今さらそんなこと言われても どうやらオレは死んだらしい。
らしい、というのはそのままの意味で、どうやらオレは幽霊というものになっているっぽいからだ。ガラスには映らないし、壁もすり抜けられるし、手もちょっと透けてるし。脚はあるように見えるけどやっぱり透けてて、まあ典型的な幽霊ってやつだ。
まさかこんな若さで死ぬとは思ってなかったけど、まあ死んじゃったもんはしょうがない。死んだ理由も実家に帰省途中、変質者に襲われた女の人を見かけて、思わず身体が動いて……脇腹を刺されたんだっけ。痛くはなかった。ただ身体が重くなって、瞼が重くて、急に眠くなったような気がして、意識が無くなって、
あの女の人、逃げれたかな。
気がついたら診療所の、オレの部屋にいた。なんでここなんだろう。路上で死んだんだから幽霊になるとしたらそこなんじゃないのか?ひょっとして死んだら前日寝て起きた場所に戻されるとか?そんなマイクラみたいなシステム?新発見だ。現世に伝える方法はないけど。
ここでじっとしているわけにもいかなかったし、診療所で地縛霊にでもなるのはごめんだ。オレはそっと部屋を出た。もちろん幽霊なので扉は開けられないので、扉をすり抜けた。幽霊なんだから壁とかすり抜けていけば早いんだろうけど、なんとなく廊下を歩く。この時間なら先生は診察室にいるかな。
……と思ってたけど、先生はいなかった。どこかに出かけているんだろうか。知らない男の人がいて、麻上さんがその人のことを富永先生とよんでいた。富永先生、そうか、この人が富永先生か。
村の人からはなしを聞いたことがある。もう10年くらい前にこの村にいた先生で、今は実家の病院を継いだとかなんとか。なんでこの先生がここにいるのか、と思ったけどすぐ腑に落ちた。オレが死んだから、先生が出かける際に応援を頼んだんだろう。確かにオレなんかよりも富永先生の方が何倍も頼りになるとはいえ、迷惑をかけてしまって申し訳ない。実家の病院を継いで院長になったんだからめちゃくちゃ忙しいだろうに。
富永先生は明るくてよく気の利く先生と聞いていたけど、なるほど確かにそんな雰囲気がある。対して麻上さんはなんか不安そうな顔をしてて、なんとなく麻上さんらしくない。富永先生と久しぶりに会えたんだから積もる話とかもあるだろうに、しきりに大丈夫でしょうか、と不安そうだ。ははぁ、さては先生、また何か大変そうなことに巻き込まれたな。外部から急に先生を呼ぶくらいだし、よっぽど大変なことでもあったんだろうか。
オレは一通り診療所を見終わると、さてこれからどうしようかと考えた。というかこれからどうなるんだろう。このままマジで地縛霊とかになったらどうしよう。こういうのってお迎えがくるもんじゃないのか?それともちょっとタイムラグとかあるのか?なんかこわいし、そう思うことにしよう。タイムラグがあるとして、いつお迎えはくるんだろうか。どうせなら来る前に行きたい所でも行くかな。
行きたい所と考えて真っ先に思いついたのは、元々の目的地だった。そもそもそこに行こうと思ってたしちょうどよかったかもしれない。診療所からやり直して行くのは時間がかかるけど、まあなんとかなるだろ。ちょうどバスが来る時間だったので、無賃乗車申し訳ないなと思いつつそっと乗り込む。幽霊になってまで公共交通機関に乗ることになるとは。幽霊なんて案外こんなもんなのかもしれない。
病院はなんだかバタバタしていた。近くで交通事故でもあったんだろうか。いきなり院長室にいくのはなんか嫌だったので、なんとなく谷岡さんにでも会いに行くかと思って外科部長室へ向かう。
谷岡さんはいた。なにやら真剣そうな顔をしてどこかに電話をしている。テレビ越しでも感じたが、やっぱり貫禄出てきたなぁ。ふと気づいたけど、なんだか声が聞き取りづらい。これも幽霊になったせいか。
谷岡さんに会った?はずみで院長室をそっと覗いてみたけど、親父はいなかった。またどっかで病室をまわってんのかな。ご苦労なこった。
ここかなと思って色々な部屋を回ってみたが、親父どころかオフクロもいないし、院内全体がピリピリ、というかなんというか……みんなどこか不安そうで、何?オレがいない間になんかあったの?
