それは不器用な 表の仕事が長引き、とうに日付も変わって草木も眠る時刻となった頃、南方は漸く家へと帰りついていた。疲れもあって玄関に入るやいなや靴を脱ぐと揃える気力もなくまっすぐ寝室へと向かう。
寝室へと向かう道すがらネクタイを緩め、ジャケットを脱いでいく。足音を殺しながら部屋へ急ぐ南方の足元を、廊下のコンセントに挿したセンサーライトが最低限照らしている。
玄関からさほど遠くない寝室の前まで来た南方は極力物音を立てないよう気をつけながらドアを開けた。部屋の真ん中に鎮座するキングサイズのベッドにはひと一人分の膨らみが。物音に反応した様子もないことから起こしてはいないようだ。
南方は足音を殺したまま部屋の隅にあるハンガーラックの前まで行き、ジャケットとネクタイを掛けた。ついでにスラックスも脱いでまとめておく。
ベッドへと潜る前にシャツと靴下を脱ぎ捨てると南方はそっと掛け布団を剥がす。そこには半ば布団に埋もれるようにして眠る門倉の姿があり、普段は様々な表情を浮かべる顔にそれがないというだけで酷く美しい。
南方は思わずその生気を感じない美しさに息をしているかどうかを確かめてしまった。かざした手にかかる吐息と僅かに上下に動く胸を確認すると安堵に息を吐く。
今日のように南方が帰宅しても門倉が先に寝ていることはよくある事だった。しかし、普段の門倉であればベッドを占有するかのように大の字で寝転び、南方が物音のひとつでも立てようものなら薄く開けた目で不愉快だと言わんばかりの視線を投げかけてくる。
だけども時折、それこそ今のように、微動だにもせずただただ静かに眠っている日があるのだ。こんな日の門倉は南方が物音を立てようが触ろうが揺すろうが朝まで起きることはない。
そのことに南方が気付くのは月に一度あるかないかなのだが、あまりの反応のなさに毎度毎度安否を確認してしまう。
それはその姿がチューブに繋がれ昏昏の眠る様を思い出してしまうからであろう。
漸く再会できた直後、また自らの手の届くところからすり抜けていくだけではなく、今度は永遠に手の届かないところに逝ってしまうのかと。そんな恐れにも似た感情は簡単に忘れてしまえるものではない。
体温を確かめるように静かに眠る門倉の頬を南方はそっと撫でると、身動ぎ一つもしない相手の唇に口付けを一つ落とす。そうしてゆっくりと隣に身を横たえると門倉を抱き寄せた。腕の中に閉じ込めればとくんとくんと脈打つ心臓の音と温かな身体がより南方を安心させる。
人形のようになされるがまま腕の中に収まり眠り続ける門倉をみてふとある考えが南方の脳裏を過る。
この男をこれまで付き合ってきた女達のように思い通りに出来たならどれほど良かっただろうか。
そう考えたところで南方は小さく首を横に振る。自分が欲しいのはそんな門倉ではない。
仮にも自分如きが意のままできる相手であればとうに。それこそ二十年前のあの高架下で手に入っていたはずだ。それでも自身の右腕として動く門倉というのも悪くはないだろうなと夢想してしまい口元が僅かに緩む。
だけどままならないからこそ好きなのだ。南方を振り回す傍若無人さも時折見せる猫のような気まぐれな甘えも。
初めのうちこそその振る舞いに南方は辟易としていたのだが、それが気を許したが故の我儘だと気付いた時には喜びのあまり抱き潰して怒られたのは古くはない記憶だ。
もしかしたらこの眠りも無意識下とはいえ気を許しているからなのかもしれない。
なんて自分で考えておきながらそんな訳あるかと南方は自嘲する。それでも荒唐無稽と切り捨てきれない説にそうであって欲しいとの願望を抱いてしまうのは仕方ない。
でも、もしそうであればなんて考えるうちになんだが堪らなく愛おしくなってもう一度触れるだけのキスをする。反応が返ってこない寂しさはあるものの、この綺麗な顔を怒られることなく間近で見れるのも悪くない。
暫し、門倉の寝顔を眺めるという自分だけの特権を楽しんだ後、抱き込んだ温かな身体から聞こえてくる規則正しい呼吸に睡魔が誘われ、徐々に瞼が重くなる。
「おやすみ」
そう言うと南方は眠る前に額へと唇を寄せしっかりと抱きなおした。この状態では翌朝目覚めた門倉が呆れるかもしれないななんて思いながら、そのまま眠りについたのだった。
南方がすっかり眠ったのを確認し門倉はその腕の中で目を開いた。
疲れて帰って来た南方をいたわってやろうかなんて思ったはいいが、どう労わるか思いつかず好きにさせてやることにしたのだ。つまりは狸寝入り。
疲れで判断力が落ちているとこを狙うおかげか、これまで何度か同じようなことをしていてもバレた様子はない。今日も無事、バレることなくやり過ごした。
普段から門倉には甘いこの男故、自分が寝ているからと無体を働くことはないと信頼しているのだが、毎度こうも大切とばかりに触れられれば平常心を保つために無となるしかない。
だけどもそれだけ愛されてると思えばどこかムズ痒く感じ、自身と変わらぬ程に広い胸元に顔を埋める。
朝起きたら今度こそ言葉で労わってやるかと胸に決め再び目を閉じたのだった。