おまんじゅうとある日のはなし。先だって、我が家にぽょんと丸いまんじゅうがやってきた。ボクは猫より小さな生き物を飼ったことがなったし、センパイに至っては生き物を飼ったことすらないというこの状況でまさかの、まんじゅウ。
この世には、「おまんじゅう」と呼ばれる不思議な生き物が存在している。
サイズは手のひらサイズから両手で抱えきれないサイズまでと幅広く、基本的にはぽょんと丸い。
握り心地はしっとりもっちり、まるでつきたての餅のように柔らかく、人の言葉を理解し、ときには人と同じ言葉を話せるようになる個体もいるらしい。
犬や猫と同様にペットとしての人気も高く、都内であれば専門の病院まで存在する……が、しかし。
脊椎動物なのか、無脊椎動物なのか。
そもそもどうやって、どこから、何から生まれてくるのか。それすらも未だに解明されていない謎に包まれた不思議な生き物、それが「おまんじゅう」という生き物だった。
「ちゅむぅ?」
「うぅうっ。拾ったのはたしかに俺なんですけど、こんな小ちゃな子、ちゃんと育てられるかわからなくて怖いですぅ」
「……ホント、小さいネ。なんカすぐ死にそウ」
「こ、怖いこと言わないでくださいよぉっ、もぉっ!」
センパイは図太いように見えて意外と神経質な面がある。
最近はすっかり図太さの方が突き抜けて神経質な面は鳴りを潜めていたが、しかし、まんじゅうを迎えてから一気にその神経質な面が悪い方に爆発したようだった。
毎日まいにち、やれ「つ、つむまんじゅうくんがうっかりおトイレに落っこちて流されちゃったら、俺はいったいどうすればいいんでしょう」だの「俺が今こうしてお仕事をしてる間につむまんじゅうくんが本棚の下敷きになってちゅむちゅむ鳴いてたらどうしましょぉ」だのと煩いことこの上ない。
しかも、何でもないときならまだ我慢も出来るが、
「……ネ、センパイ。目、閉じテ?キスしようヨ」
「夏目くん……、」
唇が触れ合う五秒前。
「あ、ちょっと待ってください。今つむまんじゅうくんの鳴き声が……、ひょっとして怪我しちゃったのかもっ」
「ハ?エッ!?」
甘い空気はどこへやら。
えいとボクを突き飛ばし、一目散にまんじゅうの元に走っていく背中には若干、思うこともある。
「ちゅむちゅむ。ちゅむちゅむちゅむ〜ぅ」
「『やれやれ。ご苦労さまです〜ぅ』じゃないヨ、このクソまんじゅウッ!」
「ぢゅっ!?ぢゅ〜〜っっっ」
「あ、こら。つむまんじゅうくんのほっぺた引っ張っちゃダメでしょ、もぉ。夏目くんったらすぐつむまんじゅうくんにイジワルするんだから」
「………………誰のせいだと思ってるのサ」
「え、今なにか言いました?」
「……別ニィ」
「ちゅ〜ちゅむちゅむぅ」
ぽょん。
ぽょぽょ、ぽょんっ。
まんじゅうが跳ねる。
まんじゅうが跳ねるたびにセンパイが頬を綻ばせる。
「ちゅむぅっ♪」
「かわいい。ふふ。つむまんじゅうくんはぽょぽょしてて本当に可愛いですねぇ。可愛い。可愛い俺のつむまんじゅうくん♪」
「ちゅむちゅむぅ!」
最近、それが少しだけ面白くない。
センパイが、見たこともないような幸せそうな顔をするから。
ボクとキスするよりも、ボクが愛してるヨって言ったときよりも嬉しそうな、幸せそうな顔をするから少し、
「ふふ。夏目くんたらヤキモチ妬いてます?」
「…………別に妬いてないシ」
「嘘。さっきからすごい顔でつむまんじゅうくんを睨んでた癖に。ねぇ、つむまんじゅうくん?」
夏目くんのお顔怖かったですねぇ、とからかうようにセンパイが言う。
「ちゅむぅ!」
まんじゅうがこっくりと頷く。
「つむまんじゅうくん、申し訳無いんですけどちょっとだけ席、外していただけます?」
「ちゅむ?ちゅっむんぅ!ちゅむちゅっちゅむ〜ちゅむっ?」
「『わっかりましたぁ!なつめくんとイチャイチャ〜ってヤツをするんですね?』って?ふふ、そのつもりです。なのでちょっとだけごめんなさいね。またあとで♪」
「ちゅむぅ♪」
