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    gumico_3704

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    gumico_3704

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    女体化武臣♀受けプチアンソロジーのワカオミ小説部分のサンプルです
    (pixiv版より大幅増量)
    とらのあな https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040031044955

    白の花嫁「副総長は俺の幼馴染のやつに任せてぇ。それでも良いなら総長の座受けてやる」
    それは自分が佐野真一郎にチームのトップを任すための交換条件だったと思う。仁王立ちしてそう告げた彼は白豹と呼ばれる自分が、唯一認めた相手だった。弱いくせにどこか人を引き付ける魅力のある男、こいつの下でなら自分も面白い夢が見られそうだとそう思ったから。
    「真ちゃんが総長になってくれるつーなら、副総長は別にどうでも良いけど」
    「っしゃ! じゃあ決まりだ」
    自分の返事に真一郎はニカッと笑った。
    「……。良いのか?」
    「真ちゃんが任すってことはそれなりの腕があるんでしょ」
    ベンケイがお前は副総長に立候補しないのか、とでも言いたげにこちらを見た。少し考えるようにして空を見上げる。
    確かに自分だって腕っ節には自身がある。それほど副総長の座に興味がある訳ではなかったが、副総長に就く人間に目星がつかないというのなら名乗り出ることはやぶさかではなかった。
    トンと腰掛けていたガードレールから飛び降りる。見上げた先の太陽はもう傾きかけて、端が海に沈んでいた。
    「どういうやつか興味あるか?」
    尋ねる真一郎に、自分は軽く首を振った。
    「……ま、名前だけでも一応聞いとく。そいつ名前は?」
    「ん? 明司武臣」
    「……タケオミ、ね」
    聞き覚えはない。自分やベンケイのように名が知られている相手では無さそうだ。正直、副総長を任せたいという男に興味はなかった。だが真一郎が認めるほどの実力を持つのであれば侮れないだろう。
    「……じゃ、明日集会の前に俺らの顔合わせで連れてこいよ」
    「おう! じゃあ明日、時間通り海岸公園でな!」
    そんな自分の内心を知ってか知らずか、真一郎は満足げに笑って大きく頷くと、バイクに跨りエンジンを吹かした。
    沈み始めた夕焼けの中、バブの排気音が響いて消えていく。この時きっと明日はチーム結成の記念すべき、素晴らしい日に違いないと思った。
    だが今になって思えば、この時引き止めてでもその副総長候補について問い詰めるべきだったと思う。自分がもう少し深く追求していたならば、きっと未来は違っていたかもしれない。

    * *

    翌日、夕方の海岸公園。バイクを止めると既に二人、その場に集まり喋っていた。ベンケイと、もう一人は見慣れないやつ。
    後ろ姿しか見えないものの、黒い長髪が風に靡いている。特徴的な黒いリーゼントが見えないから真一郎ではないようだった。おまけに体のラインが分からないダボッとしたトレーナー。体格の良いベンケイの隣に立っているからか、随分とその体は小さく見えた。
    それがそいつの第一印象。
    「よぉ、ワカ。来たか」
    自分を見つけたベンケイが声をかける。そいつ誰だ、と自分が問いかける前に黒髪がこちらを振り向いた。
    「お前が、イマウシワカサ?」
    それはテノールよりやや高め。いや、ハスキーと言うには高すぎるぐらいのアルト。名乗りもせず不躾に尋ねてきたそいつの眼差しがまっすぐこちらを突き刺した。値踏みをするようにじっくりと上から下まで眺め回されると、自分も自然と眉間に力が入る。
    今日は黒龍結成集会の前の重要な打ち合わせのはず。何故ここに部外者がいるのかと苛つきを含んだ目で睨みつければ、そいつは対抗するように垂れた瞳でこちらを見た。
    この俺に喧嘩売ってんのか、と拳に力を込めたときだった。公園に効き馴染んだバブの音が響く。
    「呼び出しといて遅刻してんじゃねぇよ! 真!」
    「悪ぃ悪い! 爺ちゃんに捕まっちまってさ!」
    悪びれずにヘラヘラとベイクから降りてくる真一郎と、馴れ馴れしく詰め寄るそいつ。呼び捨てにしているあたり、どうやら二人は知り合いらしい。固く握った拳を一旦緩める。
    まるで弟を叱るかのように説教するそいつを見て、ベンケイが呆れたようなため息をついた。
    「二人ともその辺にしとけ。集会の時間来ちまうぞ」
    「悪かったって。じゃあ全員揃ったし……」
    「……全員?」
    「ん?」
    不意に告げられた言葉に思わず疑問の声を上げてしまった。
    そう、今日に至って部外者はどう考えたってお呼びじゃない。ここに居るべきは佐野真一郎、ベンケイ、そして自分のはずだ。もし、この場にもう一人居るとすればそれはつまり――――
    「おい、真ちゃん。まさかこいつがその『アカシタケオミ』だなんて言わねぇよな?」
    親指でクイと指差すと、真一郎はきょとんとしながらも「おう、こいつ幼馴染の武臣!」とそいつを引き寄せながら笑顔で答えた。
    「俺たちはこれからチームを立ち上げる。名前は黒龍(ブラックドラゴン)、総長は俺だ。で、武臣。お前副総長な」
    「「はぁ⁉」」
    そいつと俺が声を上げたのは同時だった。
    「ベンケイは親衛隊、ワカは特攻隊長な。……このメンバーで、俺たちは全国取る! どうだ? 格好良いだろ」
    「ちょ、ちょっと待てって‼ 冗談きついぜ。……本気?」
    突然の展開に頭がついて行かない。思わず口を挟んだ自分に真一郎は不思議そうに首を傾げた。
    「おう! 俺はお前らを信じてっからな!」
    「いや、そっちじゃねぇよ」
    呆れながらため息をつく。
    自分だって声変わりが来たのはつい最近。ハスキーボイスや髪を伸ばしているやつなんてそう珍しくないはずなのに胸にわずかに覚えた違和感の正体。
    「――――そいつ、女じゃん」
    そう、武臣なんて名前だから一瞬気が付くのが遅れたが、しばらく見ていれば嫌でも分かる。こちらを可愛げもなく睨みつけているそいつはどう見ても女だったのだ。
    「おい真。副総長って話はちゃんとこいつら俺のこと話して納得してもらってんだよな? その、俺が女だってことも含めて……」
    「副総長決めんのは俺に任すっつー話だったし、いつも男とか女とか関係ねぇっつってるの武臣じゃん」
    「それとこれとは話が違うだろ! ただでさえお前は勝手に色々決めやがって……!」
    こちらの戸惑いを他所に再びキャンキャンと言い争いをする二人。と言っても一方的に叱りつけているのは女の方で、マイペースな性格の真一郎が珍しく肩を縮めている。ベンケイが「その辺にしとけ」と仲裁に入ったところでようやく落ち着いたようだったが、自分は唖然としながらその光景を眺めていた。
    (女を副総長? 真ちゃんが連れてきたってことは真ちゃんのオンナ? 俺たちを馬鹿にしてんのか?)
    ぐるぐると胸中で渦巻く感情に戸惑っている間に話は進む。冷静にその場を収めようとするベンケイにさえ今は胸がカサつくような苛つきを覚えた。
    「……ベンケイ、お前も真ちゃんの味方? 女が副総長とかお前は良いワケ?」
    「俺は真一郎がトップで喧嘩できりゃそれでいい。お前だって昨日そう言ってただろ」
    「それとこれとは意味違ぇだろ……! 女を上に立たせるようなチームが全国取れる訳がねぇ。……っ、おい真ちゃん、女に副総長任すなんて聞いてねぇんだけど⁉」
    「だってワカ、昨日聞かなかったろ?」
    「タケオミなんて聞いて女と思わねぇだろ。知ってたら賛成するかよ」
    確認しなかったことは自分のミスかもしれない。こんなことになるならせめて事前にどんなやつか聞いておくだったと今でこそ思うが後の祭りだ。佐野真一郎という男のこういった常識も突拍子もない所に興味を惹かれたのは事実だが、いくら何でも今回は度を越している。
    「あ! おいワカ!」
    もはや真一郎の声は耳に入らなかった。背を向け、その場を去る。
    「頭冷やしたらもう一度呼んでよ真ちゃん。……俺、そいつが副総長なんて認めねぇから」
    黒龍には関東中の猛者、錚々たる顔ぶれが揃い、それこそ全国制覇を狙えるチームになるはずだった。今日はその記念すべき結成日。
    なのにまさか女の率いるチームで全国を狙うと真顔で言うとは思わなかった。少し真一郎という人間を買いかぶり過ぎたかとため息一つ。止めておいたバイクへ戻ろうとしたときだった。
    「待てよ!」
    手首を掴まれ思わず振り向くと、そこには先ほどの黒髪女が鋭い眼差しでこちらを睨みつけていた。
    「さっきから聞いてりゃ、好き勝手言いやがって」
    距離が近づいたことで改めてそいつの顔を見る。身長は自分と同じぐらい、女にしては肩幅もあるし骨格もしっかりしているので遠目で男と勘違いしたのも頷ける。だが握られた手首から感じ取れる感触はやはり男のそれとは違う、薄く柔らかい女の手だった。
    「離せよ」
    まともなやつならビビって逃げ出すような眼光で睨みを利かせるが、女は怯(ひる)みも震えもしなかった。掴まれた腕を振り払おうとして、しかし意外に強い力に引き留められる。
    「俺はあいつが、真がやりてぇこと手伝うって決めたんだ。真が全国取るっつったら取るんだよ」
    「っ……」
    (っ、んだよコイツ)
    気圧(けお)されるようなその気迫に言葉を失った。瞳の奥で静かに燃える闘志にゾクリと鳥肌が立つ。女だと思って侮っていたがその瞳は鋭く、白豹ともあろう自分が一瞬その空気に飲まれてしまった。
    「……し、真ちゃんの幼なじみだかなんだか知らねぇけどな、俺らのチームに女はお呼びじゃねぇんだよ。大人しくお家でファッション紙でも少女漫画でも読んでろつーの」
    「はっ、生憎、こっちは服にも恋愛にも興味無いもんで。そっちこそ、男なら口に出した約束の一つぐらい守れねぇのかよ。ダッセェの」
    「てめっ……!」
    挑発するような物言いに思わずカチンと頭に血が上る。
    「おい、真一郎。さっさとあの二人止めてこい。埒あかねぇぞ」
    「わ、分かってるって! ……ワカ! 武臣! その辺に……」
    「そもそも真ちゃん(お前)がなぁ‼」
    「ヒッ」
    「俺の背中に隠れんなよ…それでも総長か」
    二人の剣幕に押し負けて真一郎は「うぅ、だってよぉ」情けない声を出しながらベンケイの背に隠れて縮こまる。そこに、これから総長になる男の威厳など微塵もなく。
    「真ちゃん! 百歩譲って女が副総長だとしてもこんなクソ生意気で可愛げのねぇアマ、俺は絶対認めぇねから!」
    「てめぇこそ何が『白豹』だ! ……真! こんなケツの穴の小せぇやつに隊長なんか務まんのかよ! ナメられるぞ!」
    「た、武臣! 女子がケ、ケツとか言っちゃだめだろ! あぁもう前ら喧嘩すんなって‼」
    売り言葉に買い言葉。互いに一歩も譲らず睨み合いが続く中、真一郎はあわあわと狼狽(うろた)え、ベンケイは呆れたようにため息をつく。
    「真ちゃん!」
    「真!」
    「……あー! ワカが認めねぇなら、俺が総長って話も無し!」
    「ハァ⁉ 何でそうなんの⁉」
    「俺はお前らと一緒に全国目指してぇの! このメンバーじゃねぇなら総長降りる!」
    どかっと腕を組んでその場に座り込む真一郎。まるで駄々っ子のような態度に呆気にとられて、つい怒りを忘れてしまった。
    そうだ、こいつマイペースと言えば聞こえは良いが、根は意外と頑固だったのを忘れていた。
    「っ、真ちゃん。けどな―――」
    「やだ」
    「やだ、ってんなガキみてぇな……」
    「…………」
    「…………あー! 分ぁったよ! いいって、どいつが副総長でも」
    結局、諦めて折れたのはこちらの方だった。ふと視線を感じて振り返ると女がこちらをじっと見つめていた。その目には先ほどまでの殺気はなく、むしろどこか憐れみを含んだものだった。まるで「結局お前も佐野真一郎に振り回されちまうんだろ?」とでも言いたげな。
    「じゃ、今日の集会でお前らのこと紹介すっから!」
    「はいはい」
    打って変わってニコニコと笑う真一郎。そして、
    「……つーわけだから。まぁ、よろしく」
    つんとそっぽを向きながら呟いた可愛げの無い女。
    それが俺とあいつとの、最悪の出会いだった。

