鷹が交わすは赤い羽羽繕いは命の次に大事なものと心得よ。有翼族の邑に生まれた者は例外なく、その教えを叩き込まれて育つ。危険が差し迫ったとき、空へと飛び立てば大抵のこと——主に人族の魔の手——からは逃げられるというのが主な理由だ。
兵力として。労働力として。慰み者として。あるいは、明らかに異なる見目をしているものへの嫌悪感。もしくは、自分達とは違う宗教が根差している集団の排除。動機は何であれ、人族による半獣人の奴隷狩りや迫害は、大陸全土で蔓延っている。特に半獣人の中でも数が少ない有翼族は、人族の間で珍獣扱いを受けており、高値で取引されることから密猟者が後を絶たない。そのため、命綱に等しい羽は、常にベストコンディションを維持する必要がある。親の手を借りずに、自分一人で羽の手入れができるようになって初めて、邑の外に出ること、通称「巣立ち」が認められるくらいに、羽繕いは重要なものとして位置づけられている。
そんな大事なメンテナンスを、ホークスが旦那に任せるようになって一年は経つ。羽も毛も持たぬ人族の手入れなんぞ当てにならないと鼻白んでいたのも昔の話。今や、燈矢の腕前はすっかり上達しており、痛くはないけれど丁寧に解されていることが伝わってくる絶妙な力加減のブラッシングをされると、寝る前の時間帯かつベッドの上ということもあって、ホークスはつい舟を漕ぎそうになってしまう。
だから、眠気覚ましに、その日あった出来事を雑談交じりに報告するようにしていた。口を動かしていれば、多少は睡魔を追い払える。寝落ち防止が目的なので、聞き手のリアクションには端から期待していない。実際、返ってくる相槌と言えば「へぇ」だの「ふぅん」だの、気の抜けるようなものが大半を占める。けれど、全て聞き流していると思いきや、後日燈矢の方から「お前が前に話してたやつだが」と話を掘り返してくることが度々あるので、ホークスのお喋りにもそれなりに耳を傾けているらしかった。相手が自分の何気ない一言を覚えてくれている。それ自体は純粋に嬉しいのだが、同時に迂闊な発言をするとそっくりそのまま言質になってしまうことを意味するので、素直に喜べないのが悩ましいところである。
とは言え、羽繕いの間はホークスが一方的にまくし立てることが殆どで、「そう言えば、知ってたか?」と翼越しに話を切り出されるのは珍しいことだった。
「最近、城下町の教会で、サムシングレッドとやらが流行ってるらしいぜ」
「さむしんぐれっど?」
聞き慣れぬ単語にホークスは聞き返す。サムシングレッドという響きも、それが城下町で流行しているという話も、初耳である。少なくとも、半獣人の文化の中には該当するものがない。
レッドとは、人族で赤色を示す言葉だ。服やアクセサリーに赤を取り込むのがトレンドになっているということだろうか。それとも辛い食べ物が街でブームになっているんだろうか。仁か迫に頼めば、買ってきてもらえるものなのだろうか。しかし、燈矢は教会と言っていた。確か、この国では教会が商いに精を出すのはご法度ではなかったか。ならば、サムシングレッドとは、神の教えの類だろうか。
翼からブラシの感触が離れていく。どうやら、本日の羽繕いは終了したようだ。「何ね、それ?」と後ろを振り返れば、冷え切ったターコイズブルーとバッチリ目が合った。思わず何も見なかったことにしようと視線を前に戻したら、即座に「話し相手に翼を見せるのが、有翼族の流儀か?」という嫌みが飛んでくる。かなりご立腹ならしい。こうなった燈矢を相手取るときは、下手に反発したり挑発したりするより、大人しく従うのが一番賢い選択だと経験則で知っている。ホークスは体ごと向きを変えていそいそと居住まいを正した。久しぶりの正座だが、ふかふかのベッドの上なので足が痺れることもあるまい。
「釈明があるなら、聞くだけ聞いてやるよ」
「釈明って何の?」
「すっとぼけんな。お前の羽が城下町で出回ってることへの説明に決まってんだろ」
決まってるも何も、この件に関しては初めて耳にすることばかりで、まだ理解が追いついていないのだけれど。相も変わらず、横柄な態度の旦那に溜息を零すホークスは、与えられた情報の断片から状況を把握しようと頭の中で燈矢の言葉を復唱し、そしてそれが突拍子もない内容であることに漸く気がついた。
「俺の羽が城下町で出回っとーとなして」
「こっちが訊いてんだよ。質問をオウム返しにするんじゃねぇ」
「えぇ?知らん知らん。怖か~。ねぇ、それ、本当に俺の羽なの?」
「そんな真っ赤な羽、お前以外にいねぇだろ」
「他の鳥の羽を染めたのかも」
「残念ながら、サイズからして有翼族の可能性が高い」
「帝国で有翼族となると、十中八九、俺か。……っていうか、大きさまで正確に把握してるなんて実物でも見たの?」
「迫と仁がな」
常日頃、ホークスの羽を間近で眺める機会が多い二人がそう断言するのだ。下町で出回っている赤くて大きな羽とやらの出所は、やはり自分なのだろう。
しかし、謎は残る。何故なら、翼から抜け落ちたホークスの羽は、それはもう厳しく管理されているからだ。
半獣人の排斥が他国より一際激しい帝国の上流階級の間で、赤い羽はホークスの代名詞となっている。ホークス以外の半獣人が、貴族の集まる場に乱入することなどまず起こり得ないので、そういう流れになるのは至極真っ当だと思う。
