Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    いずみのかな

    @runco_a

    もともと創作文芸にいましたが最近は二次パロ小説ばかり書いてます。主にパトレイバー(ごとしの)、有栖川作家編(火アリ、アリ火)。甘くない炭酸が好き。

    wavebox https://wavebox.me/wave/3bc8ifyny7xtzm5l/
    マシュマロ https://marshmallow-qa.com/runco_a

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 61

    いずみのかな

    ☆quiet follow

    ある方に「(大抵に承花が含まれている)CLAMPの作品みたいな」とお言葉もらって、なるほどそれだ、と納得したのでカプのタグをつけましたが、どうぞお好きなように読んでください。へんてこな話です。
    ペルソナでないほうのP2のパロとしても読めますのでで苦手な方もいらっしゃると思います、お気をつけください。
    パロ的なところで語りますと、こういう男のこういう話だったと、思うんですよ。

    砂上 こんな夢を見た。

     男はもうとても長いこと世界を記録していた。自分の名前を忘れ、自分の姿がどういうものかも忘れていたが、ただ、誰かを待っていることは憶えていた。昔、待っていると告げた人が自分の目の前で去ったとき、すべての時間が止まり、そして白い大地の隙間に黒い線がすぅと立ち上っているのが見え、その硝子のようにすべてを置いて透き通ったものを押したら、そこはなにもない空間だった。そうして男は時間から離れ、この場所で世界を記録しつづけているのだ。
     男が茫洋と世界の全てを見ているうちにも、日は昇り、日が沈み、月は満ちそして欠けていった。多くの人たちが不幸になり幸せになり、なにかを得てなにかを失っていった。ニューヨークのビル街でアラブの移民が口ずさんだ歌が風に乗り、ゴビ砂漠に住む少年の耳に届く様を見た。アゼルバイジャンの山奥で老婆が織った美しい布がオーストラリアの花嫁を飾るところを見た。ある青年は雪一面のアラスカで倒れて二度と動かなかった。ある中年の女は自分の人生を取り戻そうと殴る男から離れ、一人バスクの巡礼へと向かった。ガンジスは流れ、イラクの遺跡は崩れ、アマゾンの緑は毎年燃えた。
     ときどき、男は彼女を見つけることが出来た。男はいつまでも待っているのだがいかんせん時間とは生きていないから、彼女と会えるわけがない。彼女は男だったり女だったり、浅黒い肌だったり透けるような銀の髪だったりしたが、いつも寂しい目のまま誰かの飾りとして求愛されては応えて閉じ込められ、幸せと微笑んで生きていた。幸せと微笑むなら恐らくは幸せなのだろう。心が凍った人なことも知らずに勝手に夢をみていたことをそのときだけは思い出したが、しかしその感情もすぐに消えた。いかんせん男は時間と共に生きていないし、彼女は生まれ、生き、そして去るので。
     そうして日が昇り、日が沈み、風が吹き、波は寄せて引いていった。
     かくして一万年が過ぎるころには世界はすべて砂となっていた。この世界のエネルギーはすべて消えていったのだ。エネルギーは熱となって消えるというから、これまでここで生きて笑って泣いていた人たちが徐々に宇宙にエネルギーを返していったのだろう。
     それでも日は昇り、日が沈むので男は世界を見て、そして記録していった。そのとき、世界に隙間が出来、そこからそれが入ってきた。
    「あなたが記録をするものか」
     それが問うたので男は頷いた。
    「どうやらそれがわたしの使命だったらしいので、そうです記録をしておりました」
    「そうか」それは頷いた。全体的に白く、髪が長いのか短いのかもわからないし、目が開いているのか閉じているのかもわからない。それは手にしていたものを男に見せた。
    「これがわかるか」
    「砂時計……ですな」
    「左様」ぐっと砂時計を寄せてきて「ここに浮いているものが見えるか」
     男が指されたガラス管の上部を凝視すると、青いものがぽつりと浮いているのが見えた。宝石というには美しく、石というには堅そうで、控えめに光っている。
    「ここだ」
    「ここなんですか」
     それがここと言うからにはここに違いない。
    「ほら、後ろに向こうに砂が流れているだろう。あれが時間であり存在という。間もなくあれが落ちきり、これはひっくり返る」
    「そうなんですか」
    「そのためには最後、記憶を入れなければいけないのだが、それがお前なのだろう」
    「ならばわたしはお役目ご免で?」
    「そのはずだが、お前は時間にはいない、なぜだ」
    「なぜだ、と言われても」
     なんでこんなことになったのか、男にもさっぱり分からない。
    「なにを」男は首をひねって考えたが、やがてああ、と声を上げた。「初めは待っていたんですよ」
    「待っていた、誰を」
    「誰かを」
    「それは来るのか」
    「来ないでしょうね」
    「ならなぜ待つのか」
    「なぜ……。待ちたいから、でしょうね」男は考えつつ答えた。そもそも考えること自体が久しぶりで、男は自分が本当に存在していることを自覚し、それ自体が新鮮だった。
    「わたしは待っていたいんです」
    「ふむ、勝手なものだが、だとしたら終わらせないと記録が受け取れぬ」
     それは男の額へとそっと手を伸ばした。
    「ならば探せ、そして会え。すべてを終わらせよ。そして望め」
    「望む、なにを」
    「それは私にもわからぬ、行けばわかるだろうさ。さあ、時間へと向かいなさい」

