Doggy's like Rolling Stone今日、正確にはここで車を停めてから間もなく二時間ほど経とうかという間に、何度聞いたか知れない異音が性懲りもなく響く。
「ねぇ、また変な音したんだけど」
呆れと苛立ちとを隠さない声音でそう言い放ったのは、頭上に光る天輪を輝かせるサンクタ族の少年だった。
「大した事じゃありません。こういう修理には付き物の音です」
何度も響く異音と同様の回数、似たような言い回しの説明を律儀に返したのは、黒い髪やまだあどけなさの残る顔を油や埃で汚しまくった、ペッロー族の青年だ。
サンクタはうんざりしたように、足元の小石を軽く蹴とばす。
狙ったのか否か、それは小気味良い音を立て、古びて塗装の褪せた車体、その閉じられたドアにぶつかった。
青年は気にした様子もなく、車の前方、開いたボンネットに張り付くようにして、そこに詰め込まれたパーツの修理点検に勤しんでいる。
そして俺は、そんな光景を少し離れた場所で見物しながら、惰性で煙草をふかしているところだった。
地面から突き出す適度に平らな岩に腰かけ、荒野にて立往生中の車が直るのを待つという、状況としては退屈極まりない『仕事の一環』として。
荒野で立往生といっても、一キロもしない所には目的地が見えている。
移動都市の走行ルート間際の、そこそこ規模のでかい田舎町。
田舎とはいっても、地上地下ともに資源をたっぷり含んだ領土を有し、それを交易の材料として発展しているだけに、町の様相はそれなりに裕福だ。
車を停めているのは荒野と街との境界線じみたポイントで、目と鼻の先、密度の低いアカシア群の林を分け入ると、開拓された町が展開されているという立地になっている。
今回言い渡された作戦は、以前からその町に簡易でもいい、ロドスのオフィスを設置できないかという交渉をしにいくというものだ。
だがそんなものは表面的なお題目に過ぎないことは、この作戦に参加している者は大体が理解している。
町は一応は某国所属扱いとなっているが、似たような成り立ちの田舎町特有の気風なのか、ある程度独立した統治体制が敷かれていた。
要するに、公的に言い渡された秩序には従わない、政略やその他大衆向けの公平さなんかを掲げた『話し合い』など、一筋縄では通じるわけがないと見做されている。
そしてこの辺りは、まだロドスの知名度が浸透していない故に、その威厳を振りかざしての交渉も容易ではないだろうと、ロドスの経営陣は判断した。
下手をすれば異物扱いを受け、厄介ごとに発展しかねないということでもある。
それゆえ、単なる『町長』との『接待を兼ねた交渉』に、普段なら選抜されないようなメンバーが複数名抜擢されていた。
そんな中の一人に、俺も選ばれてしまった。
あまりに物々しい面子ばかりを連れていっては向こうを刺激するだろう、とはいえ荒事となったら、少数でしっかりと不慣れなメンバーをカバーできるだけの手練れが欲しい。
ただそれだけの理由で、だ。
ロドス本艦を停泊できる街で借りた車は、予算のせいでオンボロを掴まされる羽目になった。
予算のせいとはいうが、明らかにこちらを下に見た対応のせいだとは、一部を除き誰もが気付いていたことだが。
とかくこの地域でのロドスの権威は低い。いち製薬会社でしかない以上、クルビアなんぞの名だたる有名会社等と比べるのもおこがましいと言われればそれまでだが。
幸いにして、こちらには機械工学に精通したメンバーがいる。
いざとなったら可能な限り修理くらいは出来るだろうとも本人が宣言したため、その場で余計な波風は立てず、大人しく目的地まで車を転がしていくことになった。
車は予想よりも長くは走ってくれたが、目的地を間近にして呆気なく動かなくなり、仕方なしにそこで足止めをくらうことにした。
ただ目的地は歩いていけない距離でもない。
それゆえ一旦チームを二つに分け、車の側に残るものと先に町に乗り込んで事情なんかを説明しがてら情報収集をしてくるものとで、別行動をとることにした。