問題は、いくら王妃という立場であろうと、ホークスが半獣人である限り、この国で行われる裁判にかけられたら勝ち目はない、という点だ。嫌疑を向けられた時点で即アウト。
例えば、誰かに毒が盛られたとして。例えばどこぞの家の家宝が盗まれたとして。その現場に赤い羽が一枚落ちていれば、ホークスが犯人という見解で満場一致してしまうのである。明らかにホークスに濡れ衣を着せようとしていることが分かる状況であっても、ホークスには犯行が不可能であったことを示す確固たるアリバイを証明できなければ、容疑者扱いで牢屋送りは免れないだろう。そして、一度半獣人が帝国の監獄に入ってしまうと、無罪放免で身柄が解放される望みは絶望的に薄い。何せ、お咎め無しと言い渡すことは、半獣人に対して帝国の捜査が誤っていたと認めることを意味する。プライドの高い帝国人が己に非があったと半獣人に頭を下げるとは到底思えない。西から昇る太陽を観測する方がまだ現実的である。
こんな調子で、ただでさえ種族の違いにより劣勢を強いられているというのに、旦那様の人望の無さがさらなる拍車をかけた。燈矢の失脚を目論む政敵からすれば、ホークスは体のいい口実として機能する——ガードが堅い白蛇本人相手に粗さがしを挑むより、帝国の伝統や式例に疎いホークスの揚げ足取りに勤しんだ方がよっぽど勝ち目があるからだ。要は、伴侶がやらかした失態の責任をそっくりそのまま燈矢に押し付けようという算段である。ホークス自身が敵意を向けられるより、嫌われ者の旦那様のとばっちりを受ける方が格段に多いことについては、一年以上の夫婦生活を経て諦めの域に達した。
とはいえ、売られた喧嘩は高値でお買い上げする主義を掲げるホークスでも、流石に与り知らぬところで起こった事件の犯人に仕立て上げられる茶番にまでは一々付き合っていられないし、そのまま無実の罪を着せられるなど真っ平御免だ。李下に冠を正さずとは先人の教え。つけ入る隙を与えてやらないのが最善策だ。
そういう訳で、離宮の中で抜け落ちた羽に関しては、侍女達が掃除の際に全て回収し、庭師が剪定した枝や落ち葉、もしくは機密性の高い文書などと共に焼却処分するよう、徹底されている。外部に持ち出されれば、一体どんな風に悪用されるか。そもそも自然に抜け落ちたとはいえ、自分の体の一部である。見知らぬ人間の手に渡るのは気持ちのいいものではない。人族に当てはめるならば、髪の毛や爪を勝手に収集される感覚に近いだろう。自分の羽がせっせと焼却炉に投げ込まれることに対して思う所がないわけではないけれど、背に腹は代えられない。
儀礼や夜会などに招待され、離宮の外に出ることも稀にあるが、その時は出発前に抜けかけている羽を全て落とし、残ったものには固定剤代わりのヘアワックスを丹念に塗り込み、その上で翼を微動だにさせぬよう終始気を張っている。羽のことを気にかけていられないほど切羽詰まっていたのは、クーデターを未然に防ぐために奔走したときか、連絡係として戦場を飛び回っていたときくらいだ。
つまり、城下町の教会がホークスの羽を所有するという事態は、本来発生するはずがないのである。
「そもそも、俺が教会に行ったのなんて、誓約書を提出したときだけだよね?」
この国に嫁ぎに来て二日目のこと。帝国において、二人の男女が他人から夫婦になるには、教会が発行する誓約書にサインしなければならず、その手続きをするためにホークスは城下町の教会へと連れ出された。
通常、愛を誓い合った新郎新婦は招待客に祝福され、そのまま披露宴という流れになるらしいが、いかんせん、政敵だらけの廃太子と人に非ずと認識されている半獣人の政略結婚である。当然ながら参列者は一人もおらず、書類の受理が完了するなり、早々と離宮に引き返した。三十分にも満たない滞在時間のためだけに、着替えや化粧に一時間以上もかけたことに対しては、未だに帝国人のタイパはおかしいと思っているし、ついでに白状するなら、一から仕立ててもらったにも関わらず、二度と翼を通すことのないウェディングドレスについても、コスパ悪かぁと思っている。
ホークスと教会の接点はその日だけ。そして、あの頃は、半獣人だからという理由で無罪の罪に問われる可能性がどれくらい高まるのか、何より自分の旦那がどれほど爪弾きにされているのかを正しく理解できていなかった分、脇が甘かったことは否めない。落とし物をしたとすればこの時だろう。
ところが、燈矢曰く「羽の艶加減からして、俺が羽繕いをするようになってからだろうっていうのが迫の見立てだ」である。迫の目利きは本物だ。彼がそう判断したなら、ほぼ間違いなくそれが真実だろう。しかし、今度は時系列に矛盾が生じる。燈矢に羽の手入れを任せるようになったのは、法的な夫婦になって暫く経ってから。毎晩椿油で丁寧に保湿された赤い羽を、教会が懐に入れる機会などどこにもなかったはずだ。
加えて、教会の狙いを読めないのが厄介だ。いっそのこと、ホークスを陥れるための小道具としてさっさと使ってくれた方が分かりやすくて助かるのだけれど。
「人の羽に『サムシングレッド』なんて仰々しい名前までつけて、一体何を企んでるんだろうね?」
「まぁ、悪用はされねぇだろ。どうせサムシングブルーの捩りだ」