     ぽんとなにかが額に触れたと思ったら、男は砂の地の真ん中にいた。空は美しく青く、雲が薄くたなびく。風はささやかに頬を打ち、からからとした匂いを運んでくる。文明は壊れ、再建されを繰り返したが、もう随分前に最後の文明が壊れ、遠くの星へと向かう船がこの星から旅立ったのも百年も前だ。そのときに船に乗れなかったり乗らなかったりした人々も、今は去ろうとしていた。
    男は太陽を背に歩き始めた。男はここのことをなにも知らなかったが、同時にすべてを知っていた。なぜなら男は全てを記録するものだったので。
     かつてどこかの街だった砂漠はごつごつとし、サラサラとして、裸足である男の足の裏はたちまちに傷だらけになり、歩くほど疲労が足に、腰に、全体にたまる。いまや肉体が時間を、命を取り戻して、一つの方向に向かって動いている感覚が男の中に満ちていた。生きているとはこういうことか、と男は一万年とそれ以上の年月ぶりに思い出した。
     やがて、太陽が傾き照柿に熟れ影がどこまでも伸びるころに、男はオアシスへとたどり着いた。そこに最後の人たちのうちの最後の家族が住んでいると男は記録していたが、それが誰だかは知らない。ただ会えと言うからには、誰かには会わないといけない。
    「誰か」男は呼びかけた。「誰か、誰か」
     長い沈黙が池と木々の間に響いた。さて、ここに人がいるというのはいつの記録だったのだろうか。男はさきほどまで時間の中にいなかったから、ひょっとしたら五十年も前かもしれない。
     だとしたらさてどうしよう。首をひねったとき、がさり、と音がして藪に隠れていたらしい洞の入り口から人がそっと顔を出す。
     果たして、出てきたのは彼女だった。
     男ははじめて、待つのではなく、自分から彼女に会いに来た形になったと知って、次に酷く狼狽した。なぜなら男は待っていたかったので。
     出てきた女は、夕焼けの影に飲まれてながら突然現れた人間にたいそう驚いたようで、上から下まで何度も視線を上下させて男のことをみて、最後にたいそう小さな声で「どなたですか」と問うた。
    「どなたと言われると困るのですが」男ははさて、と顎に手を当てた。「実を言うと、私も自分を知らないのです。だから、わたしは誰でもないいのでしょう」
    「誰でもない、ですか」
     女はそこで言葉を切って、もう一度男のことを眺め、今度は男の目をはっきりと見た。女の目は濃い群青で奥には無数の星があり、水は泉のように揺らめいている。男はそのとき、美しいという言葉を思い出した。
    「ではどのようなご用で」
    「用もないといえばないのですが」
    「ないのですか」
    「あるといえばあります」
    「あるのですか」
     女は訝しげな顔になった。
    「誰でもない方、見ての通り、この水のほとりにはもう私しかいません、他のものは緑の場所へと歩み去ってしまいました」
    「なぜ、あなたはここに残ったのです」
     今度は男が問うと、女性はさて……と考えこみ、最後にああ、と声を上げた。
    「そうしたかったから、でしょうか」
    「ここが好きなのですか」
    「ここ以外に世界はありませんし」
     落ちきって暗く光る太陽が力を失う中、女は美しく微笑んだ。
    「本当のことを言うと、なにより、飽きてしまったのです」
    「なににですか」
    「人のものであることに、でしょう。誰でもない人よ、私はここにいることで自由なのです。向こうにあるという緑の土地に行けば生きていけるでしょうし、ここは遠くないうちに砂に埋もれるでしょうが、でも最後ぐらいは自由でいようとしたのでしょう」
     そして彼女は男に小さく微笑んだ。それは昔良く見たもので、そしてこれまで見たことのないもので、そのまぶしさに男はたじろいでしまう。心とはこれほど澄み磨かれた光を持つものだったろうか。そもそもこの人にも柔らかく脈打つ心があるのだと、なぜ忘れていたのだろうか。
    「自由とは……まぶしいものですね」
     男がかろうじて本当のことを言うと、女は瞳を大きくして、今度ははっきりと笑った。これほど端然としたものは、一万年ほど目にしたことはなかった。
    「見知らぬ人、どうしましたか」
