「ブラッドパイセン〜」
一日の終わり、あとは持ち帰って書類を片付けるかと帰路についた矢先にイーストセクターのルーキーであるビリーに呼び止められた。
「ビリーか。何の用だ」
「この間のさぁ、DJビームスの秘蔵のボイス、あるデショ?」
「ああ……」
DJビームスとはどうやら我が弟であるフェイスのことらしい。秘蔵のボイスとはきっと、先日両者の朝帰りを注意した時のビリーによる声真似のことだろう。およそ今のフェイスからは発せられることのないような内容だったので、それを聞いて珍しく焦った様子の弟の姿も相まって鮮明に覚えている。
「それなんだけどさぁ……要る? 実は録音してて、それをデータにしてみたんだ〜」
「何っ」
条件反射で出た声にしまったと思ったがあとの祭り。俺の反応が思った通りのものだったのか、ゴーグルの奥に隠された瞳がにやりと細められた気配がした。
「貴重なDJの音声データが入ったメモリスティックが、今ならなんとこのお値段!」
両指で示された金額にこめかみが引き攣る。なかなかの許し難い額だ。しかも本人のものではない偽の音声なのに。
「メンター相手に商売とはいい度胸だ」
「情報屋は何でも商品にできるからね〜。いらないならDJのファンの手に渡るだけだけど」
本人の声ではないものを欲しがる輩などいるのだろうか。だが、兄である俺でも間違うぐらい似ていたのだから赤の他人が聞けば本物との違いなどわからないだろう。
これが世間に出回ったと知れば、フェイスがますます俺を遠ざけるようになることは必至だった。
「既に媒体となっているならば、見過ごして出回せるわけにはいかない」
「じゃあ、どーする?」
「……回収する」
「まいどありぃー!」
自室に戻り、手の中にあるメモリスティックを見ながらため息を吐く。
余計な出費をしてしまった。ビリーはあの調子でエリオス内でも情報を売り歩いているのだろうか。同じヒーローならヒーローの情報などいくらでも手に入る。ましてやプライベートなものならいくらでも外で売れるだろう。今後はよりいっそうビリー・ワイズの動向に注意せねばと決意を新たにした。
しかし、この媒体には本当にあの日の音声が入っているのだろうか。ビリーの胡散臭さも相まり、僅かながら疑問を抱いた。
「……」
疑問が湧けば、晴らさなければ気が済まない。こんな一日の終わり方では明日に支障が出るかもしれない。そんな言い訳じみたことを考えながらパソコンにメモリスティックを突き刺し、現れたファイルを覚悟を決めてクリックする。
『ごめんなさいっ、ゆるして、ブラッドお兄ちゃん!』
「……っ!」
しっかりとあの日の音声が流れたことに目を見開き、慌てて音量を下げる。万が一オスカーにでも聞かれたならきっとややこしいことになるだろう。
「ふぅ……」
思わず色々な意味でのため息が漏れる。こんなあり得もしない弟の言葉に翻弄されるなど、何をやっているんだ俺は。
しかし、幼い頃は確かにあったのだ。俺のことをお兄ちゃんと言って慕ってくれる弟の姿が。
そういえばと思い出し、引き出しの奥に仕舞ってあったものを取り出す。ファンから貰ったそれはどういう意味があるかは分からないが自分のものではなく、フェイスのぬいぐるみだった。いつもは送られてきた自分のヒーローグッズはオスカーに保管してもらっていたが、それを手渡すわけにもいかず、かと言って捨てるのも忍びないので自室に持ち帰ったのだった。
「……」
デフォルメされたそれは普段の顰めっ面をした弟とは似ても似つかなく、お兄ちゃんと発していても別段おかしくはない可愛らしさだ。試しにもう一度ファイルをクリックしてみる。
『ごめんなさいっ、ゆるして、ブラッドお兄ちゃん!』
「……」
ぬいぐるみ越しに聞こえた仮の弟の声に脱力してしまい、思わず布の塊に突っ伏す。
「……何をやっているんだ俺は」
自分でもよく分からない行動をとった自覚はあった。少々疲れているのかもしれない。パソコンの電源を切り、迷った挙句、メモリスティックはフェイスのぬいぐるみと共に引き出しの奥底に仕舞いこむ。その動作だけでどっと疲れに見舞われた。
こんな日は早く休むに限る。たまにはこんな日があっても良いだろうと自分に言い聞かせ、無理矢理弟のことを思考の外に追いやった。