どうやら空気を読みすぎたのかもしれない Kが突然の神様宣言をしてから一週間、診療所は平和な日々が続いていた。あんなに忙しすぎてなにがなんやらわからなくなった三日間もどこか懐かしく感じる。二度と経験したくはないけど。
「富永、俺は明日の往診の準備をしてくる」
「はーい、了解です」
平和だ。医者が暇なのはいいことだ。なんとなくカルテを整理しながら、Kの神様宣言について考えていた。Kにしては珍しい冗談だったので印象が強かったのだ。神様によるとここは祠らしくて、それにしてはずいぶん生活感のある祠だなあ。しかもでかいし。中に家電が置いてある祠なんて日本中探してもここにしかないんじゃないか。あってたまるか。
Kが神様なら麻上さんは巫女だろうか。村井さんは狛犬とか?犬耳と尻尾のついた村井さんを想像して思わず笑いが漏れた。需要が無さすぎる。村井さんは神主だな。神様に仕える人だし。巫女服姿の麻上さんも似合うだろうけど、彼女にはやっぱりナース服が似合う。これは口に出したら例えその気がなくともセクハラになりそうなので決して言わないでおくが。一也くんこそ狛犬が似合いそうだ。でも一族的な考え方をすると彼もまた神様側なんだろうなとも思う。そこまで考えて、じゃあ俺はなんだろうと考えた。いや俺は人間なんだけど。なんなら全員人間なんだけど。
思えばKとの付き合いもそれなりになる。あの吹雪の中現れたKはまさに神様と言っても差し支えなかった。ていうかなんであんなところにいたんだろう。やっぱり余所者の挙動が気になってついて来てたんだろうか。まああの時の岡元さん、ギラギラしてたもんなぁ。岡元さんは元気だろうか。元気だろうな。多分今日も元気に犯罪者を追ってるんだろうな。がんばれ、岡元さん。なんでこんなに岡元さんについて考えているんだろう。
「考え事か」
「あ、K」
いつの間にか往診の準備を終わらせたらしいKが隣に立っていた。一方俺は、考え事に熱が入ってしまい手が止まっていたらしい。
「岡元さんのこと考えてました」
「なぜ岡元のことを……?」
「なんででしょうね……?」
なんでだろう。自分でもよくわからない。気がついたら岡元さんのことを考えていた。これが恋か。絶対違うな。
「K、この間の話覚えてます?」
「どの話だ」
「Kが神様だって話」
「……覚えていたのか」
えっ……覚えてない方がよかったのか?後から考えてあの冗談はちょっとぶっ飛び過ぎたな……みたいなこと考えてたのかもしれない。どうしよう、スルーした方がよかったのかもしれない。
「覚えてない方が良かったですかね……?」
「……いや、構わん」
本当かな。でももう話題には出してしまったし、K自身も構わないと言ってるならいいのかな。
「えーっと、Kが神様だって言ってたじゃないですか。だったら村井さんは神主かな、って」
「……神主、か。考えたこともなかったな」
「麻上さんは巫女さんで」
「随分とナース服の似合う巫女だな」
「それで、俺は何になるかなって思って…」
「……富永、お前は……」
Kの言葉が途切れる。真剣に考えてくれてるのかな。狛犬とかいいかもしれない。犬っぽいと言われたことはないけど、案外合ってるかもしれない。そんな事を思って狛犬とかどうですかね?なんて言おうとしたが、Kがあまりにも真剣な顔でこちらを見つめているので思わず息を呑んだ。
「富永」
「はい」
「俺の、嫁になってくれないか」
「嫁に」
いきなり何を言い出すんだこの人は。なにがどうして村井さんが神主で〜、麻上さんは巫女で〜、俺は嫁!!!みたいな流れになるんだ。いやその流れはおかしい。そもそも付き合ってもいないし。
「いきなりすごいこと言い出しましたね」
「嫌か?」
「嫌っていうか、俺たち付き合ったりとかもしてないですよね?」
「付き合ったら結婚してくれるのか」
「だからぁ」
なんか急に全然話が通じなくなってきたな。なぜだ。普段はあんなにすごい人なのに。
「……すまない。人間の恋愛というものはよくわからなくてな」
「ワッすごい神様っぽい」
これも冗談の一種なんだろうか。それにしても嫁。嫁かぁ。なんで嫁なんだ。
「Kは俺のこと嫁にしたいんですか?」
「したい」
したいのかぁ、そっか。じゃあしょうがないか。しょうがないか?