    「あ、いや。あなたが嬉しそうなもので」
     見惚れました、と口には出来なかった。そういえば昔から本心は口に出来なかった。いや、口にしなかった。する意味を持たなかったので。
     ひょうひょうと風が鳴るなか、女の長くも短くもない髪がふらふらと揺れる。それを整えることもせずに、彼女は男に笑みを向けた。
    「……そう、そうなのです、私はいま、嬉しいのだわ。なんということでしょう、嬉しいだなんて、これが嬉しいということだなんて」
    「どうしました」
    「私はここにいることで自由でした、そして今、あなたに会えた。誰でもない人、私はあなたを待っていたのでしょう」
    「わたしを?」
     意外な言葉に目がくらみ、冷や汗が流れる。男の戸惑いは表面には出ず、なので女はなぜならば、と続けた。
    「私はずっと人と話してみたいと思っていました。大抵の人は話をしたがるばかりで、私のことを見ることもなければ、私の声を聞くこともなかったので、人と話すということを知らなったのです。なにより私は私のものではありませんでしたし、だから自由でもありませんでした。
     みなが去り一人ここでいることで、まず孤独は自由だと知りました。そしていま、あなたは私のことを見て、ただ話を聞いてくれる。私そのものを相手にしてくれようとしている。だから私は声を思い出し、まるで手かせが消えたようです。私は、ここにいるのです」女はここまで勢いよく話すと、一度大きく呼吸をしてから男の顔を見て「あなたも探しているものに出会えますように」
     男は恐ろしいことを口にする彼女を呆然としてただ見ていた。話をしたかかっただなんて、声を思い出すだなんて、この俺の存在で!
     いま、太陽は地平に落ち、柿色から移しの青色に染まる空の下、影という影が消えてすべてがほのかに輝いているのが見える。昔の人曰く、逢魔が時という。男はぽっかりとしたまま女を見ているうちに、ひとつ、ふたつと涙が目からこぼれた。
     男はただ待っていたかった。そうして自分を憐れんでいたい欲望を献身とすり替えて、待つ間の純真さを永遠のものにしたかった。実際、男は彼女の話を聞こうとはせず、彼女にただ自分の話をするだけだった。自分の話をしたかったし、自分の話しかできなかった。ときには彼女自身ではなくて、自分の中の彼女の話を好き勝手に人に話すことすらあった。男は自分にとっての彼女をもう所有していたから、彼女を勝手に推し量り、同情し、守るふりをして自分の思うようにして、あげく彼女に平然と待っているという言葉で選べと強制することすらできたのだ。
     そうだ、あのとき、彼女が去ったときすら、彼女を見ていたのではなく、自分が思う通りの彼女の幻想が、思った通りに自分を切り捨てるさまを思い描いていた。そうして、いつまでも待っていたかったから。
    「いかがしました……?」
     女が訝しげに尋ねてくるがその声すら重く、ついに男はただ弱弱しく首を振りながらその場に崩れ落ちた。
     望みはわかる、とあのときそれは言っていた。
    「私は……私は、今度こそ、愛したいのです」今のように、と続けるのはあまりにも傲慢で罪深く思えた。「どうか、どうか次のときには、話すのではなく声を聴き、望むのではなくそのままを見つめて」
     突然の告白に女は驚いたように同じく跪いてどうしましたか、と繰り返し聞いてくる。一万年ぶりに見た彼女はとても美しく、頬は薔薇で、伏せられていた記憶の中の目は、いまははっきりと男を捉えていて瞳には男の顔が映り込んでいる。そして男は生まれて初めて、彼女のありのままを存分に目に焼き付けた。
     望みは。望みはあなたに会いに行くと、あなたはここにいて、私はここにいるままであなたを見ていると、次こそは自分ではなく人を愛せる人であるのだと。
    「……私は、あなたに会いたかったのです」
     最後、震える声で小さく告げると、女は改めて「……あなたは、誰なのですか」と聞いてくる。しかし、男はただ弱く微笑んで、最後に天を仰いだ。名はもうない、心は取り戻した。最後は。
    「時間よ!」
     合図を待っていたように、ついに時のすべてが男の中に流れ込む、たちまちに男は砂となり、大地の中に消えた。