「通信機も使えないし、最悪だよ」
車の側に残ることになったサンクタの少年アレーンは、終始不機嫌だった。
別にこいつは町に向かっても良かったのだが、このあたりは歩きにくいだのと文句を重ね、なんだかんだとここに残ると言い張った。
そして黒髪のペッロー、ここ最近でロドスに加わった新参のウィンドフリットは、自前の腕をもって車の修理を任されているといった状況だ。
俺はそんな二人の子守りをさせられている。名目としては戦闘経験の浅い二人の護衛だが、名目が変わったとしてやることは同じだ。
何本目かの煙草に火を点けようかという時、ボンネットに張り付いていた青年が声をあげた。
「よしっ」
それに間髪入れず、最早聴き慣れた鈍い異音が響いたのだが、青年は気にした様子もなく顔をあげた。
「故障したと思われる個所は全部直しましたよ」
言いつつ、青年は顔の汚れを袖で拭いながら、運転席に早足で回った。
取り出しかけた煙草はしまい、吸い終え地面に落とした煙草は誤魔化すように靴裏ですりつぶし、傍らに置いた武器を拾い上げつつ腰を上げる。
車に近づく頃には、沈黙していたエンジンが再び動き出すのが確認できた。
「へぇ」
サンクタの少年は軽く首を回しながら呟いた。
「ホントに直るんだ。こんなオンボロ」
その声音は相変わらず気だるげだったものの、多少なりとも感心するような感情も読み取れた。
だがそう呟いたのも束の間、不意にエンジンが再び停止し、小爆発を思わせるような鈍い音と共に、開いたままだったボンネットから煙が立ち上る。
案の定、うんざりとしたため息も響き渡った。
「ねぇちょっと」
「あ、やっぱり駄目だったか……」
運転席からひょっこりと顔を出し、ペッローの青年がやや耳を垂れてみせた。
「あり合わせのものでなんとかしようとしたんですけど」
「動かないんじゃ意味ないじゃん」
サンクタはそう言って肩を竦め、やや雑な所作で車体に背をもたれる。
対してペッローの青年は再びボンネットの前に移動し、考え込む様に腕を組んだ。
「こことここはいいとして……ここは、どうしても取り換えが必要だな」
「部品を替えれば動くのか?」
サンクタの少年とは反対側の位置に立ち、同じように車体に背を預けつつそう問いかける。
青年は素直に顔をあげてみせた。
「はい。でもどうでしょう、どっちみち急場しのぎというか、帰りのことを考えたら、もう少ししっかりとした設備で修理しないと」
「ここに乗り捨てて、向こうで新しい足を拾うほうが早いんじゃないの」
サンクタが少し離れた目的地のほうを見やる。
「一応借り物ですよ。ちゃんと返さないと」
ペッローは至極真っ当な言葉で反論した。声音から棘は感じないものの、主張は微塵も曲げるつもりはない、という意思は滲んでいる。
正直に言えば、どちらの意見に賛成するかと問われれば迷いなく乗り捨てていく案だ。
元々払った金に見合わない安物を掴まされているうえ、修理して使いまわすにも限度があるのは、素人目から見ても明らかである。
レンタル店の店主がどういう思惑だったかは憶測に過ぎないが、金の取引が終わった時点でこの車もそれを乗り回すこちらのことも気に留めていなかったことだけはわかっていた。
だが、ここでの『仕事』を円滑に回すために義理を通すのも任務の一環と考えれば、徹頭徹尾誠実にふるまうべきという考え方にも同意はできる。
数秒あれこれ考えたあと、ため息をつきたいのをぐっとこらえ、『子守り』役としてこの場を納めるための方便を口から出まかせすることとした。
「どうするかは、町にいった連中が戻ってきてから決めても遅くない。そろそろ帰ってくる頃だろう」
そう言ってやると、二人の視線がこちらに集まった。
ちらりと見渡す限り、両者顔に出している感情は異なってはいたが、こちらの言葉に依存はないという意思だけは汲み取れた。
