過去編① ホタル 広大な宇宙、数多の星。ぼくはここに、新しい世界を作ろう。沢山ある星の中から一箇所だけを選んで、そこに命を吹き込む。ぼくの小さな呼吸から、二人の精霊が生まれる。一人は大陸を創り、もう一人は生き物を生み出す。地球は、生まれた。
何もなかった地球を見守り続けて数億年、ここは驚くべき進化を遂げた。海ができた。山ができた。現実世界と幻想世界を繋ぐ泉と、ぼくの為に生物達が造った神殿もできた。幻想世界から仲間の精霊達が地球へと降り立ち、ここをもっと豊かにしていく。地球を創ることに一番貢献した最初の二人―大陸の精霊ピローと生物の精霊イーラは、ぼくの神殿に遊びに来ては地球の好きなところを延々語った。
精霊達は生物達と仲良くなった。友達になったり恋愛したり、両者ともお互いを大切にしていた。ぼくらが想い描いた理想郷が、どんどん現実になっていく。
しかし、ぼくはその様子に何となく不安を感じていた。
ピローはある時、ぼくの元へ一人の青年を連れてきた。
「ホリー、紹介するね。彼はネレアっていうの。考古学者なんだって。とても素敵なお方だと思わない?」
目を輝かせながら話す彼女の姿を見て、ぼくは気づいた。彼女が青年ネレアに想いを寄せているということに。
「考古学者、か…。」
ぼくの嫌な予感は何となく現実に近づいているようだと、彼を見ているとそう感じるのであった。
理想郷はほんの些細なことで崩れてしまうのだ。
ピローは毎日ネレアと話して遊んで過ごし、自分の仕事には殆ど手をつけなくなってしまった。ネレアは好奇心旺盛で、ピローを止めるどころか彼女の話に聞き入っている。大陸は少しだけだが荒れてしまった。
ネレアはピローに尋ねた。
「この星には生物が沢山いる。なあ、生物の起源はどんなだったんだ?そもそも、この星はどうやって生まれた?この星はこれから、どんな風になる?」
精霊達には共通の掟がある。「生物達に真理を教えてはならない」。当然、ネレアにだって教えてはならないのである。ピローは少し考えた後、そっと口を開いた。
「ホリーさんには、今から話すこと、内緒にしててね。貴方にだけ特別に、教えてあげるから。」
ピローは掟を破った。ネレアに全て話した。地球の成り立ちも、生物の起源も、地球の今後も、全て話した。
ネレアの顔は少しずつ引き攣っていった。情報量が多すぎた。何億年もの長い記憶を一気に頭に流し込まれて、彼一人では処理しきれなかった。処理が追いつかずに暴走した。ネレアは、壊れてしまった。
ピローはその場に立ち尽くしていた。大切な人を目の前で失ってしまった。―それも、自分がしたことがきっかけで。
他の精霊達は彼女を労った。特にイーラは彼女の心に寄り添おうとした。ぼくはそれを、許さなかった。精霊達はぼくを非難した。無理もないが、ぼくはピローを労る気持ちにはなれなかった。
大切な人を失った原因は、彼女が掟を破ったからだ。ぼくはどうしてそのような掟があるのかを彼女に説明していた。わかっていながら、彼女は大切な人のお願いを断ることができなかった。
「大切な存在だったのだろう?なら、何故断らなかった?」
「…彼、考古学者だから、大丈夫だと思ってた…。」
「大丈夫だというなら、このような掟は作らない。大丈夫でないから作った。いつも言っていたことだ。」
「貴方の言いつけを守らなかったことは悪いと思っています。どうか、彼を蘇らせてください…。」
彼女は懇願した。その目は本気だった。しかし、言うべきことは言わねばならない。そして、与えるべき罰は与えねばならない。ぼくは首を横に振った。
「死んだ者を蘇らせることは、たとえぼくでもできない。そして、掟を破ったからには、貴方は罰を受けなければならない。生物の生死に関わる掟を破った者には、『魂の分離』及び『降級』の罰を与える。」
「そんな…!待ってください!」
魂の分離と降級―。この組み合わせは精霊に対する刑罰の中でもかなり重い。彼女はそれほどのことをしてしまったのである。
流石に、大切な人を失った今この瞬間に罰を与えるのは酷なので、彼女にはネレアを埋葬する権利を与えた。
「貴方のことが大事だった…。でも、私はすべきことを間違えた…。そのせいで貴方を失ってしまった…。それに、私ももうすぐ『私』でなくなってしまうの…。ごめんなさい…。」
ネレアを抱きしめてピローは泣き続ける。その背中はいつもの元気なピローとは全く違う、小さな背中だった。
