兄さまが貝になった話ある日、兄さまが貝になってしまった。
魔法局の一室、大きな魚も入りそうな水槽の中央でたっぷりの水の中にぽつんといる、手のひらにころんと乗るような大きさの二枚貝。
魔法道具が暴走してこうなりました、なら話は簡単だったろうけど原因は不明らしい。
魔法局で原因を究明している最中なのですが……と申し訳なさそうな顔をした職員さんが説明してくれた。
「魔法道具管理局長が元に戻られるまで、所在はどうされますか?」
こちらに預けられるのであれば貝類の研究を専門としている学者に世話を任せますが、と続ける職員さんへ、僕に世話をさせてください、とすぐに言っていた。
そう言ったものの貝の生態なんて全然知らなかったので大急ぎで図書館から本を借りてきて、何を食べるのか、ということから調べることになった。
兄さまの世話をして、兄さまの代わりに毎日ウサギ達の世話もして、水槽の中の兄さまに日々の出来事を語る。
それを数日くらい続けた後で、貝って、話してること聞こえるのかな?と、ふと考えたけど、わからなかった。けど、それからも続けて、続けた。
兄さまが貝になってしまってから少し経ったけど、魔法道具管理局はとりあえず回ってるらしい。
おそらく大変忙しくしてる人達がいるんだろうけど。
兄さまが貝になっちゃった原因はまだ不明のまま。
兄さまは真面目で責任感のある人だから今の状況に心を痛めてるんだろうな、と思いながら自分の机の上に置いてある水槽の中の兄さまを眺めた。
でも、今の兄さまは貝だから人じゃなくて貝の気持ちだったりするのかも。
今の兄さまは、貝だから当たり前だけど、話せないし、人のように動けないし、大好きなウサギとだって触れ合えない。そんな風に色んなことが出来ない。
だから、元に戻る方法を頑張って探してくれてる人達がいて、周りの人達も元に戻るのを望んでいて、誰より兄さま自身が一番元に戻りたいだろう。
一日でも早く元の兄さまに戻れた方がいい。
そう思ってる。
それなのに。
兄さまが今のままなら。
いつ寝てるんだろうってくらい忙しくすることはないし、神覚者としてすごく危ない目にあったりすることはないし、僕を置いていなくなったりしない。
誰かに言ったことはないし、これからも言うことはないし、こんなこと兄さまに知られちゃったらどんな顔されるのかわからないけど。
また、兄さまが僕から離れていっちゃう日が来るんじゃないかっていう気持ちが、ほんの少しだけ、心の隅の方にいる。
例えばだけど、もしも兄さまが僕から離れた方が絶対僕にとっていい、ってことが起こったなら、多分、また兄さまは僕を置いていなくなる。
兄さまはとても意志の強い人だから、そうするんじゃないかな、きっと、そうする。
今はただ偶然そばにいるのを許してもらえてるだけ。そんな気がずっとしてる。
今の兄さまの見た目は汽水湖に生息してる貝によく似ているらしい。
兄さまがずっとこのままだったなら、その湖近くの家に住もうかな。
「僕、兄さまがずっと貝のままでもちゃんと面倒見るからね」
他の人が神覚者のレイン・エイムズのことを忘れても、僕だけはずっと兄さまを見てるから。
だから、元に戻ってもずっとそのままでも、どっちでも大丈夫だよ。
という続きまでは言わずに兄さまと水が入っているガラスにぺたりと触った。
僕のこんな考えが気持ちや兄さまに伝わっちゃったら、兄さまは落胆するかな。
「ねえ、兄さま」
そう呼んでみると、貝の口が開いて、水の中に小さな泡がぽこりと浮かんだ。
僕の声、ちゃんと兄さまに聞こえてるのかも。