町にいった連中とは、龍門近衛局出身のホシグマ、ドッソレスで関わったちょっとしたいざこざを経由してロドスに雇用されたテキーラという若者の二人である。
先乗りしてこちらの車が立往生している旨を伝えるのと、向こうのトップとの本格的な交渉を前に軽い情報収集をしてくる、と言い残されていた。
念入りに事前調査をしている可能性を考慮したとて、間もなく二時間は経とうという頃だ。
日が暮れるまで戻らぬということもあるまい、とは思う。何か想定外のトラブルがなければ、という注釈つきではあるが。
かといって、連中はここに残った若者二人に比べれば『やれる』側の人間だ。
テキーラに関してはまだ未熟さを見せることもあるが、ホシグマがいれば並大抵のチンピラなど歯牙にもかからないだろう。
例え交渉すらできずにいささか乱暴に追い出される羽目になったとて、たいした損害もなく帰って来ることは想像に容易い。
となれば、後はここで退屈を耐えるのみとなるな、と頭を過ぎった矢先、ふいに思わぬ声があがった。
「じゃあ、お二人が戻るまで、アルティメットでもして気分転換をしませんか?」
その声に反応して顔をあげると、いまだ油で汚れた顔のまま、ペッローの青年がこちらに向け笑みを浮かべた。
提案が予想外で少し面をくらうと、もう一人も似たように思ったらしく、どこか困惑した声をあげる。
「なにそれ」
文脈からしてなんらかの遊戯なのだろうとは感じたが、俺も純粋に聴き慣れない単語ではあった。
それを予め承知してか、青年が説明を続ける。
どうやら一種のスポーツであること。敵味方数名のチームに分かれ、フリスビーじみたディスクをパスしあってゴールにシュートすることで得点を稼ぐこと。そういうような競技だと理解した。
「そもそも三人しかいないし、そのフライングディスクとかいうやつもないけど?」
説明を聴き終えたアレーンはまた肩を竦めてみせる。
「二人はアルティメットの経験がないんですよね。じゃあ、スローとキャッチの練習みたいなのはどうですか。そういうのも楽しいですよ」
「僕はムダに走り回って楽しいと思わないから」
サンクタの少年はそう突き放す。
まあこいつはそういうタチだろうなと諦め、仕方なしという雰囲気を出しつつ息を吐く。
「ディスクじゃないが、こいつでどうだ」
そう言って、近場を数歩探し適当に見つけた低木から一本、手頃な枝を折って掲げる。
それを手の中で軽く回して見せると、心なしかウィンドフリットの耳が嬉しげにぴんと立った。
「結構遠くに飛ばしてくれていいですよ。俺、クランタ族の人ほどじゃないけど、足には自信あるし。地面に落ちる前にキャッチして見せますから」
よく見れば、青年の尻尾もうずうずと揺れている。
なるほど、この遊びが余程好きらしい。機械弄りも相当のめり込んでいるらしかったが、アウトドアもライフワークに組み込んで楽しむとは、なんとも可愛げのある若者らしいとつい口角があがる。
車から少し離れ、いくらか見通しのいい場所に二人移動すると、少し遅れてこちらへアレーンも近づいてきた。
「え、付き合ってあげるんだ。優しんだね」
一旦返事は保留とし、枝を投げる体勢を取る。遠くに飛ばしていいとのことだったので、遠慮なく思い切りスナップをきかせ、遠くめがけて投げさせてもらった。
放り投げられた枝を視線で負いつつ、ウィンドフリットは予想よりも速い速度で駆けだした。走り出しも、最中の姿勢も悪くはない。運動神経は良好らしい。
「興味が出たか?」
からかうような口調で返してやると、サンクタの少年は即座に首を横に振ったが、表情はそこまで暗くもなかった。
「別に。見てる分にはまぁ、暇つぶしにはなるかなってくらい」
そう言い終えるのと、視界の端で見事ウィンドフリットが小高くジャンブし、空中の枝をキャッチしたのはほぼ同時だった。
そして機を見たかの如く、反対方向から待ち人たちが近づいてきた。
「よお、待たせたな」
小脇に何やら荷物を抱えたホシグマが声をかけてくる。その少し後ろでは、テキーラが軽く手を挙げて見せていた。
