宅飲みイエー今日は弟が留守なんだ、とダリアンが言うので、僕は彼を我が家に招くことにした。
もちろん生娘でもない(ついでにバージンでもない)彼のこと、門限があるわけではないしお泊まり禁止って訳でもない。
ただしそれは表向きの話で、実際のところ彼の弟……デヴィンの許可がなければダリアンは外泊なんてしようとすらしない。
つまり、僕らが逢い引きを楽しもうと思ったら許可を取るか昼間に会うか、もしくは今日みたいに弟の留守を狙うかしないといけない。
まあそんな制約のある恋も、決して悪くはないわけで。これがダリアンと過ごすために必要な常識なんだって認識してしまえば、些細な不便なんて日常の一部だ。
僕は部屋の掃除を済ませ、ダリアンはビル警備の夜間シフトに出掛ける弟を送り出してから最寄りのスーパーで合流する予定だ。
先に着いたのは僕の方だった。先に買い出しを始めていてくれとメッセージが来たので、言うとおりにする。
発泡酒とチューハイと、ああワインも欲しいな。焼酎とソフトドリンクも必要。日本酒とウイスキーは……買い置きがあるから今はいいか。
カートを押しながら適当にアルコールの類いをかごに投げ込んでいると、遅れてやってきたダリアンがぽんと僕の肩を叩く。
「やあ、こんばんは」
「……ああ」
ダリアンは言葉少なに頷いて、それからすっと隣に並んだ。暗いグレーのシャツにデニム、黒いマスクがなかなか似合う。
ちなみにマスクが黒なのは以前夜道でのっぺらぼうと間違われたからだ。髪も肌も白すぎるせいで、ときどき(夏場は特に)お化けの類いと間違われては愚痴を聞かせてくれる。
ダリアンが合流したところで僕はアルコールをかごに詰めるのを切り上げ、つまみの確保に向かう。
まずは惣菜売り場へ。こういうときのおつまみは揚げ物主体、とびっきり品のない組み合わせで行くに限る。唐揚げにフライドポテト、たこ焼き、ポテトサラダも忘れずに。
味の濃い惣菜を掴んではかごに投げ込む僕を見かねたのか、ダリアンが袋詰めのミックスサラダを持ってきた。主義には反するけどまぁいいや。唐揚げの蓋にでも盛ろう。
「あとはスナックとナッツかな」
「備蓄は?」
「ちょうど昨日、最後のカシューナッツを食べきったところだね」
だいぶ重たくなったカートを押しつつ珍味のコーナーへ。ダリアンが筒入りのポテトチップスを吟味しているのを尻目にミックスナッツの袋をいくつか掴んでかごに投げる。
ダリアンはサワークリームオニオン味と塩味のどちらを買うかで悩んでいるようだった。沼にはまる前に両方掴み取って、これもかごへ。こんなところかな、あんまり買うと持つのが大変だし。
「チーズはいいのか?」
いつもの僕の好みを熟知している彼がそう訊ねるので、僕はふふんと胸を張る。
「今日はなんと、お取り寄せの良いチーズが家にあるんだよ」
ダリアンは「そうか」と頷いて、あとは静かに僕の後をついてきた。
レジに向かう直前で踵を返し、ダリアンが小さなパックをかごに載せる。きゅうりとカブの浅漬け。さっぱりしたのが好きだね君は。
大きめのレジ袋を三つほど抱えてスーパーを出ると、夕方の涼しい風が僕らを出迎えた。この国の夏はじっとり暑くてしんどいけれど、ふとした時に感じる風は本当に気持ちが良い。独特すぎる文化に興味を抱いて来日してきた僕は自分の選択に間違いがなかったことを確信し、一人小さく笑った。
ダリアンがそんな僕を不審そうに見ている。なんでもないよと笑って、僕らは汗を拭いながら帰路についた。
オートロックのエントランスを抜け、エレベーターで十一階へ。ほんのちょっぴり廊下を歩けば、尖り帽子を被った陶器のフクロウが僕らを出迎えてくれる。
ダリアンはセンスが悪いと眉を寄せるけれど、知識の象徴たるフクロウが帽子を頭に載せている様はとても可愛らしくてお気に入りだ。我が家の玄関にはこれくらいのユーモアがなくてはならない。可愛いし。
さて、家にたどり着いた僕らはまずはと強めにエアコンをつけ、順番に手洗いを済ませる。ご時世柄もあるし、こういうのはちゃんとしておいた方がいい。
それからリビングに向かい、愛用しているガラスのテーブルに買ってきたものをどんどん広げて置いていく。
雑多な惣菜とアルコール飲料が満載されたテーブルを見て、ダリアンは嬉しそうにしていた。僕にとっては手抜きだが、彼にとってはこれも立派なご馳走だ。
とりあえずはと冷蔵庫に入れてあった缶ビールを開け、特に意味もなく乾杯をする。夏場の熱気を残した身体に冷たい炭酸が心地良い。二人とも喉が乾いていたから、あっという間に飲み干してしまった。