またまた生まれて初めて耳にする単語のご登場だ。「青色のパターンもあるの?でも、それだと俺の羽じゃないよね。誰が見ても、これは赤色でしょ?」と燈矢に尋ねれば、信じられないものを見たような顔をされた。
「ウェディングドレスを着たときにつけたやつに決まってんだろ」
「……何ん話ばしよーと?」
「この文脈で、サムシングブルー以外に何があるんだよ」
「サムシングブルーってアクセサリーか何かなの?」
確かに、式典に出席する際、ホークスは寒色系のアクセサリーを身につけることが多い。パートナーのイメージカラーを纏うというのが帝国の文化なようで、それに則ると、自ずと青色に行き着くのである。
けれど、花嫁だけは例外だったはずだ。何でも、花嫁はウェディングドレスを筆頭に、純白で統一するのが習わしなんだとか。式を挙げるならば形だけでも帝国の国教に入信する必要があるらしく、ホークスを洗礼盤に案内した助祭に、翼を白のペンキで塗ってみたらどうだと喧嘩を売られたのでよく覚えている。だから、あの日のホークスは間違いなく青色の装身具は一つもつけていなかった。
ホークスがそう主張すると、燈矢は頭を抱えた。この男の伴侶になって、それなりの年月が経つ。それこそ、新婚とは言えないくらいの、言い換えるならば、今自分達の間で何が起こったのかを察するには十分な年月だ。燈矢がこういう反応を見せるとき——それはカルチャーショックが発生した合図に他ならない。
「お前さ、人生で一回くらい、サムシングフォーって言葉を聞いたことあるよな?」
「今度は色じゃなくて数字?そのサムシングシリーズって全部でいくつあるわけ?」
「フォーっつってんだから、四つに決まってんだろうが。何でうちの国で式を挙げた花嫁が、サムシングフォーを知らねぇんだ」
「そうやって自分の常識を過信するのは良くないと思いま~す!」
どうも話が噛み合わないと思ったら、掛け違えたボタンは一つ目だったらしい。何とも滑稽な話である。
はてさて、帝国には、結婚式で身につけると幸せになれるという花嫁必須のキーアイテムが存在するそうだ。サムシングから始まるそれらは全部で四つあり、貴賎を問わず広く信じられているこのジンクスを、総じてサムシングフォーと呼ぶ。そして、ラッキーアイテムのうちの一つが、件のサムシングブルー、つまり、何かしらの青い装身具というわけである。
「運命の糸は赤、花嫁は白、そして花嫁を幸せにするのは青……帝国人の色彩感覚って忙しなかね。あれ?でも、偽装結婚のことを『白い結婚』って呼ぶんじゃなかったっけ?花嫁に偽装のイメージを纏わせるのはどうなの?」
「『結婚』につく方の白は『空白』、花嫁の白は『純潔』って意味なんだよ」
「同じ色なんだから、意味を統一してほしか〜」
知識としては覚えられても、帝国人の色彩感覚を直感で理解する域には一生到達できない気がする。そもそもだ。花嫁は白一色が好ましいとされるしきたりと、青色のアクセサリーを身につけるというジンクスはどう考えても矛盾している。どうやって両立させるというのか。
「周りから見えるガワの部分だけ白けりゃいい」
「その基準だと、ドレスもベールもグローブもイヤリングもネックレスも靴もブーケもアウトでは?」
パニエならば人目に触れることはないだろうが、濃い青色だと白のドレスの生地では透けてしまうかもしれない。貴族であれば分厚い生地をふんだんに使えるからそのような心配とは無縁だが、平民の懐事情では難しいだろう。髪色は白のベールで覆い、半獣人相手とはいえ、体の一部である羽ですら白で塗るようにまで言われたことを加味すると、帝国人がウェディングドレスの純白に水をさすリスクを冒すとは考えにくい。
「ガーターベルトに青いリボンをつけるのが定番なんだよ」
「ガーター……靴下がズレ落ちるのを防止する輪っかだっけ?」
「そう説明されると途端に色気が掻き消えるな」
「でも、ガーターベルトってドレスで隠れちゃうでしょ?本当に青いリボンをつけてるかどうかなんて、分かりっこなくない?」
「ガータートスのときに分かる」
「名前から察するに、ガーターベルトを投げるってこと?」
意味不明すぎやしないか。結婚式で下着を投げる光景を思い浮かべる。何ともシュールだ。お祝いの場にこれっぽっちもふさわしくない気がするのは、自分が半獣人の文化で生まれ育ったからだろうか。
困惑するホークスに、燈矢は「実演してやるから、そのセイザってやつ、崩せ」と命じた。言われた通りに足を伸ばして座り直すと、次の瞬間には右の足首を掴まれる。ひょいと持ち上げられれば、その反動で上半身がシーツに沈んだ。翼の付け根が痛くないのは、高級ベッドのおかげだ。右足を燈矢の肩の上に固定されれば、ネグリジェの裾が捲り上がり、上腿はおろか、ショーツまで丸見えになっている。そこでホークスはようやっと気が付いた——結婚式当日、青いリボンを巻いたガーターベルトは花嫁の足に装着されているはずで、それを投げるためには、まず脱ぐ必要がある、という当たり前のことに。
ホークスの右の大腿を、長い指がグルリと輪を描くようになぞる。ここにガーターベルトを着けていると仮定して、という意味だろう。
「ガータートスってのは、花婿が花嫁のガーターベルトを脱がせて、それを未婚男性に放り投げるっていう余興だ」