「ピロー…。」
ぼくは彼女の背中にそっと触れた。
「ネレアは…、もう『ネレア』として生まれることはないけれど…、新しい『別の命』として生まれ変わることはある…。その時はきっと、貴方を見つけて会いに来てくれるだろう…。」
「本当…?私が『私』でなくなっても…?」
「生き物の魂は過去の繋がりを忘れたりはしない。新しい人格と新しい記憶を得ても、魂は過去のことを覚えている。だから、生まれ変わっても、いつかは巡り会える。」
「…そっか。また、会えるんだ……。」
ピローはネレアの眠る幻想世界の墓石の前で、ふっとため息を吐いた後、ぼくの方へ振り返って言った。
「もう、覚悟はできています…。私は、彼にちゃんと償わなくてはいけないから…。どんな姿になっても、私はこの罪を忘れはしないでしょう。」
「いいんだね…?」
「…お願いします。」
ピローはごくりと唾を飲んだ。ぼくはピローに魂分離の魔法をかけた。一つの魂が、強い光と闇を伴って二つに分かれる。光と闇がおさまった時、そこにはピローよりも幾許か小さい精霊が二人、立っていた。
「ホリーさん、新しい名前、つけてくれるんだよね?」
闇の方から生まれた明るい声の精霊が尋ねる。
「ホリーさん、僕からも…お願いします…。」
光の方から生まれた大人しい声の精霊もそれに続く。
「わかった、二人とも少し落ち着きなさい。そうだな…。」
罰としての魂の分離の場合、分離前の仕事は引き続き担当する。つまり、二人とも大陸の精霊のままである。二人は元のピローよりも小さいので、大陸より少し規模の小さい「島」にちなんだ名前をつけることにした。
「先に口を開いた方が『アイラ』、次に口を開いた方が『アイル』。気に入らなかったら変えてもいい。」
「アイラかあ、まあ、いいんじゃない?」
「気に入りました、ありがとうございます、ホリーさん。」
二人とも新しい名前を一応気に入ってくれたようだ。
新しい名前の次は、新しい仕事を与えねばならない。罪を犯した精霊は、元の仕事の他に新しく別の仕事も受け持つ義務がある。アイラには破壊、アイルには創造の力をそれぞれ与えた。二人は力をバランス良く使う必要がある。アイラは自信満々の笑みを見せたが、アイルは自信なさげに俯いた。
アイラはアイルよりもピローらしい一面が多い。社交的で好奇心旺盛だが少々喧嘩っ早い。精霊達も生物達も、みんなアイラと賑やかに会話する。一方のアイルは、ぼく以外に対しては無愛想で、問題を起こす事なくただ淡々と仕事をこなしていた。アイルはの背中は、ネレアを失った後のピローの背中と同じだった。
イーラは基本的に他の精霊達と同じようにアイラと一緒にいたが、ごく稀にアイルの所へも来た。アイルはイーラとまともに会話をしなかった。そんなアイルを、アイラは良く思っていなかった。
「あんたさあ、折角イーラがお話ししようって誘ってくれているのに、なんでそんな態度ができるの?」
アイルはアイラのこともイーラのことも嫌いではなかったが、彼女らと話をするつもりもないようだ。二人が去ると、彼は口を開いた。
「もし僕がまた、彼らと口を聞いたら…僕はまた自分のせいで大切な人を失ってしまうかもしれない…。アイラはそのようには思わないのだろうか…。アイラはネレアのことを忘れてしまったのですか?」
アイルはある意味ではピローらしかった。魂が分かれてからもずっと、ネレアのことを想っていた。ネレアは大切な人。仲の良かったイーラ、そして自分の片割れであるアイラも大切な人。ネレアの件の反省とトラウマから、彼は誰とも口を聞けなくなってしまったのだ。
「アイル。」
ぼくは彼の肩をぽんと叩いた。
「前にも言ったように、魂は過去の記憶を忘れたりはしない。」
「でも、ピローの魂は僕とアイラの二つに分かれている。もしかしたら、ネレアを覚えているのは僕だけで、アイラの魂は覚えていないかもしれない。」
「彼女の魂の記憶と貴方の魂の記憶に相違はないよ。彼女も貴方と同じで、ネレアのことを覚えている。」
アイルはハッとしたような顔でぼくを見た。
「彼女が皆と仲良く接するのは、落ち込んだ姿をネレアに見せないためだ。彼女は、大切な人の前ではずっと元気な姿を見せていたいんだよ。貴方はそれをどう思う?」
「それは…。……そうか、だから…。」
