ビロードに墜落(牛アタ) 何故目が覚めたのかはわからない。
かつて沈まぬ太陽と謳われたこの国は、だからというわけではないが、夜の闇さえ淡い灰紫にけぶるようだ。頑健ながら優美な造りの窓も今は薄闇に浸り、そこに頬杖をつく男は、くわえた紙巻からほそい煙を流していた。
群を率いる、主を奉ずる、いずれにも過不足ない働きを見せる男。あるいは、期待以上の働きで周りの全てを振り回す男。客観的に評価を下すなら、そんなところだろう。他人事のように、下に置くには危険すぎるとアタルは思った。
全てはとうに手遅れである。彼は己を守るために惜しみなくその身を投じ、一度は還らぬ者とされた身だ。
じわり、と心臓の裏側が疼いた。
シーツの上から眺める、思いがけずしずかな横顔。つい数時間前、互いの精魂を振り絞るように情を交わした名残は、ほつれ乱れた髪にしか見られない。
暗がりの陰影が際立つ上裸にスウェットを履き、灰皿は真鍮のありふれたもので、映画のワンシーンに喩えるにはあまりに無造作だ。それでも、あるいはそれゆえにか。
たまらない、と思った。
肌の匂い、肉の重み、しめった逸る息遣い、それらはみなさっきまでアタルの上にあって、獰猛に思慮を重ねる獣の眼が、彼の膚をくまなく舐っていた。杭打ち穿たれる、最も深い繋がりを既に得てなお、狂おしい衝動があぎとを開く。そこから湧き上がる叫びが、鼓膜をふるわす錯覚に襲われる。
欲しい。
あれが欲しくてたまらない、と。
「……バッファローマン」
呼びかけた声はほとんど囁きだったが、他に音とてない寝室で、彼はこちらに顔を向けた。ごく自然に煙草を消し、一人掛けのソファから腰を上げる。
「悪い、煙たかったか?」
煙は窓の外へ吹いていたくせに、そんなことを言う。喫わない──とうの昔にやめた──アタルへの気遣いが、今更にむず痒かった。すぐに戻ってきて、ベッドに腰掛けたのもそうだ。もっとも、これは弟曰くの寂しがり屋らしさでもあるのだろう。自分なら目が覚めた時、相手が隣にいないのは嫌だ、というような。
そんな考えを巡らせている間、アタルは一言もなくバッファローマンを見つめていた。言葉がないのはいつものことなので、彼は意に介さず隣に潜り込んでくる。
「もうちょっと寝ようぜ、まだ三時前だ」
厚くおおきなてのひらが首筋を覆うように撫で、ひんやりとした夜気を遠ざける。そのあたたかさ、あまやかさに眩暈がする。何を今更、と口にも出さず独りごちた。
恋など、気付かぬ方がよいものを。