【視界の空、軽息の海、弾鞠の陸】 ──葬儀場の近くを通ると、いやに懐かしい気分になる。それがいつからなのかは、とんとわからないが──
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
どぷんと視界が落ちたのは、沼のような闇だった。
…
目が覚めれば青天井。どこまでも広がるような淡い空。少し彩度が下回り、今にも滅びそうな砂浜だ。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
とん、と肩を叩かれるように、音が響く。周囲を見れど声の主は見当たらない。であればこれは白昼夢かと、ただ広い砂浜を歩き始める。
青い、青い、海だった。奇妙なほど青い海。空は曇天だが、周囲はいやに明るい。偶に雷のような鳴りが響き、もう時期この世は閉幕と、静かに告げるかのようだった。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
足を止める。声が響くのは一つの墓標。灰色のそれは黒い液体に塗れているが、けれど間違いなく"墓標"であった。
「知っているよ。全て知ったよ。」
初めて彼は声を出す。
「私は、あの日、彼の為に生まれたんだ。」
終わりを告げる青い空。これが、天道進の幕引きだった。
…
あ、と気付けば深い森。霧に隠れた黒い森。いやに冷たい温度は妙に身に馴染む、そんな世界だった。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
絡めとるように、声が聞こえた。足元の冷たさを見ないようにして、泥を落とし、周囲を巡る。
何故だろう、潮の香りがする。思考は寧ろよく回る。霧の深い森はいつか本で読んだ恐怖を体現しているようで、脳から心に恐怖を送る。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
足を止める。それは一つの切り株だった。元は大きな木だったのかもしれない。けれど無様に切り落とされて枯れゆくだけの、哀れな死体の残り滓だった。
「さあ。どうでもいいです。」
無感情な声は穏やかに、当たり前のように。
「終わって初めて、理由は生まれるのですから。」
嗚呼実に陳腐な悪夢だと、五穀豊は気にも留めずに目覚めを待った。
…
視界をひらけばパステルカラー。混ざり合わぬ液体が渦巻き続けているような、淡い淡い場所だった。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
手を引かれるように、声が聞こえた。浮いているのか沈んでいるかもわからぬけれど、自分の思う縦となり、立ち上がる。
すると不思議と足下に感覚が生まれ、身体は自然と歩き始める。時折白いパネルに誰かが映る。そういえば、隣の影は誰のものだろう。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
立ち止まるのは一つの丘。下には不釣り合いなほど写実的な黒い海。うねり、蠢き、闇のよう。いつかの誰かを捨てた場所のよう。罪を背負った重みのよう。
「知らないな。だが、為すべきことは分かる。」
背筋を走る背徳に、静かに身を寄せる。
「お前達のことを忘れない。どうか、恨んでくれ。」
優しく首を絞められる。そんな夢こそ、八ツ目泥炉の背負う咎だった。
…
パッと気付けば滲む夏。快晴が笑うバス停に、自分は不釣り合いな鳶のコート。空がきらきら煌めいて、今にも燃えてしまいそうだ。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
導くように言葉が降りた。静かに一つ手を合わせ、光の差す道を行く。不思議と暑くはなかったのだ。
入道雲は遥か向こう。陽炎揺れるいつかの景色。緑は滲んで良い香り。打ち水の老婆も誰かの母親も、そこにはいない。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
行き着く先は一つの館。気付けば空には赤い星。夜闇の帳はもう落ちて、今いる自分は幾つだろう。
「さあね。でも、これで良かったのよ。」
熱を知った。温度を知った。
「あの子達みんなと、幸せに生きてやるわ。」
焼け落ちる夢の中、未来を抱いて藤枝アギトは笑っていた。
…
胡乱来々は目を覚ます。着物を乱さず立ち上がる。底の厚い靴ではあるが、実に優雅な足取りで。
『ご存知ですか。貴方が生まれたその意味を』
声は遠くに、されど近付く。
故に、彼女は吐き捨てた。
「知らぬ、知らぬとも。故に、これから探しに往くのだ。」
それは単純明快簡潔な、彼女らしからぬ一瞥だろう。けれども高潔なりし言葉を落とし、役者は舞台へと歩み行く。
碌々朗々、はじまりよ。
何でもない日の、おしまいよ。
幕は開いて君が立つ。
おはよう、君の出番だよ。
…
【死灰の空、継続の海、始まりの陸】
『生まれてくれた君達に、祝福を』