海水浴3スイカ割りや砂の城を作ったりと定番の海遊びをしながら過ごす時間はあっという間に過ぎていく。長い夏の日もゆっくりと、しかし確実に西に傾いていた。
波打ち際に立って、足元を掠っていく波を楽しむアーロンを、ティーダは少し離れたところから見ていた。手にはいつもの様に煙草を握っている。どうやら自分達の方に煙がこないような、そんな場所で一服しているようだった。
遠く、太陽が沈もうと目指す水平線をぼんやり眺めるような横顔は、かつてザナルカンドで自宅から海を眺めていたアーロンとなんら変わりない。
サングラスもザナルカンド風の服装も、あの時点で既に板についていた。勿論、煙草もだ。
潮風がアーロンの髪と羽織っただけのシャツを揺らす。泳いだ後の髪は中途半端に湿っており、いつもより前髪が多いせいか、少しだけ若く見える様な気がした。
いつもそばにいたし、今だって駆け寄ればいつも通り対応されるだろう。それはわかっているのだが、ティーダはいつもあの横顔を見るとどこかアーロンと遠くにいる気がしてならなかった。
それが寂しい気もするが、どう足掻いてもその距離は埋められないことも知っていた。
マイナス思考を振り払う様にティーダもまた黄金に輝く水平線を見た。じきに燃える様に赤い夕焼けになるだろう。せっかくこの世界でもう一度一緒に過ごすことができるのだ、終わりに怯えるよりも明るく楽しい思い出が欲しかった。
日焼けにじりじりと疼く肩を感じながら、気怠さと塩にベタつく体は、一日浜辺で遊んだ満足感が心地よい。
ふと、後ろから波を蹴り歩く音が響いた。
「おい、ユウナちゃんが呼んでっぞ?」
振り返ればユニフォームではなく派手な水着姿の実父が片手を上げて立っていた。
「ん?ああ、オヤジ…」
ジェクトもアーロンに気付いたらしく、自分と同じ方向に視線を向ける。ティーダは昼過ぎに二人が沖の方まで泳ぎに出ていた時のことを思い出した。
「ねぇねぇ、アーロンさっき泳いでた?」
ティーダもアーロンが泳ぎがあまり得意でないことを知っていた。だからこそ、沖に行った時養父がどんなふうに反応したのか気になったのである。
「いんや、全然。一回浮き輪から落ちて沈んだから、俺が引き上げてやったんだわ」
「うわ、マジかよ…さすがおっさん」
その様子を想像するとつい笑ってしまった。バランスを崩し浮き輪から落ちて、溺れた様にもがいたのであろう姿は、普段の仏頂面からは全く想像がつかないからだ。
「スピラのやつはブリッツ選手でもない限り泳げねぇみてぇだしなぁ」
珍しく庇う様なことをジェクトが言う。もしかしたらジェクトがふざけて浮き輪から落としたのかもしれない、とティーダは思った。この父親の戯れは時に呆れるほどシャレにならないことが多いのである。
「まぁプールだったら多少は泳げてたよ」
子供の頃、夏になるたびに海やプールへの同行をアーロンにせがんだことを思い出した。少し困った様ではあったが、アーロンはティーダが望むだけ連れて行ってくれた。ゲーム機などのおもちゃの購入については渋る事が多かったが、屋外レジャーに関してはかなり甘かった様な気がする。思い返せばあのスピラで育ったアーロンらしい選別だった。
「お前、アーロンとプール行ったのかよ」
「そりゃあんなとこ、子供一人で行ったら保護されちゃうかもしれなかっただろ?」
大勢の人でごった返す人気のプールは当然迷子の放送がひっきりなしに流れていた。
「むしろアーロンが職質されなかったか?」
ニヤニヤと腹立たしい笑みを浮かべてジェクトが問いかけてくる。ちらりと煙草を吸い続ける養父の姿を視界に入れて、ティーダもニヤリと笑った。
「何回かあったね」
「だよなぁ」
自分達はなんだかんだ真面目で根が優しいことを知っているが、夢のザナルカンドでアーロンの見た目は浮いていた。それでも他人に興味のない街だったし、何より本人が全く気にしていないところが逆にティーダにとっては好ましかったのだ。
何度か警察に自分達の身分証であるIDカードを見せたことを思い出す。そして自分がジェクトの息子だと分かると急に畏まった対応されるのが、特別扱いみたいですごく嫌だった。
だけどその度にアーロンが、親を亡くした子供とその後見人なだけだと主張してくれるのが嬉しかった。死を覚悟した母親の申請でアーロンはきちんとティーダの後見人として登録されていたから、当然のことだった。
「…楽しかったか?」
ジェクトが穏やかな顔で問いかけてくるのがやけに擽ったい。
「ん〜あの調子で、ちょっと離れたところで煙草ばっか吸ってたけどさ…ちゃんと大事にしてくれてるんだなって子供ながらに思ったのは覚えてる」
「そうか…」
いつもうるさいジェクトがそれきり黙ってしまったのでティーダは余計に恥ずかしさを感じた。だけど、父親との約束をきちんと果たし、いつだってそばにいてくれたことはちゃんと伝えておきたいとティーダは思う。
夕日とともに、ちらりと二人してアーロンを盗み見た。自分達の足元にはアーロンと同じく柔らかい波が何度も寄せては返していく。
「あいつ、いつから煙草吸ってんの?」
ジェクトがぽつりと問いかけてきた。
「母さんが死んだ後…うちによく来る様になった頃には吸ってた気がする。それより前は知らない」
