■■キャンバスな諏訪さん[後編] ※書きかけ 世界には、"ペイントバース"と呼ばれる、色の"個性"がある。
区分は、みっつ。
自身の色を持つ、ペインター。
その色を受け止め世界を彩り昇華する、キャンバス。
そしてそれらの紡がれる色を鑑賞する、ギャラリー。
この東の島国では"ペイントバース"の発現率は極めて低く。大多数の人々は色の影響を受けず、色がある世界に関わることはなく、過ごしていた。
ーーーそんな東の島国の中で。
その発現率が上昇する条件がひとつ、あった。未知の見えない器官から生まれるトリオン。一定のトリオン量を持つ者が集まる場では何故かその発現率が上昇する。
トリオンに乗り“色”が受け渡され、染め染められる。
サイドエフェクトとはまた少し違うらしい。生身での可視化された臨時接続のようなものなのか。今もなお不明な点は多い。
現在存在する機関に対し「旧ボーダー」と今は呼ばれる"その場"でも。時折に"色"が可視化されていたと言う。
色は一定の関係により流れる。信頼、尊敬、親愛、恋情、えとせとら。
互いが互いに心を開いているか。
信頼しているか、頼りに想っているか。
何らかの一定のキーで色は移る。
言葉にできない、思い、葛藤。
言葉にしがたい、感情、思慕。
言葉にしない、信念、こだわり。
それらさまざまなものが、色になる。
揺れる心、紡ぐ心、繋がる"色"が。
人と人の関係を鮮やかに描き出す。
過去から今へ。
昨日から今日へ。
人の想いを乗せて
どこまでも。
今日も世界は鮮やかに
溢れる色に満ちている。
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■木崎レイジの場合
"色"とは"生きている証"である。
人は生きているからこそ
さまざまな感情に溢れ
さまざまな"色"が生まれる。
今は遠い、アリステラ。
ーーーあの地で、
さまざまな感情が混ざり合い
さまざまな"色"が凝縮された
黒々とした"魂の結晶"が
"ブラックトリガー"が生まれた。
軽くて、そして
どこまでも重い。
多くのものを失った。
もう同じ失敗はできない。
次の未来の分岐まで。
ーーー我々は、
備え続けなければならない。
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「なんか、顔色悪くね?」
覗き込む諏訪の黒い前髪がサラリと揺れる。
ーーー冬の季節。
諏訪の手のひらが額にゆるく触れた。
ーー 第一次近界民侵攻 ーー
後にそう呼ばれることになる日を数ヶ月先にと控えた教室で。
木崎は諏訪と向かいあい、ここ最近の欠席でためていた補習プリントの空欄を埋めていた。
プリントに落としていた視線を諏訪に合わせる。
触れた手のひらがあたたかい。
生きている人のぬくもりに、木崎は僅かに瞳を細めた。
「いや、特に何も」
「……そーか?」
諏訪の瞳の色が一瞬何かの色に揺れたような気がした。
脳裏によぎるのは、一面金色にたなびく稲穂。爽やかな風が吹き抜け、人々の穏やかな"日常"が確かにそこにあった。
豊穣の国、アリステラ。
彼の国は、多くを失い
木崎たちも多くを失った。
「それよりも、此処だが」
「あー、それはこっちの……」
木崎は空欄を指し示す。
諏訪は別のプリントに書かれた公式に意識を移し、昼休みのざわめきが流れはじめた。
アリステラ戦後の久々の登校。
前の席が諏訪になっていた。
木崎が休んでいた間に席替えがあったようだ。
あの日、崩れゆくアリステラで。
失った彼らが、彼女たちが。
もう過ごすことができないこの三門市での日々を。
今日も木崎は過ごしている。
何も起こっていない振りをして。何もこの先にも起こらない振りをして。
起こりうる未来の分岐に今は静かに備え続けるしかない、息が詰まりそうにもなる日々の中で。
久々の登校の朝、
木崎に気付いた諏訪は。
笑い、声をかけてきた。
諏訪は笑う。
それまでと変わらない、
普通の三門市の"日常"が。
此処にあった。
「じゃーまた明日な!」
諏訪が軽く手を挙げ、笑う。
三門市の東西に流れる川面に夕陽が反射し、きらめいた。遠くに川の上に立つ建物が見える。
大人達は慌ただしい。
いつも誰かしらがいたリビングは静まり、使わないまま棚に仕舞われる食器ができた。
正直学校に行っている場合かとも思う気持ちもある。しかしそれは大人達が望まない。通える間はせめて。口数がいまだ戻らない迅や小南に対し率先して"日常"を示すのが今の木崎の役割だ。木崎の先を示してくれていた、兄のようだったあの人達はもういない。
「……また、明日」
木崎は諏訪を見る。
今日は諏訪に救われた。
昼休み、放課後と。諏訪のおかげで遅れていた授業の範囲も大体把握はできた。これから先も暫くは休みがちになることもあるだろうが。なんとかなるだろう。いや、なんとかしていくしかない。
今は前に進むしかない。
それが生きる者の務めだ。
黄昏に染まる諏訪の瞳に、不思議と少し。身体が軽くなっているような気がした。
木崎の背を見送る。
長身の彼の背は大きい。
「ん?」
挙げていた手を下ろそうとし、ふと視界に入った指先に諏訪は目を瞬かせた。
爪先に淡く馴染む、黄金色。
「なんだ、これ?」
いつのまに?