「男性に投げるの?女性用のガーターベルトを貰っても、使い道ないでしょ?」
「受け取った奴が、次の幸せな新郎っていう縁起物だ。実用性は求めてねぇ。持ってるだけでいいんだよ」
「というか、脱がせるって、公衆の面前で?帝国人男性って女性には貞淑を求める癖に、結婚式で妻を辱めるのはありなわけ?」
「このネグリジェは膝下までしかねぇが、ドレスの丈だと足元まであるだろ。そこに花婿が潜り込むんだよ」
確かにパニエで広がったドレスなら、人間一人くらい隠せられるだろう、と納得しかけたところで、燈矢の吐息が太腿に掠り、「ん、」と甘い声が漏れる。そりゃ、ドレスの中に入り込まれれば、相手の髪や鼻息が足に当たるだろうけれど、何もそんなところまで忠実に再現しなくてもいいんじゃないか——というよりも。
「あ、あの」
「ん?」
「顔がやけに近いかなぁ~って思ったりするんですが……」
ガーターベルトを解くだけなのだから、寄せるのは顔ではなく手のはず。暗にそう指摘すれば、燈矢は「あぁ!言い忘れるところだった」と白々しく宣った。
「ガータートスにはルールがあってな?手を使うのはご法度だ」
「えっ、じゃあ、どげんして脱がすと?」
「口で」
「…………はい?」
「だから、口で」
空耳かと思ったが、どうやらホークスの耳は正常に動いていたらしい。けれど、旦那の言葉が何を意味するのか、全く分からない。「噛み千切るとか……?いや、牙狼族ならともかく、人族の犬歯じゃ無理だよね?」と大真面目に尋ねると、「何でお前は一々色気のねぇ方に物事を捉えるんだよ」と哀れみの目を向けられた。支離滅裂なことを言っているのは燈矢だというのに、理不尽だ。
「足先までずらしていくんだよ」
「手を使わずに?」
「そう」
「口だけで?」
「そう」
好奇心のままに「どうやって?」と口を滑らせたのが失態だった。「ガーターベルトと足の間に舌を入れて」という淡々とした語り口とは対照的に、舌先が内腿を丹念に這い回ってくる。飴でも舐るように、執拗に、ねっとりと。予想外の展開にホークスの全身が硬直するのもお構いなしに、講義は尚も続く。「浮いたガーターベルトを歯で軽く噛むだろ」今度は歯先が肌を掠めていく。熱い吐息がかかる箇所に、否が応でも意識が持っていかれる。「あとは、レースを破いちまわねぇよう、慎重に下ろすだけ」女の自分とは違う、少しかさついた指先が、肢から膝裏と脛を通り、踝までなぞったところで、下敷きになっている羽がブワリと逆立った。
「もういい!分かった!十分、分かったから!どうもありがとう」
「遠慮すんなって。お前の下着ってどこにしまってあるんだっけ。……侍女に聞けば分かるか」
「そげんことで呼ばんで良か」
青色の瞳がガーターベルトの在処を求めて、ホークスから外れた一瞬の隙を見逃さず、拘束されていた右足を思いっきり振り払って仰向けの姿勢から抜け出す。再び正座に座り直して、足をネグリジェの裾の中にしまい込めば、もう悪さはできまい。物言いたげな青色の視線は無視一択だ。ゴホンとわざとらしく咳払いして、気を取り直す。
「これを帝国人は人前でするの?よくそれで、俺のこと、背中の開いたドレスは下品だとか非難できたね?」
「ガータートスは平民の文化だ。貴族が人前でこんな出し物をやるわけねぇだろ」
「じゃあ、何で今やった」
「貴族流の確かめ方がこれなんだよ」
帝国の上流階級では、とにかく世継ぎの確保が最重要課題となる。そのため、式を挙げた夜から子作りに励むのが通例で、結婚初夜を盛り上げるための演出として、平民の間で人気だった余興がアレンジされて広まったのだとか。
まず、招待客の前ではなく、式の後、二人きりのベッドの上で。新婦が身につけているガーターベルトに青色のリボンが巻かれているかを確認するのは旦那のみ。当然、夫婦の寝室に未婚男性はいないので、投げるプロセスは省略。オリジナルに準拠しているのは、手を使わずに口でガーターベルトを脱がせるという作法だけ。未婚男性に幸せをお裾分けするはずのイベントが、跡形もなく消え去ってしまっている。本末転倒もいいところだ。
ガータートスの話題を一刻でも早く有耶無耶にするべく、ホークスは「えぇっと、つまりさ」と強引に話を本筋に戻した。
「今やったのが本家本元のサムシングブルーとそれに関連するイベントで、教会主導の下、これの代わりにサムシングレッドを身につけるのが城下町で流行ってて、その正体が何と俺の羽で、お前が問題視してるのは、俺の羽の入手経路が分からないことって理解で合ってるよね?」
「あぁ。それで、何か心当たりは?」
「これっぽっちも」
どこから自分の羽が降って湧いて出たのかは依然として謎のまま。そもそも、帝国に嫁いでからのホークスの生活は、ほとんど燈矢の管理下にある離宮内で完結している。稀に外出することがあっても、隣には必ず旦那様がいるわけで、この男に思い当たる節がないのであれば、ホークスにだってあるわけがないのである。
加えて、今回の件に関しては、羽を使った濡れ衣を着せられる可能性は低いという見解が、ホークスを安心させた。ガータートスはさておき、サムシングブルーそのものは花嫁の幸せを願うジンクスであり、その代用として使われているというのであれば、悪い気はしない。寧ろ、光栄なことだと思う。何がきっかけで、青から赤への大転換が起こったのかは、やはり気になるけれども。
