蠱惑の傀 頽れた傀は、見知った男のかたちをしていた。
ここには他に誰もいない。
暗くもなければ明るくもない、無味無臭に徹した箱のような空間に、彼は存在しているようだった。
まるで風化した玉座のようなハイバックチェアに、真紅の化身が鎮座している。
辺りをぐるり見回した白い海軍服の男は、同じく真白な中折れ帽をくい、と目深に被り直した。
(あれは……)
己の知る彼の姿とは程遠い、緋色の髪の毛がふわり、ふわり、どこから流れているのかもわからぬ春風のようななにかに煽られて、気怠げに揺らめく。
ところどころ褐色に染め抜かれた三度笠。見る限り頭陀襤褸のそれを留める顎紐が窮屈そうで、男は――龍馬はそっと、いつ崩壊するともわからぬその椅子へ、音も無く近付いた。
1903