いつから?
今日一日の行動をザザッと脳内で振り返るが、心当たるものはない。
(うっかり何処で付けちまったと言うよりは、コレはーーー……)
諏訪は手のひらを夕陽にかざし、その色付いた鮮やかな爪先に目を眇めた。
季節はゆるやかに流れる。
学年が上がり、高2になった。
「諏訪、どうしたの、それ」
「あ〜…、紙で切った?」
花びらが散り終えてすっかりと葉桜が並ぶ校庭をぼんやりと眺めていた諏訪に寺島が話しかける。
「最近多くない?」
「そうでもねぇよ」
寺島は薄い鞄を机に置きながら、いくつかの指先に絆創膏を巻く諏訪に怪訝げな視線を向けた。
しばらくの後、この話題は諏訪は話すが気がないなと判断した寺島は教室後方の不在の席を見る。
「で。木崎は? また休み?」
「昼から登校のおまえが言うのかよ。レイジは先週は来てた」
「おもしろいデータが最近取れるんだな、三門市で。時間は有限だ。学校の授業より興味深い事象があれば、そっちを優先していくもんでしょ」
「は〜? まぁやりたいことしてんならいいけどよ」
木崎は最近また休む頻度が増えた。遅刻早退全休。プリントもまた少したまりつつある。
先日に会ったときは表情が少し堅いように感じた。ここ暫くとずっと。笑う姿を見ていない。元々表情の機微が見えにくい級友ではあったが、クラスの後方で僅かにふと笑うときもある、そんな穏やかなさまがどこか気になる存在だった。
(たいした枚数があるわけじゃーないが……)
小さな言い訳はいくつでも。作り出せるのならば、それに越したものはない。
川の上に立つあの建物は、元々は川の何かを調査する施設だったらしい。
木崎はあまり自分のことを語らない。話す必要がないことであるのか、触れられたくない何かがあるのか。
(どうせ俺にはわからないことや、わかってやれないこともある)
知らないままでも別に構わない。それで諏訪にとっての木崎と言う存在の何が変わるものでもない。
ただそれでも。
思うときがある。
(言葉でも言葉でなくても )
あの時折に見せる。息を詰まらせるかのような、瞬間。
(全部、吐き出してきゃいいのによ)
風が吹き抜ける。
(俺じゃなくとも、俺でも)
どこか遠くで。
空間が小さく軋む音がした。
「悪いね、諏訪くん。レイジは今ちょうど出ちゃった所で」
この建物には大人が何人かいるようだ。木崎とどういった関係性なのかは諏訪にはよくわからない。
「……いえ。じゃあ俺はこれで」
木崎が不在のこともはじめてではない。顔を見たかった気もするが仕方ない。応対に出てくれた顔馴染みになりつつある大人にプリントを預けると、諏訪は軽く頭を下げ踵を返す。
閉まる扉。
受け取った手元のプリントをどこか少し懐かしげに眺め、林藤匠は軽く息をついた。
『ーーー今の彼は?』
階上からの声が落ちる。二階の吹き抜けの廊下には、彼らの"隣人"が佇んでいた。
「レイジの学校の友人だ。最近たまに、届け物に来てくれる」
『なるほど。彼が』
「……? 彼が何か?」
珍しく含みがある言い回しをするクローニンに林藤は何か己が見落としていたかと思う。平均値よりはトリオンがあるコではあるようだが、早急に保護が必要なレベルの値でもなかったはずだ。
『いや……、ミデンにもいいキャンバスがいるものだと思ってね。レイジは何処で色を抜いているのかと、最近思ってた』
手すりに片手をかけ、クローニンは階下の林藤に視線を合わせる。
『彼がレイジの"キャンバス"だね』
「……あぁ? ん?レイジがペインター??」
『あれ。言ってませんでしたっけ?』
「え? いつからだ?」
『こどもは気付いたら。成長していってるものですよね』
肩にかかる長髪をゆるりと揺らし、どこか少しだけ愉しげに。"王家のキャンバス"は久方ぶりの笑みを見せた。
ーーーそうして。
その日が訪れる。
再びの未来への分岐。
もう同じ失敗はできない。
その日、
三門市の空に
異世界への門が開いた。
「我々はこの日のために
ずっと備えてきた」
ーー 第一次近界民侵攻 。
怒涛に過ぎる日々。
それまでの市民の常識は上書きされて。三門市は日常と非日常の境界にある都市となった。
大人達は更に慌ただしく。
そして戦える者達は
日々の防衛任務を
ごく少数の精鋭で回す。
徐々に門誘導の精度も上がり
警戒区域が制定された。
それから更にしばらくの後。
「レイジ!」
久しぶりに登校をした木崎は
「ちょっと久しぶりだな?」
確かに随分と。多くのものを自身の内側に、本人をも無自覚に溜め込んでいたのだろう。
久々の登校の朝。