「ちなみになんだけどさ、他の三つのジンクスはどういうものなの?」
「まずはサムシングオールドだろ。意味は『何か一つ古いもの』。長年重宝されてきたものを身につけて、先祖代々からの幸福がこれからも続きますようにっていうゲン担ぎだ。花嫁の一族で受け継がれてきたアクセサリーが多い。次が、サムシングニューで、新しい門出を祝うために『何か一つ新しいもの』を用意する。新調したものなら、靴でも下着でも何でもいい」
「俺の場合、ドレスもベールもグローブも全部一から仕立ててくれたんでしょ?じゃあ、知らない間にサムシングニューは達成してたんだ」
「お前の足に彫ってあるやつ、有翼族の間で受け継がれてる紋様なんだろ。それでサムシングオールドも満たしてる」
「え、刺青もありなの?割と判定ガバガバだね?」
「こんなもんは辻褄が合えばいいんだよ。で、最後がサムシングボロード。円満な夫婦仲の既婚者から『何か一つ借りたもの』を身につけて、その幸せにあやかるってジンクスだ」
「……何か一つ、借りたもの」
サムシングボロードという音の響きは、確かに今、初めて耳にしたはずなのに。実際、サムシングブルーもサムシングオールドもサムシングニューも、初めて知った単語なのに。
なのに、何故か、「何か一つ、借りたもの」という説明に既視感を抱かずにはいられない。どこで聞いたんだっけ、と必死に記憶を手繰り寄せる。そう、あれは、可愛らしい声で「ホーちゃん」と呼ばれて、それで——。
——帝国一番のオシドリ夫婦から借りたものなら、幸せな結婚になること間違いなしです!
「あ、」
「……『あ、』?」
合点がいったと同時に漏れた感嘆詞を、この男が聞き逃す筈もなく。咄嗟に手で口を覆うも時すでに遅し。「さて、何を思い出したか、教えてもらおうか?」と弧を描く目は、まさに獲物を見定めた蛇そのものだ。
「あのですね、サムシングブルーじゃなかったんですよ」
「……」
「俺の羽、元はサムシングボロードでした」
「へぇ。……で、誰に貸した?」
「トガちゃん」
「アイツ、いつ結婚したんだよ」
「が働いてる大衆食堂の先輩さん」
「完全に赤の他人じゃねぇか」
事の始まりは、数カ月前。仁が贔屓にしている大衆食堂の看板娘が、遊びに——燈矢に言わせれば、侵入しに来たときのこと。
離宮の訪問者と言えば、難癖をつけに来たお貴族様が九割以上を占め、その都度おもてなしという名の迎撃態勢に入らねばならぬホークスにとって、トガの来訪は心休まるものだった。クリームたっぷりのケーキを食べて、果実の香りが漂う紅茶を飲んで、食事マナーなど一切気にせず、世間話に花を咲かせる。いつも通りのお茶会だったが、その日はトガから「職場の先輩が、結婚するんです」という恋バナの提供があった。しかも、政略結婚ではなく、「幼い頃からずっと好きだった幼馴染からプロポーズされたって言ってました」とのことだから立派な恋愛結婚である。何より、「この間、ドレスの試着についていったんですけど、とってもカァイイの」と語るトガの声があまりに弾んでいて、自分とは面識のない人の話ではあるけれど、ホークスまで「おめでたいねぇ」と嬉しくなった。
帝国人にとって、半獣人からの祝福はかえってお祝いムードに水を差してしまうかもしれない。それにホークスは王妃という立場も有している。軽率な振舞いが今後どんな影響力を持ってしまうのか、全く想像できないし、それで燈矢に余計な迷惑をかけるのも本意ではなかった。精々ホークスにできることと言えば、食堂のファンからの差し入れという形で焼き菓子をトガに預けるくらいだろうか——そんなことを考えていたときだった。トガが「それで、ホーちゃんにお願いがあるの」と相談を持ち掛けてきたのは。
「俺にできることなら何でも——って安請け合いしたところで、俺の裁量でできることって本当に限られてるんだけど」
「ホーちゃんの私物を一つ、貸してほしいんです」
「……今までのお友達の結婚の話と、これって何か関係ある?全くの別件?」
「関係大ありです!」
何でも帝国には、結婚式当日、花嫁は幸せな結婚生活を送る先達から何か一つ借りたものを身につけると、自分達も幸せな夫婦になれるというジンクスがあるそうで、されど、食堂で働いてるのは、トガを含め、嫁入り前の若い女性しかおらず、借りる当てがないと新婦が途方に暮れていたらしい。そんな折、トガが「私の知り合いにオシドリ夫婦がいるので、何か貸してもらえないか訊いてみます!」と調達係に立候補した。そして、その「オシドリ夫婦」の片割れが、ホークスだったというわけである。
オシドリは毎年パートナーを変える習性を持つため、有翼族にとっては浮気性の代名詞なのだが、不思議なことに人族の間では仲睦まじい夫婦という意味で親しまれている。オシドリに例えられ、更にその幸せにあやかりたいと憧れてくれているというのだから、帝国人の価値観からすれば、これ以上ない誉のはずだ。それに、トガの知り合いの一生に一度の晴れ姿。ぜひとも力になってやりたい、のだけれど。
「俺の私物か~」
