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    じゅに

    @12_junnie

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    じゅに

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    怪異退治パロ、イチサマ。
    怪異が蔓延る戦後、霊能家「中王家」が政権を握ったことにより、霊力のある男達は「言霊」を使い怪異退治が義務付けられた。
    街は区域に分けられ、怪異の討伐成績によって結界の効力が決まる。討伐成績1位のチームは区域ごとのリーダーとして街を任される。
    かつては最強のチームだったイケブクロ代表山田一郎と、ヨコハマ代表碧棺左馬刻の話。

    ※ホラーではないけど妖とか出る

    夜は黒色 ヨコハマ中華街の路地を幾つか曲がると、ふと現れる中国茶専門店がある。茶色い看板には『横濱茶荘』と金文字で書かれ、大きな硝子窓からは小綺麗な店内が一望できる。
     碧棺左馬刻は痛む左腕を庇いつつ重い硝子戸を押した。店内には音楽が流れている。近くの公園で老人が奏でているような、ゆったりとした大陸の曲だった。
     右手の壁は作り付けの棚になっていて、天井まで銀色の大きな茶缶が並ぶ。カウンターに置かれた秤には茶葉が乗せられている。左手に目を向ければ丸いテーブル席が二つ。陶器の器がまだ湯気を立てていた。
     今さっきまで、そこに人がいたかのような。だがこの店はいつだって無人だ。
     左馬刻はのろのろと進み、暖簾を退けた。短い廊下の突き当たりに鉄の扉がある。ちょうど目線の高さに逆三角形の銀のプレートが嵌められていた。
     煙草を取り出し、咥えて火を付ける。苦い煙で肺をたっぷりと満たしてから、火先をプレートに押し付けた。
     じゅ、と小さな音がして、扉が鮮やかな青に染まる。金色の取っ手を掴んで開ければ、上へと続く木製の階段が続いていた。
     とん、とん、とブーツの底が音を立てる。朧げに橙色の灯りが照らす暗い階段は、登るほど平衡感覚が狂っていく。遠く聞こえてくる食器の擦れる音と、低い話し声。
     気が付けば左馬刻は、橙色のランプが照らすその空間へと、階段を『降りて』いた。
     とん、と足がくたびれたマットを踏む。
    「ああ、来たか、左馬刻」
     薄暗いバーのカウンターに立つ毒島メイソン理鶯が穏やかな目を向けた。

     高いスツールに腰をかければ、隣に座る入間銃兎が苦い顔を向けてくる。うるさい視線を無視して窓へと目を向けた。外はまだ昼過ぎだが、ここの景色はいつも海と月明かりだ。
    「また悪い気配を引っ付けてきて」
    「……絡まれたんだよ。ちゃんと祓ったわ」
    「邪気が残ったのか? 見せてみろ」
     渋々と黒い痣の浮いた腕を出せば、銃兎が派手な色の瞳を丸くした。腕を掴まれて痛みに顔を歪める。悪い、と謝る態度が気に食わず、椅子を思い切り蹴ってやった。
    「『執着』が少し残っただけだ。あの野郎、俺様を食おうとしていやがった」
    「死の匂いがするぞ、左馬刻。また乱暴な祓い方をしたんだろう」
     理鶯にまで真面目な顔で咎められ、左馬刻は唇を尖らせた。
     第三次世界大戦以降、怪異が溢れ返ったこの国では、言霊を使いこなせる霊力者が怪異退治を政府から義務付けられている。戦績に応じて住む区域の結界や物資の質が変わる。ヨコハマ区域を仕切る身として放っておく訳にはいかない。
     かつては人を誑かしたり、脅かす程度だった怪異は、戦後の不安定な世の中であっという間に力を付けた。人の心に入り込み悪事を働いたり、死に追いやったり、今日左馬刻を襲ったもののように、物理的に人間の命を取ろうとするものもいる。
    「まあデケェやつ倒した分、中王家からの報酬も増えんだろ。理鶯、酒くれ」
    「まずは茶をどうだ。悪いものはデトックスに限る。小官特製のカモミールティーを……」
    「いい、いい。茶ならさっき飲んできたからよ」
    「む、そうか」
     とにかく今は、腹の中で渦巻くものを酒で洗い流してしまいたい。怪異を『堕とす』この不快感はどうにかならないものか。舌打ちをして銃兎のグラスに手を伸ばした。
    「残念だがそれも茶だ」
    「あ?」
    「お前を待っていたんだ。呼び出しだ、中王家から」
     左馬刻は鼻の頭に皺を寄せて唸ると、グラスを乱暴に置いた。