「神様の嫁ってなにするんですか」
「俺の子を産んでほしい」
「わぁダイレクト」
何もかもすっ飛ばしてプロポーズされたと思ったら子作り宣言までされてしまった。この神様は随分と早急に事を進めようとしてくる。
「嫌か」
「嫌ではないですけど……」
思わず答えてしまったが、嫌ではない。嫌ではない?嫌ではないのか?思わず口をついて出た言葉に、我ながら混乱する。だっていままでKの事を夫として見たことなんてないし。当たり前だ。じゃあこれからは?これからKを夫として見ろと言われて、俺はKを夫として見られるのか。そもそも夫ってなんだ。何をもって夫になるんだ。わからなくなってきた。夫がゲシュタルト崩壊する。
「焦がれる相手がいるのか」
「そんな人はいませんけど」
「モエミちゃんはいいのか」
「モエミちゃんは違います」
なんで急にモエミちゃんが出てくるんだ。しかもちゃん付け。なんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。
「えっと……俺、今じゃないですけどいずれは実家を継ぐつもりです」
「ああ」
「Kのことは嫌いとか、そんなんじゃないですけど……だから、この村にずっといる訳ではなくてですね」
「ああ、そうだな」
「ですから、嫁になるのはちょっと」
「理由はそれだけか」
「えっ」
「嫁になったからといってここでずっと暮らさなければならないわけではない」
「別居婚OKなんですか」
「OKだ」
「神様なのに」
「神様だからな」
どうやら神様ならOKらしい。神様って意外と融通きくんだな。
「えっと、でもそれだと俺がこの村に戻ってくるの何十年後とかになりますよ?それでもいいんですか?」
「構わん。神の寿命に比べれば数十年など大したことはない」
「ワッすごい神様っぽい」
Kの神様ムーヴがすごい。ここまで綿密な冗談をずっと練っていたのだろうか。
「神様って、そもそもKって何歳なんです?」
「お前と同じくらいだ」
「あっ成長速度は一緒なんだ」
「ある程度の年齢で外見は変わらなくなるがな」
「神様によくある全盛期の姿で時が止まるやつですね」
いいなぁ、それは便利だ。人間だとどうしても体力って衰えていくもんな。ずっと元気なのは羨ましい。
「いやでも、Kがこのままってことは俺だけ老けていくってことですか!?その状態で嫁にいくのはちょっと……祖父と孫になるのでは……」
「言っていなかったがお前もここで暮らして行くうちにだいぶこちら側に寄っているからな。時の流れは多少緩やかになっているはずだ」
「ただでさえ童顔って言われてるのに……」
あとKが言うには嫁になれば人間ではなくなるので、大体Kと同じくらいの年齢に戻るらしい。これも同じく神様でよくあるやつだ。神様ってすごい。
「懸念事項はそれで全てか」
「えーっと……」
なにか、なにかもっと大事なこともあった気がする。俺は人間だし男だとか、そもそも神様ってなんなんだとか、俺と結婚したいって本気なのかとか、色々あったのに。
「ないなら決まりだな」
なにが?結婚が?たった数分で俺の人生が大きく変わってしまった気がする。どうしてこうなった。
「式はいつ上げるか」
「はぁ……」
ところでこれはどこからどこまでが冗談なんだろう。全部冗談なのか、はたまたひょっとして全て本当のことなのか。いやまさか、こんなに科学も医療も発展した現代でそんな、まさか、まさか……?
どこか嬉しそうな顔でこれからのことを話すKを前にして、俺は何も言えなかった。