自分が養父としてアーロンを認識する様になってからは多分吸っていたと記憶している。そういう人なのだと、ティーダの記憶には刻み込まれていた。
「スピラでは?オヤジたちと旅した時」
「一切吸ってなかったんだよなぁ。だからなんでザナルカンドで吸い始めたのか気になるんだよ」
「直接聞けばいいじゃん」
「そりゃ聞いたけどよ…なんとなくぐらいしか教えてくんねぇの」
「オレも聞いたことないよ。ってかさ、吸いたいから吸うもんなんじゃねぇの?」
喫煙に理由なんているのかさえ、今のティーダにはわからなかった。大体、吸いたいとも思った事がなかったからだ。
「かっこいいからとか、寂しかったとか色々あんだよ」
吸いそうにもなかったかつてのアーロンがザナルカンドで初めて煙草を吸い出した、ということに対し、ジェクトはどうしても理由が気になるらしい。ティーダとしては本人がなんとなくと言うのなら、それを疑う理由など正直なかった。
「寂しいかはわかんねぇけどさ、昔っからあんな風だったよ」
煙草を吸うアーロンを大人の男だとジッと見ていたことを思い出す。
「うちの中じゃ絶対吸わないんだけど、桟橋からさ…今みたいに海を見てよく吸ってた」
なぜ大人だと思ったのだろうか。それは確か酷く思い詰めた様な、切ない様な、そんな子供には理解できない張り詰めた表情をしていたからだった。
「…今思えば、何かを待ってるみたいな顔、してたかも」
「そりゃ俺だろ。俺を待ってたんだ」
ジェクトが神妙な顔つきで、しかししっかりと断言する。
「うわ〜その自信どっからくんだよ…って思うけど、確かにね。オヤジを待ってたんだとは思う」
ティーダは呆れながらも頷くしかなかった。あの頃は何も知らなかったが、夢のザナルカンドでアーロンがジェクトとの再会を望んでいたのは間違いない。
だからこそいつも連んでいるのだと思っていた。旅の果てに失われた3人での日々を取り戻すために。
「でも今もおんなじ顔してんじゃん。オヤジはここに居るのに」
自信たっぷりの父親に嫌味の一つでも言ってやろうと思ったつもりだったのだが、ジェクトは盛大に頷く。
「そうだよなぁ?ここに居るこの俺を見ろってんだ」
「あっオヤジ…!」
そして、ぼんやりと煙草を蒸す養父の方に向かって突如走り始めた。
「おいアーロン!」
その掠れた大声でアーロンを呼ぶと、タックルを仕掛け海の方へ引き倒した。なんとか手を上げて火のついた煙草だけは死守したアーロンは驚いたような声を上げている。
「いきなり何をするんだ!」
「もっと海で遊ぼうぜ〜?」
「危ないだろうが!煙草を置いてくるから少し待ってろ」
遠く、しかしお互い声が大きいせいでくだらないやり取りがよく聞こえる。ティーダもそこに入ろうとして、ふとユウナに呼ばれていたらしいことを思い出した。
荷物を置いたパラソルの方を振り返れば、白い水着姿のユウナが大きく手を振っている。
どうやらみんなでアイスを食べているようだった。ちょっと待っててのジェスチャーをすれば了解とすぐ伝わるのは、共に旅をして育んだ絆のおかげだろうか。
己の存在と引き換えに救った恋人は、今日も可愛かった。居なくなったはずの父親と、それから消えゆく死人であることを告げられた養父、そして一度はその前から姿を消したはずの仲間たちが一同に会すこの世界はティーダにとってあまりにも奇跡だ。
スピラではあんなに物悲しく見えた夕日も今はただ美しい。
そう思いながら走り出せば、その先でジェクトとアーロンは年甲斐もなく波を掛け合っていた。
ジェクトが一方的にかけたのだろうが、なんだかんだアーロンも負けず嫌いだ。やり返しているせいで、遊びたいジェクトの思う壺らしい。
それが面白くてティーダも思い切りアーロンに向かって水飛沫を浴びせた。
「ティーダまで、よさんか!」
「いいじゃん、海なんだからさ?こうやって遊ぶものでしょ?」
「そうだぜアーロン!午前中は寝てばっかだったしよ〜!!」
父親と二人がかりでアーロンを困らせるのは楽しかった。どこか子供の頃に戻ったような気分になるのは、居なくなった時とジェクトの見た目が寸分も変わらないからかもしれない。
17歳もとっくに過ぎたというのに家族で遊んでいることが嬉しい。だけど、ジェクトが失踪する前に戻ったようだとは思わなかった。
母親と3人の時とは違うからだ。母親は父親を崇拝するように愛していたし、父親もまた母親を大切にするけれど、弱みを見せることを嫌い何処か対等ではないような、そんな関係だったと思う。
だからこんな風に、手放しで甘えたりふざけたりしあえるのは、アーロンがいてくれるからなのだとティーダは実感した。
「どうした、ティーダ?」
気がつくと見つめてしまっていたらしい、ジェクトが絡んでくるのを無視しながらアーロンが声を掛けてくる。こういうところも母親とは違うなと口元が緩むのを隠しながら答えた。
「いや?夕陽が綺麗だなって思っただけ」
もちろん母親のことも好きだ。今なら父親にずっと恋をしていただけなのだと理解しているし、ちゃんと自分を愛して優しく育ててくれていた。
「おお、本当だな」
ジェクトが自分とアーロンの肩を同時に抱いてくる。暑苦しいけれど、この世界での家族は、この二人なのだと真っ赤な夕日を浴びながら漠然と思った。