     女は目の前で人間が一人大地に消えていくのを小さな驚きとともに見送った。驚きはしたが、不思議でも意外でもなかった。もう世界は終わっているのだから、なにもかも起こりえる。誰でもないと名乗った男はもう他の砂と見分けがつかないが、ただ、深い青に光る小さな石が一つ転がっているのを見た。男の目の結晶が石になったのだと、本能が告げた。ほしいと思い、そっと手を伸ばすと石はほのかに温かく、手に溶け込むようになじんだ。
     ――これは、私のものだ。
     女はそれをぎゅっと握り、そっとその場から立ち上がった。
     人が消えたなら祈りの言葉を唱えるべきなのだろうが、女は神を知らなかったので、ただ「さようなら」とだけ告げた。ほかに伝える言葉を持たないことが心の底から寂しく思い、次に寂しいという感情はこれほどひやりとして澄んだものなのかと驚いた。
     そうして石を握りながらもう一度、男だったものにの砂があるあたりに座り込んで、いつも通りに黄色く熟れた月と星空を眺めると、つらつらとこの小さな世界と自分のことが思い出された。
     生まれてからずっと、女には自由はなかった。ここに残ることにしたのだって、彼女を所有していたものらに「残るか行くか」と選ぶよう言われたからだ。彼女の所有者は女が来るなら構わなく、女がここに残るならいつまでもこの土地を守り、自分たちを待てと告げた。
    「住める土地がなければここを保たなければならないからな、ならばお前は私を待て」
     女はここの数人の人間のもので、彼らは彼女そのものには興味はなかったので、彼女も自分というのはそういうものだと思っていた。
     そうして彼らが去って彼女をしがらみに縛るための視線がなくなってから、女は初めて、自分が生きて、意思があるものだと知った。ならばここに残ったのは男の願いを受け入れたのではなく、自分がそうしたかったからではないか。そんな風に思って一年、二年と暮らしてきたのだ、今日までは。
     男の目だった石を握りながら、女は初めて「意思」というものの手触りを知った。それはごつごつとしていて硬いものだった。
     流れ星が降るなか、女は水で体を清め、ひと時の眠りについた。今日もいつも通りに風が吹いて砂を巻き上げながら女の体を優しくなでていく。ただし、いつもは太陽の沈む方へと吹く風が、今日は登り切った月の方へと吹いていく。風上が男が歩いてきた方向だ。
     さて、また日が昇りささやかなオアシスに強く白い光が射すと、女は心地よく伸びをして、覚悟で顔を洗って、そして小さな住処に頭を下げて背を向けると歩き始めた。風上へと。