ホークスは着の身着のまま同然の少ない荷物で、この国に嫁ぎに来た。私物と言えば真っ先に思い浮かぶのは故郷の服だが、花嫁衣裳はウェディングドレスと決まっているので、出番がない。身につけられそうな小物の類も多少は故郷から持ち込んできているが、信頼の証として全て燈矢に預けており、ホークスの手元にはなかった。
それ以外で、この離宮にあるホークスの物はというと、燈矢が用意したものになる。ドレス、靴、ネックレス、髪飾り、ハンカチ、化粧品、香水——そのどれもが、王宮御用達の職人が手掛けた一級品で、やれ家が建つだの、やれ山が買えるだの、やれ小国の国家予算を上回るだの、気が遠くなるほどゼロが並ぶお値段のものばかり。
燈矢曰く、体裁の悪い「売却」以外であれば、ホークスの所有物になっているため、好きにすればいいとのことだが、贅を尽くした国宝レベルのそれらをぞんざいに扱う度胸は流石のホークスも持ち合わせていなかった。何を差し置いても、紛失や損傷といった事態は未然に防がねばなるまい。
何より、物が物だ。平民が分不相応な高価なものを持っていると周囲に知れたら、良からぬ企みに巻き込まれてしまうかもしれない。何者かに盗まれたという程度の被害で済めばまだいい方で、トガや花嫁が盗人呼ばわりされる可能性や、犯罪者に目を付けられて彼女たちが危害を加えられるリスクを考えると、ホークスとて無責任に貸し出すわけにはいかないのである。
ホークスの一存で貸し出せるもの。返却されなかったとしても、さして困らないもの。所有者が犯罪行為に巻き込まれないくらいに、金銭的価値のないもの。そして、身につけられるサイズのもの。
「帝国では、花嫁はなるべく白い方がいいんだよね?普通はどういったものを借りるの?」
「その人が結婚式で使ったベールやグローブ、ハンカチとかです」
ハンカチであれば、遠目でチラッと見たくらいなら、それが上質な馬一頭と交換できるものだとバレないんじゃないか。いや、でも確か王族の紋章がデカデカと刺繍されていたような。
う~んと唸るホークスの脳裏に、ふと、色とりどりの羽が飛び散った。有翼族にも、花嫁の幸せを願うまじないの儀式がある。邪気払いとして、新郎新婦に向かって列席者が自身の雨覆羽を撒くのだ。舞い落ちる羽が、降り注ぐ雨に似ていることから羽(は)雨(さめ)と呼ばれており、ホークスも里帰りした際、そうやって邑の皆に燈矢との結婚を祝ってもらった。
思い出に耽りながら、「俺の羽だったら好きなだけ持って行ってもらっていいんだけど」と冗談交じりで笑ったホークスに、トガはズズイと前のめりになって「本当ですか」と目を輝かせた。
「先輩も絶対喜んでくれます!」
「え、いいの?ご覧の通り、俺の羽って真っ赤だよ?」
「帝国一番のオシドリ夫婦から借りたものなので、幸せな結婚になること間違いなしです」
借りると言っても、必ず返さなければならないという厳格な決まりがあるわけではなく、そのまま結婚祝いのプレゼントとして花嫁が受け取る場合もあるらしい。自分の羽をわざわざ回収したいとも思わなかったホークスは、羽の処分はトガに一任することにして、羽を数枚ほど抜き取った————以上が、トガに赤い羽根を預けるに至った顛末である。
説明し終えると同時に「大変お騒がせしてすみませんでした」と土下座を披露するホークスに、絶対零度の青が情け容赦なく突き刺さる。
「何が『心当たりはない』だよ。百パーセント、お前が原因じゃねぇか」
「いやいや、トガちゃんの先輩さんの結婚式で使ったらそれで終わりだと思うって。まさか教会が管理する事態になるなんて誰も予想できんよ」
「信徒獲得と寄付金稼ぎにがめつい教会が、こんな旨い儲け話を見す見す見逃すわけねぇだろうが」
トガを経由して花嫁の手に渡ったはずのホークスの羽が、何がどうなって教会の持ち物になったのか。詳しい経緯はトガに聞かなければ分からないけれど、燈矢の見立てでは、ホークス本人と面識がある教会の聖職者であれば、今回式を挙げた花嫁が持ち込んだ赤い羽の持ち主が誰なのかをすぐに見抜いたに違いない、とのことだった。
廃嫡された訳ありの王族が自分達の領主となるにあたり、城下町での前評判は酷いものだったらしい。ところが、いざ燈矢の統治が始まると、老朽化していた街のインフラ整備、雇用の大量創出、交通の要衝という立地を生かした各地の隊商の誘致など、瞬く間に的確な施策を打ち出していき、停滞していた城下町の経済が類を見ないほどに活気づいた。
そうなると人間というのは現金な生き物で、掌を返して新たな領主を歓迎するようになった。ついでに、その伴侶である半獣人のことも、帝国では考えられないほど厚意的に受け入れてくれるようになった。日夜、この国の文化やマナーについて研鑽を積んでいるとはいえ、ホークスの勉強の成果は全てこの国の上級階級に対して発揮されており、城下町に対して何かしらの恩恵を与えているわけではない。半獣人の王妃のイメージが大幅に改善されたのは、ひとえに燈矢のおかげだ。従者二人は「殿下があれだけ丸くなったのは、間違いなく妃殿下の功績だよ」、「自信持てって!誇れ!」と励ましてくれたけれど、統治する者の妻としての役目を十分に果たせていないことは重々承知している。