    「……集会の時間まで適当にザリ流しとく。時間までには戻っから」
    後ろで引き止めるような声がしたがこの際無視した。今はとにかく一人になりたかった。
    自慢のザリを走らせながら何度目かも分からない舌打ちをした。
    何をこんなに苛ついているのだろう。副総長はともかく、不良が女侍らせるなんて珍しくもない。でも真一郎は、あの男はそういう有象無象の輩とは違っていると思っていた。ついこの間、告白十連敗と自分で言ってたくせに意外とちゃっかりしてやがる、なんて。そんなふうに飲み込めれば楽なのだろうが。
    『約束の一つぐらい守れねぇのかよ。ダッセェの』
    いつもなら一笑に付すだろうに、あの女の一言が小骨のように突き刺さっている。そうだ、せめてもっと、可愛げのある女だったら良かったのだ。そうすればこんなにも苛つくことも無かったはずだ。
    (あー、くそっ、ムカつく)
    胸の奥がモヤモヤする。今まで感じたことない感情だった。
    ぐしゃりと髪をかき乱しながら空を見上げた。どんよりとした曇り空。降りそうな気配に眉間に皺が寄る。雨、と、言う単語に何故かあの烏の濡れた羽のような髪をしたあの女の顔が浮かんで、また苛つきがぶり返してきた。
    「ったく、何なんだよあいつ‼」
    アクセルを吹かし、ザリが悲鳴のような唸りを上げる。今は少しだけ、ほんの少しでもいいからこのむしゃくしゃを解消したかった。やり場のない怒りをぶつけるように、ただひたすら首都高を駆け抜けた。

    そして集会の時間。約束は約束だ。黒の特攻服に袖を通し、集会場所での神社に戻った。様子を窺おうと周りを見る。
    「総大将! お疲れ様です!」
    腰を追って挨拶してきたのは煌道連合の連中だった。
    「ン。聞いてるだろうが、今日から俺らは黒龍の一員だ。俺ももう総大将じゃねぇから。まぁ隊長って呼んどけ」
    『ウス!』
    「あの、総大将。……いや、隊長」
    声をかけてきたのは煌道で副将をやっていた男だった。
    「どした? つーか妙に騒がしいな」
    「はい。佐野真一郎……いや、今日から総長ですよね、すんません。えっと……その、総長が隣に彼女さん……連れてらして、それが特攻服来てるもんで、隊員が浮ついていると言いますか……」
    「……。あーあ、言わんこっちゃねぇ」
    「隊長、何か知ってらっしゃるんですか」
    「あぁ。ありゃ俺らの副総長だ」
    「……は?」
    「まぁそうなるわな。真ちゃん……総長が決めたことだ。まぁ、お手波拝見ってとこだな」
    軽く手を挙げれば、道ができるように人の波が割れる。
    「ワカ! どこ行ってたんだよ! もうすぐ始まるぞ!」
    石段の上には同じく黒いと特攻服に身を包んだ真一郎とベンケイ。そしてその隣にあの女の姿があった。やつはこちらを一瞥すると興味なさげにフイッと目をそらした。
    (っ! あのアマ……!)
    何気ない仕草だったが、まるで相手にされていないようで妙に腹が立った。とは言え、いちいちあんなやつのことなど気にしてはいられない。こちらの気持ちなど露知らず、真一郎はずかずかと大股で階段の真ん中を陣取った。
    「よし揃ったな。……皆聞け! これから俺たちはチームを立ち上げる!」
    通る声が神社の境内を揺らす。ざわついていた空気がしんと静まり返り、全員が耳を傾けている。
    「俺はお前らと一緒に全国制覇を目指す! 名は黒龍! 初代総長は俺、佐野真一郎が務めさせてもらう!」
    一瞬の静寂。
    「東京中のチームをシメて俺らは日本一になる‼ いいかお前らァ‼」
    「「「オォ―――ッ‼!」」」
    湧き上がる歓声。ビリビリと大気を震わせるほどの大音量。ドクンドクンと鼓動が早鐘を打つ。
    黒龍。初代総長、佐野真一郎。その響きにゾクゾクと体が震えた。すげぇ、すげぇとあちこちで声が上がる。彼の言葉一つでここまで場が沸き立つ。そしてそれはあの女も例外ではなかったらしい。ふと隣を見れば彼女も目を見開き、拳を握っていた。その顔には隠しきれない期待と羨望の色が満ちていて。
    (あぁ、そうか。こいつも佐野真一郎に――――)
    魅せられて、落とされてしまった口なのだろう。そう思った瞬間、胸の奥にあった苛立ちが何故だかスッと消えていった。
    その後、親衛隊長、特攻隊長、そして副総長の命が行われた。真一郎に名を呼ばれ、前に出る。
    「副総長! 明司武臣!」
    やつが正面に立った瞬間、自分やベンケイが前に出たときとは違うざわめきが起こったのは言うまでもない。
    「……あれが、副総長?」
    「女じゃん……」
    「総長の女じゃねぇのか?」
    ひそひそと囁かれる陰口に苦笑する。ただでさえ腕っぷしが全ての不良社会だ。女が上に立つなど、到底受け入れられないだろう。それ見たことかと思う反面、あの女がどう反応するのか見てみたくもあった。淡々と挨拶を済ませ、列に戻るやつの横顔をちらりと盗み見る。だが当人はそんな視線もお構いなしとでもいうように堂々とそこに立っていた。――真一郎の背中を、涼し気な瞳で見据えたまま。
    (……面白くねぇの)
    そのまま集会は終わり解散となった。やつとのすれ違いざま、ふと足を止めた。
    「おい、お前、本当に黒龍で副総長としてやってくつもりか? ……見たろ、お前が前に出たときの隊員たちの顔をよ」
    「…………」
    「舐められてんだよ。女が上に立って上手くいくはずねぇ。早いとこ手引いたほうが身のためだぜ」
    「…………」
    「……。おい、聞いてんのか」
    「うるせぇよ」
    黙ったままのやつに苛ついて声を荒げた。だが返ってきたのは思いのほか冷たい一言だった。
    「真が叶えてぇ夢があんなら、そのために俺が出来ることは何でもする。俺は真の言うことに従うだけ、他のやつがどう思おうがどうでもいいんだよ。お前含めてな」
    「なっ……」
    言葉に詰まった自分を一瞥する武臣。向けられたのは真一郎への羨望の眼差しとは程遠い、無機質な灰色。まるで自分など眼中にないかのような冷たい目線だった。
    「用はそれだけか? じゃあな」
    これ以上話すことはないとでもいうようにくるりと背を向け歩き出す武臣。その背中に何か言葉をぶつけようとしたが、結局何も思い浮かばず。悔し紛れにした自身の舌打ちは何とも情けないものだった。