「ハァ?なんでボクがセンパイとイチャイチャしなきゃならないノ。ヤキモチなんか妬いてないシ、イチャイチャだってシないかラ。ちょっト。ネェ、きいてル?」
「ちゅ〜ちゅむちゅむぅ。ちゅむちゅむちゅむっ、ちゅっちゅっちゅむ〜っ♪」
は〜まったくなつめくんは素直じゃないですねぇ。
ここはまんじゅうが一皮脱ぎますから、あとはふたりでごゆっくり〜♪
言い終えるやいなや、まんじゅうはぽょんと跳ねて器用にリビングのドアを開け、そのまま引き止める間もなくぽょぽょと出ていってしまった。
あとに残されたのは、にんまりと楽しげに笑うセンパイと、
「……まんじゅウに気を使われるとか情けなさすぎるんだけド」
「ふふっ、たまにはいいでしょう?夏目くんとはずっとご無沙汰でしたし、昨日キス出来なかったの、俺だってちょっと残念だったんですよ?」
言いながら、センパイがぎしりとソファーが軋ませた。そうして、ゆっくりとこちらに身体を傾けてくる。
「キス、するでしょう?」
「……なんですル前提なノ」
「じゃあシてくれないんですか?」
ねぇ、夏目くん。
夏目くんはシたくないんですか、キス。
俺はしたいなぁ。ねぇ。
「キスーーシましょうよ」
久し振りに、じわりと甘い空気がその場に満ちる。
なんとなくセンパイの手の上でころりと転がされたまんじゅうのような気持ちになって、少し癪に障ったけれど。
「…………目、閉じてヨ」
「はぁい」
据え膳喰わぬは漢のなんとか。
ボクもセンパイの肩に手を置き、ゆっくりと瞼を閉じる。
昨日ぶりに見つめる長いまつ毛に、ごくりと唾を飲み込む。
「なつめくん……、はやく」
とろりと甘い声で急かされるまま、身体を傾け、アァ、ようやく。ようやく吐息が触れ合う距離まで近づいたーーまさにそのときだった。
「ぢゅっ、ぢゅっ、ぢゅみゅいいぃいいっ!!」
ばぁんっと派手な音を立ててまんじゅうがリビングに跳ね飛んできた。
「えっ、つ、つむまんじゅうくん!?わぁっ、なんでこんなにびちゃびちゃなんですかっ!?お風呂に落っこちゃったんですか!?もぉ、こんなになっちゃって。タオル、タオル!」
濡れたまんじゅうを両手で包み、ぱたぱたと洗面所に向かうセンパイの背中を昨日と同じようにまた、眺める。
「………………ハァ」
今日も昨日も、その前も。
たぶんその前も前も前も、もうずっと。毎日まいにちこんな感じで、正直思うところがないワケでもない。けれど。
「つむまんじゅうくん、タオルドライしてるあいだに疲れて寝ちゃったみたいです」
「まったク、お騒がせまんじゅうなんだかラ、もゥ」
「ちゅぷぅぅ……ちゅぷぅ……ちゅ、ぷぅ」
毛布を敷いた小さなかごの中。
べっちょりと身体をひらたく伸ばして気持ち良さげに眠るまんじゅうを見ていると、日常のあれやこれやを「まァ、まんじゅうだし仕方ないカァ」と許してしまいたくなるのだから不思議なモノだ。
「夏目くん」
「なニ」
「俺ね、いますごく幸せなんです」
眠るまんじゅうを見つめながら、センパイがぽつりと呟く。
「君がいて、おまんじゅうくんがいてくれ、毎日とっても賑やかで。思ってもみなかったことで驚かされたり、心配させられたり、ぶんぶん振り回されてくたくたになって。でもそういうの、憧れてたから。賑やかな……、幸せな家族みたいなの……、だから」
「……みたイ、じゃなくてボクたちは家族でしょウ?」
「ふふ。そうでした」
家族。
家族なんですよねぇ、俺たち。
ちゅぷぅ、ちゅぷぷぅ、と小さな寝息が響くリビングでセンパイが噛み締めるようにまた呟く。
「つむまんじゅうくんに出会えて本当に俺、幸せです」
「…………そウ。まァ、ボクもそれなりに幸セ……かナ」
「あらら。素直じゃないんだから、もぉ」
「ちゅぷ……ぅ」
「フフッ。変な寝息」
上に、下に。
ぷくぷくと身体を上下させつつ、幸せそうに眠るまんじゅうを指の腹でゆっくりと撫でながら、どうかこの柔らかな時間が少しでも長く続きますように、と柄にもなく祈ったーーこれは冬のある昼のハナシ。