いわゆる相互補完の関係にあるペインターとキャンバスは、互いになくてはならない存在であるとの認識がすっかり定着している。双方の合意のもとで色を与え、吸収する送受治療は、投薬よりも副作用のリスクが低く、現代医学において第一選択肢にあがる。治療のベースになりつつあるのだ。
送受治療のほか、ペインターとキャンバスには、染色と呼ばれる魂の契りが存在する。染色後は肉体的にも精神的にも強い結びつきが生じ、格段に日常生活をおくりやすくなる。互いに接触せずとも、遠隔地からでも、自動で色の送受が行われるからだ。ペインターは中毒症状からの脱却、キャンバスは心身の安定のほか、それまで見ることのできなかった色を知覚できるようになったという症例も報告されている。
ただ、染色は魂に干渉する強固な結びつきであり、一度契りを結んでしまうと破棄ができない。たとえ恋愛かつ適合関係にあっても、染色を行わずにパートナーシップや婚姻のみを選択する者が多いのもこれが理由だった。
ロールはまず出生時検査で判定され、平均して十歳から十三歳ごろで発現する。侑にペインターの特徴が発現したのも十二歳のころだ。
身体に色が溜まりつづければいずれは中毒症状が現れ、選手生命のみならず生命にも危険が及ぶ。ロールの発現以降、侑は定期的に色を発散、コントロールする投薬治療を受けている。けれど、体質のせいかどの薬も時間が経つと効きづらくなってしまい、薬の選択肢は残りわずかだ。特にここ数年は不調がつづき、徐々に生活にも支障がではじめていた。
主治医からは、プロのバレーボール選手という侑の職業も考慮して、相性の良い適合キャンバスの紹介と送受治療をすすめられている。適合するパートナーがいないペインターやキャンバスは、医療機関により紹介が受けられる制度があるのだ。望めば、個人情報を秘匿したまま、顔をあわせずに治療が受けられる。麻酔で眠っている間に完了というわけだ。
治療を行えば、いまのこの不調も落ち着くのだろう。主治医の言う通り、やったほうがいい。やるべきだ。そう頭では理解しているのに、もう何年も保留にしたままうなずく気になれない。
ロールが発現した十二歳のころ、読み漁った本のひとつにあった一文が、頭にこびりついて離れない。
“ペインターとキャンバスには、生涯にただ一人、完全適合で心身ともに深く結びつく相手「運命(セット)」がいるといわれています”
心身ともに深く結びつく? 運命? ふざけるな、と思う。魂に不備がある欠陥品同士、適合さえすれば相手は誰でもええってことやろ。生きていくために互いに補い合う、そのためだけの関係。送受の治療も染色も。勝手に決められたそんな胸クソ悪い運命にふりまわされるんはごめんや――。
ぎりっと奥歯を強く噛み締めた、そのとき、目の前がチカっと光った気がした。
「……は? なん?」
眉間に皺を寄せて黙りこんだままだった侑の前に、一枚の葉書が差し出されていた。
「これ、やるわ」
大人しく受け取って見れば、それは花屋の案内状らしかった。店名や地図に加え、ヒマワリのイラストが描かれている。
「どうせ涼子ちゃんになんにも用意してへんねやろ。花のひとつでも買うていったれや」
花? 予想外の単語に意味がわからず、侑はますます眉間の皺を深める。
「なんでいきなり花?」
「ちゅーんは建前で、そこ、うちの贔屓の花屋でな。なんや大口のキャンセルが出たとかで、えらい困っとるらしいわ」
「ほぉん」
どんなに大切に世話をしても、花はいつかは枯れてしまう。もともと植物に興味はないし、治の贔屓の店だろうが助けてやる義理はない。それなのに、なぜだかヒマワリに目が吸い寄せられる。ドクドクと心臓が脈打つのを感じる。
「まぁ、どうせ暇やしな。行ってみるか」
葉書を片手につぶやいた侑に、治は一瞬驚いたように目を見張ったが、すぐに「せいぜいフラれんようにな」と言って笑った。
花屋――フラワーショップひなたは、治の店から徒歩十分、同じ商店街の一角に店を構えていた。
オレンジと白のストライプ柄のテントに、ポップな黒字で「フラワーショップひなた」とある。店先にも売り物と思しき花々が陳列され、実に鮮やかだ。全体的に年季の入ったこじんまりとした佇まいだが、きちんと手入れをされている様子が窺えた。