    * *

    「何なんだよあの女は!」
    「お前またその話か……」
    あの集会から二週間が経った。集会前の時間潰しにこのヤニ臭い喫茶店で愚痴をこぼすのも、もはやお決まりだ。ベンケイは呆れ半分、面倒半分と言った顔で手元のアイスコーヒーをずずっと飲み干した。
    「いい加減諦めろよ。武臣のやつ意外に隊員からの評判良いらしいじゃねぇか」
    「だから余計にムカつくんだよ」
    足元のベンケイの脛を蹴り上げる。ガチャンと机が揺れ、水っぽくなったアイスコーヒーがカランカランと音を立てると、店内の客たちの視線が集まった。
    「おい、ワカ」
    「……チッ。文句の一つぐらい言わせろっての」
    そう、女が上に立つなど、男社会の不良連中が許す訳が無い。当然、あんなやつを副総長にするなんてと反発の声が上がるものだと確信していたのだ。
    ところがどういう訳か、二週間経った今でもやつを副総長から下ろそうとする声は聞こえてこない。それどころか身内である煌道連合の連中からの評判がすこぶる良いときた。別に顔で集めた訳では無いのだが、やはり周りに舐められないためにはある程度見栄えのするメンバーというものが必要で。つまりは煌道連合には『彼女持ち』が多いのだ。「怖いからチームを辞めてほしい」だの「抗争でデートをすっぽかされた」だの。総大将の頃、そんな話は自分の耳にも入ってはいたが、各々個人で何とかするだろうと気に留めてもいなかった。
    だが武臣のやつはそんな男女間のくだらない痴話喧嘩にも仲裁に入り、相談役を買って出ているらしい。曰く「副総長に相談したら彼女が『抗争頑張ってね』とキスをしてくれるようになった」「彼女が傷の手当をしてくれて仲が深まった」等々。身内のいざこざが減るのに越したことは無いが、それにしたって気に食わない。
    「武臣も副総長としてはちゃんとやってる方じゃねぇのか? それに俺たちがおざなりにしてた面倒臭ぇ連絡作業だの情報収集だの、全部あいつがやってくれてるし、俺としちゃ助かってるぜ」
    「それこそ副総長がやることじゃねぇし。下っ端にでも任せりゃいいじゃねぇか」
    ここ最近黒龍に挑んできたチームは数知れず。もちろん全て返り討ちにし、結成からわずか二週間で隊員の数は三十人以上増えている。
    そもそも螺愚那六と煌道連合が合併した時点で隊員の数は五十人以上、その連絡先の管理や各隊への振り分けは武臣が一人で行っているのだ。規模の大きいチームとの抗争とあらばアジトの特定、裏工作に至るまで、全てがやつの仕事だ。確かにベンケイの言う通り副総長としてはそれなりに成果は出している方なのだろう。
    だが自分が何より気に食わないのは――――
    「きゃあ! ワカ君だぁ」
    「久しぶりぃ! ねぇねぇこれから遊ばない?」
    騒がしい黄色い声に思考が遮られる。顔を上げるといかにも派手な格好と化粧をした女たちがいた。
    「ワカ君たら、最近付き合い悪いんだもん。新しいチーム? 入ってから全然クラブに顔出さないしさぁ」
    「今夜どーぉ? ミユもユキもワカ君来るって言ったら絶対来るしさぁ」
    派手な茶髪に派手なネイル。正直なところこの女たちが誰なのか全く覚えていない。名前など言わずもがな。まぁ彼女たちの口ぶりから察するに自分が以前遊んだことのあるメンツなのだろう。
    「悪ぃ悪ぃ。チーム立ち上げたばっかで忙しくてよ。今日も集会なんだ。勘弁してくれや」
    「えー、今日はだめぇ?」
    「ワカくんいないとキブン上が上がらないよぉ」
    きゃあときゃあと、いつもなら鬱陶しいと一蹴するその声も、件の可愛げの無い女のことを思い出すと不思議と腹は立たなかった。むしろこの気分の悪さを吹き飛ばしてくれる気さえした。
    「また今度埋め合わせすっから。な?」
    「えー、絶対だよぉ?」
    「約束だからねっ! 皆にも伝えておくから!」
    「分かった分かった」
    適当にあしらい、女どもを帰らせる。やっと静寂が訪れたところで、ベンケイがこちらを見ていることに気づく。
    「んだよ。言いてぇことがあるなら言えや」
    「……女のケツ追っかけんなだの、真一郎には説教垂れるくせにテメェも人のこととやかく言えねぇだろ」
    「俺は割り切って遊んでるから良いんだよ……なぁ、ベンケイ。女ってのはあぁいうやつのことを言うんだ。男に混じってバイク乗り回してるじゃじゃ馬じゃねぇ」
    「……」
    「ったく、女ならスカートの一つでも履いて愛想良く出来ねぇもんかね。真ちゃんだって、いくら幼馴染でもよくあんな跳ねっ返り隣に置いてけるわ。もっと顔も胸も良い女なら俺が紹介してやるってのに」
    適度な露出に高い声。甘ったるい匂いとともに爪に邪魔っけな石ころ付けて、にこりと微笑むだけで男がわんさか寄ってくる。先程の女たちが良い例だ。女という自分の価値を分かっている。少なくとも今まで自分の周りにくっついていた女はそうだった。細く柔らかく、脆くて弱い。女とはそういうものだと思っていた。
    そう、あいつと会うまでは。
    女は守るもの、なんて自分も真一郎のような不良の美学を掲げている訳ではないが、少なくとも男とは違う生き物だと思っている。一応、武臣のやつも隊員の中ではそれなりに喧嘩が出来る方なのは認めるが、あくまで女の割にはという枕詞が付く。
    「おいベンケイ、俺は間違ったこと言ってるか? ……そもそも何でお前も反対しねぇんだよ」
    「あ?」
    「真っ先に反対しそうなてめぇが何にも言わねぇのが妙に引っかかってんだよな。……武臣のやつと何かあったんだろ」
    苦虫を噛みつぶしたような顔で目を逸らすベンケイ。……やはり図星らしい。こういう反応をしている時、大概こいつの中で後ろ暗いことが起きているのは分かっている。
    「吐けっ!」
    「あー! ったく、大したことじゃねぇ! ……螺愚那六んときにうちの隊員がガキにつまんねぇナンパふっかけて、そいつ庇って喧嘩売ってきたのがあいつなんだよ」
    「武臣が?」
    自分から喧嘩を仕掛けるタイプには見えなかったが、と思いながら、ベンケイの話に耳を傾ける。
    やつが珍しく口ごもりながら話す内容を繋ぎ合わせて要約すると、螺愚那六の中でも血気盛んな隊員たちが結託し、ナンパがてら女を路地裏に連れ込もうとしていたらしい。抵抗して暴れる女を隊員が殴りそうになったところで、たまたま近くにいた武臣が止めに入ったとかなんとか。あわや乱闘というところでベンケイが止めに入り、その場はひとまず収まったそうなのだが。
    「絡んでた女子は普通の学生だったからな。完全に俺の監督不行き届きだ。その時の借りがあんだよ。だからまぁ、こっちもあいつに強く言えねぇっつーか……」
    「……ったく……それで黙ってたわけだ」
    バツの悪そうに顔を背けるベンケイを見て溜息をつきながらも納得する。ベンケイの性格上、自分の管轄で起こったことならば責任を感じていたに違いない。それ故、武臣の副総長の就任に対して強く言えなかったのだろう。
    「それを言うならお前こそ珍しいじゃねぇか。ワカ。お前が俺や真一郎以外にそんなこだわってんの見たことねぇぞ」
    「…………るせぇ」
    別にあの女のことなんてどうだっていい。あえて言うのなら自分に食ってかかってきたあの瞳が頭から離れないだけ。あのとき一瞬でも目を奪われた自分が許せないだけだ。
    薄くなったコーヒーを啜りながら窓の外を見上げる。生憎、外はどんよりとした曇り空。集会までもつだろうかとぼんやり考えながら、壁掛け時計に目を移す。
    ――集合時間まではまだ二時間近く。あたりを見渡せば、学校終わりの学生たちで店内も騒がしくなっていた。
    「……そろそろ出っか。適当にザリ流してくる」
    また先程の女達のように声をかけられるのも面倒だと、立ち上がり椅子を引く。
    「降られそうだから俺は残る。前みてぇに遅刻すんじゃねぇぞ」
    「へーへー」
    ひらりと手を振り、店を出る。バイクを走らせれば、生暖かい風が頬を撫でる。遠くに行く訳にもいかずぐるぐると走り回っているうちに、結局一時間前には神社の近くに着いてしまった。
    適当にザリを停めようと石段の中腹まで行くと、見慣れた黒髪が視界に入った。
    「やべ……早すぎた」
    遅刻癖のある真一郎と連れ立ってくるときを除き、この集会場所へ一番先にくるのは大抵が武臣だった。学校にも家にも居場所のない隊員たちは何となくこの武蔵神社に集まってたむろする。案の定、周りには年下と思われる隊員たちが五、六人。ゲームでもしているのか、時たま騒がしく笑い声を上げていた。そんな中で武臣は一人、賽銭箱を背に携帯をいじっていた。「年下のやつらがつるんでチンピラみてぇな真似してたら黒龍の評判下がんだろ。監視だ、監視」と武臣は言うが、何だかんだあいつは世話焼きなところがある。
    (……。……昼寝でもして時間潰すか)
    向こうはこちらに気がついていないようだった。後輩に捕まるのもあの女と顔を合わせるのも嫌で、境内の裏へと回り込んだ。
    人影もなく鬱蒼とした杜。適当な木にもたれかかり、まぶたを閉じた瞬間だった。
    「おいおい! ここが黒龍の本拠地かぁ? シケてんなぁ!」
    「何だぁ、黒龍ってのはこんなガキしかいねぇのかァ⁉」
    ぞろぞろと現れたのはガラの悪い男たち。その数、二十人ほど。体格からして高校生も混じっているようだった。揃いも揃ってニヤついた面をぶら下げて、ヤニで黄ばんだ汚い歯を見せびらかすように下品な笑みを浮かべている。一目見て分かるほど、質(タチ)が悪い輩どもだ。
    「何だ、てめぇら!」
    「ここが黒龍の集会場所って知ってんだろうなぁ⁉」
    血気盛んな隊員たちが男の前に出る。それを制止するように腕を出したのは、他でもない武臣だった。
    「おいおい! 噂にゃ聞いてたがここのチームの副総長が女ってのはマジみてぇだなぁ!」
    武臣の顔が強張ったのは一瞬。すぐに睨みつけるような顔つきに変わり、相手を煽るように口角を上げる。
    「テメェら新宿の虚無那(ゲヘナ)ってチームだろ。うちに何の用だ」
    聞こえてきたそのチームの名は自分も聞いたことがあった。
    新宿虚無那。バックに暴力団が付き、裏でドラッグを捌いている等の黒い噂が絶えない不良グループだ。最近規模が大きくなり、いつ黒龍ともぶつかりあってもおかしくないから気をつけるようにとまさに今日の集会で隊員たちに伝える予定だったのだ。
    「おいおい。怖い顔して睨むなよお嬢ちゃん? 挨拶だよ、挨拶」
    「渋谷でガキどもが好き勝手暴れてるって聞いてよォ。うちの傘下に入る前に、礼儀知らずな総長の顔でも見とこうと思ったんだが。生憎留守みたいだなぁ」
    「それとも俺らにビビって逃げ出したんじゃねぇのかぁ⁉」
    ギャハハ、と挑発するような視線を向けニヤつく男たち。傘下という言葉にぴきり、と空気が凍る。
    「おい! 今なんつった! 誰がテメェらなんかの傘下に入るか!」
    「俺らの総長舐めてんじゃねぇぞ!」
    「おい止(よ)せっ!」
    武臣の静止も聞かず、隊員たちが虚無那の男に掴みかかる。途端、ゴッという鈍い音と共に一人の隊員が宙を舞った。
    「うっせーんだよクソガキがっ‼」
    何が起きたのか理解できないといった様子で目を白黒させる隊員たちを、男たちは鼻で笑う。
    「口の利き方にゃあ気をつけろガキ。――舐めた口利いてるとぶっ殺すぞ、ボケカスが」
    小学生上がりの中学生といった風貌の少年達と、高校生。下手すれば成人にも見える男たちとの体格差は歴然だった。その一方的な暴力に場が静まり返る。
    「ったく、大人しくしてりゃ痛ぇ思いせずに済んだのによぉ」
    「雑魚はともかく、少しは使えるやつもいるんだろ? 赤壁(レッドクリフ)に白豹……だったか? この際、総長はいらねぇや。ガキとは言え、名の通ったやつならうちのチームにも箔がつくってもんだ」
    「お嬢ちゃん、痛い目会いたくなかったらそいつら二人、今すぐここに呼び出しな。……テメェらがやってるのはしょせんガキのお遊びなんだよ。俺らならもっと上手い『使い方』っつーもんを教えてやるぜ」
    下卑た笑みを浮かべた虚無那のリーダーらしき男が、一歩、また一歩と武臣に詰め寄っていく。怯み、たじろぐ隊員たち。
    「……プッ、あははははは!」
    そんな引きつった空気を破るように武臣が乾いた笑い声を上げた。ざわざわと訝しげに自らを見る男たちの顔をぐるりと見渡す武臣。
    ひとしきり笑って、ようやく息を整えたあいつは、ゆっくりと男たちに近づいていく。そして、
    「ッグゥ!」
    ヒュンと空を切る音とともに、男の顔へ強烈な蹴りを食らわせた。
    「なっ……!」
    「嘘だろ……」
    靴底がもろに顎下へ入り、ゴキンと骨が鳴る音が聞こえた。吹っ飛んだ男は背中から石段を転がり落ちていった。何が起こったか分からず騒然とする一同。武臣は口元に手を当て、クツクツと肩で笑い始めた。その表情は、先程までの貼り付けた笑顔ではなく、酷く冷めたものだった。
    「あいつらを『使う』って? ……生憎、黒龍にてめぇらみたいな小物の手に負えるやつはいないんだわ。……他を当たりな」
    武臣は言い終わると同時に、目にも止まらぬ速さで隣の男にも回し蹴りをお見舞いしていた。
    「こ、このアマ! やりやがったな!」
    「舐めてんじゃねぇぞガキ!」
    「はっ! そのガキにちょっかい出すしか出来ねぇ三下風情が調子乗んなバーカ!」
    我に返った他の男たちが一斉に飛びかかるも、逆に殴りかかろうとした男の手を掴んで引き寄せ、その腹に膝を入れる武臣。流れるように攻撃をいなし、次々に地に沈めていく。
    「お、俺たちも副総長に続けー!」
    呆気に取られていた後輩たちも、武臣の勢いに押され、瞬く間に乱闘が始まった。荒々しい男どもの怒号や罵声、そして鈍い打撃音。
    そんな光景の中を武臣は舞うように華麗に動き回り敵をなぎ倒していく。踊るように流れる黒い髪に、ひらめく黒い特攻服。顔に跳ねた泥にも厭わず戦うその姿はあまりにも鮮やかで。
    俺は助けに行くことも忘れ、しばしその姿に魅入っていたのだった。

