気づけば既に赤満ちる。俺は美人が好きだ。
とかく品があって家庭的で包容力もあって思わず守ってやりたくなる儚さもあって強いて言えば胸の大きな女であれば確実にストライクバッターアウト間違いナシ。
とこのつまり別れた女房はまさに理想だったわけで…。
ささやかな幸せ溢れた1LDKは今となっては1人虚しい男やもめである。俺の不甲斐なさが招いた罰のような光景にはため息も売り尽くした。
この事で落ち込んでいると大概"別の出会いがある"と慰められたりはするのだが、今は女を作る気はない。
元女房…美智子が良い女すぎて忘れられないというのもあるが、渡世に生きる人間にとって"一般的な幸せ"と言うのがどれほどのハードルの高さか厭でも思い知らされたからだ。
(好いた女をわざわざ危険に晒す趣味もねぇしな)
「はぁ…」
完売御礼申し上げたはずのため息が紫煙と共に雲散する。
ベランダに吹く風は凛とした涼しさの中に秋の香りがし、落ちる空の色は夏よりも鮮やかだ。
そしてこのため息は再販などではなく、全くの新色である。
「……」
今は女を作る気はない。
それは間違いなく。
だが悲しいかな、“惚れ”と言うのはいつでも意に反してやってきやがる。
“困知勉行、諦めの悪い凡人が積み重ねた今 それが俺だ”
泰然自若を絵に描いたような男が見せた、激しい情念に染まった目。
見た瞬間心臓が大きく脈打ち、血が全身に走る感覚がした。
「…チッ」
最近はあの時の光景が頼んでもいないのに脳裏に再生される。
正直な話、仮にアイツに勝てたとて、生きていられたかどうか自信はない。なんせ自分でも立ってられたのが不思議なほど、随所の傷は深かった。意地だけで意識を保っていた己のしぶとさには苦笑せざるを得ない。
それだけアイツは強かった。認めたくはねぇが剣技は俺を凌駕してやがった。無駄のない精錬された動きがアイツの言う積み重ねの結晶なのだと理解できる。…途端、エリートだなんだと突っかかっていた自分に辟易した。血反吐撒き散らしながらここまで来たのは俺もアイツも変わらねぇじゃねぇか…。おまけに借りまで作っちまって、次会う時どんな顔すりゃいいんだ…。
次会う時。
そう当然の如く、また会う気満々だった。
もちろん借りを返したいと言う建前はあるが…、なるべく戦場じゃないとありがたい。
(言いてぇことが山ほどある…)
ヤニを大きくひと吸いし、ゆっくり吐き出す。
煙はあてもなく空に流れてゆく。
白い病室で意識を戻したあの時、軋む身体で最初に赤色を探した気がする。
その後もなにかと赤が目に入る。目に止まる。
今だってここから見渡せる範囲を縦横無尽に己の視線が駆け回っていることに気がつき、罰の悪さにヤニをもう一口。
はてさて俺の意識はあの夜の路地に置き去りのままなのだろうか。むしろ無意識にさえ侵食している気もする。いやここまで来たら欲求の類いだろうか。
瞼の裏に時折浮かぶ金糸の髪と白い肌と赤く燃える瞳が酷く美しく、触れてみたいだとか、噛み殺してみたいだとか、じっくり眺めてみたいだとか、澄ました面をグズグズにしてみたいだとか、
そんな馬鹿みたいなことばかり考えている。
一目惚れの高揚とは違った、…じわじわと侵食するような熱の広がりにこいつは根が深そうだと他人事の様に感じた。
溶け出した夕日は、既に青空を真っ赤に染めている。
ああそうだ、気がついた時にはいつだって遅ぇんだ。
俺は美人が好きだ。
テメェみてぇな厳つい野郎なんざお呼びじゃねぇんだ。
そのはずだ…そのはずだった。
だが俺はテメェに心底惚れちまったらしいぜ。
ムカつくし不本意この上ないがな。
深いため息をひとつ吐き、ギリギリまで短くなった煙草を灰皿に押し当てベランダをあとにする。
こんな気怠い気分も新調した白い一丁羅を羽織れば、多少マシになるからありがたい。
どうせ今夜もあの鮮やかな赤を捕らえに極彩ひしめく夜の雑多に向かうのだから。