木崎に気付き
笑い、声をかけてきた諏訪を。
「ーーー諏訪、」
木崎は一瞬で金色に
染め上げたのだった。
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『慣れ親しむキャンバスが居るのなら、筆はそちらに任せようかと思ってね』
「あの時期はいろいろなことにバタバタしてたからなー。確かに思えばレイジ本人に確認も説明もしないままだったわ〜」
「……ペイント、バース?……コレが?」
「あ、俺はたぶんそうなんだろーなとはわかってたんで。想定内っつーか、ボーダーが忙しい時分になんかすんません?」
川の上の建物の。
リビングに並ぶ面々に。
事態の対応を任された忍田は、こめかみを手で押さえ。大きな息を吐き出したい気持ちを我慢した。
マイペースなクローニン。
飄々と答える林藤。
戸惑い困惑の表情を浮かべる木崎。
ーーーそして、もう一人。
黄金の稲穂のように。
黄昏の西日に包まれたように。
髪色を瞳を爪先を
鮮やかに染め上げた
普通高の制服の少年は。
『ちょっと色が深いから。昇華に少し時間がかかるかもしれないね。もしよかったらこの後にキャンバスのコツをいくつか教えてあげようか。どうする少年?』
「あ、いいんスか。助かります、是非」
大層、順応が早く。初対面のカナダ人にも動じない社交性をもあるようではある。が。
「あー……、諏訪くんには……。今回は我々に巻き込んでしまったようで「ちょうど、試してみたい色だったんで?」」
言葉を選びながら話を進めようとした忍田に、諏訪はパッと振り返り、言葉を重ねた。
金色の髪がふわりと揺れる。
「ちょーど、よかったです」
忍田と視線を合わせると。
金色の瞳を細め、諏訪はなんでもないことのように笑い、軽やかに言い切った。
金髪に染めた髪型に咥え煙草のWショットガンを愛用するB級隊長が。ボーダー本部に誕生するのは、これから更にまたしばらくの先のこと。
自由すぎる"キャンバス"が。
キャンバスとしての日常を歩み始めた、その日。
三門の空は高く
どこまでも澄んでいた。
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多くのものを失った。
だからこそ。
世界のカラフルを楽しもう。
世界をカラフルに彩ろう。
過去から今へ。
昨日から今日へ。
人の想いを乗せて
どこまでも。
今日も世界は鮮やかに
溢れる色に満ちている。
※稲穂/黄昏:レイジ(ギャラリー→ペインター)
※無色:クローニン(キャンバス)
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■風間蒼也の場合
風間蒼也の色は、定まらない。
夜明けの空。
早朝の白む空。
高く広がる空。
夕暮れの燃えるような空。
あらゆる空の色を
生み出す、ペインター。
いつも隣には
空を映す"瞳"があった。
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「その"色"を、不思議に思うことはなかった」
風間蒼也は振り返る。
風間蒼也にとって、色が揺れるのは見慣れた日常だった。
ゆらゆらと揺らめくその"瞳"はいつもやさしく蒼也を覗き込み、微笑を湛えていた。
ーーー今ならば、わかる。
どれだけに愛されていたのかを。
本来。ペインターは自身の色を自身で見ることはない。キャンバスを介し、はじめて自分の色を知る。
ペインターやキャンバスの中にも、ごく稀に。他者の色や溜まり具合を平時から感じとれる者もいるらしい。が、少なくとも自身はそのタイプではない、と蒼也はわかっている。
ペインター/キャンバスの発現年齢はほぼ10代。とはいえ若干の例外もある。
発現率が上昇する条件のひとつは、未知の見えない器官から生まれるトリオン。一定のトリオン量を持つ者が近しく集う場では何故かその発現率が上昇する。
風間蒼也のペインターとしての発現は、異例なまでに早かった。
「はやくでておいで。
いっしょにあそぼう?」
ゆらゆらゆらめくゆりかごで。
まどろみながらに過ごした日。
溶けて広がる、ささやく声に。
包まれながら、ゆるやかに。
ヒトのカタチへ、型作られる。
はじまりの記憶は定かではない。気が付いたときには、その瞳にはいつも。蒼也の空の"色"が映し出されていた。
差し出され触れる指先に、小さな手を伸ばす。微笑み、細められる瞳が。ゆるやかに空色を帯びるのを見た。
ペインターだとか、キャンバスだとか。そんな世界の"理(ことわり)"を知る前に。