    ■ ■

    「はぁっ、はぁっ……」
    上がる息を何とか整えながら、地面に倒れ込む男たちを見渡した。
    あれからどれくらい経っただろう。黒龍の面々はかろうじて立っている程度で既にほとんどが満身創痍だ。本来なら副総長として、逃げるかその場だけでも大人しく納めるべきだったのかもしれない。
    だが気づいた時には、男の顎を蹴り上げていた。
    (あいつらが真以外の下に就く? 冗談じゃねぇ)
    真についていくと言ってくれた荒師慶三に今牛若狭。後者に関しては未だに気に食わないことも多々あるが、それでも同じ、真を支える大事な黒龍の屋台骨だ。あいつらの肩書きしか見ていないようなやつらに渡すつもりなど毛頭なかった。
    「随分と遊んでくれたじゃねぇかよォ‼ オイ‼」
    「っ……!」
    「テメェのせいで面目丸つぶれだ! 女だからって容赦しねぇぞ!」
    背後から伸びてきた腕が首元を締め上げる。羽交い締めにされたままギリギリと気道を詰められ、息苦しさに膝をつく。
    「おいっ……! は、離しやがれっ……!」
    「どうせ輪姦(まわ)すんだ、顔多少潰れようが構やしねぇだろ。……おい! 押さえてっからこいつの顔面に一発入れてやれ!」
    後ろの男がそう言うと別の男が俺の前に立ち、拳を振り上げた。
    殴られる――――そう思い、目を瞑った瞬間だった。
    「ぎゃあっ!」
    「グェッ!」
    突然上がった悲鳴。それと同時に拘束が緩む。
    「けほっ、けほっ……な、なに」
    その隙に腕を引き抜いて振り向くと、先程まで自分を殴ろうとしていたはずの男は皆地面に倒れ込んでいた。
    「おいおい、黒龍の集会場所にカチコミたぁ良い度胸じゃねぇか」
    「ヒッ……! し、白豹……!」
    そしてその名の通り、白い髪をなびかせながら豹のように鋭い眼光を放つ男がそこに立っていた。
    「……覗き見してたくせに、随分遅ぇんじゃねぇの」
    「ンだよ、俺がいるって知ってたのか?」
    「お前のザリの音は聞き慣れたっつの」
    そう、軽率だったとは言え、最初から勝ち目のない勝負をする気は無かった。集会まで一時間、ワカが神社の近くにいることは分かっていた。カスタムオーダーのやつのザリは特徴的な低い唸り声。多少離れていても聞き逃すはずがない。時間を稼げばいずれ助太刀に来ることを見越してこの喧嘩を買ったのだ。まぁ、予想していた時間よりは大分遅かったが。
    「怒んなよ。よくまぁ一人でここまでやったもんだ」
    「うるせぇ」
    ポンと肩に置かれた手を振り払う。ピンチになってから出てきたあたり、どうせ影から自分たちの乱闘を見ていたのだろう。相変わらず、底意地の悪いやつだ。
    「ま、待ってくれ! お前が白豹だろ⁉ 俺ら、あんたをスカウトしてぇんだっ……!」
    男の言葉にワカのピクリと眉が動く。話に興味があると踏んだのか、必死の形相で男はまくしたてた。曰く、実力に見合うだけのポストを用意できること。もし自分のチームに入るなら、今後黒龍には一切手を出さないこと。
    「女を上に立たせるようなチームがこの先やっていける訳がねぇ、あんたもそう思うだろ⁉」
    男の言葉に、ワカは「……ま、確かにな」と同意するように呟いた。
    心の中で無意識に舌打ちをした。分かっていた。ワカが女である自分のことを疎んでいることは。それに、ワカにとっては確かに悪い話ではないのだろう。実力を考えるなら、黒龍よりもよっぽど見合った待遇が得られるに違いない。
    ……だが、それでも。自分や真一郎が黒龍にどこまでの覚悟を持っているかは分かってくれていると思っていたのに。考えればじわ、と視界が滲む。誤魔化すように唇を噛み、目を伏せたときだった。
    「……でもな」
    瞬間、男の身体が文字通り宙を舞った。ドサッという鈍い音に驚いて顔を上げると、そこにはいつもと変わらないニヤリと笑みを浮かべたワカの顔があった。地面に叩きつけられた男を見下ろしながら、彼は口を開く。
    「その女にノされるような雑魚んとこより――よっぽどマシだっつの」
    「なっ……! テメェ!」
    反撃しようと体を起こした男の拳を難なく受け止め、鳩尾に蹴りを入れるワカ。
    「おいおい、これで終わりじゃねぇよな? もっと楽しませてくれよ」
    獲物をいたぶる獣のような瞳に、バクバクと心臓が早鐘を打つ。次々と敵を沈めていくその姿は豹というより白い悪魔だ。
    「ひいっ……!」
    「お、覚えてろ!」
    戦意喪失したのか、三下のセリフを吐きながら逃げていく男たち。蜘蛛の子を散らすようなその光景を眺めながら、自分はようやくほっと息をついた。
    「良いのかよ。……あっちにつかなくて」
    気まずさからつい皮肉が口から漏れる。そんな自分に、ワカは小さく肩をすくめるといつもの調子で口を開いた。
    「お前なぁ、遅れたのは悪かったけど無茶な喧嘩買ってんじゃねぇよ。俺が来なきゃ間違いなく輪姦(まわ)されてたぞ」
    「……お優しいことで」
    違う。言いたいことはこうじゃない。言うべきは『助けてくれてありがとう』のただ一言。
    「悔しかったら表に出んじゃねぇよ」
    口からその言葉が出なかったのは、ワカの忠告が図星だったから。
    「あぁ、それとも真ちゃんが守ってくれるから、ってか?」
    「違ぇよ。……俺は真の夢を叶えてぇだけ」
    それは心からの本音だった。真が自分に副総長を任せると言ってくれた時は本当に嬉しかった。真一郎とは幼馴染としてずっと一緒に過ごしてきた。皆に好かれ自然と周りに人が集まってくる、そんなあいつが自分に託してくれた重い肩書き。だが女の身で出来ることには限りがある。情報収集だの隊員の相談窓口だの、せめて自分ができることでチームに貢献しようとはしているが結局喧嘩に勝てなきゃ何の意味もない。そこらの雑魚に負ける気はサラサラないが、今回のような相手には一人じゃ手も足も出ないのだ。いつだって自分は誰かの助けを頼りにしている。
    「……何で俺なんかが副総長なんだって、そんなこと俺が一番思ってる。でも俺に出来ることはしてぇんだ。真のために」
    「…………」
    「そりゃお前は弱ぇ女が上に立つなんて癪だろうけどよ。……俺を副総長から降ろしてぇなら真に言え。真が言うなら俺は心置きなく譲ってやるから」
    真が「やっぱりお前には無理だったな」と言う日までは。そうキッパリと言い放つと、ワカは一瞬驚いた顔をした後、呆れたような顔でこつんと額を小突いてきた。
    「いてっ」
    「ばーか。……俺は副総長辞めろなんて一言もいってねぇだろ。表に出んなっつったんだ」
    「……?」
    言葉の意味が分からず額をさすりながら首を傾げる。
    「喧嘩は任せとけっつってんだよ。危なっかしくてしゃあねぇや」
    「なっ……⁉ お、俺だって……!」
    「『俺だって』……何だよ」
    言い返そうとしたその先の言葉は、言わせてもらえなかった。ワカの視線は真っ直ぐにこちらに向けられていて思わずどきりと心臓が跳ねた。……こういう時のワカの目は苦手だ。まるで自分の浅い心の底を見透かされているようで。
    「適材適所。お前は自分の役割を全うしろよ。……真ちゃんの隣に立ちてぇんなら」
    真の名前が出てきて、思わず唇を噛み締めた。
    (――――ずるい)。
    ずるい。ずるい。ずるい。
    本当は自分だって分かっていた。副総長になったところで、きっと真の役に立つことはできないだろうとは。いくら多少腕が立つと言ったって、所詮自分はただの女。昔は背だって真より高くて、お姉さんぶって世話を焼いていたのにいつの間にか抜かされていた。この先、どれだけ努力しようとも、男のように強くなることも、ワカたちのような力を手に入れることも無い。黙り込んでいる自分を見て、ワカは表情を和らげてぽん、と頭を撫でてきた。
    「わっ……!」
    「言っとくけどな、あんだけぶっ倒しといて、今更お前を弱ぇなんて思ってねぇよ。俺たちがしっかり前に出てやるから、安心しとけって」
    ぐしゃぐしゃに髪をかき混ぜられて、慌てて頭を押さえる。
    「ちょっ……やめろよ‼」
    「はははっ」
    何が楽しいのか、目を細め笑うワカ。普段無表情か不敵な笑いで何を考えているのかさっぱり分からないくせに、その顔はきらきらと輝いて、ひどく優しくて。
    「や……やめろって……」
    乱れる髪の毛を手櫛で整える。今度はその手を振り払う気にはなれなかった。

    ■ ■

    正直自分でも助けには言うのが遅かったとは思っている。けれど、あの女が戦う姿を少しでも目に焼き付けたかった。砂まみれで、息を上げて、傷だらけになって、弱いくせにそれでもなお立ち上がろうとする姿にどうしようもなく心惹かれた。背後から首を締められてあわやというところで、ようやく我に返り、あいつの元へと駆け出した。
    「――――黒龍の集会場所にカチコミたぁいい度胸じゃねぇか」
    羽交い締めにしていた男を蹴り飛ばしてふぅ、と息をつく。けほけほと咳き込む武臣の首には赤い跡がくっきりと残っていた。
    「……覗き見してたくせに、随分遅ぇんじゃねぇの」
    恨みがましい目でこちらを睨む武臣。流石に助けに入るにはタイミングが良すぎたか、と苦笑する。
    「ンだよ、俺がいるって知ってたのか?」
    「お前のザリの音は聞き慣れたっつの」
    武臣にとっては「近くにいたくせに来るのが遅い」というただの恨み節だったのだろうが、自分には違う意味に聞こえてしまった。
    (こいつ俺のバイクの音、覚えてんの?)
    じわりとした何かが胸に滲んでいく。感じたことの無い感情だった。
    (……余計なこと考えんな。今は目の前のやつらに集中しろ)
    そんなはずない。そんな訳がない。そう必死で自分に言い聞かせる。
    「……怒んなよ。よくまぁ一人でここまでやったもんだ」
    誤魔化そうと頭を撫でようとしていた手は「うるせぇ」とけんもほろろに振り払われた。じんと痺れる手のひらとは別に、胸の奥がちくりと疼くような感覚。……こいつに拒否される度に、いつもこうだ。野良猫に牙をむかれた程度のことで、まるで心臓にナイフを突き立てられたかのように苦しくなる。
    「ま、待ってくれ! 俺ら、あんたをスカウトしてぇんだっ……!」
    みっともない男の喚きも右から左に抜けていく。ただ「女を上に立たせるようなチームがこの先やっていける訳がねぇ!」というセリフだけは、やけに耳に大きく響いた。
    「……あぁ、確かにな」
    気づけば同意の言葉を口にしていた。
    だってそれは自分が真一郎に言ったセリフそのまま。この二週間、何度も武臣に投げつけてきた言葉だったから。武臣のやつだってこの返答が大した意味を持たないことは分かっているはずだ。
    「でもな、女にボコボコにされるような雑魚んとこよりよっぽどマシ」
    「なっ……! テメェ!」
    そうだ、地位や名誉が目的ならはなから黒龍など作っていない。
    自分の居場所は、ここだ。
    「っ………!」
    視界の端で武臣の目がパッと大きく見開かれた気がした。
    「これで終わりじゃねぇよな? もっと楽しませてくれよ」
    飛びかかってきた相手を次々に沈めていく。不思議といつもより体が軽かった。我先にと逃げていく背中を追いかけようかとも思ったが、「良いのかよ。……あっちにつかなくて」と後ろでぼそりと呟く声に足を止めた。振り向くと武臣が悔しそうな表情でこちらを睨んでいた。
    「――――俺が来なきゃ間違いなく輪姦されてたぞ。悔しかったら表に出てんじゃねぇよ」
    ……違う。言いたいことはそうじゃない。そもそも自分が助けに行くのが遅れたのが原因なのだ。『怪我してねぇか』とか『遅れて悪ぃ』とか、そういう言葉をかけるべきなのに。口から出たのは「……あぁ、それとも真ちゃんが守ってくれるから、ってか?」なんて、嫉妬見え見えのみっともない皮肉で。武臣は言う。
    『自分は真の夢を叶えたいだけ』
    『自分を副総長から降ろしたいなら真に言え』
    『真が言うなら心置きなく譲ってやるから』
    真、真、真。額を小突いてやったのは、せめてもの抵抗だった。
    「お前は自分の役割を全うしろよ。真ちゃんの隣に立ちてぇんなら」
    案の定、真一郎の名前を出した途端、武臣の瞳が揺れた。今、その目に映っているのは自分のはずなのに、その心に居るのは自分ではなく真一郎。自分が入る隙間などどこにも無いのだと突きつけられる。
    「……あんだけぶっ倒しといて、今更お前のを弱ぇなんて思ってねぇよ。俺たちがしっかり前に出てやるから、安心しとけって」
    あの時、年下たちを庇い臆さず一人で何人もの不良と対峙する姿は皮肉にも真一郎と重なった。悔しいことに自分はつくづくあぁ言うタイプに弱いらしい。武臣の髪に手を突っ込みぐしゃりと掻き回す。
    「ちょっ……やめろよ‼」
    「ははは」
    喉から漏れた笑い声は思いの外、乾いたもので。
    (――――こういうのを不毛っつ―のかな)
    手を振り払われなかったことに気がつく余裕は、今の俺には到底無かった。