「アイル、慎重な貴方ならきっと、ネレアの時と同じようなことを繰り返すことはないだろう。たまには皆と話してみるのも悪くないよ。」
アイルは少し俯いたが、その口元は笑っていた。
「ホリーさん、ありがとうございました。なんだか安心しました…。」
皆の元へ戻るアイルの背中は、以前よりもしっかりしているように見えた。
―しかし、事件は起きた。
ネレアの件からまた何億年か経った。生物達はますます多様に進化していったが、その中には乱暴な性格の生物達もいた。
乱暴な生物達は大人しい生物達を襲った。棲家を奪い、食料を奪い、命までもを奪った。平和な理想郷は、争いの絶えない暗黒世界へと姿を変えた。この星が生まれてから初めての絶滅が起きた。住む場所が限られれば争いが起き、争いが起きれば絶滅が起き得る。しかし、生物達も精霊達もそのことを知らなかったのである。
ぼくは混乱した世界を鎮めようとした。イーラやアイルも冷静に対処しようとした。ただ一人、アイラだけは冷静になることができなかった。
「なんでそんな意地悪なことをするの!なんで!今まで平和にやってきたのに!なんでそれを壊すの!」
アイラは声を荒げて訴えた。しかし、彼女の訴えは生物達には届かなかった。虐殺も強奪も止まなかった。
「あんなに綺麗だった世界がこんなに醜悪になるなんて…。こんな世界なら、俺は要らない…!」
アイラは破壊の力を両手に溜めた。イーラやアイルが止めようとした時にはもう、遅かった。アイラの破壊の力は、彼女の体から溢れ出して暴走した。乱暴な生物だけでなく、大人しい生物や植物までもを飲み込んで、世界のほぼ全てを破壊した。海も山もみな、炎に包まれた。
広大な大陸はその面影をなくして、なんとかなくならずに済んだ大陸の欠片である島にも、植物や動物の姿はなかった。
イーラとアイルが、力を使い果たして倒れていたアイラをぼくの神殿へ連れてきた。
「ホリーさん、アイラは…どうなるのですか…?」
アイルは不安そうな顔で尋ねた。
「アイル…、もう分かってるでしょう?アイラは…。」
イーラはアイルの背中に手を添えた。
二人は分かっていた。アイラが犯した罪の重さも、また、アイラが受けるべき罰の重さも。
「ホリーさん、これはアイラだけの責任ではありません。アイラを止められなかった僕にも責任があります。」
「私だって、生物達を守れなかった。これは立派な職務怠慢です。私にも責任があります。」
「二人とも、いくら主張してもアイラが減刑されることはないことは分かっているはずだ。でもまあ…、そうだな。アイルにはアイラを止める義務はないけれど、イーラには確かに生物達を守る義務があった。とはいえ、あの状況で全ての生物を守るのは難しかっただろう。」
イーラの職務怠慢によって生物が滅んだならば、罪を重くする必要がある。しかし、今回はそうではない。アイラの減刑が認められずとも、イーラの減刑なら認められる。
「イーラ、貴方の魂を二つに分離する。但し、仕事は増やさない。むしろ二人で分担できるようにしよう。片方は植物、もう片方は動物だけを守れば良い。それでどうだろう。」
「私を…?そ、そうですか…。罪を犯したのはアイラだけじゃない、私もだから…仕方ないですね…。」
「イーラはそうなるけれど、アイラは…?」
「アイラへの罰は変わらないよ。それはアイルが一番分かっているのではありませんか。イーラの分離が終わり、アイラが目を覚ましたら、すぐに始めますよ。」
アイルは悲しそうな顔をした。可哀想だが、そうする他なかった。
ぼくの魔法で、イーラの分離が始まった。ピローの時もそうであったが、イーラの分離の時も胸が締め付けられるような思いで溢れた。
分離が終わると、イーラの魂は緑髪の少女の姿と茶髪の少年の姿とに分かれた。少女の方には名前「ラント」と植物を守る力、少年の方には名前「ニマ」と動物を守る力を与えた。
「アイラが目を覚ましたら、アイルとラントとニマ、そしてぼくの四人でアイラを泉に封印する。いいね?」
アイラが受ける罰は、封印。精霊達にとっての最高刑罰である。
「やむを得ないですね…、わかりました。」
ラントは残念そうな顔で答えた。ラントはニマよりもイーラらしさが残っているように見える。一方のニマは
「もちろんいいさ、彼奴が暴れなければ俺らが職務怠慢の罪に問われることもなかったんだから!」
といったように、イーラと打って変わって攻撃的である。恐らくこれがアイラに、そしてピローに対するイーラの本音だったのであろうが。