     銃兎が運転する車は中王区、ではなく、イケブクロへと向かっていた。国家権力の頂点に君臨する中王家から警察官の銃兎に課せられた命令は、山田一郎と碧棺左馬刻を連れてくること、らしい。
    「ちっ、なんで俺様があのドグソを迎えに行ってやんねぇとなんねぇんだよ」
    「あの男、怪奇番のイケブクロ代表だろう。昔、組んでいたと聞いたが」
    「あんま散策すんな、今は敵だ」
     二年前、まだ区域制度もなく、我武者羅にそこらの怪異と戦っていた頃。いつも隣に置いていた少年がいた。ギラギラと燃える二色の瞳、真っ直ぐな言霊、どんな怪異も恐れない勇敢で獰猛な男。
     山田一郎。
    「……クソ、この街は嫌いなんだよ」
     窓の外に目を向ければ、相変わらず古ぼけた雑居ビルと『萬屋ヤマダ』の文字が見えた。

     二年前、悪事に使われていたビルには濁った気が充満していたが、一郎が住めば一瞬で消えた。あいつの霊力はそういうものだ。影を許さない。階段を登っただけで肌に纏わりつく暑苦しい気配に、左馬刻は何度目か分からない舌打ちをした。
     銃兎が呼び鈴を押そうと手を伸ばす。左馬刻はその手を叩いて、Bの形をした銀のプレートに、どん、と拳を打ちつけた。扉がぶわりと赤く染まる。
    「物騒な『解錠』方法だな」
    「は、ウチが言えた事じゃねぇだろ」
     ドアを開ければ軽快なヒップホップが爆音で流れ出す。威力を増した炎ような霊力が肌を焼く。理鶯の指がぴくりと跳ねて武器にかかった。
    「よお、邪魔すんぜ」
     事務所の机に向かって書類を睨んでいた一郎が、顔を上げて、ぎょっと面食らった顔をする。そんな表情は昔と変わらないのか、なんて。思った自分に嫌気が差した。

     ▽ ▽ ▽

     山田一郎は革張りのソファに浅く腰掛けて扉を睨み付けていた。太腿に両肘を置いて口の前で手を組む。とん、とん、と爪先で床を叩くたびに苛立ちが増していく。
     この国を統括する霊能家のトップ、中王家本家に呼び出され、殺風景な部屋に通されて三十分。ソファと、ローテーブルと、隣に同じくらい苛立った男が一人。それだけだ。携帯も電波が入らない。
     かつて仲間と呼んで慕った男、碧棺左馬刻。チームを組んで怪異退治をしていた頃、俺たちは敵なしだった。俺と左馬刻と、乱数と、寂雷。四人で国だってひっくり返せると思っていた。
     かきん、と音を立てて左馬刻がジッポを開ける。火を灯して、消して、閉じる。暇なのだろうが、こう何度もやられちゃこっちまで気が立ってくる。
     左馬刻とは二年前に衝突したきりだ。暗い海底に潜む魔物のような恐ろしい気配。澄んだ水のような清らかな霊力。この人といると胸が苦しくて、それでいて、少し呼吸が楽になる気がする。認めたくはないけども。
     かきん、と音が響く。どうしてそう、耳にこびり付くものばかり寄越すのか。
    「なあ、それやめろよ」
     ジッポを睨めば左馬刻があからさまに気を害した顔をした。あーあ、火に油を注ぐだけって分かっていて、なんで言っちまったんだろう。
    「テメェこそ貧乏揺すりやめろや、貧乏は財布だけにしとけ」
    「あ? 萬屋舐めんなよ」
    「髪切りに行く金もねぇんだろ、俺様がバリカンで刈ってやろうか」
    「アンタこそワックスぐらい買えよ、若作りしてんじゃねぇよ」
    「?」
     売り言葉に買い言葉、あっという間にヒートアップした勢いで立ち上がる。額同士を押し付けて次の言葉をぶつけようと口を開いたところで、勢いよく扉が開いた。
    「そこまで! なんだ貴様らは、野良犬のようにギャンギャンと。待ても出来んのか!」
    「ンだとこのクソ女!」
    「俺たちは犬じゃねぇ。用があるならさっさとしろよ」
    「お待たせいたしました」
     響いた声と共に目の前の壁がぱたぱたと畳まれる。続く畳の向こう、『中王家』と艶やかな躑躅色で書かれた屏風を背に、長髪の女性が座っていた。
    「中王家へようこそいらっしゃいました。怪奇番イケブクロ代表、山田一郎。怪奇番ヨコハマ代表、碧棺左馬刻」
     薄暗い部屋の奥で女が微笑む。一郎は黙ってその姿を睨み付けた。