二杯目は、これも冷蔵庫から取り出した瓶ビール。悪名高いウイルスと同じ名を持つせいで売れ行きが下がったというそれには、フレッシュのライムがひどく合う。僕は抜かりなく切ったライムを冷蔵庫に入れていたから、皆が愛した爽やかな味わいを遺憾なく楽しむことができた。
ここ数日の互いの状況を語り合いながら、ビールを二本。これくらいで酔っ払うような僕たちではなく、ここからは好きなものを好きなように飲む時間になる。
冷蔵庫の出力をかなり強くしていたので、帰りしなに投げ込んだ飲み物たちはしっかりと冷えていた。僕はテーブルに並んだつまみの蓋を開けながら、そういえばドレッシングがないやと呟く。各々好きなチューハイを取り出す際に、一緒くたに放り込んでいた袋入りミックスサラダの存在を思い出したのだ。
「……少し、待っていろ」
ダリアンはそう言って少し考えてからキッチンに入り、ものの数分でサラダを完成させてきた。
買い置きのオリーブオイルと塩胡椒、粉チーズとレモンを少し。それを袋に注いで軽く振っただけで、味つけ無しの袋野菜は劇的に美味しいサラダに変貌していた。
「……え、なにこれ美味しい。結婚してくれD」
「……弟が独り立ちできたらな」
「それは……応援してます、としか言えないなぁ」
手放しの称賛にダリアンは目元を赤くして、プロポーズめいた言葉に遠回しに賛同してくれた。
照れを隠すようにぐい、と呷ったのは白ぶどうのチューハイ。ダリアンは見かけによらず甘味が好きだ。苦味や酸味が嫌いなわけではないけれど、甘い味は格別に好きらしい。
僕は強さが売りのレモンサワーを飲みながら、甘いお菓子も買っておけばよかったなと思う。アーモンド入りのチョコレートとか、もし食べ残してもワインやウイスキーの肴になるようなものを買っておくべきだった。これは今後の反省点として、胸中のメモに記しておく。
「……そういえば、弟くんの話だけど。ビルの警備ってそこそこ人目につくんじゃないのかい?」
冷蔵庫から二本目のチューハイを取り出しながら訊けば、ダリアンはああと頷いた。
「あいつは夜勤専門なんだ。夜は基本的に誰も来ないし、見回り以外は監視カメラを眺めているだけだから」
「侵入者とかの事件がなければ、だけど」
「事件なんて、そうそうあるものでもない。寝不足になる以外は悪くない仕事だと、本人は言っていたな」
「へえ」
グレープフルーツ味のチューハイを傾けながら、僕は曖昧に頷いた。脳裏に浮かぶのは夏場ならではの話題。そう、例えばロッカールームで物音がするとか、トイレのドアが勝手に開閉するとか。
そういうのは大丈夫なの、と言うと、ダリアンは笑った。
「夏場でなくても、よくあることだそうだ」
「わお」
僕は目を丸くした。世のテレビや動画投稿者が血眼になって探している現象が、なんとこんなにも身近に。
「怖いことがあったら、デヴィンは俺に電話をかけてくる。……今日はメッセージしか来ていないから、そこそこ平和らしいな」
スマホを確認しながら、ダリアンはチューハイを飲み干した。彼らは育ちのせいか、やたらと環境適応能力が高いのだ。成人前から二人きりで生活してきた彼ら兄弟は大抵の状況に適応し、そこそこに生きて見せる。そんな彼ら……特に兄であるダリアンに惚れ込み肩入れしている僕としては、そんな苦労をしなくてものんびり生きていられる状況をつくってあげたいのだけれど。
「……っていうか、メッセージは来てるんだね。返事しなくていいの?」
「合間を見て返信はしてる。ええと、『今日は暇』とか『休憩に入った』とか……難しいことは言われてないから」
「なるほど」
なるほど。僕はそう繰り返し、一応自分のスマホを見てみた。デヴィンくんのアドレスは登録済みだ。
メールも着信もメッセージも、何も来てはいなかった。これは本当に、特に何もない日なのだろう。
なお、時刻は午前零時。のんびりぐだぐだしている間に、随分と夜もふけてきた。
とはいえ夜は長く、僕もダリアンもほろ酔い程度でまだまだ元気だ。
僕は飲み干したチューハイの缶を床に置くと、グラスの用意をするためにキッチンに向かった。
夜はこれからだ。お取り寄せのチーズとワインを楽しみながら、彼ともっともっと話がしたい。
眠くなるまで飲んで食べて、幸せな時をたくさん過ごしたい。
会話の合間につまんだ惣菜、少し残した揚げ物やら何やらを、ダリアンはこっそりと大きめのパックに移している。残り物とはいえ量はそこそこあるから、弟へのお土産にするつもりなのだろう。
冷蔵庫の奥には、まだとっておきのつまみがいくつか隠してある。スモークサーモンのマリネだとか、エビとアボカドのサラダだとか。
まずはどれから出そうかと、冷やしたグラスを手に僕は微笑んだ。