■■ペインターの冬島さん 触れる指先から、繋がる感覚。
驚きに目を見開く、東の瞳が白銀に染め上がるのを見た。艶やかな東の髪先から白銀が広がる。
「ーーーッ!」
瞬間、体内に駆け巡る、何か。
強烈な拒絶。逆流。
世界の色が一気に弾け、冬島はうずくまる東の背を見下ろした。
それまで抱えていた倦怠感が、頭痛が、消えていた。それが意味することは、ひとつ。
(東を染めた? 俺がーーー?)
それが、冬島がペインターとしてはじめて他者を染めた日のことであり。
その日から、冬島は。
キャンバスを恐れるペインターとなった。
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■冬島慎次の場合
冬島慎次はペインターである。
生涯ギャラリーなまま
ペイントバースとは無縁に
過ごしたかった。
発現後の今もなお、
冬島は日々そう思っている。
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某月某日。
冬島がまだギャラリーであった頃。
冬島は東が持ち込んだ要件書一式の書類へ目を通した後、端末に届いた機密データを開いた。
---[事例001]
分類:隊員が隊員をペイント
染度:A:瞳:右80
起因:緊急脱出時の接触
---[事例003]
分類:隊員が隊員をペイント
染度:C:爪:1箇所
起因:個人ブース内の接触
---[事例012]
分類:隊員が一般人をペイント
染度:SS:頭髪100/瞳:左右100/爪:100
起因:登校時、教室での掌の接触
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「ーーー俺が知っていたペイントバースとはだいぶ違うようなんだが?」
「まぁ、三門市ですから」
データに並ぶ数々の事例をザッと眺めた冬島は暫しの沈黙の後、隣に座る東に感想を述べた。
「……もっとこう、奥ゆかしく秘めたるものだったような」
「まぁたしかにあの映画では、純愛の象徴のように描かれていましたよね」
こどもの頃に社会現象レベルで流行った映画があった。クラスのおとなびた女子達がおおいに騒いでいた記憶がある。
以降も名作として舞台やドラマと定期的にどこかしらでなにがしかで暫くと見かけていた。流石の冬島だとて大筋ぐらいは知っている。
その知識から言えば。
「いつからこんなカジュアルに……?」
「そう言われましても」
東はしれっと目を伏せ答えながら、冬島の執務室のコーヒーメーカーから勝手に淹れたマグカップを傾けた。
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世界には"ペイントバース"と呼ばれる、色の"個性"がある。
区分は、みっつ。
自身の色を持つ、ペインター。
その色を受け止め世界を彩り昇華する、キャンバス。
そしてそれらの紡がれる色を鑑賞する、ギャラリー。
この東の島国では"ペイントバース"の発現率は極めて低く。大多数の人々は色の影響を受けず、色がある世界に関わることはなく、過ごしていた。
ーーーそんな東の島国の中で。
近年、その発現率が極めて異例に上昇している、特異な地方都市がひとつ、あった。
世界で唯一の、"異世界"からの"門"が開く都市。
そう、言わずと知れた、
日本国三門市の話である。
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東が言葉を続ける。
「事実として。三門市の10代を中心にペイントバースの発現率が上昇している。対応していくしかないでしょう」
「それはそうなんだか。だがなー……?」
改めて手元の端末で各種のデータを眺め、冬島は前髪を片手でかきあげながら息を吐く。直近の三門市での事例、他国の一般的なペイントバースに関するデータ、えとせとらえとせとら。
冬島が知識として存在を知っていたペイントバースとは。人知れず密やかに、奥ゆかしく慎ましく、そっと限られた想い交わし合う者たちで淡く彩られる世界であったはずだった。
想いが生まれ、色が生まれる。
想いが伝わり、触れ合う指先に淡い色がそっと流れ。
想い合う証に、染め染められる。
爪先が染まり。
瞳色が染まる。
映画の中の二人は、長年諍いがある名家のひとり息子と娘と言う定番極まりない舞台設定の世界で。
ただ一夜の想いを交わした後に、一房と染まる髪が朝陽に揺れる。
隠さなければならない。
周囲に知られてはならない。
染まる色が人目に触れぬよう。
ふたりだけの密やかな色をはたして隠し通せるか、という展開を観客の多くが見守った。
映画の終盤で。
想いが溢れ、決壊する色が。
まるで桜吹雪のように周囲に鮮やかに舞い上がり、世界を染める。
そういったものだと思っていた。ーーーのに。
「……公開告白、羞恥プレイ……?」
「冬島さん、言い方」
飲み終えたマグカップを傍らの机上に置くと東は静かに冬島と視線を合わせた。
「ーーーそれに。恋愛や情欲だけでもないようですよ。三門市で昨今見られる、染め染められ、は」
「以外って何?」
「信頼、友愛。家族愛、と言う事例もあったようですね」
東が指を折り、数えるかのように様々な関係性の例をあげる。
「戦場で、この人になら背中を預けてもいい、と言うような相手もあるでしょう?」
「あ〜なるほど……。いや、でも、それが自分や相手や周囲に色で丸見えになる、ってやっぱ恥ずかしくね?」
「色で視覚化されること自体は個人的にはわかりやすくて良い気もしますが、まぁそうですね。そう言ったいきなりのペイント事故を防いでいけるような体制を作るため、の開発起案書、になります」
「あ〜、そういう」
冬島は手元の書類の束の後半を捲る。空欄のままの体制図開発者名枠。
(まぁそういうことなのだろうとはわかっちゃいたが。毎度コイツは)
出迎えたときから、今日の東は穏やかな笑みを浮かべていた。東は冬島の使い方をよくわかっている。
「冬島さんには擬似的なスキャナーシステムの開発を引き受けていただきたい」
「簡単に言うな〜」
「冬島さんならできるでしょう?」
トリオンと色の流れには関与がありそうだ。
元々トリオンは、人類のコミュニケーションにも多大なる進化を改革を与える代物である。内部通信、自動翻訳。感情や想いを伝えあう「色」とトリオンは近しいものであるのかもしれない。
ペイントバースの発現年齢は10代。20歳を超えると一気に発現率が降下する、と言われている。
(この辺りも、トリオンに似てるっちゃ似てるよなー……)
冬島の脳内でさまざまな引き出しが、箱が開き出す。さまざまな仮説を組み合わせ、外し、組み直し。目指す形を、実現する工程を、新たに手にしたいデータは。
「冬島さんならできますよ」
東は微笑みを深め、言葉を重ねる。その眼差しを冬島は知っていた。引き金を引く前に既に確信をしている狙撃手が眼前にいる。
「……しっかし、このスケジュールはちと鬼じゃね?」
「次回の入隊式から使いたいんですよね。冬島さんならできるかと思いまして」
「言ってくれるな」
「信頼してますから」
「ほざけ」
冬島は息をはいた。
「まぁおまえさんがしたいことはわかった。開発者は俺の名前でいい、好きにしてくれ」
「ありがとうございます。これで、申請ができます」
東が微笑む。
東の黒髪が揺れ、冬島はその揺れるさまを見た。
その艶やかな黒髪が、冬島の白銀の色に染まる瞬間を見る羽目になるとは、このときは思ってもいなかった。
一般的に20歳を超えるとトリオン量は降下する、と言われている。
自分達がそれに該当していない存在であることを、それがもたらす可能性までを考えられていなかったことを。後日冬島は深く悔いることになる。
人は後悔を繰り返し進む存在である。冬島は特にそういった側の人種であった。
対し、東春秋は、
(ここまで)