     三年前に現れ、一郎たちの人生をひっくり返した女、東方天乙統女。
     中王家当主にして現総理大臣。怪異に関する認識を公にし、怪異退治に報酬制度を設け、霊力のある男たちを祓い屋に仕立て上げた。二年前にTDDを解散させ、国を区域ごとに分けて競争させる区域制度を作ったのも彼女だ。
     区域で一番霊力の強い三人組が怪奇番と呼ばれ、見廻りや結界の調整を任されている。実質、街のリーダーだ。この二年、一郎はその座を譲ったことはない。左馬刻や、後二人の元TDDメンバーも。
     何せ怪異と手を組めばいろんな悪事が可能になる。碌でもない奴が怪奇番を務める区域は空気も悪く、安心して暮らせやしない。自分の愛した町が穢れていくのは見ていられない。
     よくできた制度だ。だが満足しているかと言えば、全く。
     霊力のある者が強者で、弱者は虐げられ怯えて生きていく。何も変わっていない。
    「単刀直入にいいます。お二人にはまた、対で討伐任務について頂きたいのです」
    「?」
    「対だァ?」
     思わず横を睨めば、赤い瞳が同じ鋭さで向けられる。鼻を鳴らして視線を総理に戻した。
    「何を企んでるのか知らねぇが、俺はヤクザとは手は組まねぇ」
    「はっ、こっちこそ足手纏いのガキなんて願い下げだ」
    「碧棺左馬刻。ここ最近、貴方の霊力の暴走が目立ちます」
    「あ?」
    「死神を魂に飼う貴方は、稀に見る有力な祓い師です。ですが力を抑えられず、死の香りを撒き散らして逆に怪異を凶暴化させている。貴方自身が死へと引きずられるのも時間の問題でしょう」
    「なんだって?」
     一郎は思わず身を乗り出した。口を挟まずにいられなかった。
    「貴方の霊力の質は『暗』。これまで暴走が見られなかったのは『明』である対の存在が側にいたからです」
    「は、それがこいつだって言うのかよ」
    「不調は貴方も同じでしょう、山田一郎」
     左馬刻がこちらに視線を向ける。無視をして舌を打った。ボロは出していないと思ったが、流石に分かるか。
    「貴方は神気に近い霊力を持つ希少な人間です。けれども力が強すぎて体に負担がかかっている。このままでは器が持ちません。ご兄弟を残して死にたいのですか?」
    「俺たちに霊力を使うように強要したのも、怪異退治を命じたのも、アンタらだろ」
    「討伐を控えろと言っているのではありません。より強くなるため、使えるものは使えと言っているのです」
     一郎はこくりと唾を飲んだ。
     チームを組んで怪異退治をしていた頃、俺たちは敵なしだった。この人となら、怖いものなんてないと本気で信じていた。
     でも、それは一瞬の幻想だったのだ。
    「まだ理解が出来ないのか。碧棺と山田。お前らは互いの存在がストッパーとなっていた。お前らが決別して暫く経ち、その効力が薄まってきたという訳だ」
    「隣にいただけでそんな変わるモンかよ」
    「違う、お前の体に常に碧棺の一部があったからだ。分からんとは言わせんぞ」
    「一部? 魂の一部、か?」
    「体液だ」
     一郎は思わず咽せた。横で左馬刻がジッポを取り落とす。がん、と鋭い音が間抜けに響いた。
     聞き間違い、ではないらしい。
    「人間の体液は体の中心部を通る。一番霊力が染みるものだ。それを頻繁に交換していたようだな」
    「ち、違ぇ、誤解だ! 手は出してねぇ!」
    「おい、なんでテメェが俺様に手出す前提なんだよ! おかしいだろうが!」
     左馬刻に脹脛を蹴られて、大事なのはそこじゃねぇよ、と歯食い縛る。
    「言い訳はいらん、お前らの性事情なんざ興味はない」
    「マジだって! き、キスしか、してねぇし」
    「唾液であれだけ安定していたなら、それはそれで異常だぞ」
     勘解由小路に呆れた顔を向けられて一郎は赤くなった顔を手で覆った。そりゃ、暇さえあればしていたけれども。だってそれは、あの人が、そこまでならいいって言ったから。初恋だったのだ、大目に見てほしい。
    「ともかく、お前ら二人は今日から定期的に共同任務を組ませて貰う。要請には従うように。無視をしたら貴様らの区域に罰が降ると思え」
    「ち、クソが」
    「それと、対応策として、双方相手の所持品を所有し、携帯するように。ここ半年以上、肌に直接身につけていたものが好ましいが」
    「ざっけんな! 俺様がドグソの私物なんざ持ち歩くか!」
    「俺だってヤニくせぇモンなんて持ちたくねぇよ! つか私物なんてねぇだろ、上着すらねぇ癖に!」
    「今日はあちぃだろうが!」
    「ああ、うるさいぞ下郎ども! では毎日キスでもするか?」
    「「する訳ねぇだろ!!」」
     総理が溜息を吐く。そういえば謁見中だったと口を噤めば冷たい瞳を向けられた。
    「いいですか、貴方たちの霊力がこの国に大きな乱れを起こしているせいで、怪異が増えて迷惑しているのです。協力しないというならば、国の脅威とみなして然るべき処置をとります」
     手に持つ扇子が閉じられる乾いた音が響く。
    「守るものがあるのでしょう」
     この女の恐ろしさを、忘れた訳じゃない。奪われる時は一瞬だ。
     一郎は黙ってヘッドフォンを外すと左馬刻に差し出した。ここ半年以上肌身離さず持ち歩いていたものなんて、これぐらいだ。指輪は何となく嫌だった。揶揄われそうだし。
    「悔しいが、今は言う通りにするしかねぇ。実際、最近異常な状態の怪異に襲われることが格段に増えた。消耗も激しい」
    「……ンなだせぇもんつけてられっかよ」
    「左馬刻」
     男の赤い瞳が睨む。それから、溜息が落ちて、長い指がヘッドフォンを奪った。
    「お前はこれ持ってろ」
     男は目を伏せてネックレスを外すと一郎の手のひらに押し付けた。ひやりとした指先が触れてどきりと心臓が跳ねる。すぐに離れてしまった。この人、こんなに、冷たかったか?
    「こんなの、預かっていいのかよ」
    「失くしたら殺す」
    「うス」
     手の平に置かれたその逆三角形の重さを、知らない訳じゃない。そっと握って、それから涼しい首元にかけた。じんわりと左馬刻の霊力を感じる。なるほど、効果は確かにあるのだろう。息が楽になっていく。気づいていなかっただけでかなりの負荷に耐えていたらしい。
    「おら、これで満足かよクソ女」
    「口の利き方に気をつけろ!」
    「いいのです、無花果さん。野蛮な男はどこまでも野蛮。せいぜい自分達の街を守ってください」
     にこりと微笑んだ総理が退席し、二人はあっという間に塀の外へと追いやられた。


