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    pixivに上げてる「水場にて」の続き、冒頭部分のみ供養です。
    waveくれた方、本当にありがとうございます…!!

    館にて水場 続き #Hadesテキスト

     口づけの合間に漏れた吐息が、濡れた唇を愛撫する。腰から首すじにかけて、身震いに似た小さなさざなみが駆け抜けていく。
     この先に待つ快楽への期待。甘美な恐怖へまっすぐに落ちていくことへの、痺れるような陶酔。互いの境界を侵し合い、その果てに己の輪郭を失うことが……恐ろしくて、待ち遠しい。
     自分の腰に走った震えを自覚しながら、ザグレウスはゆっくりと目を開いた。
    「ンン……ザグ……ふ、」
    「……タ、ン……!」 
     部屋に入るなり、ふたりは性急に求め合っていた。寝台ではなく、そのすぐ横の壁際に追い立てられたタナトスは不思議に思ったが、互いの呼吸を奪い合うようなキスですぐに思考が溶けていく。灯の落ちた室内で王子の葉冠だけが淡く燃え立ち、ときおりぱちりと爆ぜるのを、ぼやけた視界の端で捉える。
    「…ふ…良かったのか、ザグ……?陛下に挨拶せず来てしまったが……」
    「ああ、タナトス…やめてくれ…、せっかくおまえといるのに……思い出したくない…」
     大仰に天を仰ぎながら心底嫌そうに呻く王子に、死神はこっそりと笑いを呑み込んで唇を噛んだ。目ざとい王子は当然見逃してはくれず、笑うなって、と情けない声を上げたので、今度こそタナトスはくつくつと笑ってしまった。
    「誰が悪かったんだ?珍しく出迎えてくれたおまえに、たまらず飛びついた俺か?それとも、大声を上げて皆の注意を引いたヒュプノスか…?はあ……あの父上の目、思い出すだけで萎えてくる……」
    「フフ……それは困ったな。おまえとこうして会うために励んだ俺を、捨て置くつもりか……?」
     さかのぼること半日。公務のさなか、タルタロスの水場にて手早く熱を分け合ったふたりは、夜の約束を取り付けてその後の職務に精を出したのだった。
     地の底を一息に駆け上がる王子の鬼気迫る勢いといったら、向こう数百年は亡者どもの語り草となるほどだったという。父親を打ち倒した王子は、〝強くなったな〟という素直な賞賛の言葉を、確かに聞いた。戦闘の興奮をそのままに、吠えるように快哉を叫んだザグレウスの心は、どこまても広がるその日の青空のように晴れ渡っていたのだ。
     だが…そこでめでたしめでたし、とはならないのが世の常である。
     意気揚々とステュクスの赤い泉から上がった王子が一番に見たものは、愛しい恋人の姿だった。幼い頃にくり返し読んだおとぎ話…、〝怪物をみごと倒した勇者は、恋人と永遠に幸せに暮らしました〟と見まがうシチュエーションだと思った――かは定かではないが、一番に出迎えてくれた喜びと戦闘後の高揚から、王子はそのまま死神の胸へと飛び込んだ。その瞬間、世界はザグレウスに向けてばら色に微笑み、万物がふたりを祝福しているかのようだった。
    ヒュプノスの〝ウワ〜オオ、熱々だね、お二人さん!〟という珍妙な褒め言葉……も、照れながら受け流せた。
     そう、全てが完璧な夜の始まりだったのだ。
     眠りの化身の一声で、ところ構わずイチャつく男神二柱に亡者の行列が注目しなければ。そして、その行列の終点に座す冥王ハデスの、研がれたての刃のごとくさえざえと光る眼差しに、気付きさえしなければ――……
    「うう……タナトスぅ……慰めてくれよ………」
    「そこまで大仰に嘆くほどだったか?おまえのやることなすことに陛下が渋面を浮かべるのは、今に始まった話ではあるまい」
    「あれ、おかしいな……俺、今…〝傷口に塩を塗ってくれ〟と頼んだんだっけ……?」
     王子は項垂れ、死神の胸に頭を擦りつけた。弾力のある筋肉に覆われた厚い胸に顔を寄せていれば、父王の呆れ返った……あるいは侮蔑の眼差しを、いっとき忘れることができる。
    「……俺が心配しているのはそこじゃない」
    「揉むのか話すのか、どちらかにしろザグ」
    「父上、目が合った時…、〝全てを察した〟みたいな顔をしてたんだよ!!かつてないほど自由に動けて…せっかく父上に一泡吹かせてやったのに」
     ガバッと勢いよく顔を上げながら叫ぶ王子に死神は面食らい、片眉を上げる。
    「ザグの実力にはかわりないだろう?それほど気にする必要はないと思うが。おまえが成長を続けているのは、陛下自身の身でもってよくご存知のはず」
    「だってさ……それなりに真面目に、この仕事に取り組んでるつもりなんだぞ?よくわからない肩書きも貰ったしな……。なのに、おまえとイチャつくためだけに頑張ったって思われるのは癪だ。タンの存在が、俺に活力を与えてくれるのは確かだが……」
     王子は、珍しく歯切れの悪い様子で言葉を繋いでいく。
    「……俺は、俺の力で立てると証明したい。おまえに並び立つのにふさわしいと…対等だと示したいんだ。そのためには、実力だけじゃなくて、心も追いついてなきゃいけない。ただでさえ父上は、俺を未熟者だと思ってる。欲や感情に振り回される愚か者ってな。挽回しなきゃいけないのに、公私混同してるなんて思われたら台無しだろ?」
     〝このご褒美がぶら下げられてたからいつも以上の力が出せたってのは、否定できないんだけどさ……〟と唸る王子の頭を、死神は撫でた。ザグレウスはときどきばかになる。長きにわたる父親との確執が、目を曇らせているのだ。