兄が与えた"キャンバス"に。
幼い弟は自在に"色"を描く。
それが風間蒼也にとっての
日常だった。
風間蒼也は、自身の"キャンバス"を失ったことがある"ペインター"である。
『門(ゲート)発生、門発生。遠征艇が着艇します』
遠征の後は体内に過剰生成した色を溜めている者も多い。
色の生成理由としては、特殊環境下でのストレス、緊張、人によれば戦闘後に残る興奮状態や職務への強い責任感などが、色に凝縮されていると考えるのが妥当か。
今回の遠征先は、特に。
重かった。
色の溜まりはときに心身の不調にも繋がる。ペインター自身にも若干の自己昇華能力はあるものの、キャンバスに頼れるのならばそれに越したことはない。
ーーーーとはいえ。
"キャンバス"もさまざまだ。
『おや、今回も。なかなかに見事に溜まっているね、お疲れ様』
遠征帰還メンバーのメディカルチェックの場に顔を見せた"キャンバス"は、風間を視界に入れ愉しげに目を細めた。
『溢れる前に自分の"キャンバス"の元へお帰り、寄り道はせずにね』
そう風間に声を掛けながら一歩下がり距離を取る。
玉狛の技術者であるクローニンは近界にいた頃からキャンバスとして主家に仕えていたときく。
彼が風間の色に触れることはない。
そのまま彼はゆるりと視線を巡らせると目当ての色の筋を見つけたようだ。静かな笑みを浮かべ迷いない足取りで見定めた方向へと歩き去っていった。
人はその"色"に
染まるか否か
渡すか否かを
個々の意思で選択している。
……らしい。
生まれながらな風間には
その感覚はわかるようで
いまだよくわからない感覚だ。
恋愛やらと近しく同義に考える者もいれば、カウンセラーのような職務や主従の儀の延長であるかのような者もいる。
特定の相手にのみ染まることを選ぶ者、独自の基準を持ち相手を選ぶ者。個人の嗜好や常識によりキャンバスもまさに、十人十色。
風間にとって
"キャンバス"とは何か。
そして、
(ーーー諏訪、は)
風間が知る"自由すぎるキャンバス"である諏訪にとって。
"ペインター"とは、何か。
その答えに触れぬまま
風間は今日も帰路につく。
遠征から帰る、夜は。
ひどく記憶が曖昧だ。
外階段を響かせ上がると
開かれた扉に出迎えられる。
「………諏訪、」
視線が絡み、差し出される手。
ゆるやかに細められる瞳が
空色を帯びる。
何か声を返されたような気もしたが、その音は脳内にただ広がり四散した。
世界に溶けるかのような感覚に包まれる。手を滑らせる。毛先から広がる空の色。伏せられた瞼の下の瞳へも深く静かに色は流れる。
ゆらゆらゆらめく
まどろみの中で。
心地よく時折に聴こえる声に。
ああ、戻ってきたのだと。
色が溢れる。
ーーーこの世界に、この街に。
自分の色が再びと染みわたる、
たしかなまんぞく。
あたえられるキャンバスに
ただ、えがく、空の色。
溢れ零れる色もすべて。
惹き寄せられる、
眼前の"キャンバス"へ。
………そうして。
ヒトのカタチに戻るのが
風間蒼也のここ近年の
常だった。
差し込む陽に朝を知る。
遠征からの翌朝に。諏訪の部屋で目覚めると、いつも。
空の"瞳"の諏訪がいる。
その日常がいつまで繰り返されるのかもわからぬままに。今日も風間は諏訪の"瞳"で、自身の色を知るのであった。
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あらゆる空の色を
生み出す、ペインターである
風間蒼也の色は、定まらない。
風間蒼也は、自身の"キャンバス"を失ったことがある"ペインター"であるが、
その隣には、今も。
空を映す"瞳"があった。
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※空色:風間蒼也(ペインター)
※無色:風間進(キャンバス)
※白銀:冬島(ペインター)
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■諏訪洸太郎の場合
諏訪洸太郎は"キャンバス"である。
異世界の門が開いたあの日。
無数の"色"が空に昇るのを視た。
次々と失われゆく命。
三門市、第一次近界民侵攻。
三門の空に。
"色"が弾け、消えていく。
伸ばした掌は、ただ空を掴み。
消えゆく色を、ただ見上げた。
残されたのはーーー……
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(ここまで)