     中王区を出た途端、薄汚い路地に生ぬるい風が吹き出した。空は紫がかって、もう時期暗くなる。怪異が蔓延る街は夜の闇が濃い。早くブクロへ帰ろうと歩き出したところで、おい、と低い声に止められた。
     振り返れば左馬刻がジーンズのポケットに手を突っ込んで立っている。白いアロハと白髪をはためかせて、その首元のヘッドフォンがやけにアンバランスだった。
     と、左馬刻が徐にヘッドフォンを外して放る。一郎は慌ててしゃがんでキャッチした。こいつ、人のものを何だと。
    「ネックレス返せや」
    「アンタ、やけに大人しく大事なもん渡すと思ったら……」
    「あそこでうだうだ言ってどうにかなる相手じゃねぇだろ」
     それはそうだ。けれど、ここで黙って返すことが果たして得策だろうか。一郎はまだいい。だが中王家の言うことが正しければ、左馬刻は命が危うい状況らしい。
     憎んだ男だ。許せない男だ。でも、死なせたい訳じゃない。
    「おい、返せ。テメェが持ってていいモンじゃねぇ」
    「……わかったよ」
     今はどうしようもない。渋々とネックレスを外して差し出した。左馬刻が少し、ほっとした顔をして手を伸ばす。その表情に胸がちくりと痛んだ。必要なのはお前じゃない。また、そう言われた気がして。そんなこと、今更分かっているのに。
    「────え」
     ぶわりと黒い邪気が立ち昇る。妖だ。腹の奥を冷やす凄まじい気配に目を見開いた時には、ぬるりと壁から車ほどはある巨大な手が飛び出して、左馬刻を掴んだ。
    「左馬刻ッ!!!」
    「な……っ」
     猛禽類のような爪をした手が黒いもやに沈んでいく。一郎は咄嗟に駆け出して左馬刻の服を掴んだ。
     ぐんと引っ張られて、指をすり抜けたネックレスが地面に落ちる。しまった、と思った時には目の前が真っ暗になった。