    * *

    黒龍が発足して早二ヶ月。最初こそ、荒くれた野郎の集まりだったが、今では関東中で名が知られるチームになっていた。隊員の数も百をゆうに超えている。そして規模が大きくなるに連れ、自分も裏方の仕事に手を付けざるを得なくなった。こういうとき、日々裏方でチームの運営に携わる武臣の器用さを改めて実感させられる。
    今だって、ついぞ先日潰したチームの構成やメンバーの連絡先、次に控えた抗争の策を眉間に皺寄せながら練っているのだ。ちなみに集会はとっくに終わり、残っているのは自分と武臣だけだ。
    「それ、この間潰したとこの情報か?」
    「あぁ。最初に聞いてたのより大分人数が少ねぇ。名が知れた連中も潰した面子の中にいなかったしな。噂じゃ内部分裂したって話も聞くし、これも何かの作戦かも……」
    「へー……」
    「この間はお前が指揮したんだろうが。もう少し興味持てよ」
    呆れたように言われるが、自分が好きなのは喧嘩そのもの。こういった抗争後の後始末や交渉の根回しはもっぱら武臣に任せっきりだ。
    「お前の作戦も上手く嵌っただろ。そういや最近じゃ、何だっけ、お前のこと軍神なんて呼ぶやつもいるみてぇじゃねぇか」
    「……あいつらは大げさなんだよ」
    言い返す口元がにやけたのを見逃さなかった。どうやら満更でもないらしい。最初こそ自分のように女の下につくことを良しとしないやつもいたが、今や武臣の指示に従うことに疑問を抱く者は居ない。そして一体誰が呼びだしたか、『彼女の采配で戦況が決まる』と、最近じゃ軍神なんて異名まで付いている。
    隊員たちが文句を言わなくなったのにはもう一つ理由があるのだが。
    「なぁ、お前と真ちゃんってどこまで行ってんの?」
    「んー? 最近は都内ばっかで……この間千葉まで飛ばしたぐらいか」
    「そっちじゃねぇよ」
    きょとんとした顔でこちらを見る武臣。
    「幼馴染なんだろ? キスの一つでもしたことねぇの?」
    「お前その話何回目だよ。……何度も言ってんだろ。俺と真はそんなんじゃねぇの」
    そう、武臣が副総長であることに隊員たちが文句を言わなくなった理由。もちろん武臣の実力もあるだろうが、大部分は総長である真一郎との関係性についてだった。本人たちが関係を否定しようがしまいがただの幼馴染にしてはいくらなんでも距離が近すぎる。影で「総長は姐さん女房が好き」だの「実は許嫁らしい」だの、隊員たちの間で根も葉もない下世話な噂が飛び交っていることをこいつは知っているのだろうか。
    「お前こそ女遊びも大概にしろよ。『彼女を集会に連れてったらお前に一目惚れして振られた』って隊員からの苦情が何件来てると思ってんだ。いい加減刺されるぞ」
    「向こうが勝手に惚れて、勝手にフッただけだろ。俺関係ねーし」
    「……頼むからそれ真の前で言うなよ。泣くぞあいつ」
    脳内で「かーッ! モテるやつは言うことが違ぇや!」とぶーたれる真一郎がありありと浮かび、思わず吹き出した。武臣も同じことを思ったのかつられて笑い出す。
    「……ま、顔は良いもんな。お前」
    何気なくこぼされたセリフに今度はこちらが目を丸くする番だった。
    「……俺の顔、良いと思ってんの?」
    「ん? まぁそりゃ整ってるっつーか普通に良い方なんじゃねぇの? こんなにモテてんだから」
    何当たり前のことを、とキョトンとした顔を返してくる武臣。その言葉を聞いて、胸の奥がじわりと熱くなる感覚を覚える。
    「……その割に俺の扱い雑じゃねーの」
    「丁寧に扱ってほしきゃ仕事しろ。仕事」
    「へーへー」
    生返事をしながら、ふたたび資料とにらめっこし始めた横顔を眺める。つり上がった眉や睨むような鋭い目つき。年下たちには誤解されがちだが、よく見てみれば意外と武臣の目元は垂れ目だ。
    煌道連合のころ、自分に寄り付くのは不良に似合いの髪を明るく染めたケバケバしい派手な女ばかりだった。以前は野暮ったいと思っていた烏の濡れ羽のような黒髪も、今じゃ黒の特攻服と相まってこいつに良く似合うと思う。
    「……何だよ」
    「別に?」
    「嘘つけ。視線がうぜーんだよ。黙って手ぇ動かせ」
    じっと見つめていたせいか、不快そうに眉をひそめた武臣がこっちを見上げている。
    (……勿体ねぇの)
    見目は悪くない。それどころかそこらの女ぐらいなら軽く蹴散らせるぐらいの顔立ちだ。このやたら突っかかってくる性格さえ何とかすれば彼氏などすぐできるだろうに。実際、命知らずと言うべきか、真一郎との関係が噂されていても玉砕覚悟で武臣に告白してくるやつはそれなりにいるのだ。
    「お前さぁ、彼氏とか作らねぇわけ?」
    「……。……あのなぁ」
    「普通お前ぐらいの年の女なんて、女同士でつるんでるか彼氏作って遊んでるかどっちかだろ」
    「……マジでいっぺん女に刺されろよ、お前」
    呆れ返ったようにため息をつく武臣。今度こそ「くだらねぇ」と軽く一蹴されるかと思った。
    だが意外にもこぼされたのは「……お前まで婆ちゃんみてぇなこといってんじゃねぇよ」という呟きだけで。諦めたように遠くを見るその瞳が一瞬寂しげに揺れた。
    「いい加減大人しく家に入れだの、不良なんてやってたら行き遅れるだの。……だったら最初からこんな名前つけんなっつの」
    最後の言葉は普段の武臣からは考えられないぐらい低く、覇気のない声音だった。
    「剣道道場だったんだ。うち」
    そこからぽつりぽつりと、語られたそれは普段隊員たちが聞いても決して話そうとしない武臣の家族のことだった。
    「爺ちゃんたちが跡継げってうるせぇから、俺たち置いて親父は実家に寄り付かなくなった。でも爺ちゃんも婆ちゃんも結局男孫……跡継ぎが欲しかったんだろうな」
    「……お前の、名前って」
    「最初から男ありきの名前しか考えてなくて、後に引けなくなった婆ちゃんが無理やり付けた。……小学生まで俺、マジで男として育てられてたぜ? スカートも禁止、女子と遊ぶのも禁止。髪も短く刈られてた。そのせいで真も俺のことずっと男だって勘違いしてたしな」
    お前も最初勘違いしてたよなー、と武臣は乾いた笑いを漏らした。そして、まるで独り言のように続ける。
    「それも春千夜が生まれてからぱったり無くなった。そりゃ『本物』が生まれたらこんな紛い物いらねぇよな。おまけに可愛くて素直な女孫は千壽がいるし」
    「……………」
    「残ったのは中途半端な男女(おとこおんな)と、爺ちゃん死んで空っぽになった道場だけでしたとさ」
    ちゃんちゃん、と自嘲気味に締めくくり、武臣は再び書類に目を落とした。武臣の言葉を聞いて、最初に思ったのは純粋な怒り。そして、顔も知らぬこいつの祖父母に対するどうしようもない苛立ちだった。
    「……んだよ。それ。そんな、勝手な理由あるか」
    最初に出会ったとき「大人しく家でファッション誌でも読んでろ」と吐き捨てた自分。こいつは一体どんな思いでそれを聞いていたのだろうか。女友達と遊ぶこと、可愛らしい服を着ること、そんな女の当たり前を否定されて育てられて。男が生まれてしまえば用無しだと捨てられて。それはあまりにも身勝手に思えた。
    「……何でお前が怒ってんだよ」
    武臣は少し驚いたような表情を浮かべると、困ったように苦笑する。無意識に拳を握りしめていたらしい。手元で骨が軋む音が聞こえた。だが、それを制したのは武臣自身で。
    「良いんだ。ワカ」
    細く節くれ立った指先が、労わるように自分の拳に重ねられた。
    はっとして顔を上げれば、どこか寂しげな、しかし優しい色をたたえた双眼とかち合う。その微笑みは今まで見たことがないくらい、静かで優しいもので。
    「真が『お前はお前だろ』って言ってくれたんだ」
    ――――あぁ。
    「『女とか男とか関係ねぇだろ』って。『武臣は武臣だ』って」
    「あいつは……『俺』を見てくれる。だから、俺は真が好きなんだ」
    「だから……あいつのために俺ができることはしてぇ』
    『真は自分のわがままに俺が付き合ってるって思ってるみてぇだけど、本当はあいつの手を離してやれないのは俺の方なんだ』
    勝てない、と思った。
    「真ちゃん、格好良すぎじゃん……」
    そう小さくこぼせば、「普段はダセぇのにな」と武臣はくつくつ笑って肩をすくめた。
    あぁ畜生、と胸中で毒づく。夕日にすかされた黒髪と、その笑顔がひどく綺麗で。この女にこんな顔をさせられるのが佐野真一郎なのだと思うと、何故だか無性に悔しかった。

    * *

    黒龍が結成してから半年が過ぎた。その日は関東最大級のチームとの抗争だった。相手はあの新宿虚無界(ゲヘナ)。かつて挨拶と称して黒龍にカチコミをかけ、武臣と自分とで撃退したチームだった。その後、やつらは着々と勢力を伸ばし、今では黒龍と関東と二分する規模になっていた。最近までぶつかることもなかったのだが、隊員同士の小競り合いからついにお互いが無視出来なくなり、この抗争に至ったのだ。
    「テメェら気張ってけよ! 新宿虚無界、俺らでぶっ潰すぞ‼」
    「「ウオォオオ―――‼」
    総長である真一郎の檄(げき)に呼応するように声が上がる。この抗争は勝ったチームが関東一を名乗れる、いわば頂上決戦だ。
    黒龍は総勢三百人、対する虚無界はおよそ五百人。数では圧倒的に不利な状況だった。おまけに黒龍の主力は中高生なのに対して、相手は高校生を中心に二十代前半のメンバーが大半を占めている。ご丁寧に金属バットや鉄パイプまで持ち込んで、この日ばかりは武臣も裏方というわけにはいかず入り乱れての大乱闘になっていた。
    「真! 右翼が押されてる! 加勢行くぞ!」
    「チッ! 数がおおいな畜生!」
    乱戦の中、武臣の声が響く。年上が多いとはいえ一人一人は大したものではないが、やはり数の利でそれなりに消耗してしまう。ベンケイですら自分に纏わりつくやつらを蹴散らすのに精一杯の状態だった。
    今思えばいくら倒しても変わらない、この不利な戦況に珍しく焦っていたのだろう。集中力が切れた一瞬、背後から迫る気配に気がつかなかった。
    「ワカ後ろ‼」
    武臣の声にハッとして振り返れば、刃物を振りかぶった男が眼前に迫っていて。
    「死ねや今牛若狭ああぁ‼」
    鈍(にび)色の刃がやけにゆっくりと視界に入り(あ、これ死んだわ)と他人事のように思った。
    だが次の瞬間、目の前に黒い何かが飛び込んできて。次いで視界いっぱいに赤が散り、どさりと重いものが地面に倒れる音。
    「……え?」
    思考が追いつかない。視線を下にずらす。何が起きたのか分からなかった。
    「あぁあああっ‼」
    鼻をつく鉄錆のような臭い。指の間から滴り落る血で、真っ赤に染まる頬。そして顔を押さえながら絶叫する武臣の姿で、ようやくこいつが自分を庇って斬られたのだと理解した。
    「……おい、嘘だろ?」
    頭が真っ白になっていく。
    武臣が倒れた。何で俺を。敵は。ナイフはどこに。早く救急車を。助けを呼ばなければ。誰か、すぐに――――
    「ワカッ! ぼーっとしてんじゃねぇ‼」
    呆然と立ち尽くしていると、ドカッと腹を蹴られ後ろに吹っ飛ばされた。まともに受け身も取れずに背中から倒れこむ。
    「おう、目ぇ冷めたかよ!」
    ベンケイの怒号と痛みで我に返る。この抗争の真っ只中、ぼんやりしてる場合じゃない。慌てて立ち上がり体勢を立て直す。そうだ、今すぐ武臣を助けに行かなければ、と周囲を見渡して――息を呑んだ。
    「――――武臣‼ 大丈夫か⁉」
    「ぁあ……真ッ……! 真ッ……」
    そこにいたのは必死で名を呼び、倒れている武臣を抱き起こす真一郎。そしてしゃくり上げながらその袖にしがみつく武臣の姿。
    (……何だ、あれ)
    まるで、世界が二人だけになってしまったかのような光景だった。
    あんな武臣は知らない。少なくとも自分は見たことがない。
    いつだってあいつはつんとすまして、口が悪くて、生意気で。この『白豹』相手にも臆せず突っかかってくるようなやつだ。後輩守るために啖呵切って年上の男相手に立ち向かっていくようなやつだ。
    だから忘れていた。
    「真っ……俺……おれぇっ……!」
    「大丈夫。大丈夫だ。すぐ病院連れてく。大丈夫だから。な」
    泣き顔を晒し、まるですがるように真一郎の名を呼ぶ武臣。そこにいたのはただの非力な少女だった。
    「っ………!」
    庇われたくせに一歩も動けない自分への怒りで、体が震えた。心臓が引き絞られるような感覚に吐き気がした。喉元にせり上がるどろっとした熱に胸の奥底がぐちゃぐちゃになって。
    ――――そこから先は覚えていない。

    * *

    気づけば抗争は黒龍の勝利で幕を閉じたらしい。だがその勝利に気がつくこともなく自分はただただ、無感情に己の拳を男へと振り下ろしていた。武臣を切りつけた男の顔はもはや原型を失っている。ひゅーひゅーと口の端から漏れる息が何とも煩わしかった。
    「はは」
    何が可笑しいのか自分でも分からなかった。とどめを刺そうとした拳は後ろから横から伸びてきた腕によって止められる。
    「……離せよ。ベンケイ」
    「抗争は終わりだ。俺らの勝ちだ。……それ以上やったらそいつ、死んじまうぞ」
    「死にゃいいだろこんなヤツ」
    もはやうめき声を上げる肉塊に成り果てた男に吐き捨てる。掴まれた手を振りほどこうとしたところで、パシッと乾いた音が響いて。遅れてじんわりと頬に痛みが広がった。
    「落ち着け。全部終わったっつったろ。こっちは片付けとっからさっさと病院行ってこい」
    「病院……」
    ベンケイの言葉にハッとする。そうだ、武臣だ。あの後意識を失った武臣を真一郎が抱きかかえて走っていく後ろ姿は覚えている。だが自分はそれをどこか遠い世界の出来事のように見つめることしか出来なかった。
    「……いい。行かねぇ」
    「あぁ?」
    その場から逃げ出そうとする自分の肩をベンケイに強引に掴まれる。反射的にその手を払い除けた。
    「俺が行ったってどうしようもねぇだろうが! 俺が油断した、俺がもっと早く動いてりゃあんなことにならなかった!」
    いつも生意気で、自信満々で、強くて。可愛げなんて微塵もなかったくせに。そんな女が、ぼろぼろになって泣いている姿を見て、どうしていいか分からなかった。
    「今更っ……どの面下げてあいつに会えっつーんだよ‼」
    そうだ、今更だ。自分が行ったところで何になるというのだ。血反吐が出るような悔しさがこみ上げてくる。ぎり、と奥歯を噛み締めたその時、黙って聞いていたベンケイが静かに口を開いた。
    「お前、心底あいつに惚れてんだな」
    「…………は」
    「ったく、黙ってきいてりゃつまんねぇことをグチグチと。謝るでも何でも、とにかく会ってケリつけて来いや。それだけの話だろ。……このまま逃げたら、てめぇ本当にダセェぞ」
    呆れたようにため息をつくベンケイに、思わず言葉を失う。
    (惚れてる? 誰が誰をって……?)
    「あー! とにかく男ならさっさとけじめつけて来い!」
    混乱している自分の背中にバシンッと叩き出すようなにベンケイが言う。平手が飛んでくる。じんじんと痛む背中に少しずつ頭が冷えていく気がした。
    ……確かにベンケイの言う通りこのまま逃げるなんて最高にダサい真似、自分らしくない。そう思い直した瞬間、ふっと力が抜けた。
    「……ありがとよ。ベンケイ」
    「あぁ? 聞こえねー」
    「何でもねーよ。……悪ぃ、ちょっと行ってくるわ」
    「おう! 振られても骨は拾ってやっから!」
    失礼すぎる激励に思わず苦笑う。ザリのエンジンをかけ、発進させる直前。ふと真一郎と武臣の姿が脳裏に浮かんだ。
    「………やっぱ骨、拾ってもらうか」
    ボソリと呟きアクセルを踏み込んだ。