     女は生まれてからずっとあのオアシスにいたから、世界がこれほど白いことも空がいつまでも続くことも、たまに遠くに鳥が飛ぶことも、目に映るもののなにもかもが初めて知るものだった。いつまでも砂と石の土地は続き、女の体は疲れ、痛み、足の裏には傷ができた。しかしそれすらも自分の体がある証拠のようで女には心地よかった。これまで誰も女の体をいたわることも大事にすることもなかったから、女は自分には体などなかったと思っていたので。
     そうしてオアシスのことを思い出すたびに女は手のひらの石をぎゅっと握った。そのたびに石はあの男の声で女自身を励ましてくれるようだった。いまはただ、男が来た場所を知りたかった、その場所を一目見てみたかったのだ。
     そうして月が昇っては砂に横たわり、日が昇っては歩き続けて、三日たったのか三か月経ったのか、三年経ったのか。とても長い時間をかけて、とても遠くまで歩いて、とうとう女はそこにたどり着いた。永遠に広がる砂と青空の中、ちょうど視線の先に亀裂とすべすべとしているなにかが浮いているのだ。近づいてそっと手を伸ばすとそれは固い水のようで、さわると石よりは柔らかい。そのまま力を入れて押すと、空間がぎぃと開く、と思ったら、そこになにかが超然と佇んでいた。
    「よくここまで来た、この地の最後の人よ」
    「あなたは」
    「あなたが持っているものを待っていたもの」
     それの指が迷いなく女の手を指す。女は無意識に手のひらをぎゅっと握った。
    「あなたが誰だか知りませんが、これは私の大切なものなのです」
    「あなたをあなたにしたからか?」
     どこか楽しそうに言われ女は驚いたようにたじろいでしまう。そんな女の様子を見て、それはますます慈悲深く微笑んだ。
    「では問うが、あなたはなぜ、それがあると自分であると思えるのか」
    「それは、この目を持つ人が、私を見て、私の話を聞いてくれたからです。誰かわからない人よ。私は私だと、長い間かかってようやく思い出せたからです」
    「なるほど、あれは自分にとっての存在と会いたかったのか」それは冷たくもあり温かくもある声で心底納得したと続けた。「だが、それは記憶であり時なので、どうしても受け取らないといけないのだ。渡してくれたら代わりに、あなたの望みを聞くことができるが」
    「望み」女はそこで口を閉じ、目を閉じてそっと考えた。これまで誰も女の望みを尋ねたことはなかった。昔、それこそ記憶の向こうの何度も繰り返した昔から、常に相手の望みばかりを言われ続けて、選ばされ続けてきて、せめて選んだことは自分の意思だと言い聞かせてきたことを女は思い出したが、それは自分の記憶ではなく、長く綴られた遠い昔からの、積み重なり折りたたまれた誰かたちの記憶であることも深く理解した。
    「私の望み……望みは、この目の人に名を尋ね、私の名を告げて、そして会いたかったと伝えることでしょうか。どこか記憶の果てで、私は私として、私の意思で、この人に会いに行きたいのです」
     会いに行きたい、と口にして、女は脱力するような安らかさを得た。望みというものの形と力を、今この時、知ったのだ。
     それは淡々と告げられた女の願いを目を閉じて聞いていたが、やがて深くうなづいた。
    「ならばそのようになるだろう、あなたはあなたと成ったのだから、もう奪われまいよ」
     そっとそれが手を伸ばし、女の額にそっと触れる「まず、いまは眠りなさい」
     次の瞬間、女は崩れ、そこには古びて弱り、欠けた骨があるばかりであった。