    「いってぇ……」
     例えるなら狭い箱に詰められて思い切り振られたような。冷えた地面にどさりと投げ出された一郎は頭を押さえて痛む体を起こした。
     薄暗い空間には黒い霧が立ち込めている。何度か瞬きして視界を取り戻した先、目の前にうつ伏せに横たわる左馬刻が、獣の足に押し潰されていた。
    「おい! 左馬刻!」
    「この野郎、重てぇな……っ」
     数メートル先は黒で塗りつぶされている。この底冷えするような感覚。
     現世と冥界の間の歪みにある、妖の巣に引き摺り込まれたか。
     力がどんどん抜けていく。元々、人間が来るべき場所ではないのだ。意識を保っているだけマシだろう。
    「おい、自慢の霊力でどうにかしろや」
    「アンタこそ、こんなんに手こずってんじゃねぇよ」
     ちり、と胸の奥で炎が燃えるような感覚がする。霊力の根源は魂だ。それが不安定に揺らいでいる。畜生、やっぱり、最近全然調子がでねぇ。東方天と勘解由小路が言っていたことは本当だろう。
     あいつの一部が、俺の中にあれば。この狂いそうな喉の渇きが治るのだろうか。
     一郎は顔を上げて左馬刻を見た。押しつぶされて苦しげな顔をした男が、汗を顎から滴らせてこちらを睨む。ああ、美味そうだ。それだけでも、くれねぇかな。
    「一郎……?」
     喉が渇いてしかたがない。この感覚は、あれから左馬刻を見るたびに感じていた、焦燥感によく似ていた。憎いからだと、許しちゃならねぇからだと、言い聞かせていたけど。
     ふいに錆びた機械が軋むような音が頭上から響いた。
     慌てて顔を上げれば、巨大なクチバシが霧の中から現れる。あれは人の死体を食い過ぎて妖と化した『屍食鳥』だ。人の味を覚えて、生きている人間を襲うようになった怪異。こんなにデカいものは見たことがない。
    「っ、左馬刻! あれに飲まれたら終わりだぞ!」
    「分かってんだよそんなこと! クソが、『離しやがれ』!」
     左馬刻が韻を発動させて言霊を放つ。青い火花が散るが、逆上したように吠えた妖が左馬刻を掴んだまま引きずり上げた。左馬刻の首が締まるが、何とか爪先立ちで宙吊りを避けている。
    「っ、『待て』!」
     一郎も韻を発動させて叫んだ。赤い炎が巻き上がり、妖の足が動きを止める。駄目だ、この程度じゃ気休めにもなりやしない。おまけにこの異空間で霊力を使う負担に、身体が軋むように痛んで息すらままならない。
    「駄目だ、左馬刻……っ」
    「は、、泣き言、言ってんじゃ……ぐ、う゛」
     みしりと左馬刻の体から嫌な音がした。一郎は死に物狂いで体を起こすと、男に飛びついて、その首に腕を回した。
    「左馬刻、唾液くれ」
    「は……? あ、頭、沸いたか……っ」
    「それしかねぇんだ。分かるだろ」
     鋭い舌打ちが一つ。苦痛に顔を歪める左馬刻が、口を開ける。赤い舌にぐんと視線が引き寄せられた。
     こいつが、欲しい。
     男の髪に指を通して、噛み付くようにキスをする。唇を合わせて舌にしゃぶり付くと、煙草の味がする唾液を啜った。脳ががんと痛んで、それから甘く痺れ出す。口内を舐め回して味わうと、今度は自分の舌に唾液を貯めて、左馬刻の口内に送り込んだ。
    「ん、ぐ……っ」
    「はぁ、左馬刻、飲めって」
    「んんっ、ぷは、すげ……トびそー……」
     左馬刻がへらりと首を傾げて、濡れた薄い唇が弧を描く。ずくりと下腹部に溜まる熱を誤魔化すように唾を飲み込んで、一郎は息を吐いた。
     意識を集中させて、もう一度、韻を発動する。
    「『触るな』」
     ぶわりと燃え上がった霊力が妖の足を跳ね飛ばす。投げ出された浮遊感の中、左馬刻の腕が一郎の頭を抱き込んだ。どさりと地面に叩きつけられて衝撃に息が詰まる。
    「ぐ……っ、げほっ、ごほっ、くっそあの害鳥野郎、理鶯んとこ持ってって調理してやる」
    「は、けほ、それアンタが食う羽目に、はぁ、なんじゃねぇの」
    「うるせぇ」
     身を起こし、咄嗟に左馬刻に庇われたのだと知って胸が掻き乱される。体格は変わらない、むしろ筋肉量は一郎の方が上なのに。咄嗟に兄貴面するのは性分なんだろうけど。
    「はは、久しぶりに体が軽りぃわ。よし、ひと暴れすっかぁ」
     立ち上がった左馬刻の手からばちばちと青い炎が燃える。赤い瞳が爛々と輝く。その光景に、一郎は黙って笑みを浮かべた。
     調子のいい時の左馬刻は、最強だ。
     それは一郎が一番よく知っていた。