    * *

    「お、やっと来たか。遅かったじゃねぇか」
    病院につくなり、廊下のベンチで座っていた真一郎。開口一番にそう言われた。
    「……武臣は」
    「手術中。でも命に別状はねぇって。ただ場所が場所だから入院して明日精密検査だとさ」
    目を、合わせられなかった。リノリウムの床に手術中の赤いランプが光って溶けていた。何か言わなければと思うのに言葉が出てこない。
    「……ごめん」
    結局出てきたのは陳腐な謝罪の言葉だった。
    「俺があの時すぐに動かなかったせいで武臣に怪我させた。守れなかった。……ごめん、真ちゃん」
    深く頭を下げる。許してもらえなくていい。ただ、謝りたかった。これが自分にできる精一杯だった。
    「……ばっかじゃねぇの」
    拳を握りしめ、うつ向く自分をじっと見つめた後、真一郎はすっくと立ち上がり――――そのまま胸ぐらを掴みあげてきた。
    「謝る相手は俺じゃねぇだろうが‼」
    「っ……」
    怒鳴られて、ハッとする。真一郎の瞳には怒りと、そして悔しさが滲んでいた。
    「っ……悪ぃ」
    真一郎はバツが悪そうに謝ると、ゆっくりと手を離した。
    「……殴んねぇの。俺のこと」
    「殴って欲しそうな顔してるやつ殴ったって仕方ねぇだろ。それにもし、俺がお前なら……いや、やめとこ」
    言い淀み、どかっとベンチに腰を下ろす真一郎。……そんなに情けない顔をしていたのだろうか、と頬に触れる。結局殴らなかったあたり、真一郎自身も自分を責めている部分があるのかもしれない。そう思うと余計にいたたまれなくなった。
    無言のまま時間が過ぎる。その沈黙を破ったのは手術中のランプが消えて扉が開く音だった。
    「武臣!」
    慌てて駆け寄ると、薄く瞼が開いた。点滴に繋がれたままいつもより幾分か青白く見える武臣の顔がこちらを向く。目線が合うと、安心したように小さく微笑んだ。
    「武臣! 目覚ましたか!」
    「…………ぅん………」
    そして再び閉じる瞼。付添の看護師が『麻酔が効いているので、面会は明日以降に』とストッレッチャーを押しながら武臣を病室へと運んでいった。その後ろ姿を見つめていると、不意に視線を感じた。振り向けば真一郎がじっとこちらを見つめていた。
    「……じゃ。俺らも帰るか。明日の昼ここに集合な」
    それだけ言うと彼は病院の出口に向かって歩き出した。すれ違いざまに、とん、と肩を叩かれた。「逃げるなよ」とでも言うように。
    それだけ。たったそれだけなのに。何故だか無性に泣きたくなった。

    * *

    昨日、真一郎と別れた後、どうやって家に帰ってきたのかは正直よく覚えていない。目が覚めると時刻は昼を少し過ぎた頃。真一郎と約束した面会の時間にはちょうどいい時刻だった。
    「……行くか」
    身支度を整えて病院に向かう。到着すると約束の時間よりまだ十分ほど早いのに既に真一郎とベンケイがエントランスで待っていた。
    ナースステーションで武臣の部屋を尋ねる。言われた部屋のある階に着くと、目的の病室から声が聞こえてきた。
    「……妙に騒がしいじゃん」
    耳をすませば年老いた女性の怒鳴り声と若い女の声。漏れてくる会話を聞く限り、何やら揉めているらしい。入って良いものかと三人顔を見合わせる。すると、ガラリと勢い良くドアが開いた。
    中から出て来たのはやや年配の女性だった。一瞬気まずそうな顔をした後、こちらをキッと睨みつけてくる。そのきつい目元に何となく見覚えがあるような気がして。はて、と考えている間に女性はいなくなっていた。
    「……んだあれ。真ちゃんの知り合い?」
    「あー……あれ武臣のばぁちゃん」
    「え」
    「覚悟しとけよワカ。ばぁちゃんとバチッた後の武臣、めちゃくちゃ機嫌悪ぃから」
    真一郎がガシガシと頭を掻きながらため息をつく。それはどういう意味だと聞く間もなく、彼が病室の扉を開けた。
    そこにはベッドの上で上半身を起こし、腕組みをして不機嫌そうにしている武臣の姿があった。顔には大きな眼帯が付けられ腕には点滴の針が刺さっている。
    「おー、久々にやってたなぁ。部屋の外まで聞こえてたぜ? 何をそんなに揉めてたんだよ」
    「……いつもの通りのお小言だっつの。『そんな顔で行かず後家になっても知らない』だとよ。……別に説教は慣れてっから良いけどさ」
    そう言うと武臣はふいっとそっぽを向いてしまった。真一郎の言う通り、今は相当機嫌が悪いらしい。
    「おい、ワカ。突っ立ってないでお前から何か言う事あるだろ」
    急にベンケイに話を振られ戸惑う。絞り出すようにして出てきたのは、「傷……残りそうなのか」という情けない一言だった。武臣は小さく首を縦に振った。
    「気にすんなよ。俺が下手にお前の前に出ちまったからこんなことになったんだ」
    武臣がそう言って笑う。……違う。俺が弱かったからだ。俺が強かったなら、そもそも武臣が自分を庇って前に出ることもなかったのだ。
    いっそ、罵ってくれたほうがマシだった。お前のせいでこうなったと。いつものようにキャンキャン喚いて責め立てられたほうがまだ楽だった。
    「……責任取る」
    「は?」
    「嫁入り前の女の顔に一生残るような傷つけて謝ってすまねぇだろ。てめぇのばーちゃんの言う通り、その傷じゃ貰い手見つけんのだって難儀するだろうしな」
    膝を付き武臣の手を取った。握る手にぎゅ、と力を込める。どうかこの手を握り返してくれと願いながら。
    「償わせてくれ。……男として、責任取っから」
    決してふざけて言っているわけではなかった。今度こそ、自分が武臣を守らなければならないと。このときは本気でそう思ったのだ。
    武臣は放心するようにしばらくポカンとしていたが、やがてわなわなと肩を震わせ始めた。
    ―――次の瞬間、パァン!という乾いた音が室内へ響き渡った。
    「おいおい……」
    「うっわぁ……」
    ジンジンと熱を持つそこに手をやる。頬が、熱い。
    目の前では武臣が涙目になりながら怒りのこもった眼差しでこちらを睨みつけていた。その迫力は今まで見たことがないほど恐ろしく、思わず息を飲む。
    「――――帰れ」
    「は」
    「帰れ! 帰れ! 帰れ帰れッ‼ お前なんて顔も見たくねぇ‼」
    「ちょ、落ち着けって武臣!」
    真一郎が必死になって宥めるも、頭に血の昇っている彼女は全く聞く耳を持たない。そのまま真一郎を振り払い、枕を投げつけてきた。
    「出てけぇッ――――‼」
    ナースコール用のボタンを手に取り、大声で叫ぶ武臣。廊下の向こうから看護師だろうか、バタバタと足音が聞こえてきた。
    「おい、とにかく一旦出るぞ!」
    ベンケイに腕を引かれて病室を後にする。背後からは未だ武臣の怒声と花瓶でも投げたのだろうか、ガチャンと何かが割れる音。「明司さん落ち着いてください!」と看護師たちが彼女を宥める声を背に受けながら、俺たちは病院を出た。

    * *

    公園のベンチに三人並んで腰掛ける。騒がしい公園とは裏腹に葬式のような空気が流れている。やがて重苦しい沈黙に耐えきれなくなったのか「ちょっくら走ってくるわ」と真一郎がその場を離れた。残されたベンケイと自分の間にやはり会話はない。ただひたすらに重い沈黙が場を支配する。
    「……おい、何か言えや」
    「……………。お前な……」
    呆れたようにため息をついたベンケイの声は低い。痛いぐらいに視線が突き刺さってくる。
    「そりゃ骨は拾うっつったけどな……あれはねぇわ。マジでない」
    心底軽蔑したといった様子のベンケイ。
    「男が責任取るっつったら、あぁするしかねぇだろ。……そもそも何であんなキレんだよ。訳分かんねぇ」
    先程の怒り狂った武臣の顔が脳裏に浮んだ。自分で言うのも何だが、顔は良い方だという自負はある。女を振る事はあっても振られることなど初めてだった。まして、あの武臣に。振られるにしたって「頭でも打ったか?」「お前でも冗談とか言うんだな」とか精々その程度だと思っていたのだ。それなのに、打たれた頬がまだ熱を持っている。
    あんな風に敵意を剥き出しにして来るということは――――。
    「やっぱあいつ、真ちゃんとデキてんじゃ……」
    「……ワカ」
    名前を呼ばれて振り向いた瞬間、視界いっぱいに拳が広がったゴッという鈍い衝撃が顔面に走り、一瞬遅れて痛みが襲ってきた。鼻から生ぬるい液体が流れてくる感覚がある。ベンケイに殴られたのだと理解するまで数秒かかった。
    「……ってぇ」
    口の中に鉄臭い味が広がる。
    「俺が好敵手に選んだ『今牛若狭』っつー男はなぁ! 責任だの償いだの、そんなみみっちいもん言い訳に使うような男じゃねぇんだよ! 今更格好つけてる場合か!」
    「っ……格好なんかつけられるわけねぇだろうが‼」
    カッとなってそう反論すれば再び右頬に拳を食らう。負けじと食らいつくようにしてその胸倉を掴む。
    「喧嘩は任せとけなんて大口叩いておいてこのザマだ! あれ以上どう責任取れっつーんだよ!」
    「だから自分が結婚してやって一生償うってか⁉ そういうところが言い訳がましいっつってんだよ‼」
    「だから! どこが言い訳だっつってんだよ!」
    「全部だ全部っ‼ 『テメェが好きだから付き合いてぇ』って一言言や済む話じゃねぇか!」
    「なっ……」
    「真一郎のやつに気後れして、責任だの面倒な言い訳並べて、逃げてばっかいるからこういうことになるんだろうが! いい加減腹括れ、このヘタレ野郎がッ‼」
    ベンケイはそう言って、踵を返してしまう。
    (―――ベンケイのやつ何言ってんだ? 誰が誰を好きって?)
    そういえば昨日も妙なことを言っていた気がする。「お前、心底あいつに惚れてんだな」とか何とか。
    「…………おい。まさか真一郎じゃあるまいし、今更自覚ねぇとか言わねぇよな?」
    勘弁してくれとばかりに引きつった顔で振り向いたベンケイが言う。これじゃまるで自分が武臣に本気で惚れているような言い草ではないか。
    (いやいやいやいや……ありえねぇだろ。天下の白豹があんな可愛げのねぇ女に……)
    呆然としたまま思考停止していた頭が徐々に回転を始める。
    真一郎の隣では彼女は楽しそうに笑っていた。そしてそんな光景を見るたびに感じていた安堵と苛立ち。
    (惚れるわけ……ねぇって……)
    どれだけ否定してもあの笑顔が頭から離れない。心臓は早鐘を打ち、顔はどんどん熱を帯びていく。この胸を焼くような感情に世間一般的な名前を付けるなら、きっとそれはつまり―――。
    「……あ~……クソッ」
    頭をガリガリと掻きむしる。
    あぁ、認めざるを得ない。自分はあいつに恋をしている。武臣を、自分のものにしたいと思っている。自覚した途端、これまで抑えつけてきた感情が波のように溢れ出す。
    好きだ。自分だけを見てほしい。他の誰にも渡したくない。
    ――――たとえそれが、大切な親友であろうとも。
    「なぁベンケイ。……勝ち目のねぇ相手に喧嘩ふっかけんのって、やっぱダセェ?」
    ベンケイはゆっくりとこちらを振り返り、小さく笑った。
    「そりゃお前が一番分かってんじゃねぇのか?」
    「……違ぇねぇや」
    自嘲気味に笑って立ち上がる。
    もう迷いはなかった。

    * *

    翌日、自分は再び病院を訪れた。顔も見たくないとは言われたものの、せめてもう一度直接会って謝りたいと思ったのだ。しかし間違いなく初日のことが原因なのだろうが、武臣の病室の前には面会謝絶の札が掲げられていて。
    武臣が退院したと知ったのは、それから十日後。皮肉にも真一郎からのメールがきっかけだった。