かくして、城下町の中で、嫌われ者だったはずの廃太子夫妻が持て囃されるようになったわけである。その政の手腕から燈矢が名君と親しまれるのは分かるが、何故だか仲睦まじい夫婦としても人気を博しているらしく、自分達をモデルにしたという純愛物語が吟遊詩人やオペラの間でしばしば上演されているのだとか。ホークスが王妃として正式な場で領民の前に顔を出したことは一度もない。当然、燈矢がホークスに対してどのように接しているのかを目にする機会はなく、半獣人差別の激しいお国柄であるなら、寧ろ冷え切った夫婦仲だと思われるはずなのに、一体どうして愛妻家のレッテルを貼られることになったのやら。
仁曰く、城下町の居酒屋では理想の夫婦像とまで持ち上げられているようで、そこに教会が目をつけたのではないかというのが燈矢の推測だった。元々サムシングボロードという形で、幸せな結婚に恵まれた者にあやかって自身の幸福を願うという考え方は浸透している。そして、現在、城下町において最も有名な「幸せな花嫁」はホークスだ。しかし、半獣人であろうと、仮にも王妃。平民が気軽にサムシングボロードを頼める相手ではない。
ここで両者を繋げる仲介役として、教会が名乗り出れば、どうなるか。
国教なだけあって、政治的にも大きな影響力を持つ教会は、公的な施設と見なされる。そんな教会が、ホークスの羽の貸し出しを行えば、平民の目には正規の手順に映るだろう——蓋を開けてみれば、ホークス本人にも領主である燈矢にも何の断りもなく、無許可でやっているのだけれど。
その上、城下町の教会といえば、実際に燈矢とホークスが式を挙げた場所である。大方、あの廃太子夫妻が愛を誓った教会、しかも王妃からのサムシングボロードまでついてくるという触れ込みで、他の教会と差別化を図り、信徒と寄付金を独占を狙っているのだろう。
「教会の縄張り争いは興味ないけどさ。サムシングレッドなんて名前がつくくらいに需要があるなら、俺の羽はそのままにしておいても問題はないんじゃない?イメージ戦略的にも、領民にとって馴染みやすい領主の方がいいでしょ?」
「あのな。教会が好き勝手やってるのが大問題なんだよ。立場はこっちが上なんだから、事前にお伺いを立てるのが筋ってもんだろうが。大体、自分の羽がいいように使われてるってのに何も思わねぇのかよ?」
「羽の貸し出しで阿漕な商売をされるのは嫌だな〜ってことくらい?」
「表向きは俺達からの委託って形になるんだ。施しの一貫で領民から金を取るなんざ論外だろ」
「まぁ、そこら辺の細かい価格交渉は、俺の出る幕じゃないし、お前に任せるけどね」
「そんで、教会にはレンタル料を課す」
「どう計算しても教会側が赤字になると思うんだけど。それに、俺達が委託する側でしょ?更にお金をもらうの?」
「神の教えで、利益を上げることに苦心するのはご法度なんだよ。他者への思いやりを忘れず、身銭切ってでも相手に尽くして初めて一人前の聖職者ってな」
「何でお前はそげん好戦的なんかな?」
迫と仁の言葉を疑うわけではないけれど、本当にこれで丸くなったのだろうか。積極的に敵を作っていこうとする旦那様に、ホークスは頭が痛くなってくる。
とはいえ、教会に軽んじられては、王族の威信に関わるというのであれば、ホークスがあれこれと口出しすることではない。他国から嫁いできた立場というものをしっかり弁えているつもりだ。あとは教会の皆様に頑張っていただくとしよう。断じて、翼をペンキで塗るように喧嘩を売られた腹いせなどではない。
「でもさ、何だか申し訳ないよね」
「何が?」
「幸せな花嫁に憧れて、俺の羽を身につけたいと思ってくれる子がいるのに、肝心の俺がサムシングフォーを全く知らずに式を挙げたのがさ、こう、ね?収まりが悪いなぁ、と。できることなら、俺自身もサムシングフォーをやりました〜っていう方が、話としては綺麗にまとまるし、説得力もあるでしょ?」
サムシングオールドは右足の刺青でもいいらしいので、問題解決。サムシングニューを満たすものは沢山あるけれど、とりあえず指輪にするとして、問題はサムシングボロードだ。全てホークスのために新調してもらったし、そもそもこの国に来たばかりだったので、半獣人相手に快く貸してくれるような人脈もろくに築けていなかった。刺青のように何かいい感じのこじつけはないものか。う~んと悩むホークスに、燈矢は事も無げに「『手を借りる』でもいいらしいぜ?」と光明を投じた。
「まさか、一人でウェディングドレスを着たわけじゃねぇだろ」
「勿論、着せてもらいましたとも」
どこからどう見ても、帝国のドレスは一人で脱ぎ着できる構造をしていない。背中の網紐なんて、明らかに第三者の助けありきである。そんな訳だから燈矢の言う通り、侍女達の助けのおかげでホークスは慣れぬ他国の婚礼衣装を身に纏うことができたのだが、それにしても比喩表現や慣用句もありとは恐れ入った。サムシングフォーの定義が緩すぎる。
「あとは、その翼でサムシングレッドってか?」
「今までの流れから察するに、俺の羽はサムシングボロード枠なんだから、青いものは別途必要なんじゃないの?」
「つっても、お前はあの日青いものは身につけてなかったんだろ?自前の羽だからボロードでもねぇ。それで、サムシングレッドの話に上手く繋げたいなら、ブルーの代わりにレッドを調達したってオチが一番まとまるんじゃねぇの?」