     ぐにゃりと空間が歪んだと思えば路地裏に座り込んでいた。一郎は水から上がったような感覚に息を吐いて、ぐるりと肩を回した。空はとっくに暗くなっている。弟たちが心配しているだろう。
     ライターの音に顔を上げれば、立ち上がった左馬刻が煙草に火を付けていた。橙色の光が揺れて、煙が上る。あの煙の苦味がまだ舌に残っている。
    「……じゃあな、ドグソ」
    「あ、待てよ」
     振り向いた男の胸には、いつの間に拾ったのか逆三角形のネックレスが揺れていた。
    「アンタだけでも、持ってろよ」
     拾い上げたヘッドフォンを渡せば、左馬刻がぱちりと目を丸くした。
     分かってる、嫌だろう。けど。これは多分仕方がない。
     左馬刻もそう判断したのか、舌を打って手を伸ばした。その指先がするりとヘッドフォンを躱して一郎の指に触れる。え、と思った時には指輪を一つ抜き取られていた。
    「……仕方ねぇから、この趣味悪りぃやつ持っててやんよ」
    「え」
    「テメェはこれな」
     男が、ぱちん、と耳のピアスを一つ取る。手の平に押し付けられた黒いフープに視線を落とした。じんわりと左馬刻の霊力が馴染んでいく。
    「失くしたら殺す」
    「アンタもな」
    「安物だろ」
    「そういう話じゃねぇんだって」
     左馬刻が笑う。分かってんよ、と穏やかに一言告げて、ネックレスを外すと指輪を通した。
     正気かよ。そこに、アンタの心臓に、俺も置いてくれんのかよ。
     それを、嬉しく思ってしまうから。きっと俺は、アンタへの気持ちなんて何にも捨てられていないんだろう。
     男は黙って背を向ける。今度こそ一郎もイケブクロへと靴先を向けた。

     今日の空もべっとりと暗い。それでも、何か、光が見えたような気がした。
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    じゅに

    DONE怪異退治パロ、イチサマ。
    怪異が蔓延る戦後、霊能家「中王家」が政権を握ったことにより、霊力のある男達は「言霊」を使い怪異退治が義務付けられた。
    街は区域に分けられ、怪異の討伐成績によって結界の効力が決まる。討伐成績1位のチームは区域ごとのリーダーとして街を任される。
    かつては最強のチームだったイケブクロ代表山田一郎と、ヨコハマ代表碧棺左馬刻の話。

    ※ホラーではないけど妖とか出る
    夜は黒色 ヨコハマ中華街の路地を幾つか曲がると、ふと現れる中国茶専門店がある。茶色い看板には『横濱茶荘』と金文字で書かれ、大きな硝子窓からは小綺麗な店内が一望できる。
     碧棺左馬刻は痛む左腕を庇いつつ重い硝子戸を押した。店内には音楽が流れている。近くの公園で老人が奏でているような、ゆったりとした大陸の曲だった。
     右手の壁は作り付けの棚になっていて、天井まで銀色の大きな茶缶が並ぶ。カウンターに置かれた秤には茶葉が乗せられている。左手に目を向ければ丸いテーブル席が二つ。陶器の器がまだ湯気を立てていた。
     今さっきまで、そこに人がいたかのような。だがこの店はいつだって無人だ。
     左馬刻はのろのろと進み、暖簾を退けた。短い廊下の突き当たりに鉄の扉がある。ちょうど目線の高さに逆三角形の銀のプレートが嵌められていた。
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