特別な日それはチャンピオンを取った試合から帰る、ドロップシップの中での出来事だった。
その試合は私、オク、レイスというあまり戦略的な行動が取れそうにないチームだった。しかし先陣を切って1枚落としたオクが敵のフォーカスを浴びてダウンした時、いち早くレイスが救援ポータルを引き、私のドローン蘇生と回復もすぐに通った。おかげで相手が建て直す前にジャンプパッドでの反撃に成功し、チャンピオンを取れたのだ。
もちろん、反省すべき点は多々あった。でも今日だけは純粋に勝利の余韻に浸りたかったのは、オクとのわだかまりが消えて初めての試合で取ったチャンピオンだからだ。ドロップシップの座席に背を預けながら先程までの試合運びに思いを巡らせる。このあと彼とレイスを我が家に呼んで、浴びるほどビールを飲みながらバカみたいな量のピザとフリッターをたらいあげるのはどうか?フライヤーライヤーズの新曲も流しながら。きっとこの上なく気持ちよく酔えるはずだ。今日は特別な日なのだから。
「アネキ、結婚しようぜ」
突然シルバが放った言葉をすぐに飲み込めなかったのは、その余韻に肩まで浸かっていたからか、あまりにも突飛な話だったからか。私はその場で固まったまま、「なんで?」と返すしかなかった。
「俺はアネキとずっと一緒にいたくてよ、で、その方法をずっと考えてたんだが、結婚が手っ取り早いんじゃないかって」
「それ、あんたの都合じゃない?」
「ああ、俺の都合だ。でもあんたも俺がいないと寂しいだろ?」
「…」
話が噛み合ってない気がしながらも、否定もできずに言葉を詰まらせる。先程まで噛み締めていた勝利の味が、急に苦くベタついたものに思えてきた。ふとレイスに目を向けると、いつも伏しがちな睫毛がこれでもかと反り上がり、白濁した瞳が必要以上に大きく見開かれていた。獲物の一挙一動を見逃すまいとする猫のような視線。ここに逃げ場はなさそうだ。
少し大きめなため息をついてから、再度オクに目を向ける。せわしなく足踏みする彼の表情は全く読みとれない。いつもはマスクの意味があるのかと思うくらいわかりやすいのに。
「あのね…悪いけど、私はあんたに恋愛感情なんてないわよ?多分」
「ああわかってる、俺だってわからねえ」
「分からないのに?」
「なあに、結婚なんて紙切れ一枚出すだけだから恋愛感情なんていらないだろ?知らなかったのかアネキ?その紙切れ一枚で実家に出入りしていた能無し弁護士どもが飯を食ってたんだがな」
JAJAJAと笑う彼の本心がわからず、首を振る。カシャカシャと響く義足の音が今日はやけに耳を突く。
「…オク、あんたのことは好きよ?でもそれは家族として…」
「結婚したって家族になるだろ、同じじゃねえか」
「あのね、そうじゃなくて」
「俺はあんたの唯一の家族だ、俺にとってもな。大事にさせてくれよ、Chica」
急にプロポーズじみた事を言われ、顔が熱くなるのを感じる。一瞬視界に入ったレイスの口角が震えている気がした。ドロップシップはまだ着きそうにない。
表情を読み取られないよう深くうつむきながら、再度ため息をつく。
「…オク、結婚したからってずっと一緒にいられるわけじゃないのよ?」
「ああそうだな、永遠の愛なんてとんだ嘘っぱちだしくだらねえ」
「じゃあなんで…」
「くだらねえ嘘を死ぬまで付き続けたら嘘じゃなくなるのかもな?」
それもくだらないことなのか?わからねえな、と独り言のようにつぶやく。彼はいつものようにせわしなく肩を揺らし、左右に首を捻っている。今日のオクはおかしい。いや、別におかしくはない。元々こいつは変なところで頭が切れるのだけど、今日は何を言っても言いくるめられそうな気がしてしまう。違和感といえば、腐りそうなほど長い付き合いの割に惚れた腫れた覚えはほとんどない私達が、今こんな話をしていることだ。もっとも、婚姻の定義を巡ってすったもんだしているだけといえばそれまでだけども。
告白というにはあんまりな状況に、「こんなにロマンスがないことある?」と思わず口に出すと、「俺が吐くほどメロドラマが嫌いなのは知ってるだろ?まあ結婚式は勘弁と思っていたが、シェが望むなら最高なのを用意するぜ?」とシルバが続ける。
「ちがくて…ああもう」
これはかなわない。数回首を振ってから、顔を上げ、息を大きく吸う。オクと視線が合う。こんならしくない話をするくらいだ。きっと真剣なのだろう。ならばこちらも覚悟を決めなければならない。
「あのね、私はもうこれ以上あんたを巻き込むのはゴメンだよ。本当に後悔している。あんたを頼って悪かった。ねえ、またあんたとこうして一緒に戦えたのは本当に嬉しかったさ。でももう…これ以上私に縛られるのはおしまいにしない?」
男は自由になりたいもんだ、というウォルターの言葉を反芻する。誰よりも享楽と快感に飢える彼が、これ以上私に縛られるのは耐えられない。こいつの私に対する感情は、初めて見た動くものを母親と思い込み後を追うアヒルの子のようなものだろう。いい加減、私についてくるのは辞めにしてもらわなければ。たとえ私がレジェンドをやめることになっても。
私の言葉に、さすがのシルバもしばらくその場で立ち尽くしていた。ドロップシップには飛行音だけが響き渡る。喉まで胃酸がこみ上げるような苦しさから、そのまま船の揺れで吐いてしまいそうだった。あんなにいい気分だったのに。レイスの表情は逆光で伺えないが、微動だにする気配はない。
しばらく誰も声を上げなかったが、シルバが耐えきれなくなったかのようにずかずかと私に近づき、ちょうどプロポーズよろしく跪いたかと思えば、私の左手を握った。ゴーグルを引き上げ顕になった彼の目元は、やはり冗談を言っているわけではないことを雄弁に語っている。
「アネキはまだわかってないんだな?巻き込まれたいんだ。縛ってくれよ、ライフライン」
じゃないと俺様、今度こそ死んじまうぜ?と脅しのようなことを言いながら、私の腕を引く。汗ばんだ肌と、いつもより高めの体温が、呆然としたまま動けないでいる私を包み込んだ。思わず息を呑んだが、彼の肩に手を回すべきか考えるまもなく、ドロップシップが着陸体制に入る音が聞こえてきた。
血の繋がりのない大事な家族の彼は、常に何かを証明しようとしている。死に損ないのような私達に、新たな証明を課す必要はあるのか?証明しない必要はあるのか?脳の処理が追いつかず、頭がグラグラする。しかしもう地面は目の前だ。シルバの両肩に手を添え引き剥がすと彼は少し不服そうな目をしたが、構わず顔を近づける。着陸に伴い轟音を立てるドロップシップの中では、叫ぶように話さなければならない。
「…そのライフラインが、あんたを谷底に道連れにするものだったとしても!?」
「どちらかが落ちそうになった時にこその命綱だろ!!」
いたずらっぽく目を細める彼に、今日はもう敵いそうにない。負けっぱなしも癪だからとその眉間に軽くキスを落とし、そのまま立ち上がる。急いで出口まで足を進める後ろから、おい、返事は、という声がしたが、かまわずドロップシップから飛び降りた。チャンピオンの登場に歓声が響き渡る。今日は特別な日なのだ。