やがて、アイラが目を覚ました。彼女は自分がどうなるのかもう予想できているようだった。
「きっと、もう二度とここから出ることはないんだろうな…。いつかこの世界が、争いのない平和な世界になってくれたのならば、俺はどんなに幸せだろうか…。たとえ、その世界をこの目で見ることができなくとも…。」
そう言い残すと、彼女は自ら泉の中へ飛び込んだ。ぼくとアイル、ニマ、そしてラントは、封印の旨を書いた石板を泉に沈めて封印の魔法をかけた。封印が終わると石板は四つに割れ、大陸の残骸であるこの島のあちこちに飛び散った。泉は、現実世界と幻想世界を繋ぐ力を失い、現実世界の普通の泉になった。
ぼくは地球にも魔法をかけて、ぼくや精霊達の姿が今後この世界に生まれる新しい生物の魂達には見えないようにした。もう二度と、同じことを繰り返す訳にはいかない。
アイラが滅ぼした生物の一部―といってもかなりの数ではあるが―は、黄泉の国へ行かぬまま悪霊と化していた。悪霊達は同じくアイラに滅ぼされたおとなしかった生物達の魂を呪った。呪われた魂を持つ者を守るため、ぼくはそれらにのみぼくの姿が見えるよう魔法をかけ直し、悪霊達は残骸島に封じ込めた。これで誰も傷つくことはない。何も問題はない、はずだった。
「こんな所にこんな島があったなんてね。今まで誰にも見つからないまま、管理もされずに遺されていたんだもね…。」
「ボクはこの島気に入りましたよ!だなも!」
「うんうん、この島なら広さもそこそこあるし、プログラムにぴったりだなも!」
どこからか声が聞こえる。ここに生き物が来るなんて、大体四十五億年ぶりくらいだろうか。
ここには悪霊が棲みついている。もし、それらが彼らを襲ったとしたら。そうなる前に、ぼくは彼らをここから逃がさなくてはならない。幸い、彼らの内の一人は旧生物の魂を持っているようだ。彼に訴えることができれば、もしかしたら。
「すぐに帰った方がいい。ここは生き物が住んでいい場所じゃない…。」
「……?」
気づいたようだが、反応が鈍い。旧生物としての魂が薄れているところを見ると、何度か転生を繰り返しているようだ。
「つぶきち、どうかしただなも?」
「えっ…、何か聞こえませんでしたか?」
「何も聞こえないだなも。まめきちは?」
「ボクにも何も…。」
「気のせい…でしょうか…。」
三人のたぬき達はそのまま大陸の中を探検し続けた。彼らはテントを張って、大陸の雑草をある程度抜いた。ここに住むつもりか。彼らはここをある程度整備すると、何処かへ帰っていった。
それからしばらく経って、彼らは仲間を増やして再びここへ来た。やはりここで暮らすつもりのようだ。彼らの新しい仲間の内の一人から、またしても旧生物の魂を感じる。それも前のたぬきの少年よりも濃い。彼女はあのたぬき少年以上に危険であるかもしれない。
「じゃあ、この島はヒューバー島で…。」
どうやら彼女はヒューバー島と名付けられたこの島の名ばかりのリーダーになったようだ。尚更、彼女がこの島を離れることはないだろう。ぼくは彼女への接触を試みた。
「貴方、ここは危険だよ…。」
「えっ!」
彼女はこちらを見た。ぼくの声は届いたようだ。途端、彼女は目を輝かせて叫んだ。
「すごい!天使だ!えっ、その翼って、本物?触ってもいいかな?」
「天…使……?」
「頭の輪っかもすごい!本物の天使だ!」
「あの……。」
彼女は予想していたよりも激しい好奇心を持っているようだ。そして、今の生物達はぼくのように輪っかや翼をつけた者を「天使」と呼ぶらしい。天の使いになった覚えはないが。
「あなた、なんていう名前なの?」
「名前はあまりに長いので、縮めて『ホリー・タルコット』と名乗っている。ぼくの名を聞いてどうするつもりか…。」
「ホリー・タル……、よくわからないから、『ホタルちゃん』って呼んでもいいかなぁ?」
「……好きに呼べばいい。」
「やったー!あっ、私のことは『こーらる』って呼んでー!」
彼女を説得するのは無理だ。ぼくは早々に諦めた。その代わりと言ってはなんだが、ぼくは神殿(の跡地)の周りの森の中に悪霊達を押し込めて、こーらるに森へ入らないことや森へ誰も入れないことを約束させた。
ヒューバー島…。この島で暮らす新しい生物達が平和に、安全に暮らせるように。彼らを守ることができるのは、ぼくしかいないのだ。