TABINO SHIORI MATMME* * *
「TABINO SHIORI」シリーズをまとめました。
書き下ろし含め計3話収録しています。
CPなしでバディ2人があちこちお仕事へ行くほのぼの話です。
こちらのサンプルは書き下ろしから抜粋したものです。
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新幹線を降りてすぐ、暁人がまず戸惑ったのはエスカレーターで止まる位置だった。
関東で生まれ育った暁人にとって、エスカレーターは右側通行、左に止まるのが常識だ。二十年以上習慣として染み付いた身体と頭では例え先を歩く人々が右に寄る姿を見たとしても、立ち止まるはずの左側を歩くのには違和感が拭えなかった。ちなみに本来エスカレーターは歩いてはいけないことは百も承知ではあったが、この際その是非の議論は置いておく。
暁人が関西に訪れたのは生まれて二度目である。
一度目は修学旅行だ。京都の神社仏閣を巡り、奈良の大仏と鹿を見て、大阪のテーマパークで遊ぶという関東圏の学校では定番のコースで訪れたきりだった。
もっとも、今回は前回の修学旅行と違い観光旅行などではない。れっきとした仕事──怪異退治のために遠路はるばるやってきたのだ。
今回の依頼が入ったのは昨夜遅くのことだった。忙しさにかまけ珍しく溜めてしまった報告書にようやく手をつけ始めた時、凛子の鶴のごとき一声が響いた。明日なるべく早く関西に行けと言うのだ。暁人の隣で同じく報告書を片付けていたKKも(ちなみに暁人が盗み見たその報告書には芸術的なイラストが描かれていた)少しは休ませろと抗議の声を上げていた。
それもそのはず、この稼業は今が繁忙期だ。暁人とKKが二人揃って報告書を溜めに溜めていたのも、お盆前後に毎年爆増するらしい幽霊妖怪その他諸々の対処に追われていたからである。
夜勤が主体のくせに連勤は当たり前。おまけにここ二週間ほどは連勤に次ぐ連勤で休みなんてあったもんじゃなかった。学業と兼業している暁人もさることながら、KKは絵理花の特訓に付き合ったりほかのメンバーと調査に出たりと、一層ハードなスケジュールだった。余談ではあるが、それ故約二時間ほどの旅路でも、白けた空に浮かぶ富士山を通り過ぎたのも気付かないほど二人そろって寝こけていたくらいだ。
閑話休題。突然の関西行きを命じた凛子が言うには、今回の依頼はとにかく三日以内には片を付けなければいけない、とのことだ。
というのも、夏休みに田舎へ帰省していた娘夫婦の子供がそれはそれは恐ろしいモノが祀られてるという祠を壊してしまったというのだ。下手に手を出してしまったが最後。その祠に祀られている何者かがやってきて名前を呼ぶが絶対に応えてはいけないという、どこかで聞いたことのあるようなアレである。
このような話の場合、住人の爺さん婆さん、もしくは寺生まれの何某かが対処法を知ってそうなものだが、知っている世代の者は殆どがホームへ行ったか子供夫婦の元へ引き取られたかで、村に残されたのは対処法など知らない世代のみ。祠には近付くな、夜中に誰かに呼ばれても絶対に返事をするな、それでも三日目にはどうなってるか分からないぞと脅しのように聞かされてはいたが肝心の対策は聞いていないときた。
そんなのただの子供騙しだと娘夫婦は本気にしていなかったが、その日の夜に子供は名前を呼ばれたのだと泣きながら訴えてきたのだそう。それを聞いて不気味に思った両親は予定を早めて自宅に帰ろうとしたのだが、村を出てすぐのところで子供は泡を吹いて倒れたらしい。打つ手もないままネットで検索し、たまたま見つけたこのオカルト組織に泣きついてきた、という話だ。
残された猶予は一晩。本来ならば依頼が来てすぐ向かうべきであったのだろうが、あいにく時間が時間だった。車を出そうにも東京から関西への長旅だ。デイルは爆睡、エドは日本の運転免許を持っていない、暁人もKKも睡眠不足で目の下にクマをこさえているとなれば出発が翌朝になるのもいた仕方なかった。依頼人とその子供には申し訳ないと思いつつも始発の新幹線で出発しただけ御の字である。
かくして怒涛の関西入りを果たした二人だが、さらに電車を乗り継ぎフェリーに揺られ、ようやく依頼人の元へ辿り着いたのである。
「お待たせしました。僕たち」
と自己紹介もそこそこに、依頼人である父親らしき人物は「全くどれだけ待たせれば気が済むんだ!」と語気を荒らげた。その後ろではまだ小学校へ上がるか上がらないかの男の子がグズっているし、母親とその両親らしき年配の女性はオロオロとこちらに向かって頭を下げているしで散々だ。父親が顔を逸らした隙に暁人とKKは顔を見合わせてゲンナリと肩を落とした。
普段ならKKも一言二言苦言を呈していたかもしれないが、長旅の疲労と寝不足が祟って眉間の皺を濃くするだけだ。これで子供に何かしらの元凶が取り憑いていたのならすぐに祓ってとっとと帰れたかもしれないが、霊視をしてもあいにく痕跡があるだけで、本体の姿は周辺には居ないようだった。となれば足を使って調査するしか手はない。
二人は一服もできないままで、母親に案内されてその祠のある場所へと向かった。子供が一人でも行ける場所ではあるが山の中だ。木々のおかげで日差しと気温は幾分かマシになってるとはいえ、災害級の暑さが続く真夏の太陽と延々続く坂道は確実に体力を削っていく。しかも案内をしていた母親も、祠の近くに来ると「このまま道なりに進めばすぐですから」と言って先に戻ってしまった。
「……今回は仕事の前から疲れるね」
「だな。特別手当でもせびらねえと割にあわねえ」
なんて文句が出るのもご愛嬌だろう。
道なりすぐと言われて歩くこと五分。
「あれだな」
すぐと言うにはいささか疑問だが、一際大きな木の下に古びた祠が祀られていた。あまり手入れされている痕跡はないが、申し訳程度に線香の燃えかすと枯れた榊が残っている。だが話に聞いていた通り、その扉の片方は無理やり外されて道の脇に転がっていた。
KKは右手を前に差し出して霊視を始める。ぽちゃんと響いた水滴の落ちる涼しげな音のあと、祠の周りに赤黒いモヤがまとわりついているのが見えた。
しかし、ここで暁人の視界は暗転する。
モヤは突如として突風に吹かれたかのごとく、音もなく暁人を取り囲んだ。一瞬の出来事である。
反射的に顔を腕で覆った。体感で約五秒、呼吸一回半ほどしてから慎重に目を開ける。顔を覆った腕の隙間から辺りの様子を伺うと、先ほどまでの青々とした真夏の山中から一転、場所は同じだが周囲には霧が立ち込めて薄暗く空も厚い雲で覆われていた。何より酷暑が嘘のように肌寒い。目の前に立っていたはずのKKの姿も見えなくなっている。