    ――――朝霧が残る早朝、アスファルトが削れる音が、未だ眠る街に響く。大規模な抗争も一段落し、この時間に愛車のザリを流すのもすっかり自分のルーチンになっていた。結局、あの日以来武臣とは一度も顔を合わせていない。
    (……真ちゃん誘って峠でも攻めるか)
    何となくそんなことを考えながら、彼の家の近くまで来たときだった。玄関から出てきた人物を見て思わずブレーキをかける。急に静まったエンジン音に気づいた女が、こちらにぱっと振り向き目を丸くした。
    「……あぁ、真の迎えか? あいつ朝は寝起き悪ぃから、ちょっとやそっとじゃ起きねぇぞ」
    そう言って小さく笑った武臣。久しぶりに見た笑顔は相変わらず穏やかだったが、眼帯の外れたその右目には、遠目でも分かるような痛々しい深い縦一文字の傷が刻まれていた。
    「眼帯……」
    「あぁ、抜糸して昨日病院で外してもらった。ファンデで多少隠してっけど、傷痕自体が凹んでるからまぁ限界あるよな」
    そのまま右目の傷を隠すかのように顔をそらされる。その仕草がまるで拒絶されているようで。
    「っ……武臣、俺は」
    「ごめん。ワカ」
    自分が謝罪の言葉を口にする前に、武臣は頭を下げた。謝ろうとしていたのはこちらなのにまさか先に謝罪されるなんて思わなくて、言葉に詰まる。
    「この前のこと、さ。お前も気ぃ遣ってあんなこと言ってくれたのに取り乱しちまって」
    「いや、俺の方こそ……守るっつったのに……」
    「…………」
    「…………」
    「……じゃあとりあえず、お互い様ってことで。な?」
    コテン、と首を傾げて笑う武臣に胸がきゅうと締め付けられる。一度自覚してしまえば馬鹿にみたいに単純なもので、こんな些細なやり取りですら愛おしいと感じてしまう。
    「お、お前もスカートとか履くんだな」
    「そりゃ制服だからな。……じゃ、俺学校だからそろそろ行くぞ?」
    「……こんな朝早くにか? つーか歩いていくのか? バイクは」
    「しばらく学校サボってたから朝から面談だとさ。鍵はばーちゃんに没収された。……まぁほとぼり覚める間ぐらい大人しくしとく」
    とん、とローファーのつま先を地面に打ち付け、そのままスタスタと歩き出そうとする武臣。
    「ま、待てって!」
    「ん?」
    その腕を掴み咄嵯に引き止める。このまま別れてしまうのは嫌だと思った。しかし、いざ呼び止めてしまったものの何を話せばいいのか分からない。何か言わなければと焦る気持ちばかりが空回りする。
    「……ワカ?」
    腕を掴み、黙ったままの自分を訝しげに見る武臣。
    「が、学校まで送ってく……!」
    流石に不自然だっただろうか。自分でも驚くほど声が上ずっていた。武臣はというと、きょとんと目を瞬かせている。
    「……いや、別に気にすんなって。そんなに学校遠くねぇし」
    「い、いいから乗れって!」
    ぐい、と半ば強引にバイクの近くまで引っ張り上げると、渋々といったようにシートに跨る武臣。後ろに座ったのを確認してギアを入れ、走り出した。
    「……武臣」
    「うん?」
    「……。いや、……ちゃんと捕まってろよ」
    いつもよりゆっくりとした速度で流れる景色。時折吹き付ける風が、少しだけ冷たい。言いたいことは山のようにあった。だが少なくともそれは今ではないと思った。
    ぎゅうと力を込めて腰に回された細い腕。ふにゅ、と慎ましやかに背中に押し当てられる感触を意識しないよう、ひたすら無心で前を見据え続けた。
    結局、学校の門に着くまでの間ずっと無言のまま。心臓が早鐘を打っているのが彼女にバレないだろうかと必死だった。
    「――――おい! ワカ! 学校過ぎてる!」
    武臣の声でハッと我に返り、慌ててブレーキをかけた。
    「じゃあな」とバイクからおり、校庭を駆けていく武臣に「おう」と手を振り返す。小さくなるその背を見送って―――
    「あっ」
    何かを思い出したようにくるりと踵を返した彼女の足が止まる。あいつはそのまま、こちらを振り向き、
    「ありがとな! ワカ!」
    満面の笑みを浮かべ、ぶんぶんと手を振っていた。その笑顔があまりにも眩しくて、全身の血潮がカッと熱くなった。普段はツンとすましているか、眉間に皺を寄せているか。笑顔だなんて真一郎と一緒に馬鹿をやっている時ぐらいで。
    けれど、先程の笑顔は間違いなく自分だけに向けられたもの。
    (っ~~何だこれ……‼)
    顔どころか耳まで熱い。心臓が痛い。気恥ずかしくて、バイクのハンドルに突っ伏した。顔を埋めたまま動けなくなる。
    ――――ああ、やっぱり好きだ。どうしようもなく。

    * *

    「おい。あれって今牛若狭だよな?」
    「あぁ、この間新宿のでけぇチーム潰したって言う黒龍の……」
    「佐野のやつでも迎えに来たんじゃねぇのか?」
    夕方の下校時間。自分は校門の柱を背もたれに携帯をいじっていた。すれ違う学生たちが遠巻きにそんなひそひそ話をしながら通り過ぎていく。目立たないよう特攻服は脱いできたのだが、如何せんよくバイクを学校前につけて、真一郎を迎えに来たことがあるため顔は割れてしまっているらしい。
    「ワカ⁉」
    「おー……」
    ちょうど校舎から出て来た武臣が小走りに駆け寄ってくる。
    「どうしたんだ? 真のやつ今日はサボりで学校来てねぇぞ?」
    「知ってる」
    きょとんと首を傾げる武臣にヘルメットを渡す。
    「それお前の。……家まで送ってく」
    「え」
    ぽかんと口を開け、呆けた表情をする武臣。そのあまりにも気の抜けた間抜け面に思わず「ぶはっ」と噴き出してしまう。それが気に食わなかったのか武臣はむっと唇を尖らせた。
    「……一体、何企んでんだよ。傷の詫びのつもりなら――」
    「違ぇよ。……俺だってたまにはそういう気分になることもあんだよ」
    ほらと促すと、渋々といった様子でヘルメットを被り朝と同じように後ろにまたがる武臣。彼女がしっかりと自分の腹に腕を回したことを確認して、再びバイクを走らせた。
    普段よりも少し遅いスピード。武臣は何も喋らないし、自分も何も言わない。ただ二人分の体重を乗せた車体がゆっくりと進むだけ。
    「……海見てぇから、寄り道していいか」
    「ん」
    それでも、武臣がそこに居るというだけで十分だった。ずっと家につかなければいいと思った。本当は日が暮れるまで―――夜が明けるまで走っていたかった。だが家で待つ彼女の祖母のことを考えると、あまり遅くならないほうが良いだろうと、最後の一線は踏み止まった。
    「着いたぜ」
    「……おう」
    結局、日が落ちる前に武臣の家に着いてしまった。名残惜しい気持ちをぐっと堪え、彼女の家から一歩離れた路地にバイクを停める。
    「じゃあな」と言いかけたところで、「ワカ」と呼び止められた。
    「ん?」
    「……また、会えるか?」
    不安そうに瞳を揺らしながら問う武臣。
    「明日の朝も同じ時間、ここで待ってる。帰り、学校にも迎えに行く。――――お前が、嫌じゃねぇなら」
    気が付けば無意識に口が動いていた。最後の一言は、既のところで怖気づいた自分が付け足した保険。けれど武臣はぱぁっと顔を輝かせ「分かった! 約束な!」と大きく頷いた。嬉しそうな、照れ臭そうなその笑みに再び胸の奥がきゅっと締め付けられるような心地がした。

    * *

    その日から、武臣の送り迎えが日課になった。他の生徒がいない早朝に家を出て、家の近くにバイクを停める。玄関まで迎えに行かないのは「ばーちゃんに見つかると面倒だからさ」と武臣に言われたから。
    学校に武臣を降ろして自分の学校に顔を出す。売られた喧嘩を適当に買って時間を潰し、授業が終わるころに校門前で彼女を待つ。帰りにコンビニで買い物して、ファストフード店で駄弁って。
    寄り道したゲーセンで取ってやったちんけなキーホルダーを宝物でも見つめるかのように眺めて喜ぶ武臣に、何とも言えないむず痒い感情が込み上げて来て。
    最初こそぎこちなかったあいつとの会話も徐々に増えていった。昨日のテレビ番組、最近あった面白いこと。好きな音楽、本、映画。好きな食べ物、嫌いなもの。楽しげに話す言葉の一つ一つが愛おしくて堪らなかった。もはや自分の想いなど伝えなくとも良いではないかと思うぐらいに。
    (そうだ、この関係が壊れるぐらいなら、いっそこのまま――――)

    そんなことを思っていたある日のことだった。送り迎えももう一週間、その日は珍しく武臣の方が先に校門前で待っていた。
    「今日は早かったんだな。待たせて悪ぃ」
    バイクを停め、いつもしているように後ろに乗るよう促す。しかし武臣は俯いたまま、ふるりと首を横に振ってそれを拒んだ。
    「……武臣?」
    「もう迎え来なくて良い。朝も帰りももう一人で大丈夫だから」
    「は? 何言ってんだよ急に……」
    武臣の言葉の意味が分からなかった。目を合わせようとしない彼女に苛立ちを覚え、思わず声を荒げてしまう。
    「理由言えよ。納得できねぇ」
    「っ……」
    ビクリと肩を震わせ、きつく唇を噛んだ武臣。何かを言いかけてはまた閉じるを繰り返す。やがて意を決したように顔を上げた武臣の目には涙の膜が張っていた。
    「お、おい……」
    「限界なんだよっ! 罪滅ぼしで優しくされて勘違いして、馬鹿みたいに舞い上がって……! 自分に吐き気がする……!」
    「なっ……」
    ボロボロと大きな雫をこぼしながら叫ぶ武臣。言っている意味が分からない。何より、
    (罪滅ぼし? 罪滅ぼしって言ったのか、こいつ)
    自分の耳が正常ならば確かにそう聞こえた。
    (違う、俺はただ、お前と一緒に居たくて―――――)
    あの他愛無い時間は自分にとって何より幸せな時間だった。武臣も自分と同じ気持ちでいてくれているだろうと、そうと思っていた。
    だが武臣にしてみれば、自分の独りよがりな償いに付き合わされているだけだったのだろうか。
    すぐに『違う』『と伝えればよかった。その一言を躊躇したのは絶対に償いの気持ちが無かったと言える自信がなかったから。彼女が笑うたび、罪悪感が晴れる瞬間がなかったと言い切れるだろうか。一瞬でも、自分が許されたような気にならなかったと断言できるだろうか。
    「お前は……俺がお前の傷に負い目感じて、その償いで今まで付き合ってるって、そう思ってたのか」
    絞り出した言葉は、自分でも恐ろしいほど低声だった。武臣の瞳が揺れ、怯えるように唇を噛みしめる。その無言は肯定以外の何ものでも無かった。
    「ごめんっ……! でも俺、もうお前に迷惑かけたくないッ……!」
    武臣は乱暴に袖口で目を擦ると、逃げるようにその場を後にした。引き留める間もなくあっという間に見えなくなった背中。追いかけたいのに足は地面に縫い付けられたかのように動かない。
    引き留めたかった。けれど出来なかった。追いかける資格が、今の自分にはないような気がした。

    ■ ■

    (これで良い、これで良いんだっ……!)
    ワカの前から逃げ帰った後、家に帰るなりベッドに突っ伏した。ぽろぽろと溢れる涙がシーツに染み込んでいく。ぐしゃぐしゃに歪んだ視界の中、頭の中で何度も言い聞かせた。これ以上一緒にいればきっと自分はワカに甘えきってしまう。
    飄々としているように見えて、ワカは後輩の面倒見も良いし情に厚い。わざわざ見舞いに来た相手にあんな乱暴な追い返し方をしてしまった自分を邪険にせず、普段どおり接してくれている。
    ――――あのときは自分も頭に血が昇っていた。「責任取らせてくれ」だなんて、まるでプロポーズのような言葉に一瞬心が揺れた。
    だがその言葉が『傷物になった女』に対する同情だと気づいてしまった瞬間、あまりにも自分が惨めに思えてあんな風に怒鳴ってしまった。
    きっとワカに他意は無い。病院での振る舞いも、今までの送り迎えもひとえに自らの責任を感じての行動だろう。それでも自分はこの一週間はどうしようもなく嬉しかった。真一郎とつるんで馬鹿騒ぎするときとは違う、まるで自分が普通の女の子になれた感覚だった。
    ワカのそばにいるだけで、自分が嫌いだったはずのか弱い女になっていくのが嫌でも分かってしまった。
    「う、うぅ……っく、ひくっ……!」
    脳裏を過(よぎ)ったのは、つい先程『彼女たち』に言われた言葉だった。

