松能の次男と母のとある早朝ふと、意識が浮上する。まだ寝ていたい気持ちもあったが、ここ数年の習慣で早く目が覚めてしまったカラ松は少しずつ目を開けていく。目の前には己を抱きしめながらぐーすかと寝ている兄、おそ松の顔が至近距離にあった。そういえば、昨日帰ってきたのだったか、とカラ松はぼんやり思い出す。
実に数年ぶりの実家だった。昨日兄弟全員に迎えられて、晩はカラ松のために酒や御馳走を用意して家族全員で帰りを喜んでくれた。両親や兄弟たちと騒いで、たくさん笑いとても楽しい時間だった。
寝ぼけたままのカラ松は、おそ松に抱きしめられたまま、視線のみで部屋を見渡す。物心ついたときから見慣れている天井の木目。刑務所にはないふかふかの布団。そして、ここ数年触れていなかった兄弟の温もり。全てが久しぶりに感じられて懐かしさがこみ上げてくる。叫びだしたいような、走り出したいような、そんな感覚がカラ松に湧いてくる。じっと寝ているままの状態でいられなくなり、おそ松の腕からそっと出て身支度を整えて部屋を出た。
まだ誰も起きてきていない早朝は、しんと静まり返っている。部屋から出てすぐにみえる庭の雰囲気は、自分が刑務所へ出向する時と変わっていなかった。ほう、と息をついたカラ松は、ぼんやりと庭を眺めていた。しばらくして、ふわりと食事の準備をする匂いに気づき台所へ向かうと、そこには朝食の準備をしている母、松代の姿があった。
「母さん」
後ろ姿に声を掛けると、母はすぐに振り向いてくれる。
「あら、カラ松。おはようさん。もう起きたんかいね?もうちいと寝とっても良かったのに。」
目を細めて、言葉と雰囲気に息子への愛おしさをにじませている。
「おはようさん。一人で作ってるん?わしも手伝っていい?」
「あら。気使わんでもええのに。けれど、そうね。久しぶりに一緒にごはん作ろうかね。母さん卵焼き作るけぇ、カラ松はお豆腐切ってくれる?」
思わず泣きそうになるが、ぐっと耐え腕まくりをしながら松代の隣に立ち、手伝いを始めるカラ松。松代も久しぶりに次男坊と穏やかな時間が過ごせると嬉しく思いながら、昔から変わらない優しい彼の言葉に甘える。松代は手際よく、カラ松は少し不格好になりながらも、朝食の準備は進んでいく。
「昨日はよう眠れた?」
「ん、ああ。布団がふかふかじゃったけえ、よう眠れた。寝る前にな、おそ松が猫みたいに布団に入ってきてな、いい年して一緒に寝てもうた。」
カラ松は昨晩のことを思い出して、ふふと笑みをこぼす。
「あの子はねえ、寂しがり屋じゃけぇ。あんたがおらんようなったことがよっぽどこたえたのか、たまにあんたの布団で寝とったよ。あと、布団はあんたが帰ってくる前にあの子たち全員で干しとったわ。別に母さんから頼んだわけじゃないんよ。あの子たちがカラ松のためにって自分たちで決めてたみたいね。」
えっ、とカラ松は目を大きくして咄嗟に母親の方を見る。割とずぼらな兄弟たちが自ら動くと思っていなかったからだ。まさか自分のために布団を干してくれたとは。カラ松は心がくすぐったい気持ちになる。
「ほうなんか」
「ほうよ。チョロ松と一松は長くお勤めしてくれたあんたに家でゆっくりしてもらえるように部屋の掃除頑張っとったし、十四松は気合いが入りすぎて布団投げ飛ばすし。トド松はスマホで布団が一番ふかふかになる干し方調べとったよ。」
「・・・兄貴はその時何しとったん?」
「サボってただけね。しいて言えば、布団を投げ飛ばした十四松に悪乗りしとったかしら」
あんまりふざけているようじゃったけえ、げんこつお見舞いしちゃったわ。
それは痛かったろうなあ、とカラ松は苦笑いする。子どものころ、悪さをして松代にげんこつをもらったことを思い出して、思わず自分の頭をさすった。
兄弟が大好きなカラ松は、寝心地がよかった布団の秘密を知って、ここまで至れり尽くせりだと口元の緩みが収まらなくなっていた。後でお礼に熱い抱擁をしようとひそかに心に決めた。
「ほら、卵焼きができたわ。ちいと味見してみんさいな。お味噌は私が入れるから、次は湯がいたほうれん草の水気を絞って切ってくれる?。」
そういいながら、松代は卵焼きの一切れをカラ松の口に入れる。口の中にふわりと甘さが広がる。母が作る卵焼きは砂糖を入れるので甘く優しい味がする。
ほうれん草の水気を絞ながら、そういえば、とカラ松はここへ向かう途中見かけたものについて聞いてみることにした。
「あとな、ここくる途中、障子がぶちやばいことになってるところがあったんじゃけど、あれもしかしてわしが出た後からそのままなんか?直さんの?」
昨晩は浮かれていて気付いていなかったが、大広間の障子が一部大破していた。カラ松の記憶違いでなければ、若頭補佐である自分が長く家を空けることになると決まった日におそ松が激怒してカラ松を殴り飛ばした時に壊れてしまったものではないだろうか。
「それね、本当はあのあと修理しようかって話になったんじゃけど、おそ松が嫌がってね・・・。“直してもうたら、カラ松が組のために出ていったことが無かったことになりそうじゃけぇ。忘れとうない。カラ松を置いてのうのうとその後を生きとうない。”って頑なに直そうとせんかったんよ。・・・でも、もうカラ松も帰ってきたことじゃし、そろそろ直そうかね。」
「・・・ほうか」
「ほうよ。さあ、カラ松が手伝ってくれたおかげで思ったより早う朝ご飯の準備ができたわね。可愛い息子ちゃんが“みんなと朝ごはんが食べたい”だなんて可愛いお願い事言うけえ、母さんはりきってしもうたわ。」
そういって、母はくすりとほほ笑む。
豆腐とわかめの味噌汁、ほうれん草のおひたし、少し甘めの卵焼き。用意されたおかずは、全てカラ松が好んで食べていたものばかりだった。
「心配しなくても、みんなあんたがおらんようなって寂しゅう思っとったよ。もちろん母さんもお父さんもね。さ、泣かんと一緒に作ってくれんさったご飯、運んどってくれる?」
くすり、と小さく笑い、自分よりも背丈の伸びた二番目の息子の頭を優しくなでる。
「な、泣いとらん・・・早く起きすぎてあくびが出ただけじゃ・・・」
「ふふ、じゃあそがいなことにしとこうかしらね。」
松能家の母親と次男坊の穏やかな朝は、ドタドタと荒い足音で終わりと告げたのだった。