    「…おまえは本当に、それしきのことで陛下がおまえを見下げるとでも思っているのか?今でも?」
    「……分からない。分からないよ、父上の考えることは………。俺に分かるのは…おまえの言う通り、父上が昔から俺のやることなすことすべて、気に入らなかったって事実だけだ」
    「陛下は……、」
     きちんとおまえを見ている。おまえが父王の言動に一喜一憂してしまうのは、自分への愛情を疑っているからだろう。心のどこかで、おまえを憎んでいると思っている。女王の帰還した今でも。
     じっと己の言葉を待つザグレウスにそれを告げるのは簡単だ。ままならない自分への怒り、父親への反骨の根底にある、〝嫌われたくない〟という消極的な願望。王子が目を背けている部分。まるでよるべのない子供のよう。
     だが……これは王子が自分で気づき、父親との関係を通して変わらないといけないところだ。ザグレウスの自己へ向ける根深い不信と怒りは、他者が癒せる範囲を超えている、と思う。タナトスにできるのは、ザグレウスが自らを許せるよう寄り添い、見守ることだけだ。
     幸い女王の執り成しで、この父子の複雑な関係もゆっくりと好転している。互いの胸のうちをさらけ出し、今よりずっと歩み寄れる日も、そう遠くはないだろう。
    「陛下の御心が知りたいのならば、自分で聞くしかない。心を鎮めろ。闇の中に姿を見つけるように……じっと耳を傾けるんだ」
    「いくら耳を傾けたところで、父上が俺にその〝御心〟とやらを話してくれる気がしないが……まあ…、無謀な挑戦には慣れてるよ」
    「昔とは違う。おまえとて分かっているはずだ」
     これ以上失望することのないように、投げやりな態度をとる王子。父親に対してだけ、未だ臆病になってしまうザグレウスを誰が責められようか?心の中に傷ついた子供のままの自分を隠していることに、彼はきっと気づいていないのだ。
     伴侶としてタナトスにできることがあるとすれば、その背を押してやることだけ。おまえはもう無力な子供ではなく、ひとりでもないのだと、どうかわかってほしい。
     言葉足らずで誤解を招かないよう、足りない部分を情で補うように、死神は訥々と語りかけた。
    「時の概念の遠い我らでさえ、変わり続けることができると……教えてくれたのはおまえだ、ザグ。母君の縁の糸を再び繋ぎ、冥界の住人に変化をもたらした……その情熱を、また発揮すればいい。おまえの言葉には、力があるのだから」
     いつになく熱の込められた死神の言葉に、王子の胸がじわりと温かくなる。タナトスがこれほど自分の心によりそった言葉をかけてくれるようになったのは、つい最近のことだ。記憶にある限り、それまでの彼は、冥界の規範や敬慕する夜母神の考えに沿った言動が主だった。俯瞰した立場から語られる言葉はどこか無慈悲な印象を与え、慰めを欲していた王子の癇癪をよく引き起こしたものだ。
     若くから冥界の運営に大きく関わっている立場ゆえ、誰より厳格な振舞いが求められ、彼自身の真面目な気質と結びついて形成されていった性格なのだろう。
     〝変わり続けることができる〟なんて言葉が、タナトスの口から出るなんて。そのうえ、その言葉を自ら証明しながら、自分との関わりこそが変化の要因だと認めてくれる。己のことを何の神でもないと本心から思っているザグレウスにとって、それがどれほど大きな意味を持つか――。執務を台無しにしつづけて無能の烙印を押された過去を思えば、調子に乗ることはできない。だが、少しは認めてもいいと思えるのだ。自分にも、成せることがあるのだと……。
    本気で自分のことを心配してくれる誰かがいることが、こんなにも嬉しい。そしてそれが、かけがえのない大切な人であればなおさらだ。
     彼に、何を返せるだろう?――やはり、対話しかない。タナトスが、自分と父王の関係にひそかに気を揉んでいるのは知っている。
     行動で示すだけでは駄目なんだな。たとえやるせない思いをしたとしても、想いを伝えることを諦めてはいけない。タナトスが見守っていてくれるというならば、きっと何度だって立ち上がることができるだろう。
     王子はしばし口をつぐんだあと、腹の底から空気を押し出すようにため息をひとつ吐き出す。
    「そうだな。後で…謝りに行く。父上も立場ってものがあるだろうし……それに………」
    「………?」
    「誤解を解いたら…、タンのこと、今さら〝紹介〟って言うのも変な感じだが……あー……おまえとの仲、改めて、伝えたい……父上に」
     王子はちらりと死神を見上げ、さっと目を伏せたのち、まっすぐに視線を合わせた。緊張といくばくかの恥じらいを含みつつ、いいか?と問いかけるその眼差しに、タナトスは衝動のおもむくままに目の前の青年神をぎゅっと抱きしめる。
    「俺も共に行く。頭を下げるのは俺も一緒だ。……許しを得るのも」
    「先に言っとくが、駄目だって言われても別れないからな!それでおまえの立場がまずくなったら……その時に考えるから…、別れるなんて言わないでくれよ」
    「何を馬鹿なことを…!当然だ」
    「おまえと一緒にいたいよ、タン。それだけは……諦められない」
     王子は、口に出せない想いを込めるように死神の手を握った。
    (俺の言葉には力があるって、言ってくれるけど。言葉にできない想いはどこに行くんだろうな……)
     
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