▼なにが夢でどれが夢じゃないの?
今までの話で、とにかく夢は適応範囲が広く、細分化され、活動する場所や時代によってもその形態を変えていることがなんとなくわかったと思う。
そんな中で、「じゃあ結局どんな創作が夢なの?」「私が描いてるものって、もしかして夢なのかも?」という疑問がわくかもしれない。
夢創作に触れていない人とお話をしたときに、「どんなのが夢なの?」と聞かれて説明しても「????」となる場合が多かったし、再三言っているがその定義は人によって異なる。
例として今まで私が見聞きした「夢創作」の定義に関するものを挙げてみよう。
・名前変換できないのは「夢小説」じゃない
・夢小説は自己投影を前提としたものだから、自己投影出来るよう配慮されていないものは夢小説とは言えない
・夢小説は異性恋愛ものしか認めない
・夢主が固定キャラの場合は夢ではなく二次オリ
・夢絵でも夢主のビジュアルが描かれているものは夢創作じゃない
・モブやモブおじさんを用いた二次創作を描いているが、もしかしてコレは夢なのか?
などなど人によって定義は本当に沢山あります。ぶっちゃけこうなっているのはそれぞれの創作に「夢」以外のラベリングがないことが問題だと思うんですが…。
名前変換出来るものこそが「夢小説」で、それ以外は違うという主張をする人の気持ちはわからなくもないです。それが元来「夢小説」と言われていたもので、以後産まれた夢絵とかネームレス夢小説とかはそこから派生した別物と言えなくもないでしょう。
名前変換が無いものは夢小説じゃない、っていうのは条件としてわかりやすいので今後区別するとしたらそうでないものをラベリングすることは比較的簡単だと思うんですが、「自己投影しやすいよう配慮されていないものは夢小説じゃない」はあまりにも読者側のイチャモンすぎませんか?だって、個人個人がどんな内容であれば自己投影しやすいかなんてそれこそ一律で決められる訳ないですよね。
これは「夢絵で夢主のビジュアルがあるものは夢創作じゃない」もそうで、完全に夢主の姿が絶対に映らないものしか駄目とか、手だけは許すとか、白ハゲなら許すとか、目が描かれてなければいいとか…そう主張する人の中でもそのボーダーラインは異なります。
小説でも、名前変換があったとしても夢主の職業が決まっている場合もあるし、どんな家に住んでるとか、髪が長いとか短いとか、どんな服装をするだとか、物語上そういった何気ない夢主の情報が挟まることがあって、それをどこまではセーフとかアウトとか決められるわけがないし、どこからがそれは二次オリでしょというのも難しい。
読者を楽しませなければ夢とは言えない、なんて趣味でやっている創作に対してあまりにもすぎる…。と私なんかは思ってしまいます。
名前変換に関しても、夢の歴史内でも挙げたように今は夢主の名前を絵文字で表記したり、そもそも名前を表記しないネームレス夢創作が溢れている。ピクシブでは名前変換機能が追加されたりもしたが、その機能を使っていない夢作品も非常に多い。実は私自体も、昔から名前変換を使わずにデフォルテ設定の「苗字 名前」とかで読むことが多かったし、変換せずに読むと言っている人も結構見かけるような気がします。