    * *

    今日はいつもよりも三十分ほど早く授業が終わった。いつもはワカが先に来て校門で待っているから、今日ぐらいは自分が待っていようと、鼻歌交じりに玄関を出た時だった。
    「あんたが明司武臣?」
    不意に背後から声を掛けられ振り返ると、そこには数人の少女がいた。髪を染め、パーマを掛け、メイクもバッチリ施された派手な子たちばかりだった。彼女達の表情からは好意的な感情は一切見受けられない。警戒して眉根を寄せていると、その中の一人が一歩前に出た。
    「珍しくワカくんが一人の女の子と遊んでるって聞いて来てみたら、まさかあんたみたいな地味子が相手とはねー」
    「……誰だよあんたら」
    明らかに喧嘩を売っている口調の少女に、こちらも自然と刺々しい態度になってしまう。するとその女子生徒たちはわざとらしく大きなため息を吐いた。
    「わー、怖ぁ。やっぱり不良とつるんでると顔まで怖くなんの?」
    「ワカ君もこんな子のどこが良いんだろうねぇ?」
    ケラケラと笑う他の少女たち。しかし目は笑っておらず、どこかこちらを見下すような視線を送ってくる。
    「……ワカだってあんたらの言う不良だろうが」
    「ワカくんは格好良いし優しいもん。他の不良と一緒にしないでよ」
    「そーそー」
    そう言いながらじとりとした目線を向けてくる彼女たち。その言葉でようやく自分は事態を理解した。
    「……あぁ、あんたらワカ狙いのやつか。悪いが見当違いだ。俺とワカはそんなんじゃねぇから、他所あたってくれ」
    面倒なことに巻き込まれそうな予感がし、さっさと立ち去ろうと踵を返す。が、
    「っ! 離せよっ」
    ガシッっと肩を掴まれ強引に振り向かされる。振り払おうとしたが思いのほか強い力で握られたそれに思わず顔を顰めた。
    「どうせ今日もワカ君に迎え来させてんでしょ。人の罪悪感に付け込んで恥ずかしくないの?」
    「はぁ?」
    「それ、噂じゃ『ワカ君を庇ってついた傷』って聞いたけど、案外同情引くためにわざとだったりして~?」
    「サイッテー。いくら自分が男に相手にされないからってそこまでする? 顔に傷残ったら女として終わってるでしょ」
    「でも心配して損しちゃった。今までワカ君が付き合ってた女の子と全然タイプ違うんだもん」
    「そもそもあんたみたいな気味の悪い男女、ワカ君が本気で相手する訳ないし。……優しくされて調子乗っちゃって馬鹿みたい」
    次々に浴びせられる言葉に、流石の自分もカチンときた。頭に血が上るというのはこういうことを言うのだろうか。だがここで怒れば相手の思う壺だと、必死に冷静さを保とうとする。そんな自分の様子を見て、少女たちはクスクスと笑い始めた。
    「ねぇねぇ、もしかして怒った? やっぱ図星~?」
    「分かったらこれ以上ワカ君に近づかないでよね。……いい気になってんじゃないわよ、ブス」
    最後に凄むように言われ、そのままどん、と突き飛ばされる。よろめいた拍子に鞄の中身が辺りに散らばった。慌てて床に落ちた教科書やノート拾おうとしゃがみ込む。ある程度拾い集めたところで、再び顔を上げると既に彼女たちはいなくなっていた。
    (……。……くだらねー)
    正直ワカに好意を持っている取り巻きは何度も目にしたことはあるがここまで露骨に、明確な敵意を向けられたのは初めてだった。
    きっと、あの子達はワカのことが好きなのだろう。だから最近ワカに構われている自分のことが気に食わないのだ。
    (馬鹿みてぇ。あいつが同情で構ってんのなんて分かってるっつの)
    そうだ。そんなことはちゃんと分かっている。
    『ワカ君が付き合ってた女の子と全然タイプ違うんだもん』
    『あんたみたいな気味の悪い男女、ワカ君が本気で相手する訳ないし』
    分かっているのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。足が動かないのだろう。
    自分は女扱いされたかったわけじゃない。むしろ黒龍の屋台骨を支えるメンバーとして、一人の友人として対等に彼の隣に立ちたかっただけだ。断じて彼の特別になりたかったわけじゃない。
    (違う、落ち着け。あんなの挑発だ。……顔に出すな。冷静になれ)
    泣いてたまるか、とスクールバッグを握り締める。
    ふと目に入ったのは、バッグに付けられたピンク色のクマのぬいぐるみが付いたキーホルダー。ゲームセンターに行ったとき、中の景品を見るたび足が止まりかける自分を見かねたワカが取ってくれたものだった。
    『―――ほら、取ってやったぞ』
    そう言って渡された時は嬉しくて、ずっとこのキーホルダーを眺めていた気がする。素直に礼を言うと、ワカは照れ臭そうにそっぽを向いた。その様子がなんだかおかしくって自分も笑ってしまった。
    あぁ、だめだ。思い出すとまた涙が出そうになる。
    『人の罪悪感に付け込んで恥ずかしくないの?』
    「っ…………!」
    あのやりとりも、すべてワカにとっては罪滅ぼしの一つだったのだろうか。彼女たちの言う通り、自分は彼の同情を優しさと履き違えて勘違いしていたのだろうか。
    (あぁ……もう、無理だ……)
    認めざるを得なかった。自分が、ワカに友人や仲間以上の気持ちを抱いていたことを。そして同時に、もう終わらせなければと思った。
    これ以上彼に甘えてはいけないと。

    ワカが校門に来るまでまだ十分ほど時間があった。ワカが来るまでの間、なるべく平静を装うように心掛けた。早く来て欲しいような、欲しくないような複雑な気持ちのまま、校門を背に彼を待っていた。
    「――もう迎え来なくて良い。朝も帰りももう一人で大丈夫だから」
    いつものように迎えに来たワカに対して開口一番にそう告げた。
    「……は? 何言ってんだよ急に……理由言えよ。納得できねぇ」
    困惑した様子のワカが不機嫌そうに声を荒げる。いきなりこんなこと言われて納得できるはずがないだろう。でも今は、上手く説明する心の余裕は自分には到底無かった。
    「限界なんだよっ……! 罪滅ぼしで優しくされて、勘違いして馬鹿みたいに舞い上がって、自分に吐き気がする……!」
    思わず叫んでしまった。周りの生徒たちが何事かとこちらを振り返える。一度溢れ出した言葉は止まらなかった。溜まりに溜まった想いが次から次に口からこぼれ出していく。
    「お前は……俺がお前の傷に負い目感じて、その償いで今まで付き合ってるって、そう思ってたのか」
    低くなった声音に恐る恐る顔を上げれば、そこには怒りに顔を歪めたワカがいた。喧嘩中でも見せないような怒気を孕んだその瞳に、ビクリと身体が強張る。それでも、もうこれ以上彼に甘えてはいけないと思った。
    「ごめんっ……! でも俺、もうお前に迷惑かけたくないッ……!」
    震える声でそれだけ言い残し、その場から逃げるようにして走り去る。ワカは――――追いかけては来なかった。

    ■ ■

    「武臣のやつと何かあったのか?」
    「……あァ?」
    「あからさまにピリついて話かけられねぇって、テメェんとこの部下からうちにまで苦情来てんだよ。何だそのシケた面は」
    「……別に、関係ねぇよ」
    いつもの喫茶店で集会までの時間潰しをしている最中、不意にベンケイからそんな話を振られた。武臣の名前が出た瞬間、先日のやり取りが頭に浮かび、思わず眉間に皺が寄る。そんな俺の様子を見て、ベンケイが「図星か」と呆れたようにため息をついた。
    「お前、まさかまだ告ってないのか?」
    単刀直入にそう聞かれ、コーヒーを口に運ぶ手が止まる。何も答えず黙っていると、再び大きなため息とともにジトリとした視線が向けられる。その表情からは、いい加減にしろという意図がありありと感じ取れた。
    「滅多に自分の後ろに人乗せねぇテメェが女乗せてるって聞いたときにゃ、とうとうやったかと思ったっつーのに……。まさかここまでヘタレだとは思わなかったぜ」
    やれやれといった様子で頭を掻くベンケイ。
    「まぁいいや。その様子じゃお前に頼むのは無理そうだな。真一郎あたりに話だけは通しとくか」
    「……何の話だよ」
    突然意味の分からないことを呟いたベンケイに問い返す。
    「あー……お前に言うのもどうかと思うんだが……。武臣のやつが怪我した件で『自分も黒龍に関わってたら巻き込まれるかも』って彼女持ちの隊員達が振られまくってるらしいんだよ。それこそ俺のところに話が来るぐらいにな」
    「? ……何でそんな話を俺や真ちゃんに通す必要があんだよ」
    「分かんねぇか? 隊員の中に武臣を逆恨みして暴走するやつがいるかもしれねぇって話だ。……ま、内輪揉めはご法度だし、女に振られてそれを逆恨みするような肝の小せぇ器やつがあいつをどうこうできるとは思えねぇけどな。警戒するに越したことねぇから一応お前にも伝えとくけどよ」
    そう言った後、ちょうど運ばれてきた自分のコーヒーに口をつけるベンケイ。その様子をぼんやりと見ながら、日が落ち薄暗くなり始めた窓の外に目をやる。
    「……ベンケイ、集会まであとどんくらい?」
    「あー、そろそろか」
    「……終わるんだな。黒龍」
    「……。……あぁ」
    今日は初代黒龍の最後の集会だった。厳密にはこれが最後だと言われた訳では無いが、真一郎が今日の集会で解散を宣言するであろうことは自分とベンケイは薄々勘付いていた。
    「『黒龍より上がねぇなら弱い者イジメになる』か。真一郎らしい言い分だよな。……ま、武臣のやつは納得してねぇみてぇだが」
    ベンケイが苦笑しながら呟く。黒龍を解散させることを知った武臣が真一郎に食って掛かったと人づてに聞いたのはつい先日の話だ。
    (そういや黒龍が解散しちまったら、もうあいつと会うことも無くなるのか……)
    「おい、ワカ。そろそろ店出るぞ」
    ベンケイの声にはっと我に返る。慌てて立ち上がり、店の外に出ると真っ暗な空の下、少し肌寒い風が吹いていた。

    * *

    「お前ら共に走り抜けたことを! 俺は誇りに思う!」

    案の定、初代黒竜は総長である佐野真一郎の言葉をもって解散した。
    最後に真一郎から発せられた言葉を聞き、感極まって泣き出す隊員たち。自分も今日ばかりは柄になく目頭が熱くなった。
    ――――あぁ、終わったのだ。
    この光景を最後に、あの輝かしいばかりの青春時代は幕を閉じる。共に過ごした仲間達は皆それぞれの道へと歩みを進めることになる。
    解散式を終えても名残惜しむように隊員たちはなかなか帰ろうとしなかった。友人たちとたむろする者、バイクに寄りかかり放心している者、皆思うことは同じだった。自分もしばらく目の前を通り過ぎていく人の群れを眺めていた。
    やがて夜が深まるにつれ一人、また一人と、自らの愛機に跨がり、静かに別れを告げその場を去っていく。遠く、視界の端に武臣が隊員たちと連れ立って歩いていく姿が見えた。いつの間にか周りにいた連中の数も随分と減っていた。
    そろそろ自分も帰るかと寄りかかっていたバイクから背を起こす。
    最後に真一郎たちと話をしようと思い、彼らのもとに向かった。
    そこにはベンケイと、身を縮こまらせて俯く年下の隊員がおり、深刻そうな顔で何かを話しているようだった。
    「何話してんの?」
    後ろから声をかければ、真一郎が驚いたような表情でこちらを振り向いた。
    「あぁ、ワカ。ちょうどよかった! 武臣のやつ見なかったか⁉」
    「さっき隊員たちとどっか行ったみてぇだけど?」
    「どこに行ったか分かるか⁉」
    肩を掴まれガクンガクンと揺すられる。
    「すんません! 自分が総長たちに伝えるの、ビビっちまったせいです‼ 本当すんません‼」
    「え、何。説明してほしいんだけど……」
    年下の隊員が九十度に腰を曲げながら必死に頭を下げる。状況が全く飲み込めないが、何やらただ事ではない様子だけは伝わってきた。
    ――――何やら嫌な予感がした。自分の意を汲み取ったのか、ベンケイが口を開いた。
    「前に言ったろ。彼女に振られたからって隊員の中に武臣を逆恨みしてるやつらがいるって。この間の虚無界(ゲヘナ)のやつがそいつらそそのかして裏でろくでもねぇこと考えてるらしい。こいつも彼女に振られてやつらの計画に誘われたクチだ」
    「計画……?」
    ビッと親指で隊員を指すベンケイ。
    「早い話、武臣拉致って輪姦(まわ)すって話だ。……合ってるよなぁオイ?」
    「お、俺、話聞いたときは冗談だと思ってて‼ いくら振られた腹いせって言っても副総長に手出すなんてありえねぇって! で、でもさっき副総長とそいつらが一緒にいるの見かけちまって……!」
    「ビビって俺らに伝えに来たってわけだ」
    「すんません! すんません!」
    震えながら話すその男の言葉に、血の気が引いていくのを感じた。
    「……どこに連れてくとか聞いてねぇのか」
    「え、あっ……で、でもバイク持ってねぇやつもいたから、多分そんなに遠くへは……」
    「お、おいワカ!」
    気づけば愛機に跨がり、キーを回していた。唸り、轟くようなエンジン音。背後で二人が止めるのも聞かず、アクセルを吹かして夜の公道へと飛び出した。













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