「いやまぁ、それはそうなんだけど、これだけ判定がガバガバなら、サムシングブルーもどうにかなりそうだったからさ。折角なら、元ネタに則りたいじゃん」
「いくらこじつけに寛容なジンクスでも、流石に白と赤じゃ、青と言い張るには無理があるぜ?」
「確かに『身につける』って表現するのはかなり微妙だけど、『手を借りる』って概念がサムシングボロードとしてセーフなら、大丈夫だと思うんだよね。色味についてはご心配なく。文句無しの青だよ」
ふふん、と得意気に胸を反らせるホークスに、燈矢は眉根を寄せた。恐らく、結婚式の記憶を掘り返しているのだろう。あの日、あの時、あの場所で、ホークスが青色の何かを手にした瞬間がなかったか——生憎、燈矢の視界には入らないものだから、その光景を目にすることはできないのだけれど。
「降参する?」
「……やっぱり、気を利かせた侍女がガーターベルトに青いリボンを仕込んでたとか?」
「違いま〜す」
「……ヒント」
「新婦の隣に立ってた人」
「はぁ?それって、」
俺だろ、と言いかけた燈矢の目が————そう、青い瞳が大きく見開かれる。
灯台下暗し。自分の瞳の色が何色かなんて、普段から意識して過ごす人間はまずいないだろう。だから、燈矢が失念していたのも無理からぬ話だった。
それでも、結婚式の日、花嫁の隣に青色が片時も離れずに佇んでいたのは事実だ。刺青や他人からの手助けをサムシングフォーに含めていいなら、新郎だって数に入れていいはず。そう主張するホークスに、燈矢は毒気を抜かれたらしい。「俺はいつからお前の装飾具になったんだよ」と突っ込む声には、普段の鋭さが欠けていた。
「やだなぁ。夫婦になるっていうのは相手が自分のものになることだよ。それに後付けだろうと、こじつけだろうと、要は辻褄が合えばいいんでしょ?幸せな花嫁になれたなら、その人の近くにあった青色はもれなくサムシングブルーってことで何の問題もなかよ」
「お前さ。結婚生活はこれからの方がよっぽど長いんだぜ?今から、幸せな花嫁になれたって断言していいのかよ?」
「俺が当初予想していた新婚生活の一万倍は幸せだからね。ご飯は美味しいし、ふかふかのベッドで寝れるし、服も肌触り抜群だし、毎日お風呂に入れるし、ご飯は美味しいし」
「飯、ニ回言ったな」
「仁さんは気が置けないし、迫さんは頼りになるし、相葉さんに花を教えてもらうのは楽しいし、四条さんの作るスイーツは最高だし」
強いて言うなら、コルセットとハイヒールとダンスがなければもっと快適だったということくらいだろうか。
離宮での暮らしにいかに満足しているかをホークスが指折り数えていくにつれて、目の前の男が面白くなさそうな顔をする。政敵との腹の探り合いでは、それは見事なポーカーフェイスと煽り芸を披露する癖に、何ともまぁ、分かりやすいことで。とうとう堪えきれなくなったホークスは、くすくすと笑いながら、最後に「何より、ここには世界一の羽繕い師がおるけんね」と燈矢が心待ちにしていたであろう理由を付け加えた。
「それに、発情期にも付き合ってくれる心優しい旦那様は、俺のこと、不幸せになんかせんもんね?」
挑発するように首を傾げれば、勝ち気な笑みを浮かべた燈矢は「上等」と受けて立つと同時に、ホークスの腕を引いた。その勢いに身を委ねて、男の胸元に飛び込む。グリグリと頭をホークの肩口に押し付けてくる様子は、まるでじゃれる白猫のよう。ふわふわとした柔らかい髪が首に当たって擽ったい。
とりあえず、燈矢のご機嫌取りには成功したようだ。このまま、サムシングレッドの件はなし崩しにしてしまえ——そう思った矢先のこと。燈矢が「夫婦ってのは自分が相手のものになることだって言ったよな?」と口を開いた。
「え、うん。言ったけど、それが何か?」
「つまり、俺はお前のものだし、お前は俺のものってことだろ?」
「最低限の人権は尊重されてしかるべきだと思うなぁ〜?」
「お前の言い分に従うなら、相手の身体を自分のアクセサリー扱いするのはセーフってことにならねぇか?」
「…………う〜ん、まぁ、そうなる、かな……?」
何故だろう。現在進行形でとんでもない言質を取られて、じわりじわりと追い詰められているような気がするのは。
無性に嫌な予感がして、少し距離を置こうとしたら、逃がすものかと言わんばかりの力で抱き締められる。身動き一つ取れない状況にホークスの思考回路は思わず、蛇って長い体を使って獲物を絞め殺すんだっけ、と現実逃避に走った。
そんなホークスの意識を呼び戻すかのごとく、地を這うような低い声が「だったら、」と耳元で響く。
「お前の身体の頭の天辺から爪先にいたるまで、全部俺のものだろうが。羽一枚だろうと、俺に無断でばら撒いてんじゃねぇ」
流石は執念深いと戦場で恐れられた白蛇様。そう簡単には流されてくれないらしい。「自分で言い出しておきながら、自覚が欠落してるみてぇだからな。お前が俺のものだってことを、身体の方に叩き込んでやる」と意気込む青い瞳は完全に据わっている。身から出た錆とは正にこのこと。精々ホークスにできることと言えば「ハハハ……どうかお手柔らかに」とお願いすることくらいだった。
トガが結婚するときは、また新しい羽をあげると約束したけれど、どうやら守れそうにないなぁ、と思いながら。