院内を回ってて気づいたけど、どうやら聴力だけじゃなくて視力もおかしくなってきたかもしれない。微妙に度の合わない眼鏡をかけているような、歩いているとふらつくというか、無意識に椅子を探してしまうというか。
なんか親父もオフクロもいないし、どうしよっかなぁ、こんなことならもっちゃんの連絡先も聞いておけばよかった。なんだか疲れてきたし、どこか休めるところを探す。手術中のランプが赤く光っている。ここ、手術室か。いつのまにこんな所まで来てたんだろう。……あれ?親父……と、オフクロもいるじゃん。ここにいたのか。
視界はだいぶぼんやりしてきてたけど、それでも両親だし、雰囲気とか服装とか、なんとなく判別がつく。2人は椅子に座って、真っ青な顔をしている……みたいだった。オフクロに至ってはガタガタ震えているし、親父が何か話しかけている。なんだなんだ、何があったんだろう。手術室のランプがついているってことは、誰か事故にでもあったのか?
なんだか少し疲れてしまって、向かいの椅子に座る。幽霊なのに椅子に座れるなんて不思議だなぁ、と思いながら少し休む。休んでるはずなのにだんだん体は重くなっていって、幽霊でも疲れたりするんだと思った。
ふと、手術室の中身がきになった。幽霊といえど私服で手術室に入るのは少しためらったけど、まあ……幽霊だし、衛生的に問題はないだろ。扉に触れるとすぅ、と手が吸い込まれる。床には立てるのに扉や壁はすり抜けられるって、幽霊ってやっぱ不思議だ。そんなことを思いながら、手術室に入る。術着を着た医者が何人かいて、院内と同じようにピリピリしているのがわかる。思った通り、予定していた手術じゃない急患だったらしい。やっぱどっかでデカい交通事故でもあったんだろうか。なんとなく患者自身の顔は見たくなくて、心拍数を見る。……うわ、もうこの人ダメじゃないか?脈拍は今にもなくなりそうだし、出血量もひどい。助手であろう先生方も、なんというか諦めモードというか、もうこれは……という雰囲気を感じる。
その中でひとり、主治医らしい先生だけが必死に頑張っている、という感じか。あれ、この人は……やっぱり、先生だ!もう人の顔も朧げにしか見られないが、先生の体格はそれでもわかった。診療所にいないと思ったらこんなところにいたのか。そうだよな、先生なら最後の最後まで諦めないよな。
ここにいるってことは、親父に呼ばれてここまで来たのだろうか。親父と先生の関係はよくわからないけど、オレが先生に預けられたのは親父が先生に頼んだからというのは知ってる。先生もいきなりこんな奴がきて迷惑だったろうに、よく根気よく教えてくれたもんだと思う。麻上さんは少し厳しかったけど落ち込んでる時は励ましてくれたし、イシさんのご飯は美味しかったし、村井さんもよくオレを褒めてくれた。こんなことなら、もっとありがとうございますって言っておくべきだったなぁと思う。今さら言ったところでどうしようもないけど。
なんだかどっと疲れてしまった。少しためらったけど、先生の背を見るようにして壁に寄りかかる。そのまま腰を落として座り込んで、ついには頭も倒して横になってしまった。なんだか、とても眠たい。
バタバタと忙しく動き回る先生たちと、後ろ姿からでもわかる先生を見ながら、そっと目を閉じた。モヤがかかったような声が飛び交う中、不思議と先生の声だけが聞き取れた。
「…な、……死ぬな、龍太郎!」
え、オレ?
意識が途切れた。