洒落た店なら躊躇もするけどこれなら入れんこともないな、と失礼なことを思いながら、侑は開け放たれた入口から店内をのぞく。
店の中には店員の男性がひとりいて、作業台に手をついてじっと俯いていた。侑の位置からは横顔しか見えないが、前髪を垂らした黒髪の短髪で、グレーのパーカーにストレートデニム、カーキのショート丈のエプロンを身につけている。身長は百七十センチ前後といったところか。
「あのぉ」
「あ、はい! いらっしゃいませ~」
意を決して入口をくぐると、侑に気がついた店員がくるりと身を翻した。店員が侑を見て目を丸くする。その瞬間、侑の思考が完全に停止した。信じられない面持ちで目の前の店員を凝視する。店員が不思議そうに首を傾げたところで、我に返った。
「あの……どうかされましたか?」
「いや、知り合いに似とる気がして……あ、でもちゃいました。人違い」
両手をヒラヒラさせて弁明するも、焦って口走った言いわけはナンパの常套句のように陳腐で、不審者極まりなかった。店内に妙な空気が流れる。居た堪れなくなった侑が「いきなりすんません」と謝罪すると、店員もつられたように「いえいえ」と会釈した。そこで再び侑は、店員の姿に見入る。
その顔には、やはり見覚えがあるような気がした。最近よく夢に見る、あの蜜柑頭にどことなく雰囲気が似ているのだ。けれど、具体的にどこがと言われると困る。なにせ二十年も前の記憶だ。それに、目の前の店員は侑の記憶とは違い、髪も瞳も吸い込まれそうな漆黒で真っ黒だし、年齢も侑よりずっと若く、まだ十代のようにも見えた。
「そんなに似てますか?」
店員が困ったように言う。
「あ、まぁうん。せやな」
「ぼくもいま、まったく同じことを思っていました」
「え?」
「侑さん、ですよね? 治さんのご兄弟の。最初、治さんがイメチェンしたのかと思ってびっくりしちゃいました」
さっき治さんに会ったからそんなわけないのになー、と店員が無邪気に笑う。
侑と治は一卵性の双子で、二人をよく知らない人間にはひと目で見分けがつかないほど、外見が瓜二つだ。見分けやすいのは髪色で、黒髪の治に対し、侑は学生のころからもう何年もハイトーンの金髪に染め上げている。
「あぁ。おん、そう。治から店のこと教えてもろてな。クリスマスやし、たまには花でも買うてったるかなって」
「そうでしたか。治さんにはいつもホントによくしてもらってて。侑さんにもお会いできて嬉しいです」
「そうか。そらよかった。えーと、名前聞いてもええ?」
「ひなた、です。日向翔陽。漢字でこう書きます」
日向が胸元のネームプレートを見せてにっこりと笑う。日に向かって翔る太陽。ネームプレートの名前の隣には、太陽とニコちゃんマークを模したヒマワリのイラストが描いてある。ぴったりやん。名は体を表すとはこのことだろう、と侑は感心する。
「あれ、ひなたって」
「へへ。俺、一応ここの店主なんです。元々は祖母の店で、継いだばかりでまだまだ駆け出しなんですけど」
「え、でもまだ学生やろ?」
「もしかして十代に見えてます?」
「ちゃうの?」
「よく言われます」
口をついて出た言葉に日向が苦笑する。さすがの侑も初対面でこれは不躾だと思い直し「わるい」と謝ると、日向はまたからりと笑った。そもそもが幼い顔立ちなのに、笑うと一等幼く見える。日向が笑うとなんとなく落ち着かない気持ちになる。どうもおかしい。
「日向でも翔陽でも呼びやすい方で呼んでください。ちなみに、治さんは日向って呼んでくれてます」
「ほんなら……翔陽くんで」
「はい! 侑さん、お花はどうします? プレゼントですか?」
――そういえば、花を買いに来たんやったっけ。
当初の目的を思い出して、侑はぐるりと店内を見渡す。が、花屋に来たこともなければ花の種類さえよく知らない侑には、選ぶもなにもまずオーダーの仕方がわからない。
「そう、彼女やねんけど。俺あんま花には詳しくなくてなぁ」
「そしたら一緒に考えましょうか。予算はどのくらいで考えていますか?」
サイズは? 彼女さんの好みの色は?