返事代わりに車の状態を軽く説明してやると、続けてホシグマが実に用意のいい手回しを土産に披露してくれた。
「立ち寄った酒場で運よく車の整備士をやってる奴に会えたんで、『話をつけて』使えそうな部品を融通してもらえたよ。向こうでの『面倒』も見てくれるらしい」
「ほう。良い報せだ」
「はは。この手の雑務は、私の古巣じゃ当たり前の『作法』ってやつだ。こういう時こそ、上手く活用してやらなくちゃな」
言い回しは直接的ではないものの、そこにどんな意味合い、事柄が含まれているかはお互い察することができる。
それに関しては、残りの二人も概ね同じだろう。テキーラに関しては間近で目撃してきた筈だ。
「ちなみに、何してたの?」
テキーラが更にこちらに歩み寄り、離れたところからゆっくり走って戻ってくるウィンドフットとこちらとを交互に見る。
アルティメットとやらのことを言ってやると、ホシグマはともかくテキーラには覚えがあったようで、多くを語らずともすぐに状況を理解してみせた。
あるいは、かのドッソレスの地においても、メジャーとまでは言わないものの娯楽の一つとして、名だけは通っていたのかもしれない。
「お前もどうせならやったらどうだ?」
ホシグマは荷物を一旦車の側に下ろしつつそう言った。
お前というのが誰を指しているのかは、この場においては明確だった。アレーンは既に近場の岩に腰を下ろしている。
「え、俺? あんまりそういうつもりで、服選んできてないんだけどなぁ」
テキーラはややわざとらしく見えるような軽薄な振る舞いで、軽く頭をかいてみせた。
無論、それが本物の口から出まかせなのは、誰もが承知している。
何せブリーフィング時点で、荒事の覚悟はしておくようにとは、作戦責任者たるドクターから何度も言い含められていたからだ。
「ウィンドフリットの奴と交代してやれ」
追いうちをかけるようにそう言ってやると、丁度話題に出した本人が戻ってきた。
「おかえりなさい。あなたもやりますか?」
少しあがった息を上手に整えながら、同じペッローの青年がまるで当然と言わんばかりに声かけをする。
「車の修理は私が引き継ごうか。部品を交換するだけなら、なんとかできる」
とどめと言わんばかりにホシグマが告げた。
確かこいつの趣味にはバイクも含まれていたな、と脳裏に過ぎる。構造が全く同じでないものの、車両整備の知恵が多少あるのは嘘ではないだろう。
「ならせっかくですし、競争しませんか」
「えぇ、結構本格的にやる感じ?」
「言っておきますけど、アルティメットに関しては俺、結構自信あるんです。エンカクさんのスローもすごい上手でしたよ」
そう言われつつ、枝を手渡される。苦笑しながら再び枝を軽く片手てジャグリングして見せた。
「勝負に乗らないのか。色男」
そう煽ってやると、相変わらずの笑みを浮かべつつも、どこか腹を決めたようにテキーラが袖をまくった。
「そう言われてから降りたら、いっそう情けなくなるじゃないか。もう、しょうがないな」
言葉はともかく、その表情はすぐに真剣みを帯びた。対するウィンドフリットも、いつでも走り出せる体勢に移る。
アレーンは相変わらず腰を下ろしたままだったが、その口の端がわずかに笑んでいた。
ホシグマは宣言通り、車のボンネットに向かっている。
合図の代わりにと指を鳴らし、腕を振りかぶる。
二人の視線がこちらに向いたのを確認してから、先ほどよりもやや力を込めて、枝を放り投げた。
同時に走り出す二人の背を視線で負いつつ、手癖で懐から煙草を取り出す。
『子守り』は退屈な仕事だが、活き活きとしてエネルギッシュな後進たちを見ているのは、個人的には嫌いではない。
いずれその若木がどんな大成を果たすかと空想するのも、どんな最期を華々しく飾って散るのかと期待するのも、鉢植えの世話と同程度には有意義と感じられる。
そういう趣味と言われれば趣味なのだろうな、と胸中で思いつつ、煙草に火を点した。