     それは砂の地に座ると、まず記憶である青い石を拾い砂時計に入れれば、たちまちに石は時間となった。次に古びた骨を拾い同じく砂時計に入れると、それはたちまちに存在となった。最後に「さて」とそれはつぶやいて無造作に落ちきる寸前の砂時計をひっくり返すと、すべてがくるりとひっくり返り、砂はさらさらと時と存在を世界へと落とし込み始めた。第一の日であった。

    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    いずみのかな

    INFOこの度ごとしの結婚アンソロジー『隊長! 結婚おめでとうございます!』に「ふたつの世界、ふたりの世界」という短編で参加いたしました。
    『隊長! 結婚おめでとうございます!』は8/21 インテ6号館Aて62a あいぼしさまにて頒布のほか通販もあります。詳しくはツイッターアカウント https://twitter.com/gotonagumo を参照してください。
    ごとしの結婚アンソロジー参加のお知らせ 疲れた。
     この祝いの席に相応しい言葉ではないが、辟易とした気持ちをどうにか飲み込んで、しのぶは壁に寄りかかった。
    今日の装いは丁寧に結い上げた髪に肌障りも素晴らしい白藍にレースのワンピース。友人の幸せを祝うのは喜ばしいし、今日の彼女は美しかった。白磁のようなウエディングドレスに長く伸びるアイボリーのレース。花婿の顔を見て頬を赤くする様子はしのぶの心も温かくする。六月の花嫁は美しい顔で教会で愛を誓い、初めてのようなキスを交わして、飛ばしたブーケはしのぶの手元へと落ちた。
     しかしだ。先ほどのように「普通の女の幸せ」を掴んだ同級生たちに、ほら早く、私たちと同じく普通に幸せになりなさいと次々と笑顔で言われると思うとため息も出る。いわく「私もいまの旦那に会うまでは結婚なんてしないと思ってたもの、あなたも大丈夫よ」。毎度言われるこんな言葉にもいい加減慣れたが、そもそもなにが「大丈夫」なのか、こういう人を見下す善意のことをなんて言うのだっけ。
    1561

    いずみのかな

    DONEパトレイバー ごとしの ささやかな休息と、光の休日と
    かわいいひと。「そうね……、麻布温泉とか都内なら」

     夏の嵐のあと、朝日が燦燦と照る関越道で、日帰り温泉への誘いに対してそんな風に返答したときの後藤の、あからさまにがっかりした顔を思い出すたび、しのぶは何とも言えないむずがゆさと、同時にちょっとした優越感を覚える。
     全く眠れなかったのだと素直に告白してきたことと言い、普段の人を食った言動や、避難という名目で入ったラブホテルで時折見せた、あのいかがわしい雑誌を毎週愛読しているに相応しいオヤジそのものの態度とは裏腹に、中身は臆病で、遠慮がちで、ナイーブで、驚くことになによりも愛すべき紳士なのだ、後藤という男は。
     もしあの夜、電気を消してベッドとソファでそれぞれが身体を横たえた後。相手が寝ていないと悟っていながら、互いが様子を伺いに行ったとき、どちらかが思い切って振り返ったら、そして相手の身体に手を伸ばしていたら。恐らくは一夜の情熱は手に入ったであろう。ただし、それは本当に一夜だけのもので、その後二人はそれぞれに相手の熱を振り返ったとしても、二度となにも口に出さなかったはずだ。それこそ自覚した思いでさえも。
    15173

    recommended works

    途綺*

    DONE🐑🔮//綺羅星の微睡み

    甘やかされてふわふわしてぼんやり眠くなる話。※実際にある睡眠導入法を軽くアレンジしています。
    「ふーふーちゃんのばか」

    足を抱えて小さく丸まった浮奇の声は、深く潜り込んだベッドの中でくぐもって響いた。ファルガーがドッゴの夜の散歩から帰ってきた直後という、浮奇にとっては有り得ないほど早い時間にベッドへ入っているのは低気圧に負けて痛みを訴える頭のせいだった。

    外の雨が強くなるにつれて突き刺すような痛みが徐々に強くなってきたこめかみをさすりながら眉根を寄せていた浮奇は、見兼ねたファルガーに鎮痛薬を飲むよう促された。当然の対応だとは分かっていたが昼前から痛んでいた頭は疲れ切って正常な思考を保てず、浮奇は鎮痛薬を差し出すファルガーの手を拒否した。ふーふーちゃんが抱きしめてくれれば治るだとか、脳みそを取り出して壁に投げたいだとか、キスして甘やかしてよだとか。とにかく悪態をついた覚えはあるが何を口走ったのか記憶にない。ただ、話を受け流しつつ浮奇の手を引いてキッチンへと向かったファルガーが唐突に顎を掴んできて、優しく重なる唇に安心したのと同時にぬるい水と薬が口内へ流れ込んできたことで浮奇はようやく正気を取り戻した。
    4137