日向は手慣れた様子で侑から必要な情報を聞き出すと、いくつかの花をピックアップし、あっと言う間にアレンジメントを作り上げた。赤い二種類のダリアをメインに、ボルドー色のカラー、小さな赤い実をつけたシキミア、柔らかい緑のヒムロスギ。クリスマスらしく華やかではあるけれど、どことなく凛とした清潔さを感じる。
あまりにも華麗な手捌きを前に、隣で見ていた侑は感心しきりで、「ほお」だの「へえ」だのとただ歓声をもらすしかなかった。そのたびに日向がくすっと笑ってくれるのが、むず痒いけれど嬉しい。
なんやろう、この胸ん中がポカポカする感じ。まさに日向ぼっこしてるみたいな……っていやいや、なんやそれ。おもんないから。
久しい感情に侑が自分でも戸惑っていると、花束を紙袋に詰めていた日向が「これ、おまけと言ってはなんですが……」とつぶやいた。見ると小さなヒマワリの花束を手にしている。
「なんで? ええのん?」
「実は、注文がキャンセルになっちゃって……良かったらもらってくれませんか」
「そらありがたいけども。あ、そういや、治がキャンセルがどうとかなんや言うてたな。大丈夫なん?」
「はは。恥ずかしながら……でも大丈夫です」
日向は大丈夫だと言うが、彼の後ろには行き場をなくした大量のヒマワリが鎮座している。明らかに他の花とはわけられているな、とは思っていたのだ。
「もしかして、そこのヒマワリ? 何本ぐらいあんの?」
「……百本弱、ですかね」
パーティー用のアレンジメントだったんですけど、と日向が困ったように頬をかいて笑う。
「ちょう待って。そもそもいま十二月やん。なんでヒマワリが咲いてんの?」
花に疎い侑でもこのくらいのことはわかる。ヒマワリは夏の花ではないのか。
「品種改良した冬咲のヒマワリなんです。祖母も俺もヒマワリが好きで、一年中販売できるよう農家さんにお願いしてて。通常よりずっと小ぶりなんですけどね」
冬咲きもなかなかキレイなんですよ。日向は目を伏せてヒマワリの花束を慈しむように抱きしめる。白くて丸い頬に睫毛の影が落ちた。
侑はどうしてかその姿から目が離せなくなった。明るくてよく笑う、というのが日向に対する率直な第一印象だ。けれど、花束を抱きしめる姿はどこか儚げで、目を離したが最後、静かに消えてしまいそうな危うさがあった。無意識のうちに手がのびる。
「侑さん?」
名を呼ばれ、ハッとして侑は慌てて手を引っ込めた。目の前では、日向が小首を傾げている。
……なにをしとんねん、俺は。
大っぴらに言えるような、まともな思考でないことだけはたしかだ。あのまま名前を呼ばれなければ、いったいなにをしでかしていたのだろう。恐ろしくて考えたくない。
決まりが悪くなり、そらした視線の先にはヒマワリの束があった。そこでふと名案を思いつく。これで罪滅ぼし、いうわけちゃうけども……。
「あ、すまん。追加で頼んでええ?」
「はい、それはもちろん」
「したら、そこのヒマワリ全部つこて花束作ってくれん?」
「全部って」
「ええから、ええから。頼むわ」
日向は困惑していたが、侑の勢いに押されるがままオーダー通りの花束を作った。できあがったのは、日向の上半身を覆い隠せてしまう程の大きなヒマワリの花束だった。鮮やかな黄色のかたまりが目に眩しい。
「重っ。百本ってこんななるんやな。ええ香りするし、めっちゃ豪華やん」
会計を済ませて花束を受け取った侑は、満足そうにうなずいた。対照的に、日向は肩を落とし申し訳なさそうにしている。
「すみません。俺、気を使わせてしまいましたよね」
その様子は飼い主に叱られた小型犬がしゅんとしょげているようで。さっきまで全力でしっぽ振っとったのに、と侑はおかしくなった。
「気なんてつこてへんよ。俺はそんな善人やないしな」
そもそも罪滅ぼしやし。
「でも……」
「ちゅーわけで、ほい。これ、俺からのクリスマスプレゼント。いつも治が世話になっとる礼やと思ってくれたらええわ」
侑は受け取ったばかりのヒマワリの花束を日向に突き出す。反射的に花束を胸に抱き留める形になった日向は、ヒマワリの隙間からまるで幽霊でも見たかのような表情で侑を見て、口をあんぐり開けたまま動かなくなった。微動だにせず、完全にかたまっている。
「……」
「翔陽くん?」
「……」
「……ごめん、迷惑やった?」
侑の言葉に日向はぶんぶんと勢いよく首を横にふった。その顔がみるみる内に朱で染まっていく。反応的に迷惑というわけではないらしい。
「なら、よかったわ」
「迷惑なわけないじゃないですか!」
「んはは、そらよかった」
「うっ、ホントにありがとうございます。嬉しいです。あの、大事にしますね!」
真っ赤な顔で必死そうに告げる日向を前に、侑はひどく満たされた気持ちになる。喜んでる。楽しい。嬉しい。よかった。あらゆる感情が流れ込んでくるようで。もう少しと思うけれど、時間切れだった。
先ほどからポケットに入れてあるスマートフォンが震えているのだ。待ち合わせまではまだしばらくあるが、おそらく涼子だ。
互いに礼を言い合って、後ろ髪を引かれる思いで侑は店を後にした。
「やから、悪かったって。朝から治んとこにおって。おん、これから移動するから」
涼子との通話を終え、花束が入った紙袋を片手に、駅へと向かう道すがら侑は考える。花屋での自分の行動はまったくもって理解不能で、意味不明だった。罪滅ぼしという口実があるとはいえ、初対面の店員に、百本にもなる花束を贈るなんて。どう考えてもおかしいだろう。そもそもあのとき、手をのばしてどうするつもりだったのか。
考えを巡らせたところで答えは見つからない。ただ、いまはとにかく気分がいい。こんなにも晴れやかな気持ちになれたのは、自分でも思い出せないくらい久しぶりだった。
つづく